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デジタル化の落とし穴──細分化された組織に生まれる「顧客責任の空白地帯」

シリーズ: 知新察来


◆今回のピックアップ記事:Aurélia Bettati et al. "The CMO's comeback: Aligning the C-suite to drive customer-centric growth" (McKinsey & Company, 2025年6月16日)


毎週開かれる経営陣の会議で、こんな光景を目にしたことはありませんか。CMOが「ブランド認知度は上昇中、ウェブトラフィックも好調です」と報告する一方で、CFOは「売上とシェアは下降線、前四半期の業績は過去最悪でした」と発表する。顧客からの評価は高いのに、なぜ業績は振るわないのか。


この矛盾の背景には、現代企業が抱える深刻な問題があります。経済の不確実性や消費者行動の予測困難さに加えて、組織内での「顧客への責任」が細分化されすぎているのです。マーケティング、セールス、デジタル部門などが個別に動くことで、誰が本当に顧客に責任を持つのかが曖昧になっています。


マッキンゼーの最新調査では、興味深い事実が明らかになりました。フォーチュン500企業で顧客志向の役職を一つに絞った企業は、複数設置した企業より最大2.3倍の成長を遂げているのです。富良野とPhronaが、この現象の背景と解決策について語り合います。




マーケティングは傍流に追いやられつつある?


富良野:フォーチュン500企業でCMOがいる会社が2023年の71%から2024年には66%に減っているって、驚きました。これ、組織運営の観点から見ると、かなり深刻な問題だと思うんですよね。


Phrona:でも、なんとなく納得してしまう部分もあります。私が関わってきた企業でも、マーケティングって本来なら顧客の声を組織全体に届ける役割なのに、なぜかコストセンター扱いされちゃう。


富良野:そうそう、記事にもCFOが「マーケティングは投資ではなくコスト」と見なしているケースが書かれていました。でも僕が気になるのは、なぜそうなったかという構造的な問題なんです。デジタル化の波で、CDO(チーフデジタルオフィサー)やCDaO(チーフデータオフィサー)みたいな新しい役職がどんどん生まれて。


Phrona:分業が進みすぎちゃったんですね。顧客に関わる機能が細切れになって、結果的に誰も顧客全体を見なくなった。でも考えてみれば、お客さんにとっては会社の内部構造なんてどうでもよくて、一つのブランドとして一貫した体験を求めているわけですよね。


富良野:まさにそこです。記事では「オムニチャネル・ワールド」という表現が使われていますが、消費者の80%以上が複数のチャネルを使って商品を調べたり購入したりしている。でも企業側は部署ごとに違うメッセージを送っていて、顧客体験がバラバラになってしまっている。


Phrona:それって、なんだか現代の孤独みたいですね。みんな繋がっているはずなのに、実は分断されている。企業も同じで、デジタルツールで繋がっているつもりが、実際は各部署が孤立している。


測定の問題:何を測るべきなのか


富良野:この調査で特に興味深いのは、CEOとCMOの認識ギャップなんです。CEOの70%が「マーケティングの成果は売上成長率と利益率で測るべき」と考えているのに、CMOでそれを重要指標としているのは35%しかいない。


Phrona:うーん、これって時間軸の違いもありそうですね。CEOは四半期や年単位で結果を求めるけれど、ブランド認知や顧客ロイヤリティって、もっと長期的に効果が現れるものじゃないですか。


富良野:そうですね。それに、記事で触れられているROAS(広告費用対効果)とかCTR(クリック率)みたいな指標って、マーケティング担当者には重要だけど、他の経営陣には「で、それが売上にどう繋がるの?」って話になっちゃう。


Phrona:でも、そこで諦めちゃダメなんでしょうね。記事の後半で提案されているCMOとCFOの連携って、まさにその翻訳作業だと思うんです。マーケティングの専門用語を、財務の言葉に変換して共通理解を作る。


