「専門家が知っている」という神話への挑戦──1970年代ギリシャ女性が仕掛けた知識革命
- Seo Seungchul
- 4 日前
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シリーズ: 論文渉猟
◆今回の論文: Evangelia (Lina) Chordaki "Making Sense of Knowledge" (Cambridge University Press, 2025年6月17日)
概要:ギリシャの女性主義的出産調節運動(1974-1986年)における権力闘争と認識論的抵抗
「知識を制する者が権力を握る」―この古い格言が、1970年代のギリシャで全く新しい意味を持つことになりました。軍事政権が終わったばかりのこの国で、女性たちは中絶の権利を求めて立ち上がりましたが、彼女たちが本当に挑戦していたのは、誰が「何を知識と呼ぶか」を決める権力そのものでした。医師だけが身体について語る権利を持つのか?科学的データだけが政策の根拠になり得るのか?感情や体験は「非合理的」として退けられるべきなのか?これらの問いは、現代の私たちにとっても切実です。富良野とPhronaの対話を通して、権力と知識をめぐる闘争の新しい地平を探ってみましょう。
言語による権力支配:医学用語という武器
富良野: Phronaさん、この研究を読んでいて気づいたことがあります。1970年代のギリシャで起きていたのは、単なる中絶権の要求ではなかったんですね。
Phrona: そうなんです。年間30万から50万件の違法中絶が行われていた状況で、女性たちが本当に闘っていたのは、医学界や国家が独占していた「知識の権力」そのものだったんですよね。
富良野: まさに。当時の医師たちは中絶を「ektrosi(医学的処置)」と「amvlosi(殺人行為)」に使い分けていた。この言葉の使い分けだけで、誰が正当な医療を受けられるかが決まってしまう。
Phrona: それって、言語による権力の行使ですよね。医師が使う用語によって、同じ行為が「治療」にも「犯罪」にもなる。女性たちはこの言語ゲーム自体に異議を唱えていた。
富良野: そこで興味深いのが「アンティミリマ」という概念です。単に「言い返す」という意味だけじゃなく、既存の権力関係に組み込まれた言語や知識の体系そのものを問い直す行為として使われていた。
知識生産権をめぐる闘争:科学への挑戦
Phrona: 具体的には、どんなふうに権力に挑戦していたんでしょう?
富良野: 例えば、医学界が使っていた「効果率」という言葉を「脆弱性」に言い換えたり、副作用の分類を医師の基準ではなく女性の日常生活への影響で整理し直したり。これは一見すると言葉遊びに見えるかもしれませんが、実際は知識の生産権をめぐる権力闘争なんです。
Phrona: なるほど。誰が何を「科学的」と呼ぶかを決める権力を、専門家から奪い返そうとしていたわけですね。でも、それって科学そのものを否定することになりませんか?
富良野: それが巧妙なところなんです。彼女たちは科学を否定したわけじゃない。むしろ「本当の科学とは何か」を問い直していた。感情や体験を排除した知識が果たして完全と言えるのか、と。
1983年「500人宣言」:権力への直接対決
Phrona: そういえば1983年の「500人宣言」も印象的でした。500人の女性が中絶経験を公然と告白したあの事件。
富良野: あれはまさに権力関係の転換点でしたね。個人的で秘密にされてきた体験を集団的な政治行動に変えることで、「誰が発言する権利を持つのか」という根本的な問いを突きつけた。
Phrona: 政府や医学界の反応も興味深かったです。完全に弾圧するのではなく、部分的に取り込もうとした。7人だけを取り調べて、あとは見て見ぬふりをする。
富良野: そこに権力の巧妙さが現れている。正面から対決すれば女性たちの主張が正当性を持ってしまうから、むしろ「保護」という名目で管理下に置く戦略に転換した。
部分的勝利の両義性:制度化のジレンマ
Phrona: 結果的に1986年に中絶は合法化されましたが、これは女性たちの完全勝利だったんでしょうか?
富良野: そこが複雑なところです。法的には勝利でしたが、知識の権力という点では微妙でした。合法化はされたものの、依然として医師の管理下に置かれ、女性の完全な自己決定権は確立されなかった。
Phrona: つまり、制度的な変化はあったけれど、根本的な権力関係は温存されたということですか?
