なぜ外国企業は「技術を渡してでも」新興市場に入りたがるのか?──自動車産業における知識移転の光と影
- Seo Seungchul

- 10月11日
- 読了時間: 10分

シリーズ: 知新察来
◆今回のピックアップ記事:Shengmao Cao "How Trade Secrets Fuel the International Auto Industry" (Kellogg Insight, 2025年8月1日)
概要:中国の自動車産業における合弁事業を通じた知識移転効果を、2001-2014年のJ.D.パワー調査データを用いて定量分析した研究。外国企業との合弁により、中国メーカーの品質向上の8.3%が知識移転によるものと算出。
海外進出するときに現地企業との合弁を求められたら、あなたは応じますか?それとも諦めますか?グローバル企業にとって、これは単純な二択ではありません。特に自動車のような技術集約型の産業では、この選択が長期的な競争力を左右することがあります。
2001年には年間100万台に満たなかった中国の自動車市場は、わずか16年後の2017年には世界の自動車生産・販売の3分の1を占めるまでに急成長しました。その背景には、外国企業との合弁事業を通じた「知識の流出」が大きな役割を果たしていました。トヨタ、フォルクスワーゲン、BMWなどの世界的メーカーが中国市場への参入と引き換えに技術やノウハウを現地パートナーと共有した結果、中国の自動車産業全体の品質が劇的に向上したのです。
しかし、この構造は外国企業にとって諸刃の剣でもあります。市場アクセスを得る代わりに、将来の競合企業を育成してしまうリスクがあるからです。ケロッグ経営大学院の研究チームが詳しく分析した、この複雑な「ギブ・アンド・テイク」の実態を、二人の対話を通じて考えてみたいと思います。
強制的な合弁は本当に効果的なのか
富良野:中国が外国の自動車メーカーに合弁を義務付けた政策の効果を、これだけ具体的に数値化できるなんて、すごく興味深いですね。。8.3%という数字は小さく見えるかもしれないけれど、産業全体で見ると相当なインパクトですよ。
Phrona:そうですね。でも私が気になるのは、この8.3%という数字の向こう側にある人たちの物語です。研究では5万3000人のLinkedInプロフィールを分析して、合弁企業から中国企業への人材流出が知識移転の重要な経路だったって書かれてるじゃないですか。
富良野:ああ、それは確かに興味深いポイントです。つまり、制度や契約だけでは知識は移転されなくて、実際に現場で働いている人たちが移動することで技術やノウハウが流れていくということですね。
Phrona:まさに。技術って結局、人の頭の中にあるものですからね。マニュアルに書けることには限界があるし、現場の感覚や経験則みたいなものは、一緒に働いてみないと伝わらない。
富良野:それで言うと、中国側の戦略はかなり巧妙だったということになりますね。単純に外国企業を誘致するだけじゃなくて、合弁を義務付けることで、人材育成のプロセスまで組み込んだわけですから。
Phrona:でも、これって外国企業から見たらどうなんでしょう? 将来の競合相手を自分たちの手で育てているようなものですよね。研究でも「潜在的競合企業を育成しながら利益を得るか、市場を完全に諦めるか」っていう高リスクな選択だって書かれてます。
技術移転の実態を読み解く
富良野:そこがこの研究のユニークなところで、従来の「全要素生産性」みたいな抽象的な指標じゃなくて、J.D.パワーの顧客満足度調査という具体的なデータを使っているんです。燃費、ブレーキの反応性、内装材の品質とか、19の異なる項目で評価している。
Phrona:なるほど。それで「日本の自動車会社と組んだ中国企業は燃費性能が向上し、ドイツの会社と組んだところはエンジン性能や安全機能が良くなった」っていう具体的なパターンが見えてきたわけですね。
富良野:そうです。しかも時間が経つにつれて、その類似性がより強くなっていく。例えば、華晨汽車が作る車が相対的な強みの点でBMWの車により似てくるという。これは偶然じゃなくて、明らかに学習効果があることを示してますよね。
