なぜ人類は「見えている危機」を無視するのか?―― 歴史学者が読み解く破局の政治学
- Seo Seungchul
- 6月18日
- 読了時間: 7分
更新日:6月30日

シリーズ: 書架逍遥
著者:ニーアル・ファーガソン(Niall Ferguson)
出版年:2021年
概要:歴史上の災害・パンデミック・戦争などの「破局」を分析し、被害の規模を左右するのは自然現象そのものよりも政治的・制度的要因であることを論証。COVID-19への各国対応を検証しながら、次なる危機への備えを提言する。
コロナ禍を経験した私たちは、もう気づいているはずです。「まさか」と思っていた大災害は、実は「いつか必ず」起きるものだということに。
歴史学者ニーアル・ファーガソンの『Doom: The Politics of Catastrophe』は、パンデミックの最中に書かれた一冊。でも彼が問いかけるのは、ウイルスそのものではありません。なぜ人類は、見えている危機に備えられないのか。なぜ同じ失敗を繰り返すのか。
今回は、富良野とPhronaがこの本を読み解きながら、破局と向き合う私たちの姿を考えていきます。二人の視点がぶつかり、ずれ、そして新たな問いを生み出していく過程から、危機の時代を生きるヒントが見えてくるかもしれません。
富良野:ファーガソンのこの本、読んでいて背筋が寒くなりましたよ。特に「グレイ・ライノ」の話。誰の目にも見えている巨大なリスクなのに、なぜか無視してしまう。コロナだって、SARSやMERSの後で、専門家はずっと警告していたわけですから。
Phrona:そうですね。でも私、その「見えているのに見ない」という心理が気になって。グレイ・ライノって、灰色で地味だから無視されるんでしょうか。それとも、大きすぎて視界に収まらないから?
富良野:なるほど、面白い視点ですね。僕は制度的な問題だと思っていました。官僚機構の硬直性とか、政治的なインセンティブの歪みとか。でもPhronaさんの言うように、人間の認知の限界もあるのかも。
Phrona:ファーガソンは「想像力の欠如」って言葉を使ってましたよね。私たち、日常に埋没していると、本当に大きな変化を想像できなくなる。朝起きて、仕事して、帰ってきて。その繰り返しの中で、世界が一変する可能性なんて考えたくない。
富良野:確かに。でも彼が批判しているのは、個人の想像力というより、組織の想像力じゃないですか? 例えば、アメリカもイギリスも、パンデミック対策の計画は持っていた。でもそれが新型インフルエンザ用で、コロナウイルスには対応できなかった。
Phrona:「最後の戦争を戦う」っていう表現、印象的でした。前回の経験に囚われて、新しい脅威が見えなくなる。でもこれ、組織だけの問題かしら? 私たち個人も、過去の成功体験に縛られることってありません?
富良野:ああ、それはそうかも。僕も仕事で、前にうまくいった方法に固執して失敗したことがある。でも国家レベルの話になると、その失敗のコストが桁違いですよね。
Phrona:ファーガソンが面白いのは、単純に「備えよ」って言わないところですよね。科学への過信も批判している。「科学の言う通りにすれば大丈夫」という思考停止も危険だと。
富良野:そこは重要なポイントですね。コロナ禍でも「科学に従え」という声が強かったけど、実際には専門家の間でも意見が割れていた。ロックダウンの効果とか、マスクの有効性とか。
Phrona:科学って、私たちに安心感を与えてくれるんですよね。「正解がある」って思える。でも現実の危機って、正解なんてない中で判断しなきゃいけない。その不確実性に耐えられるかどうか。
富良野:ファーガソンは、その不確実性の中でも機能する制度設計を提案してますよね。中央集権的な統制じゃなくて、分散型のネットワーク。サーキットブレーカーの比喩が分かりやすかった。
Phrona:でも、ネットワーク社会の脆弱性も指摘してましたよね。小さな混乱が一気に全体に波及する。情報も、ウイルスも、パニックも、すべてが高速で拡散する。
富良野:そう、複雑性のパラドックスですね。システムが高度になればなるほど、実は脆くなる。ローマ帝国の崩壊もそうだったと。
Phrona:私、「破局のフラクタル幾何学」という章が特に心に残りました。小さな事故と大災害が、実は同じパターンの繰り返しだという。日常の小さな失敗の中に、破局の種が潜んでいる。
