エイリアンとの出会いが揺るがす「当たり前」の世界──言語が決める現実の境界線
- Seo Seungchul
- 6 日前
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シリーズ: 知新察来
◆今回のピックアップ記事:Matti Eklund "The metaphysics of talking to aliens" (Institute of Art and Ideas, 2025年1月16日)
もしも宇宙人と出会ったら、一体どんな会話が成り立つでしょうか。SF映画では翻訳機器が登場したり、なぜか英語で話したりしますが、実際はそう簡単にはいかないかもしれません。理論哲学者のマッティ・エクルンドは、この問題をもっと根本的に捉えています。エイリアンの言語を考えることで、私たちの世界認識そのものが揺らぐというのです。
人類がこれまで築いてきた言語観は、実は地球という狭い範囲での話かもしれません。動詞中心の言語、名詞のない言語、そして私たちには想像もつかない意味の体系を持つ言語。そんな可能性を探ることで、言語が現実をどう切り取っているのか、そして現実そのものの本質について、新しい洞察が得られるかもしれません。富良野とPhronaの対話を通じて、この壮大で身近な問いを一緒に考えてみましょう。
人間の言語を超えて考える
富良野:エクルンドのこの論説記事、興味深いですね。人間の言語をすべて解明したとしても、それで言語というもの全体を理解したことにはならない、という指摘から始まっている。
Phrona:ええ、なんだか当たり前のようでいて、すごく深い話ですよね。私たち、無意識に人間の言語が言語の標準みたいに思ってるけど、それって地球という小さな惑星での話でしかないのかもしれない。
富良野:まさに。僕らが当然と思っている言語の枠組みが、実は非常に限定的なものかもしれないということです。動物の言語、エイリアンの言語、神の言語...可能性は無限にある。
Phrona:動物の言語っていうのも面白いですね。クジラの歌とか、蜂のダンスとか、私たちが言語として認識してないだけで、すでに地球上にも様々な言語があるのかもしれません。
富良野:そうですね。そして著者が強調しているのは、実際に使われている言語だけでなく、可能な言語についても考える必要があるということです。現実に存在しないけれど、理論的には可能な言語システムがあるかもしれない。
Phrona:理論的には可能な言語...それって、なんだか文学の世界みたいですね。ボルヘスの短編小説の話も出てきてましたけど。
ボルヘスの言語実験が示すもの
富良野:ボルヘスの「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」という作品に登場する架空の言語の話ですね。名詞がなくて、動詞と形容詞だけで構成されている言語。
Phrona:「月」という名詞がなくて、「月る」とか「月なる」みたいな動詞があるという設定でしたっけ。「月が川の向こうに昇った」が「流れている向こうで月っている」みたいな不思議な表現になる。
富良野:まさにそれです。でもエクルンドは、これでもまだ既知の言語カテゴリーの範囲内だと言っている。動詞中心というだけで、私たちにも理解可能な構造だと。
Phrona:確かに、ちょっと変わってるけど、想像はできますよね。でも、もっと根本的に違う言語があるかもしれないということですか。
富良野:そういうことです。私たちには想像もつかないような、全く異なる意味の体系を持つ言語が存在する可能性がある。そして、それが重要なのは、言語が世界をどう表現するかを決めているからです。
Phrona:ああ、なるほど。言語が違えば、世界の見え方も変わってくるということですね。私たちが当たり前だと思っている現実の捉え方も、実は言語に依存している部分があるのかも。
言語が切り取る現実の形
富良野:その通りです。エクルンドは、言語がその表現の意味の種類によって、世界を異なる仕方で提示すると言っています。つまり、言語は単なるコミュニケーション手段ではなく、現実認識の枠組みそのものなんです。
Phrona:言語が現実を切り取る刃みたいなものなんですね。刃の形が違えば、切り取られる現実の形も変わってくる。私たちは名詞と動詞で世界を「もの」と「プロセス」に分けて理解してるけど、それとは全然違う分け方があるかもしれない。
富良野:まさにそこが哲学的に重要な点です。ホワイトヘッドやセラーズといった哲学者たちは、世界は根本的にプロセスから成り立っているという「プロセス存在論」を提唱している。彼らから見れば、ボルヘスのような動詞中心の言語の方が、世界をより忠実に表現しているということになる。