富良野:CFOの「お墨付き」があれば、他の経営陣もマーケティング指標を受け入れやすくなる、という指摘は確かに現実的ですね。CFOって企業内では「数字のプロ」として信頼されているから、その人が「このマーケティング投資は意味がある」と言えば説得力が違う。


顧客の管理者として:CMOの新しい役割


Phrona:記事で「giving marketing custody of the customer」という表現が出てきますけど、これって新鮮な発想ですよね。顧客の「管理者」や「保護者」としてのマーケティング。


富良野:custodyって法的な概念だと「監護権」という意味もありますからね。単に「顧客を理解する」を超えて、「顧客の利益を守る責任がある」というニュアンスが込められている気がします。


Phrona:そう考えると、CMOの役割って根本的に変わりますよね。キャンペーンを打つ人から、顧客体験全体を設計する人へ。でも、そのためには他部署との協力が不可欠で、記事にあるように「general manager mindset」が必要になる。


富良野:ゼネラルマネージャーの考え方というのは、つまり全体最適を考えるということですよね。自分の部署の数字だけでなく、会社全体の成長にどう貢献するかを考える。それは確かに、従来のマーケティング担当者には求められていなかった視点かもしれません。


Phrona:でも、そういう役割を担うCMOが増えれば、結果的に顧客にとってもメリットが大きいはずです。ブランドとの接点すべてで一貫した体験ができるようになるし、企業側も顧客の本当のニーズを理解できるようになる。


富良野:記事の最後に出てくる「一年後の経営会議」の話は象徴的ですね。CMOが報告する指標がCFOと合意されたものになって、CFOもその数字を裏付ける発言をする。全体が連携して動いている。


Phrona:あの対比、印象的でした。最初は各部署がバラバラの報告をしていたのに、一年後は全員が同じ方向を向いている。組織って、こうやって変わることができるんだなって。


生成AIが変える個人レベルのマーケティング


富良野:元記事では簡潔に触れられていましたが、生成AIの可能性について少し掘り下げてみませんか。マッキンゼーの別の調査では、生成AIがマーケティングに年間4.4兆ドルの生産性向上をもたらす可能性があるとされています。


Phrona:4.4兆ドルって想像もつかない規模ですね。でも、具体的にはどんなことができるようになるんでしょう?


富良野:例えば、従来は何ヶ月もかかっていたマーケティングキャンペーンの企画・制作が、数週間、場合によっては数日で完成できるようになる。しかも、個人レベルでのパーソナライゼーションが大規模に実現できる。


Phrona:個人レベルって、具体的にはどこまでできるんですか?


富良野:面白い例があって、自動車の販売なんかだと、シートの座り心地を重視する人にはコンフォート性を強調したメッセージを、エンジン性能を気にする人にはパワーを前面に出したコンテンツを、自動的に生成して配信できるようになる。同じ車でも、人によって全く違う訴求ができるんです。


Phrona:それって、従来の「マス向け広告」の概念を根本から覆しますよね。でも、ちょっと怖い面もありませんか?企業がそこまで個人の嗜好を把握しているって。


富良野:確かに。記事でも「creepy」にならないよう注意が必要だと指摘されていました。顧客が「この会社、私のことをどこまで知ってるの?」と不安になるようなアプローチは逆効果ですからね。


Phrona:でも、うまく使えば顧客体験は格段に向上しそうです。例えば、小売りの現場だったら、その人の好みに合わせてレシピや食事プランを提案したり、買い物リストを自動生成したりできる。


富良野:Instacartがまさにそれをやっていますね。生成AIを使って、顧客の好みに基づいたレシピ提案と買い物リスト作成を自動化している。でも、これを実現するためには、やはり組織全体でのデータ活用体制が必要になってくる。