富良野:統計的にはファットテール分布ですね。ほとんどは小規模で済むけど、ごくまれに想像を絶する規模の災害が起きる。ドラゴン・キングと呼ばれる、統計の常識を超えた大惨事。
Phrona:怖いのは、それがいつ現れるか分からないことですよね。備えようがない、という気になってしまいそう。
富良野:いや、ファーガソンはそこで諦めてないですよ。レジリエンス、つまり回復力を高めることはできると。完全に防げなくても、被害を最小化し、素早く立ち直る力をつけることは可能だと。
Phrona:でもレジリエンスって、結局は人と人のつながりじゃないかしら。ファーガソンも言及してましたけど、現代社会は伝統的なコミュニティが弱体化している。家族も、地域も、宗教も、かつてほど人を支えてくれない。
富良野:確かに、制度だけじゃ限界がありますね。社会的な絆というソフトな面も重要だと。でも、それをどう再構築するかは難しい問題です。
Phrona:私、思うんですけど、破局って必ずしも悪いことばかりじゃないのかも。ファーガソンも最後の方で、危機を「創造的破壊」のチャンスと捉えていました。停滞した制度を揺さぶる機会だと。
富良野:ああ、「COVID-19は我々のシステムの不合格部分を殺しうる」という言葉ですね。確かに、平時には変えられない硬直した組織も、危機なら改革できるかもしれない。
Phrona:でも、その「創造的破壊」で苦しむのは、いつも弱い立場の人たちなんですよね。経済格差の話も出てきましたけど、パンデミックで最も打撃を受けたのは低所得層だった。
富良野:そこは本当に難しい。効率性と公平性のトレードオフというか。危機に強い社会を作ろうとすると、どうしても競争や淘汰が起きる。でも、それで社会が分断されたら、次の危機で協力が得られなくなる。
Phrona:ファーガソンは米中対立、新冷戦の文脈でも論じてましたね。パンデミックが地政学的な対立を激化させたと。でも私、そこに希望も感じたんです。
富良野:希望、ですか?
Phrona:ええ。彼は民主主義の回復力を信じている。初動で失敗しても、修正できる柔軟性があると。権威主義は一見効率的に見えても、長期的には脆いって。
富良野:なるほど。確かに、中国は初期の封じ込めには成功したけど、情報統制の弊害も大きかった。一方、アメリカは混乱したけど、mRNAワクチンという革新を生み出した。
Phrona:そう考えると、「失敗する自由」って大切なのかもしれませんね。完璧を求めすぎると、かえって大きな失敗を招く。小さく失敗して、学んで、適応していく。
富良野:ファーガソンが最後に言っていた「破局の政治学」って、結局はその適応の政治学なのかもしれませんね。完全に災害を防ぐことはできない。でも、学習し続けることはできる。
Phrona:私たち、どうしても「二度と起こさない」って言いたくなるけど、それは幻想なのかも。むしろ「次は違う形で起きる」と覚悟して、柔軟に構えることが大事なのかもしれない。
富良野:そうですね。歴史は繰り返すけど、全く同じようには繰り返さない。だから過去に学びつつも、過去に囚われない。難しいバランスです。
Phrona:でも、そのバランスを取ろうとすること自体が、人間らしさなのかもしれませんね。完璧じゃないけど、諦めない。破局と共に生きていく知恵を、少しずつ身につけていく。
ポイント整理
災害の被害規模を決めるのは自然現象そのものより、政治的・制度的要因である
「グレイ・ライノ」(誰の目にも明らかな危機)こそ最も危険。見えているのに対策を怠る傾向がある
現代のネットワーク社会は、小さな混乱が全体に波及しやすい脆弱性を持つ
科学への過信は危険。不確実性の中での柔軟な判断力が求められる
中央集権的統制より、分散型で適応的なガバナンスが有効
危機は「創造的破壊」の機会でもあるが、社会的弱者への配慮が不可欠
民主主義は初動で失敗しても修正できる回復力を持つ
完全な防災は不可能。レジリエンス(回復力)の構築が現実的
キーワード解説
【グレイ・ライノ】
明白に見えているのに無視されがちな危機
【ブラック・スワン】
予測不能な極めて稀な事象
【ドラゴン・キング】
統計的常識を超える極端な大惨事
【レジリエンス】
危機からの回復力・復元力
【サーキットブレーカー】
被害の連鎖を防ぐための遮断装置(比喩)
【ファットテール分布】
極端な事象が通常より高い確率で起きる統計分布
【創造的破壊】
危機を契機とした硬直した制度の刷新