Phrona:面白いですね。私たちが「もの」中心に考えるのは、名詞中心の言語を使ってるからかもしれないということですか。でも、確かに量子物理学なんかだと、粒子も波も、実は固定的な「もの」じゃなくて、確率的な存在というか、プロセス的な存在として理解されてますよね。
富良野:その観点は興味深いですね。科学の発展によって、私たちの現実理解も変化している。でも、日常言語はまだ「もの」中心のままです。もしかすると、科学的発見をより自然に表現できる言語があるのかもしれません。
想像力の限界と可能性
Phrona:でも、根本的に違う言語って、私たちに理解できるんでしょうか。想像もつかないということは、それについて考えることすらできないということじゃないですか。
富良野:それが哲学的なジレンマですね。エクルンドも指摘しているように、私たちは「もの」と「プロセス」という枠組みでしか世界を理解できない。でも、それは私たちの想像力の欠如によるものかもしれないと言っている。
Phrona:想像力の欠如...うーん、でも逆に言えば、想像力を働かせることで、少しずつその限界を超えていけるかもしれませんね。SF作家たちがやってることって、まさにそういうことなのかも。
富良野:そうですね。文学や芸術が、既存の言語の限界に挑戦し続けているというのは確かにあります。詩人が新しい表現を生み出すとき、ある意味で言語の可能性を拡張している。
Phrona:そういえば、音楽なんかも一種の言語かもしれませんね。音楽には名詞も動詞もないけど、何かを表現してる。感情とか、時間の流れとか、言葉では表現しきれないものを。
富良野:なるほど、音楽的言語という可能性ですか。確かに、音楽は非言語的でありながら、明確に意味を持っている。エイリアンがそういう感覚的な言語を使っているかもしれませんね。
現代の言語技術が示す可能性と限界
Phrona:ところで、最近の大規模言語モデル、いわゆるLLMは、LLMは人間の言語パターンを大量に学習する過程で、その言語に埋め込まれた現実認識の枠組みも間接的に反映しているかもしれませんね。
富良野:確かに興味深い視点ですね。LLMは基本的に人間の言語データで訓練されているから、エクルンドが指摘した「人間の言語をすべて理解しても、言語全般を理解したことにはならない」という制約をそのまま受け継いでいるとも言える。
Phrona:でも、人間の言語にも実はものすごい多様性があるじゃないですか。中動態を持つ古代ギリシャ語とか、エルガティブ言語のバスク語とか、証拠性マーカーを持つアメリカ先住民言語とか。これらは単なる表面的な違いを超えて、世界の切り取り方自体が異なっているとも言える。
富良野:確かにそうですね。でも現実的には、LLMも英語や中国語みたいなメジャーな言語に偏って学習されてます。高リソース言語に偏重していて、少数言語の文法構造や認識パターンは十分に捉えきれていないと思います。
Phrona:でも逆に、もし少数言語に特化したLLMとか、特定の認知パターンを学習したAIができたら、私たちには見えない言語の可能性を示してくれるかもしれませんね。
富良野:それは面白い可能性ですね。エクルンドの言う「想像力の限界」を、技術的に突破する手段になるかもしれない。ただ、学習データの確保が現実的には難しそうですが。
身近な「エイリアン」から学ぶ
Phrona:それに、ニューロダイバーシティという観点で考えると、同じ言語を使っていても、認知の仕方が根本的に違う人たちがいますよね。自閉スペクトラムの方の感覚統合とか、ADHDの方の非線形思考とか。
富良野:なるほど、それは興味深い視点です。もしそうした異なる認知パターンを学習したAIができたら、私たちニューロティピカルな人間にとっても、新しい思考の可能性を示してくれるかもしれない。
Phrona:そうそう!ニューロマイノリティへの橋渡しだけじゃなくて、ニューロティピカルな側にとっての発見もあるはずですよね。「情報処理って、こんなやり方もあるんだ」みたいな。
富良野:エイリアンとの出会いを待つまでもなく、私たちの周りにはすでにたくさんの「異なる言語」があるということですね。それに気づいて、学んでいくことで、私たちの理解はどんどん豊かになっていく。ダイバーシティの価値が、単なる包摂を超えて、創造性や認識の拡張につながるということですね。
現実の多様性へのまなざし
Phrona:こうやって考えていると、なんだか世界が急に大きく感じられますね。私たちが知ってる現実って、本当はもっと豊かで複雑なものなのかもしれない。
