世界中の歌に隠された共通言語を探る──ハーバード大学の大規模研究が明かす「人間の音楽性」の正体
- Seo Seungchul
- 6月25日
- 読了時間: 11分
更新日:7月1日

シリーズ: 論文渉猟
◆今回の論文:Samuel A. Mehr et al. "Universality and diversity in human song" (Science, Vol. 366, Issue 6468, 2019年11月22日)
概要:ハーバード大学を中心とする国際研究チームが、世界中の社会から収集した民族誌テキストと歌の録音を分析し、音楽の普遍性と多様性を大規模に検証した研究。
私たちが何気なく口ずさむ歌、祭りで響く音楽、母親が子どもに歌う子守唄。これらに共通するものはあるのでしょうか。音楽学者たちは長年、「音楽に普遍性があるか」という問いを巡って激しく議論してきました。文化によってあまりに違う音楽を前に、多くの専門家は「普遍性なんてない」と考えるようになりました。
しかし2019年、ハーバード大学の研究チームが世界規模の調査で驚くべき発見をしたのです。彼らは世界中の小規模な社会から集めた民族誌のテキストと、実際の歌の録音を分析し、計算社会科学の手法を使って音楽の普遍性を探りました。その結果、音楽は確かに人類共通の特徴を持ちながらも、想像以上に豊かな多様性を内包していることが明らかになったのです。
音楽の普遍性を科学的に実証したこの研究は、私たちが「人間らしさ」について考える際の新しい視点を提供してくれます。果たして歌は本当に「人類共通の言語」なのか。そして、文化の違いを超えて響く音楽の正体とは何なのか。三つの異なる視点から、この興味深い発見を紐解いてみましょう。
発見される共通パターン
富良野:この研究、すごく面白いです。世界中の315の社会を調べて、例外なくすべての社会に音楽があったって。しかも、子守唄、ダンス、癒しの歌、恋の歌といった特定の文脈で使われる音楽には、明確な共通パターンがあるんですよ。
Phrona:へえ、どんなパターンなんですか?
富良野:例えば子守唄は世界中どこでも静かでゆったりしていて、ダンス音楽は速くてリズミカル。これ、当たり前のようでいて、実は驚くべきことなんです。なぜって、これらの社会は地理的にも歴史的にも全く関係ないんですから。
Phrona:確かに不思議ですね。でも私、ちょっと引っかかるのは、その「当たり前」って感覚自体なんです。私たちが子守唄は静かであるべきだと思うのって、本当に生物学的な必然なのか、それとも文化的な刷り込みなのか。
富良野:いい視点ですね。研究によると、子守唄が静かなのには機能的な理由があるんです。赤ちゃんを落ち着かせるという明確な目的があるから、自然とそういう音響特性になる。つまり、文化を超えた共通の人間的な課題—子育て—が、似たような音楽的解決策を生み出している。
Phrona:なるほど。でも逆に考えると、その「落ち着かせる」という概念自体も、実は文化によって違うかもしれませんよね。ある社会では活発な音楽で赤ちゃんを刺激することが良いとされている可能性もある。
富良野:確かに。でも実際のデータを見ると、そういう例外的な社会は見つからなかった。むしろ、研究が示しているのは、音楽の基本的な機能—コミュニケーション、感情の調整、社会的結束—これらは人類共通だということなんです。
多様性の中に見つかる構造
Phrona:でも音楽の多様性って、それこそ無限にあるじゃないですか。この研究では、その多様性をどう整理しているんですか?
富良野:面白いのは、音楽の多様性が主に三つの軸で説明できるってことが分かったんです。「形式性」「覚醒度」「宗教性」。つまり、世界中のどんな音楽も、この三つの組み合わせで位置づけられる。
Phrona:形式性っていうのは?
富良野:儀式的で厳格なものから、日常的でカジュアルなものまでの幅ですね。例えば宗教的な讃美歌は形式性が高くて、子どもと遊んでいる時の歌は形式性が低い。
Phrona:ああ、なるほど。でも私が興味深いと思うのは、社会間の違いよりも、社会内の違いの方が大きかったっていう発見なんです。つまり、日本の音楽とブラジルの音楽の違いよりも、日本の中での音楽の多様性の方が大きいってことでしょ?
富良野:そうなんです。これ、すごく示唆的だと思うんですよ。私たちは「日本の音楽」「アフリカの音楽」みたいに、地域や文化で音楽を分類しがちだけど、実際は人間の音楽的な営みって、どの社会でも似たような幅を持っているってことなんです。
Phrona:それって、音楽における「人間らしさ」の表れかもしれませんね。どの社会でも、厳粛な場面もあれば騒がしい場面もあるし、一人静かに歌う時もあれば、みんなで盛り上がる時もある。そういう人間の感情や社会的状況の幅が、音楽の多様性として現れているのかも。
「調性」という興味深い発見
富良野:あと、個人的にすごく驚いたのが「調性」の話なんです。研究によると、世界中のほぼすべての音楽に調性があるって。
Phrona:調性って、ドレミファソラシドみたいな?