富良野: 一面ではそうですが、別の見方もできます。女性たちの運動は、権力闘争の戦場そのものを拡張したんです。これまで政治の領域外とされていた身体や感情、日常的な体験を政治化した。
現代への教訓:多層的権力闘争の戦術
Phrona: それは現代にも通じますね。例えば、コロナ禍でも「専門家の科学的判断」と「市民の生活実感」の間に緊張がありましたし。
富良野: まさに。誰の知識が政策決定に反映されるべきかという問題は、今も続いている権力闘争なんです。気候変動問題でも、科学的データと先住民の環境知識、どちらがより「真実」に近いのかという議論がある。
Phrona: そうすると、この研究から学べるのは新しい抵抗戦術ということになりますね。制度内での権力争いだけじゃなく、知識や言語のレベルでの闘争も重要だと。
富良野: そうです。ただし重要なのは、これらが別々の闘争ではないということです。知識をめぐる争いは、結局は「誰が決定権を持つか」という権力問題の一部なんです。
闘技民主主義との接続:認識論的政治の可能性
Phrona: シャンタル・ムフの「闘技民主主義」との関連で言うと、政治的対立の新しい次元を示しているということでしょうか?
富良野: その通りです。ムフは政治的価値や利害をめぐる「闘技性」を重視しましたが、ギリシャの女性たちはそれを認識論的なレベルまで押し広げた。「何が知識として認められるべきか」をめぐる闘争も、立派な政治なんです。
Phrona: でも、それって結局は権力の再分配という古典的な政治目標に帰着するんじゃないでしょうか?
富良野: 権力の再分配をより効果的に行うための新しい戦術を発見したということだと思います。制度的な権力だけを争っていても、知識の権力が変わらなければ、根本的な変革は起きない。
Phrona: なるほど。権力闘争の戦場を拡張することで、より深いレベルでの変革を目指していたということですね。現代の運動にとってどんな教訓があるでしょう?
富良野: 一つは、政策要求だけでは不十分だということです。同時に「誰が専門家として認められるか」「どんな知識が信頼に値するか」といった問いにも取り組む必要がある。
Phrona: #MeToo運動なんかも、まさにそういう多層的な闘争だったと言えそうですね。法的制度の変革と同時に、「何がハラスメントか」を定義する権力そのものを問い直していた。
富良野: まさにその通りです。そして重要なのは、この種の闘争では「敵」を「対手」に変える可能性も生まれることです。完全な対立ではなく、異なる知識を持つ者同士の創造的な緊張関係を築けるかもしれない。
長期戦略の必要性:複合的アプローチ
Phrona: でも現実には、そうした対話が成立するのは難しいんじゃないでしょうか。権力を握る側が簡単に手放すとは思えませんし。
富良野: だからこそ、ギリシャの事例が示しているのは長期的な戦略の重要性なんです。制度的変化、文化的変化、認識論的変化を同時に追求していく複合的なアプローチが必要なんでしょう。
Phrona: 結局、民主主義を深化させるためには、政治的権力だけでなく、知識の権力、言語の権力、そして日常的な権力関係すべてを視野に入れる必要があるということですね。
富良野: ギリシャの女性たちは、そのための新しい道具を私たちに残してくれたのかもしれません。「アンティミリマ」という、既存の権力に言い返しながら、同時に新しい世界を創造していく実践を。
制度設計への展望:対抗公共圏を支える仕組み
Phrona: でも、それを現代でどう活かすかが問題ですよね。対抗公共圏を支えるような制度って、どんなものが考えられるでしょう?
