人類を「アップグレード」するか「終わらせる」か ──両極端な思想が見落としているもの
- Seo Seungchul
- 7月1日
- 読了時間: 6分

シリーズ: 知新察来
◆今回のピックアップ記事:Michael Hauskeller "The delusion behind upgrading humanity or ending it" (Institute of Art and Ideas, 2025年6月13日)
概要:トランスヒューマニズムと反出生主義の共通する問題点についての哲学的考察
現代社会には、人類の未来について正反対の立場をとる二つの思想がある。一方は技術によって人間を根本的に改良し、永遠の生命を目指すトランスヒューマニズム。もう一方は、人生の苦痛があまりにも大きいため、もはや子どもを産むべきではないとする反出生主義。
全く違う結論に見えるこの二つの思想だが、実は共通した前提に立っている。どちらも「今のままの人生は、本当に生きる価値があるとは言えない」と考えているのだ。治療法は正反対でも、診断は同じ。そして哲学者マイケル・ハウスケラーは、この診断そのものが間違っているのではないかと問いかける。
技術による完全なる人間への憧れと、人生への絶望からの逃避。どちらも現実の人間らしさを理解していないかもしれない。果たして苦痛や挫折のない人生こそが、私たちの目指すべき理想なのだろうか。
二つの極端が共有する診断
富良野:トランスヒューマニズムと反出生主義って、普通は正反対の思想として語られるじゃないですか。でもハウスケラーは、根本的な部分で同じ発想をしてるって指摘してる。
Phrona:そうそう。どっちも「今の人間の状態はダメ」っていう出発点が一緒なんですよね。片方は技術で解決、もう片方は諦めて終了、みたいな。でも私、これ読んでて思ったんですけど、どちらも人間の複雑さを単純化しすぎてるような気がするんです。
富良野:なるほど。具体的にはどういうことですか?
Phrona:例えば、苦痛とか挫折とかって、確かに辛いものだけれど、それがあるからこそ感じられる喜びとか成長とかもあるじゃないですか。トランスヒューマニストの人たちは、苦痛を完全に除去したいって言うけれど、それって本当に人間らしい生き方なのかな。
富良野:ああ、そういうことか。システムの開発でも、完璧なものを求める人が多いですが、実際にはある程度の摩擦とか不完全さがあるからこそ、人間的な創意工夫が生まれるんですよね。
Phrona:まさにそれです!不完全だからこそ、私たちは工夫したり、助け合ったり、時には諦めたりしながら生きてる。それが人間らしさなのかもしれない。
富良野:一方で、反出生主義の人たちは、その不完全さに絶望して「だったらもう生まれてこない方がいい」って結論に至る。どちらも「苦痛=悪」「完璧=善」っていう単純な図式で考えてるような。
宗教との根本的な違い
Phrona:でも考えてみると、「今の人間の状態はダメ」っていう出発点って、別に珍しくないですよね。キリスト教の原罪とか、仏教の苦諦とか、大概の宗教が似たような認識を持ってる。
富良野:確かにそうですね。でも、宗教とこれらの現代思想って、何か根本的に違う気がするんです。
Phrona:どういう違いでしょう?
富良野:宗教の場合、確かに「人間は不完全だ」って言うけれど、その不完全さも含めて何かしらの意味があるって考えますよね。キリスト教なら「神の愛の中で不完全さも受け入れられる」し、仏教なら「苦しみを通じて悟りに至る」みたいな。
Phrona:ああ、そうか。つまり、不完全さを完全に排除しようとするんじゃなくて、それと共に生きる道を示してるんですね。
富良野:そうです。しかも、宗教って基本的に共同体の中で支え合いながら、その不完全さに向き合うじゃないですか。一人で技術的に解決するとか、個人的に諦めるとかじゃなくて。
Phrona:確かに。トランスヒューマニズムって、結局は個人レベルでの技術的解決を目指してるし、反出生主義も個人的な決断の話になりがちですよね。共同体で支え合うっていう発想があまりない。
富良野:それに、時間軸も違う気がします。宗教の場合、永遠とか輪廻とか、人間的な時間を超えた視点があるけれど、現代の極端思想って、すごく線形的というか、「問題→解決」っていう工学的な発想なんですよね。
Phrona:そうそう。仏教なら「生老病死は避けられないもの」として受け入れた上で、その中での生き方を考えるけれど、トランスヒューマニズムは「生老病死を技術で克服する」って発想。根本的にアプローチが違いますね。
現実逃避としての極端な解決策
富良野:そう考えると、トランスヒューマニズムも反出生主義も、現実の複雑さと向き合うのではなく、技術的解決か完全な回避かで済ませようとしている。どちらも現実逃避の一種なのかもしれません。
Phrona:現実の苦痛を軽視してはいけないとも思うんです。戦争とか貧困とか、本当に深刻な問題もたくさんある。ただ、それに対する答えが「人間を改造する」か「人類を終わらせる」かの二択しかないっていうのは、やっぱり極端すぎる。
富良野:そうですね。もっと地道な、現実的な改善策もあるはずです。制度を変えたり、社会の仕組みを見直したり。完全な解決は無理でも、少しずつ良くしていくことはできる。
Phrona:それに、人間って案外したたかで、困難な状況でも意外と適応していくものですよね。完璧でなくても、なんとなく生きていける。その「なんとなく」の部分にこそ、人間らしさがあるのかも。
富良野:面白いのは、どちらの思想も「理性的」を装ってることですね。科学技術で人間を改良するのも、論理的に考えて出生を止めるのも、一見すると合理的に見える。でも実は、現実の人間の複雑さを理解していない。
Phrona:そうそう。理性的であろうとするあまり、感情とか直感とか、測りにくいものを軽視してる。でも人間って、論理だけでは生きてないじゃないですか。矛盾だらけで、でもそれが人間らしい。
富良野:結局、どちらの思想も「人間性をよく理解していない」というハウスケラーの指摘は、的を射てるのかもしれませんね。完璧を目指すことも、完全に諦めることも、どちらも人間の実際の姿とはかけ離れている。
Phrona:そうですね。私たちは不完全で、でもその不完全さと共に生きていく。それが人間らしい生き方なのかもしれません。
ポイント整理
共通する前提
トランスヒューマニズムと反出生主義は、どちらも「現在の人間の状態は十分に良くない」という前提に立っている
正反対の解決策
技術による人間の根本的改良 vs 人類の繁殖停止という全く異なるアプローチを提示
単純化された人間観
どちらも苦痛を完全な悪、完璧を完全な善とする二元論的な思考に陥っている
現実との乖離
実際の人間は矛盾と不完全さを抱えながらも、それと共に生きていく存在である
第三の道
完璧な解決も完全な諦めもせず、現実的で人間的な改善を模索する可能性
キーワード解説
【トランスヒューマニズム】
科学技術を用いて人間の身体的・認知的能力を根本的に向上させ、老化や死を克服しようとする思想
【反出生主義】
人生の苦痛が喜びを上回るため、新たに生命を誕生させることは倫理的に問題があるとする思想
【人間の改良】
遺伝子操作、サイボーグ化、AI統合などによる人間の能力向上
【苦痛の除去】
肉体的・精神的な痛みや困難を技術的に排除しようとする試み
【生の価値】
人生が生きるに値するかどうかの哲学的評価
【現実逃避】
困難な現実に直面する代わりに、極端な解決策に逃避すること