Phrona:結局、技術があっても、それを活かす組織の在り方が重要ということですね。


テクノロジーと組織変革の関係


富良野:生成AIの導入事例を見ていると、成功している企業は技術導入と同時に組織変革も進めている。例えば、ある飲料メーカーは欧州市場参入で、従来なら1年かかる商品開発を生成AIで大幅に短縮しましたが、そのためにはマーケティング、R&D、財務部門の連携が不可欠だった。


Phrona:技術が進歩すればするほど、組織の壁を越えた協力が求められるんですね。従来の縦割り組織では、せっかくの技術も活用しきれない。


富良野:記事の調査では、商業リーダーの90%が今後2年間で生成AIを頻繁に活用すると予想している一方で、まだ多くの企業が個別のパイロットプロジェクト段階にとどまっている。本当の変革は、技術の統合と組織の変革が同時に進んだときに起こるんでしょうね。


Phrona:でも、変化の速度が速すぎて、組織がついていけなくなるリスクもありそうです。特に、人材の再教育とか、新しいスキルの習得とか。


富良野:確かに。でも一方で、生成AIは従業員をより創造的な仕事に解放する可能性もある。ルーティンワークは自動化して、人間はより戦略的な思考や創造的な企画に集中できるようになる。そのためには、CMOが全体を俯瞰して、人材育成まで含めた変革をリードする必要があるんでしょうね。


理想と現実の間:権限分担の矛盾


Phrona:でも、ここまで話してきて気になることがあるんです。「マーケティングが顧客の管理者になる」って言いながら、一方で「CFOとの連携や組織全体での合意形成が重要」とも言っている。これって、なんだかちょっと矛盾しないのかな?


富良野:鋭いですね。確かに、一方では権限の集中を求めて、他方では権限の分散・共有を前提としている。これは組織論でいう「単一責任の原則」と「集合的意思決定」の古典的な緊張関係です。


Phrona:現実の現場では、この緊張関係ってどう現れるんでしょう?


富良野:例えば、CMOが「顧客体験のためにはこの施策が絶対に必要」と判断しても、CFOが「ROIが見込めない」と反対する場面。この時、最終的な決定権は誰にあるのか?記事では協調的な解決を描いているけれど、利害が対立した時のルールが明確じゃない。


Phrona:それに、みんなで合意形成をしていたら、マーケティングの意思決定スピードが落ちちゃいますよね。顧客のニーズって日々変わるのに、会議で議論している間にタイミングを逃すこともありそう。


富良野:まさに。データ活用で他部署との調整が増えれば増えるほど、従来の「責任の曖昧さ」が別の形で再現される可能性もある。結局「みんなで決めたから誰も責任を取らない」という状況になりかねない。


Phrona:じゃあ、どうすればいいんでしょう?完璧な解決策はないにしても。


富良野:僕は、明確な権限分担のルールを設計することが重要だと思います。例えば「顧客体験の設計と実行に関してはCMOに最終決定権がある。ただし、年間予算の20%を超える投資についてはCFOとの合意が必要」みたいな。


Phrona:なるほど。領域を分けて、それぞれの境界を明確にするということですね。


富良野:そして重要なのは、対立が起きた時のエスカレーション・ルールも決めておくこと。CMOとCFOで合意できない場合は、48時間以内にCEOが最終判断を下す、とか。曖昧さを残すより、不完全でも明確なルールの方がマシですから。


Phrona:でも、そういうルールって、会社の文化や業界によっても変わりそうですね。B2B企業とB2C企業では、顧客との関わり方も違うし。


富良野:確かに。one size fits allな正解はない。でも、この緊張関係を認識して、自社なりのルールを明文化することは、どの企業にとっても必要でしょうね。マッキンゼーの提案は方向性として正しいけれど、実装には各社の創意工夫が求められる。


現実的な課題と今後の展望


Phrona:技術の可能性は分かりましたが、実際にこの変革を進めるとなると、かなり大変そうですね。既存の組織構造を変えるのは簡単じゃないし、特に大企業だと部署間の利害関係も複雑で。