富良野:そうです。基準となる音があって、そこから特定の音を選んで音楽を構成するという仕組み。これ、西洋音楽だけの特徴だと思われていたんですが、実は世界共通だった。
Phrona:でも、それって不思議じゃないですか?音って無限にあるのに、なぜ人間はわざわざ限られた音だけを選んで使うんでしょう。
富良野:それがまさに人間の認知能力の特徴なんでしょうね。無秩序な音の海から、秩序を作り出す能力。研究では、世界中の音楽が「単調さと混沌の間のバランス」を取っているって表現していて、これが人間の美的感覚の根本にあるのかもしれません。
Phrona:面白い。つまり人間って、完全にランダムでも、完全に規則的でもない、「ほどよい複雑さ」を美しいと感じる生き物なんですね。それが音楽だけじゃなくて、きっと他の芸術や、もっと言えば人生そのものにも当てはまりそう。
富良野:まさにそうかもしれません。実際、この研究は音楽を通じて人間の認知能力全般について語っているとも言えるんです。言語能力、運動制御、聴覚処理、そして美的感覚。これらすべてが音楽の中に統合されている。
進化的適応か、副産物か
Phrona:でも気になるのは、なぜ人間がこんなに音楽的なのかってことなんです。この研究では、音楽が進化的にどういう意味を持つのかについて、何か示唆はありましたか?
富良野:実はそこが興味深いところで、研究は「音楽は単一の適応的機能を持つ固定的な生物学的反応ではない」って結論づけているんです。つまり、「音楽は配偶者選択のため」とか「集団結束のため」といった単純な説明では捉えきれないってことですね。
Phrona:ああ、よくある「音楽は○○のために進化した」っていう説明じゃダメだと。
富良野:そうです。むしろ音楽は、言語、運動制御、聴覚処理、感情制御といった、もともと別の目的で発達した能力の「副産物」として現れた可能性が高い。でも副産物だからといって重要じゃないわけじゃなくて、これらの能力を統合する独特な活動として、人間の認知能力の中核を成しているのかもしれません。
Phrona:それって、すごく人間らしい話ですよね。人間って、生存に直接必要じゃないことにこそ、本気になる生き物じゃないですか。音楽も、食べ物を得るわけでも敵から逃げるわけでもないのに、人類はずっと歌い続けてきた。
富良野:確かにそうですね。でも同時に、この研究が示しているのは、音楽が決して「余分な飾り」ではないってことでもあるんです。子育て、治癒、愛、共同体の結束…これらは全部、人間が社会的存在として生きていく上で欠かせない営みですから。
計算社会科学がもたらした新たな視点
Phrona:それにしても、この研究のアプローチって画期的ですよね。従来の音楽学や人類学とは全然違う方法で、音楽を捉えている。
富良野:そうなんです。これまで音楽の研究って、どうしても研究者の主観や、たまたま手に入ったデータに左右されがちだった。でもこの研究は、世界中の社会から代表的なサンプルを選んで、機械学習も使いながら大規模に分析している。「計算社会科学」の手法を人文学的なデータに適用した先駆的な例ですね。
Phrona:面白いのは、そうやって客観的に分析すればするほど、人間の主観的な体験の共通性が見えてくるってことですよね。データが人間らしさを証明するという、なんだか逆説的な感じがします。
富良野:確かに。でも考えてみると、これって現代の学問の一つの方向性を示しているのかもしれません。文系・理系の境界を越えて、人間についての理解を深めていく。音楽という、いかにも人文学的なテーマを、自然科学の手法で解明する。
Phrona:ただ、私がちょっと心配なのは、こういう研究が進むと、音楽の神秘性や個別性が失われてしまわないかってことなんです。すべてがパターンとして説明されてしまったら、音楽の魅力って半減しちゃうんじゃないかって。
富良野:でも僕は逆だと思うんですよ。普遍性が分かることで、多様性の価値がもっと際立つんじゃないでしょうか。どの社会にも共通する基盤があるからこそ、その上に花開く多様性の豊かさが見えてくる。それに、パターンが分かったからといって、個々の音楽体験の感動が色褪せるわけじゃないでしょうし。
Phrona:たしかにそうですね。むしろ、世界中の人間がこんなにも似たような音楽的直感を持っているって分かると、なんだか心強い気がします。言葉が通じなくても、音楽を通じて何かが伝わるっていう感覚が、実は錯覚じゃなかったんだって。
政治と社会における音楽の新たな可能性
富良野:そう考えると、この研究って政治や社会の問題を考える上でも重要な示唆を与えてくれるかもしれませんね。音楽が人間の情動に直接働きかける力を持つということは、民主主義のあり方にも関わってくる。
Phrona:どういうことですか?
