分散型ガバナンスの先生はタコ?──『タコの心身問題』から考える組織と社会の未来
- Seo Seungchul
- 5 日前
- 読了時間: 9分

シリーズ: 書架逍遥
◆今回の書籍:Peter Godfrey-Smith『Other Minds: The Octopus, the Sea, and the Deep Origins of Consciousness』(2016年)
邦題:『タコの心身問題──頭足類から考える意識の起源』(みすず書房、2018年)
概要:スキューバダイビングで直接観察した著者が、タコの複雑な神経系、学習能力、社会的行動を通じて、意識や心の起源を探求する科学哲学書
海底でタコたちが集まって暮らす場所があるって知っていますか? オーストラリアの海で発見された「オクトポリス」と呼ばれるその場所では、普段は一匹狼のタコたちが、まるで小さな社会を作っているかのように共同生活を送っています。
哲学者ピーター・ゴドフリー=スミスの『タコの心身問題』は、タコやイカといった頭足類の驚くべき知性と行動を探求した本です。私たち人間とは6億年前に進化の道が分かれた生き物でありながら、彼らは独自の方法で高度な知性を発達させました。8本の腕それぞれに「ミニ脳」を持ち、全身で考え、皮膚で語り、わずか2年の命を燃やし尽くす──そんなタコたちの生き方は、私たちの組織やガバナンスのあり方について、思いもよらない示唆を与えてくれます。
今回は、富良野とPhronaがこの本から見えてくる「もうひとつの知性」について語り合います。中央集権と分散型、言語と非言語、長期と短期──異なる軸で進化した知性から、私たちは何を学べるのでしょうか。
海底での出会い──異星人のような知性
富良野:著者がオーストラリアの海でタコと出会うシーンから始まるんですけど、すごく印象的でしたね。海底で目が合って、タコが触腕を差し出してくるって。
Phrona:ええ、まるでファーストコンタクトみたい。著者は「人間が遭遇しうる最も身近な異星的知性」って表現してましたけど、本当にそんな感じがしました。
富良野:6億年前に進化の道が分かれたって聞くと、どれだけ違う存在なのかって実感しますよね。僕たちの共通祖先は、ごく単純な蠕虫みたいな生き物だったそうで。
Phrona:そこから全く別々の道を歩んで、でも両方とも高度な知性にたどり着いた。進化って不思議ですよね。まるで知性への道が複数あることを証明してるみたい。
富良野:しかも面白いのは、タコの神経細胞の配置です。なんと約3分の2が8本の腕にあるんですって。頭じゃなくて、腕で考えてるようなもの。
Phrona:人間だと考えるのは頭の仕事って決まってますけど、タコは全身が脳みたいなものなんですね。腕それぞれが半自律的に動けるって、想像もつかない感覚。
色で語る生き物たち
富良野:皮膚の色を瞬時に変えて、まるで全身がディスプレイみたいになるコウイカの話も驚きでしたね。
Phrona:極彩色の波を皮膚に走らせて求愛するんですよね。なんてロマンチック! でも面白いのは、コウイカ自身は三色型視覚を欠いていて、自分が出してる色を正確には見えてない可能性があるって。
富良野:自分で作り出している美しさを、自分では完全には知覚できない。なんだか詩的ですね。
Phrona:オクトポリスでは、タコたちが色で感情を表現してたんですよね。攻撃的なときは黒っぽく、降参するときは白っぽいまだら模様。すごくシンプルで分かりやすい。
富良野:言葉がなくても、これだけ豊かなコミュニケーションができるんですね。むしろ言葉がないからこそ、嘘がつけない。黒くなってる奴は怒ってるって、一目瞭然(笑)。
第2の脳? でも違う方向を向いている
Phrona:そういえば、タコの分散型神経系の話を聞いて、人間の腸管神経系のことを思い出しました。
富良野:ああ、腸にも約1億個の神経細胞があって、第2の脳とも呼ばれてますよね。
Phrona:ただ、やっぱり根本的に違ってて、タコの腕は外の世界を直接感じて判断できる。岩の感触とか、獲物の動きとか。でも人間の腸は、あくまで体の内部環境を管理してるだけ。
富良野:なるほど。人間の場合、視覚も聴覚も触覚も、外界の情報はすべて脳に集まってくるんですね。腸は賢いけど、外を見てるわけじゃない。
Phrona:そう考えると、タコって本当に独特な存在ですね。8本の腕それぞれが世界と直接つながってて、その場で判断もできる。私たちとは全く違う世界の感じ方をしてるんでしょうね。
わずか2年の命
富良野:あと衝撃だったのは、タコの寿命がたった1~2年しかないってことです。あんなに賢いのに。
Phrona:繁殖したら死んじゃうんですよね。メスは卵を守り抜いて餓死、オスも交尾後しばらくで死ぬ。なんだか切ない。
富良野:でも進化的には、変化の激しい海洋環境では、短期間で世代交代する方が有利だったんでしょうね。
Phrona:ただ、親から子へ知識を伝える時間がないんです。毎世代、ゼロから学習し直し。タコには文化の継承がない。
富良野:人間なら言語や文字で知識を次世代に残せるけど、タコにはそれができない。だから毎回、一から賢くなるしかない。
Phrona:でも逆に言えば、わずか2年でここまで賢くなれるってすごいことですよね。凝縮された生というか。
富良野:なんだか禅の精神を感じますね。タコは究極の「即今当処」を体現してるのかも。
Phrona:そう!ただ今この瞬間を生きる、蓄積する知性じゃなくて、開花する知性っていうか。種の中にすでに花の可能性があるように、生まれながらに持っている知性を、短期間で最大限に開花させる。