富良野:そうですね。それに、CMO自身も変わらなければならない。記事でゼネラルモーターズのCMOが言っていた「マーケティングの専門家からゼネラルマネージャーへ」という転換は、技術の活用も含めて、きっと個人にとっても大きなチャレンジですよね。


Phrona:でも、変わらざるを得ない環境になってきているのも事実ですね。消費者の期待値が上がって、よりパーソナライズされた体験を求めるようになっている。生成AIみたいな技術があるからこそ、それに応えられる可能性も生まれている。


富良野:結局、テクノロジーが進歩しても、それを使いこなす組織の在り方が問われるということですね。CMOの復権というのは、単にマーケティング部門の地位向上の話ではなくて、顧客中心の経営への転換の象徴なのかもしれません。


Phrona:そう考えると、この話って企業経営全体の未来を考える上でも重要ですね。顧客のことを本当に理解している人が意思決定の中心にいるかどうかで、会社の方向性が変わってくる。





ポイント整理


  • 組織の断片化問題

    • デジタル化に伴い新設された役職により顧客責任が分散し、一貫した顧客体験の提供が困難になっている

  • 測定指標の乖離

    • CEOは売上・利益率での評価を求める一方、CMOは従来のマーケティング指標に依存し、両者の認識ギャップが拡大している

  • CMOの地位低下

    • フォーチュン500企業でCMOを置く企業が減少し、マーケティングが戦略的意思決定から疎外されている

  • CFO連携の重要性

    • CMOとCFOが協力して共通の測定システムを構築することで、マーケティング投資の価値を組織全体に示すことができる

  • ゼネラルマネージャー思考

    • CMOは部門最適から全体最適の視点へ転換し、顧客の「管理者」として企業横断的な役割を担う必要がある

  • データドリブンな統合

    • 単一の顧客志向役職を持つ企業は複数設置した企業より最大2.3倍の成長を実現している

  • 生成AIの生産性向上

    • マッキンゼーの調査によると、生成AIはマーケティング分野だけで年間4630億ドルの生産性向上をもたらし、従来数ヶ月要したキャンペーン作成を数週間から数日に短縮可能

  • ハイパーパーソナライゼーション

    • 生成AIにより個人の嗜好に合わせたコンテンツ作成が大規模に実現可能となり、自動車販売では座り心地重視の顧客にはコンフォート訴求、エンジン性能重視の顧客にはパワー訴求といった個別メッセージングが自動化

  • プロセス自動化の進展

    • マーケティングと他部門間の業務自動化が進み、顧客チケット対応や注文処理などのルーティンワークが自動化され、従業員はより戦略的業務に集中可能

  • 企業の急速な導入

    • 組織の71%が少なくとも一つの業務機能で生成AIを定期的に活用しており、特にマーケティング・セールス、商品開発、サービス運営での活用が顕著



キーワード解説


CMO(Chief Marketing Officer)】

最高マーケティング責任者


【オムニチャネル】

複数の販売・接触チャネルを統合した顧客体験の提供手法


【ROAS(Return on Advertising Spend)】

広告費用対効果


【CLV(Customer Lifetime Value)】

顧客生涯価値


【MMM(Media Mix Modeling)】

メディアの効果を総合的に評価する分析手法


【Custody of the customer】

顧客の管理者・保護者としての責任


【General manager mindset】

部門を超えた全体最適を考える経営者的思考


【Gen AI(Generative AI)】

生成AI - テキスト、画像、音声などの新しいコンテンツを生成する人工知能技術


【ハイパーパーソナライゼーション: 個人の行動履歴や嗜好に基づいて、一人ひとりに最適化されたコンテンツや体験を提供する手法


【ファウンデーションモデル(Foundation Models)】

大規模なデータセットで事前訓練され、様々な下流タスクに適用可能な深層学習モデル


【A/Bテスト】

異なるバージョンのコンテンツや機能を比較し、より効果的な選択肢を特定するテスト手法



本稿は近日中にnoteにも掲載予定です。
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