富良野:例えば、現代の民主主義って「熟議」を重視するじゃないですか。理性的な議論を通じて合意を形成するという理想がある。でも実際は、言語的な能力や論理的思考力がある人だけが参加できる仕組みになってしまっている面もある。
Phrona:ああ、確かに。うまく議論できない人や、感情的に語る人は排除されがちですよね。
富良野:そこで音楽の役割が見えてくるんです。この研究が示すように、音楽は言語を超えた感情的コミュニケーションを可能にする。公民権運動での「We Shall Overcome」みたいな歌は、複雑な政治的議論を理解していなくても、不正への怒りや変革への希望を共有させることができた。
Phrona:なるほど。音楽による包摂ですね。でも同時に、それってプロパガンダの危険性もはらんでいませんか?音楽の力が強いからこそ、権力者がそれを悪用する可能性も。
富良野:その通りです。ナチスの音楽政策や、様々な国の国歌による愛国心の動員なんかがその例ですね。音楽は思考停止や盲従を招く道具にもなり得る。
Phrona:難しいバランスですね。でも私は、だからといって音楽の政治的役割を否定するのではなく、その力を理解した上で活用していくことが大切だと思うんです。研究でも分かったように、音楽は単一の機能じゃなくて、多様な文脈で使われるものなんですから。
富良野:確かに。熟議だけでは到達できない種類の政治参加や、言葉では表現しきれない共同体の感覚を育む媒体として、音楽を捉え直すことができるかもしれませんね。
Phrona:そう考えると、現代のSNS時代って、音楽と政治の関係がもっと複雑になっているかも。TikTokで政治的メッセージが音楽と一緒に拡散されたり、プロテストソングが瞬時に世界中に広まったり。従来の政治的境界を音楽が軽々と越えてしまう。
富良野:まさに。そうなると、この研究が示している音楽の普遍性と多様性の理解が、ますます重要になってきますね。普遍的な基盤があるからこそ感情的な共鳴が生まれるけれど、同時に多様性があるからこそ画一化されない豊かな表現が可能になる。
Phrona:政治においても、音楽を動員や統制の道具としてだけ見るのではなく、多様な政治的表現や参加の可能性を開く媒体として捉え直していく。そういう視点が必要なのかもしれませんね。
ポイント整理
音楽の普遍性は科学的に実証可能である
世界315の社会すべてに音楽が存在し、子守唄、ダンス、治癒、恋愛という文脈での音楽には明確な共通パターンが認められた。
多様性は三つの軸で整理できる
形式性、覚醒度、宗教性という三次元で、世界中の音楽の多様性を体系的に理解することができる。
社会内の多様性が社会間の多様性を上回る
文化や地域の違いよりも、同一社会内での音楽の多様性の方が大きく、音楽における「人間らしさ」の共通性を示している。
調性は人類共通の特徴である
基準音から特定の音を選んで構成する調性システムが世界中で確認され、人間の聴覚認知の共通基盤を示唆している。
音楽は複数の認知能力の統合的表現である
言語、運動制御、聴覚処理、感情制御といった様々な認知能力が音楽において統合され、単一の進化的機能では説明できない複雑さを持つ。
計算社会科学が人文学に新たな視点をもたらす
大規模データ分析と機械学習を用いることで、従来の主観的・限定的な研究手法では捉えきれなかった音楽の普遍的パターンを客観的に発見できる。
キーワード解説
【NHS(Natural History of Song)】
今回の研究で構築された世界最大規模の音楽データベース。民族誌テキストと音声録音の二つのコーパスから構成される。
【調性(Tonality)】
基準となる音(主音)を中心として、特定の音高関係に基づいて音楽を構成するシステム。西洋音楽のドレミファソラシドもその一例。
【計算社会科学】
大規模データと計算技術を用いて社会現象を分析する学際的分野。従来の社会科学に情報科学の手法を融合させたアプローチ。
【形式性・覚醒度・宗教性】
音楽の多様性を説明する三つの主要な次元。形式性は儀式的か日常的か、覚醒度は刺激的か静的か、宗教性は神聖か世俗的かを表す。
【副産物仮説】
音楽が特定の進化的機能のために発達したのではなく、言語や運動制御など他の能力の副次的な結果として生まれたとする理論。
【音響特性】
音楽の物理的特徴(音高、リズム、音色、音量など)で、楽曲の機能や文脈と体系的に関連している。