富良野:そうですね。この議論の本質は、私たちの認識の相対性を浮き彫りにすることかもしれません。絶対的な現実があるとしても、それにアクセスする方法は言語に依存している。だとすると、異なる言語は異なる現実へのアクセス方法を提供するということになる。
Phrona:私たちが真理だと思ってることが、実はすごく偏った見方かもしれない。
富良野:それを認めるのは怖いことだけど、同時に希望でもあると思います。もし私たちがより豊かな現実理解にアクセスできる可能性があるなら、それは人類の知識の拡張につながるかもしれません。
Phrona:そうですね。まあ、実際にエイリアンに会うかどうかは別として、こうやって可能性を考えるだけでも、私たちの思考の幅が広がる気がします。
富良野:まさにそれが哲学の役割なのかもしれませんね。現実を疑い、可能性を探ることで、私たちの理解を深めていく。エイリアンの言語という思考実験を通じて、言語と現実の関係について、新たな洞察が得られたように思います。
ポイント整理
人間の言語をすべて理解しても、言語一般を理解したことにはならない。動物やエイリアン、そして理論的に可能な言語まで含めて考える必要がある
言語の違いは表面的な形式の違いだけでなく、意味の体系の根本的な違いをも含む。ボルヘスが描いた動詞中心の言語でさえ、まだ理解可能な範囲の変化に過ぎない
言語は単なるコミュニケーション手段ではなく、現実を特定の仕方で提示する枠組みである。言語が変われば、世界の見え方も変わる
プロセス存在論を支持する哲学者たちは、動詞中心の言語の方が世界をより忠実に表現すると考える。私たちの「もの」中心の理解は言語に制約されている可能性がある
現代のLLMは人間の言語データで訓練されているため、人間言語の制約を受け継いでいるが、多言語学習により新たな可能性も示している。ただし高リソース言語への偏重という問題もある
私たちの想像力の限界が、より根本的に異なる言語の可能性を見えなくしているかもしれない。文学や芸術、そして技術はその限界に挑戦する試みと言える
ニューロダイバーシティや少数言語など、身近な多様性から学ぶことで、エイリアンとの出会いを待たずとも、私たちの言語観と現実理解を拡張できる可能性がある
キーワード解説
【理論的に可能な言語】
現実には使用されていないが、論理的には成立しうる言語システム。エクルンドは実在する言語だけでなく、可能な言語も考察対象に含めることで、言語の本質をより深く理解できると主張
【プロセス存在論】
世界は固定的な「もの」ではなく、動的な「プロセス」から根本的に構成されているという哲学的立場。量子物理学や生物学の発見とも親和性が高い世界観
【中動態】
古代ギリシャ語などに見られる動詞の態で、能動態でも受動態でもない第三の可能性。主語が行為者でありながら同時に行為の影響を受ける状態を表現
【エルガティブ言語】
バスク語やイヌイット語などに見られる言語類型。他動詞の主語と自動詞の主語を異なって格変化させる仕組みを持つ
【証拠性マーカー】
一部のアメリカ先住民言語などで見られる文法要素。話者がその情報をどのような手段で得たか(直接体験、伝聞、推測など)を動詞に必須で表示する
【語彙カテゴリー】
名詞、動詞、形容詞など、言語の基本的な品詞分類。この分類自体が言語による世界認識を制約している可能性がある
【意味の体系】
言語の表現がどのような意味を持つかを決める根本的な仕組み。単語レベルではなく、言語全体の構造が生み出す意味の枠組み
【現実提示の枠組み】
言語が世界をどのように切り取り、表現するかを決める認識の構造。言語哲学における重要概念で、言語の相対性を論じる際の核心的論点
【ニューロダイバーシティ】
自閉スペクトラム、ADHD、学習障害などの神経学的な違いを「障害」ではなく「多様性」として肯定的に捉える概念。認知の多様性が社会全体の創造性を高めるという視点
【ニューロティピカル】
神経学的に「典型的」とされる多数派の認知パターンを持つ人々を指す用語。ニューロダイバーシティの文脈で使われる
【ボルヘス】
アルゼンチンの作家(1899-1986)。「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」などの短編で、架空の言語や文化を通じて現実と虚構の境界を探究した文学者
【ホワイトヘッド】
プロセス哲学の創始者の一人(1861-1947)。世界を固定的実体ではなく動的プロセスとして理解することを提唱し、科学哲学にも大きな影響を与えた
【セラーズ】
科学的世界観と常識的世界観の関係を論じた分析哲学者(1912-1989)。「所与の神話」批判で知られ、言語と現実の関係について重要な議論を展開した