Phrona:それって、ある意味で文化的な影響とも言えませんか? 技術って単なる数値やスペックじゃなくて、どこを重視するかという価値観も含んでいる。ドイツ系企業なら精密性や安全性、日本系なら効率性や信頼性を大切にする傾向があるでしょうし。
富良野:まさにその通り。技術移転って、実は「ものの考え方」の移転でもあるんですね。中国の自動車メーカーが単に製造技術を学んだだけじゃなくて、品質に対するアプローチそのものを吸収していったということかもしれません。
Phrona:でも同時に、それは中国企業にとって諸刃の剣でもある気がします。確かに技術は向上したけれど、独自性を失って外国企業の影響下に置かれる部分もありそうじゃないですか。
グローバル経済における力の非対称性
富良野:この研究を読んでいて思うのは、結局これって力関係の問題でもあるということです。中国は巨大な市場という「カード」を持っていたから、外国企業に合弁を強制できた。でも同じ戦略が他の発展途上国で通用するかは疑問ですね。
Phrona:そうですね。研究者も「グローバルな自動車需要があまりに巨大で、中国市場を諦めるコストが高すぎたから」外国企業が合弁に応じたって言ってます。つまり、市場の魅力がある閾値を超えないと、この戦略は成り立たないってことですよね。
富良野:それに、この政策が貿易摩擦の火種にもなっている。トランプ政権が2018年に米中貿易戦争を始めた理由の一つが、こうした「強制的技術移転」への批判だったわけですから。
Phrona:興味深いのは、この問題に対する視点の違いですよね。中国から見れば「技術向上のための正当な戦略」で、外国企業から見れば「不公正な強制」。同じ現象なのに、立場によってまったく違う意味を持つ。
富良野:そうなんです。これは単純な善悪の問題ではなくて、グローバル経済における駆け引きの一形態なんです。ただ、興味深いのは、この研究が示しているように、実際に知識移転は起きているし、それが中国の産業発展に寄与しているという事実です。
Phrona:でも長期的に見ると、これって持続可能な戦略なんでしょうか? 外国企業が「もう技術を教えたくない」って思い始めたら、次の段階の技術革新はどうやって獲得するんでしょう。
イノベーションの源泉をめぐる問い
富良野:それは本当に重要な指摘ですね。この研究が対象にしているのは2001年から2014年の期間で、まだ中国が「キャッチアップ」段階にあった時代です。でも今は状況が変わってきている。中国企業も独自のイノベーションを生み出さないといけない段階に来てますから。
Phrona:そうですね。模倣や学習から始まって、最終的には独自の創造に至るというプロセス。でも、その転換点がどこにあるのか、そしてどうやってその転換を成功させるのかは、まだ見えない部分が多いですよね。
富良野:僕が気になるのは、こうした政策的な知識移転が、長期的にはイノベーションの動機を削ぐ可能性があることです。外国企業からすれば、中国で開発した技術が結果的に競合に流れることが分かっていたら、最先端の研究開発は別の場所でやろうと思うかもしれません。
Phrona:なるほど。それって、知識移転の「限界」みたいなものですね。表面的な技術は移転できても、それを生み出すための根本的な創造力は移転できないし、むしろ移転を前提とした環境では育ちにくいかもしれない。
富良野:そう考えると、中国の自動車産業の次のフェーズがどうなるかは、この研究よりもさらに興味深い問題かもしれませんね。独自のイノベーション・エコシステムを構築できるか、それとも永続的に外部への依存から脱却できないのか。
Phrona:私は、この研究が教えてくれるのは、技術の移転には必ず人間の要素が絡んでくるということだと思うんです。制度や契約だけでは限界があって、結局は人と人とのつながりや、現場での経験の蓄積が重要になる。
知識移転モデルの普遍性と限界
富良野:そうですね。そして、その人的要素があるからこそ、この「中国モデル」を他の国がそのまま真似するのは難しいのかもしれません。文化的背景、教育システム、労働市場の特性、すべてが違いますから。
Phrona:でも逆に言えば、どの国にも独自の強みがあるはずですよね。中国は巨大市場という強みを活用したけれど、他の国は別の形で外国企業との関係を構築できるかもしれない。