富良野:ただ、やっぱり人間としては、せっかく獲得した知識や経験を次に伝えたいっていう欲求もありますよね。
Phrona:そうですね。でもタコを見てると、残すことだけが価値じゃないって教えられる気がします。今を完全に生きることの美しさというか、儚さの中にある充実というか。
オクトポリス──偶然が生んだ社会
富良野:最終章のオクトポリスの話も、本当に興味深かったです。普段は単独行動のタコが、なぜか一箇所に集まって暮らしてる。
Phrona:きっかけは海底に沈んだ金属片だったんですよね。それにタコが住み着いて、貝殻が堆積して、いつの間にか他のタコも集まってきた。
富良野:偶然から秩序が生まれたんですね。でも面白いのは、そこにも一種の社会構造があったこと。大きなオスが中央の岩場を陣取って、他のタコを追い払ったりしてた。
Phrona:まるで村の用心棒みたい。でも完全な独裁者じゃなくて、時にはメスにも攻撃されたりして。なんだか人間くさい(笑)。
富良野:タコ同士が腕を絡め合って挨拶みたいなことをしてたのも面白い。言葉はなくても、触覚でコミュニケーションしてるんですね。
異なる知性が教えてくれること
Phrona:この本を読んで、知性っていろんな形があるんだなって改めて感じました。私たち人間の知性だけが唯一の形じゃない。
富良野:そうですね。中央に脳があって、そこにすべての情報を集めて処理する。それが当たり前だと思ってたけど、タコは全く違うアプローチで問題を解決してる。
Phrona:組織のあり方を考えると、どうでしょう。人間の会社や政府って、だいたい中央集権的じゃないですか。本社や中央政府が頭脳で、支社や地方は手足みたいな。
富良野:確かに。でもタコ型だと、各部門がそれぞれ高度な判断力を持ってて、でも全体としては調和してる。現場に権限を委譲しつつ、全体最適も実現するような。
Phrona:でも人間の組織でそれを実現するのは難しそう。タコの腕は進化の過程で完璧に調和するようになってるけど、人間の組織の各部門は、必ずしも全体最適を考えて動くとは限らないわけですから。
社会のセンサーはどこにある?
富良野:社会全体のガバナンスという観点で考えると、面白い示唆がありそうです。タコは腕の先端で世界を感じ取るけど、私たちの社会はどうでしょう?
Phrona:多くの場合、中央に情報を集めて判断してますよね。でも実際に問題が起きてるのは現場なのに、そこから中央に情報が上がるまでに時間がかかったり、歪んだりする。
富良野:タコ型のガバナンスなら、各地域や現場が直接問題を感知して、その場で対応できる権限を持つことになりますね。
Phrona:ただ、タコの色変化みたいな透明性も大事かも。政策決定のプロセスを可視化するとか。黒くなってる奴は怒ってるって分かるみたいに、意図が明確だといいですよね。
富良野:あと、腸管神経系との比較で思ったんですけど、社会にも内向きの機能と外向きの機能があって、それぞれ違うガバナンスが必要なのかもしれません。
Phrona:どういうことですか?
富良野:社会保障とか教育は、社会の内部環境を整える機能。腸が体内環境を管理するように。一方で外交とか防衛は、外の世界との接点を扱う。性質が違うから、管理の仕方も変えるべきかも。
Phrona:なるほど。タコの短命の話からも、制度の寿命について考えさせられますね。あまりに長く続くと環境変化に対応できないけど、短すぎると経験が蓄積されない。
富良野:結局、タコから学ぶべきは、唯一の正解はないってことかもしれません。環境に応じて、柔軟に形を変えられることが大事なんでしょうね。
Phrona:タコが殻を捨てて柔軟な身体を手に入れたように、私たちも固定観念という殻を脱ぎ捨てる必要があるのかもしれません。
ポイント整理
タコの神経系の約3分の2は8本の腕に分散しており、各腕が半自律的に機能しながら全体として調和する分散型知性を実現している
人間の腸管神経系(第2の脳)も約1億個の神経細胞を持つが、内部環境の管理に特化しており、タコの腕のように外界を直接感知・判断することはできない
頭足類は皮膚の色彩変化により瞬時に感情や意図を表現し、言語に頼らない高度な非言語コミュニケーションを行っている
タコの寿命は1〜2年と短く、親から子への知識伝達がないため、各世代がゼロから学習する必要がある
普段は単独生活のタコが、環境条件によってはオクトポリスのような社会的集住を形成し、色による信号や物理的接触でコミュニケーションを取る
人間とは6億年前に分岐した独立の進化系統でありながら高度な知性を発達させたことは、知性や組織の形に唯一の正解がないことを示している
社会の「センサー」を現場に配置し、中央への情報集約に頼らない分散型ガバナンスの可能性を示唆している
内部環境の管理(社会保障等)と外部との接点(外交等)では、異なるガバナンス手法が必要である可能性がある
キーワード解説
【分散型神経系】
中央の脳だけでなく身体全体に神経節が分布し、局所的な判断と全体的な調和を両立させるシステム
【収斂進化】
異なる系統の生物が似た環境圧力により独立に類似の形質を進化させる現象
【クロマトフォア】
頭足類の皮膚にある色素胞で、神経制御により瞬時に拡張・収縮して体色を変化させる
【半世代型(セメルパリティー)】
生涯に一度だけ繁殖して死ぬ生活史戦略
【オクトポリス】
オーストラリアで発見されたタコの集住地で、通常は単独生活のタコが社会的相互作用を示す稀な例