富良野: これは本当に難しい問いですが、まず考えるべきは既存の制度の何が問題なのかということかもしれません。例えば、政策決定の場で感情や体験を「非合理的」として排除してしまう仕組みをどう変えるか。
Phrona: 確かに、審議会とかでも「客観的データに基づいて」という話になりがちですよね。でも、住民の不安や愛着といった感情も、実は重要な情報のはずなのに。
富良野: そうなんです。感情を排除しない熟議の場をどうつくるか、という根本的な問いがありますよね。ただ、それを具体的にどう制度化するかは、まだまだ考えなければならないことが多い。
Phrona: 資金の流れも気になります。今の研究費の配分って、結局は既存の学術的権威に依存している部分が大きいですから。
富良野: まさに。誰がどんな研究に価値があると判断するのか、その権力をどう分散させるかという問題ですね。当事者の視点をどう研究評価に組み込むかとか、考えるべき論点は山ほどある。
Phrona: デジタル技術の活用による可能性は大きそうですが、これも諸刃の剣ですよね。
富良野: そうですね。技術で多様な声を拾いやすくなる一方で、アルゴリズムが新たな権力になってしまう危険もある。誰がそのアルゴリズムを設計するのか、どう透明性を保つのか。
Phrona: 結局、技術的な解決策だけじゃなくて、社会の価値観や文化をどう変えていくかという話になりますね。
富良野: その通りです。制度を変えても、それを運用する人たちの意識が変わらなければ、結局は形だけになってしまう。ギリシャの女性たちも、法律は変えたけれど、根本的な権力関係は残ったわけですから。
制度の自己変革能力:固定化への対抗策
Phrona: でも、そうした制度を作っても、結局は既存の権力に取り込まれてしまう危険性がありませんか?形だけ当事者参加があって、実質的な決定権は従来通り、みたいな。
富良野: その通りです。だからこそ重要なのが「制度の自己変革能力」かもしれません。すべての制度に見直し期限を設けて、定期的に根本から問い直す仕組みを組み込む。
Phrona: 制度自体が「アンティミリマ」の対象になり続けるということですね。固定化を防ぐために。
富良野: そうです。そして現代ならデジタル技術も活用できる。中央集権的でないP2P型の知識共有システムで、多様な声が聞こえやすくなる設計を考える。アルゴリズムも透明化して市民が検証できるようにする。
Phrona: 技術による民主化ですね。でも同時に、デジタル・デバイドへの配慮も必要でしょうし。
富良野: もちろんです。それに、こうした制度改革は一気には進まない。既存制度内での部分的導入から始めて、実験的に試行して、徐々に定着させていく段階的なアプローチが現実的でしょう。
価値観の転換:制度と文化の統合的変革
Phrona: 最終的には、制度だけでなく社会の価値観自体が変わらないといけませんね。「専門家だけが正しい知識を持つ」という考え方から、「異なる知識が創造的に対話する」という考え方へ。
富良野: その通りです。ギリシャの女性たちが示したのは、そうした価値観の転換が実際に可能だということなんです。権力関係を変えるには、制度と文化の両方にアプローチする必要がある。
Phrona: でも一番重要なのは、こうした制度も完成品として捉えるのではなく、絶えず問い直し続けることですよね。
富良野: まさに。制度化された「アンティミリマ」という逆説的な課題かもしれません。システムを作りながら、そのシステム自体も継続的に「言い返し」の対象にしていく。それが本当の民主化なのでしょう。
ポイント整理
権力と知識の不可分性
「何が知識か」を決定する権力こそが最も根本的な政治権力
認識論的権力闘争
制度的権力に加えて、知識の正統性をめぐる争いも重要な政治的戦場
言語による権力行使
専門用語の定義や分類が、現実の権力関係を構築・維持する
多層的抵抗戦術
制度変革と認識論的挑戦を同時に展開する複合的アプローチ
対抗公共圏の戦略
主流の知識権力に対して代替的な知識体系を構築
権力闘争の戦場拡張
政治の領域を身体・感情・日常体験まで拡大
長期的変革戦略
制度的・文化的・認識論的変化を統合した持続的取り組み
キーワード解説
【アンティミリマ(αντιμιλημα)】
既存権力への「言い返し」を通じた新しい現実の創造実践
【認識論的権力】
何が知識として認められるかを決定する権力、政治権力の基盤的形態
【対抗公共圏】
支配的知識体系に挑戦する代替的議論空間、権力再分配の拠点
【知識の民主化】
専門家独占の知識生産を市民参加型に転換する政治的プロジェクト
【感情的認識論】
感情と体験を含む統合的知識、従来の客観性概念への挑戦
【権力闘争の複合化】
制度的・文化的・認識論的レベルでの同時的変革戦略
【闘技的知識生産】
異なる知識様式間の建設的対立を通じた新しい理解の創造