富良野:確かに。例えば、優秀な人材プールを持つ国なら、技術開発の拠点として選ばれるかもしれないし、特定の分野に特化した技術を持つ国なら、逆に外国企業に技術を提供する側に回れるかもしれません。
Phrona:この研究を読んでいて思うのは、結局グローバル経済って、それぞれの国や企業が持つ異なる強みを交換し合う場なんだなということです。問題は、その交換が公正に行われるかどうか。
富良野:そして、その交換の結果として生まれる知識や技術が、最終的には消費者や社会全体の利益になるかどうかですね。この研究の場合、中国の消費者は確実により良い自動車を手に入れることができるようになったわけですから。
Phrona:そうですね。政治的な批判はあっても、実際の成果を見ると、少なくとも短期的には成功した戦略だったと言えそうです。ただ、これからどうなるかは分からない。技術の世界は変化が激しいですから、過去の成功パターンが未来でも通用するとは限りませんしね。
ポイント整理
知識移転の定量的効果
中国自動車産業において、外国企業との合弁事業による知識移転が品質向上の8.3%に寄与した。これは統計的に有意な効果であり、政策的介入の成果を具体的に示している。
人材流動が知識移転の主要経路
5万3000人のLinkedInプロフィール分析により、合弁企業から中国企業への人材移動が知識移転の重要な媒体であることが判明。技術移転は制度や契約だけでなく、人的ネットワークを通じて実現される。
技術特性の移転パターン
日本企業との合弁では燃費効率、ドイツ企業との合弁ではエンジン性能や安全機能といった、パートナー企業の得意分野に応じた特定技術の移転が観察された。単純な技術コピーではなく、企業文化や価値観も含めた包括的学習が発生。
市場アクセスと技術移転の交換条件
巨大な中国市場へのアクセスという「報酬」があったからこそ、外国企業は技術移転という「コスト」を受け入れた。市場規模が一定の閾値を超えない限り、この戦略は機能しない。
政策の成功要件と限界
合弁義務政策の成功には、(1)十分な市場魅力、(2)技術格差の存在、(3)学習能力を持つ現地企業、(4)人材流動性という複数の要件が必要。他国での再現可能性は限定的。
長期的持続性への疑問
キャッチアップ段階では有効だが、フロンティア技術の開発段階では異なる戦略が必要。知識移転に依存した発展モデルから自律的イノベーション・システムへの転換が今後の課題。
貿易摩擦の構造的要因
強制的技術移転への批判が米中貿易戦争の一因となったように、この政策は国際的な緊張を生む潜在性を持つ。短期的利益と長期的関係悪化のトレードオフが存在。
測定手法の革新性
従来の全要素生産性ではなく、J.D.パワー顧客満足度調査の詳細データを用いることで、知識移転の具体的メカニズムと効果を可視化することに成功した。政策評価における新たなアプローチを提示。
キーワード解説
【知識スピルオーバー(knowledge spillovers)】
企業が秘密にしている生産ノウハウや技術が、意図的・非意図的にパートナー企業に移転され、独立操業に活用される現象
【合弁事業(joint venture)】
外国企業と現地企業が共同出資・経営する事業形態。中国では外資系自動車メーカーの市場参入条件として義務化されていた
【強制的技術移転(forced technology transfer)】
市場アクセスの条件として現地パートナーとの技術共有を義務付ける政策。米国等から不公正貿易慣行として批判される
【全要素生産性(total factor productivity)】
労働・資本以外の技術進歩や効率改善による生産性向上を示す経済指標。従来の知識移転効果測定に使用されてきた
【品質の階段(quality ladder)】
発展途上国の産業が先進国技術の学習を通じて段階的に品質向上を図る発展戦略モデル
【人材流動性(labor mobility)】
企業間・産業間での労働者の移動。知識移転の重要な媒体として機能し、特に暗黙知の伝達に有効
【外国直接投資(foreign direct investment, FDI)】
外国企業による現地での直接的な事業投資。知識移転効果の研究における従来の分析対象
【技術格差(technology gap)】
先進国企業と発展途上国企業間の技術水準の差。知識移転効果の前提条件となる