技術の加速は誰のため?──加速主義とポストヒューマニズムから考える未来の責任
- Seo Seungchul
- 7月1日
- 読了時間: 8分
更新日:2 日前

シリーズ: 行雲流水
資本主義とテクノロジーをもっと加速させれば、この社会は変わるのでしょうか? それとも、人間を超えた存在が私たちの未来を決めるのでしょうか?
今、技術の進歩が指数関数的に速まる中で、「ポストヒューマニズム」や「加速主義」といった思想が注目を集めています。これらは単なる技術楽観論ではなく、人間と社会の根本的な変革を問う思想です。でも、その未来像には大きな違いがあります。
今回は富良野とPhronaが、これらの思想の本質と危うさ、そして私たちが考えるべき「責任」について語り合います。二人の対話を通じて、技術と人間の関係を改めて考えてみませんか。
加速主義って何だろう?
富良野:最近、技術系の人たちを中心に「加速主義」という言葉をよく聞くようになりましたね。簡単に言えば、資本主義やテクノロジーの進展を加速させることで、現状の限界を突破しようという思想なんですが。
Phrona:でも、それって単に「もっと速く進めばいい」という話じゃないですよね? 何か、もっと複雑な背景がありそう。
富良野:そうなんです。実は、この思想にはいくつかの流れがあって。左派的な人たちは、技術の力を使って労働から解放される社会を目指している。一方で、右派的な立場だと、人間そのものを超えていくような、ちょっと怖い話になってくる。
Phrona:人間を超える? それって具体的にはどういうことですか?
富良野:たとえばニック・ランドという思想家は、AIや技術の進化が人間を追い越していくのは必然だから、むしろそれを歓迎すべきだと言っているんです。人間は進化の通過点にすぎない、みたいな。
Phrona:うーん、それはちょっと…。私たちの生活とか、大切にしているものとか、そういうのはどうなっちゃうんでしょう。
富良野:まさにそこが問題なんですよ。主語が「人類」とか「文明」とか大きくなると、個々の人間の苦しみとか喜びが見えなくなってしまう。
誰のための未来なのか
Phrona:そもそも、誰がその「加速」の恩恵を受けるんですか? 技術が進歩しても、格差が広がったり、取り残される人が出てきたりするんじゃ…。
富良野:鋭い指摘ですね。実際、加速主義の議論って、日常生活に翻訳してみると、かなり異常なことを言ってるんです。たとえば「あなたの仕事はAIに奪われるべきだ、それが進化だから」みたいな。
Phrona:それは…普通に考えたら受け入れられないですよね。でも、なんでそういう極端な話が真面目に議論されるんでしょう?
富良野:おそらく、話のスケールが大きすぎて、具体的な影響が見えにくくなっているんだと思います。「人類の進化」とか言われると、なんとなく正しそうに聞こえてしまう。
Phrona:でも、その「人類」って誰のことなんでしょうね。私の友達とか、家族とか、そういう具体的な人たちのことは考えられているのかな。
富良野:まさにそこなんです。抽象的な議論は、具体的な痛みや苦しみを見えなくしてしまう。これは加速主義だけじゃなくて、ポストヒューマニズムにも共通する問題かもしれません。
ポストヒューマニズムの複雑さ
Phrona:ポストヒューマニズムって、人間中心主義を批判する思想ですよね。環境問題とか考えると、確かに人間だけが偉いわけじゃないし、その視点は大事だと思うんですけど。
富良野:ええ、出発点は共感できるんです。でも、これも実は複雑で。「人間を超える」という意味が、思想家によって全然違うんですよ。
Phrona:どういうことですか?
富良野:たとえば、ドナ・ハラウェイみたいな人は、人間と技術や動物との関係性を大事にしながら、新しい倫理を考えようとしている。でも一方で、トランスヒューマニズムと呼ばれる人たちは、技術で人間を強化して、不死とか超知能を目指そうとする。
Phrona:あ、それって全然違いますね。前者は関係性の話で、後者は…なんというか、スーパーマンになりたいみたいな。
富良野::そうそう(笑)。でも問題は、この二つが「ポストヒューマン」という同じ言葉で語られることがあるんです。それで、倫理的な議論と、技術至上主義的な話が混ざってしまう。
Phrona:なるほど…。関係性を大事にする思想が、逆に責任を曖昧にする隠れ蓑になっちゃうこともあるのかな。
責任は誰が取るのか
富良野:実際、そういう危険性はありますね。たとえば環境系のポストヒューマニズムだと、「地球の声を聞け」とか「自然の権利を認めよう」とか言うんですけど。
Phrona:それ自体は悪くないと思うんですけど…でも、地球って話せないですよね?
富良野:まさに! 結局、誰かが代わりに「これが地球の意志だ」って言うことになる。でも、それって本当は人間の判断じゃないですか。
Phrona:あー、確かに。「自然のため」って言いながら、実は特定の人たちの考えを押し付けているだけかもしれない。
富良野:そうなんです。人間以外の存在を大事にするのはいいんですが、最終的に判断し、責任を取るのは人間しかいない。その事実から目を背けちゃいけないと思うんです。
Phrona:でも、じゃあどうすればいいんでしょう? 人間中心主義の問題は確かにあるし、でも人間が判断するしかないし…。
富良野:僕は、その矛盾を正面から引き受けることが大事だと思うんです。「私たち人間が、不完全ながらも判断する。そしてその責任を取る」という姿勢を明確にする。
技術の方向性と人間の意図
Phrona:そういえば、最近ヴィタリック・ブテリンが面白いことを言ってましたよね。技術の進歩は大事だけど、その方向性がもっと大事だって。
富良野:ああ、d/accですね。defensive accelerationの略で、防衛的な加速という意味です。彼は技術の力は認めつつも、それをどう使うか、誰のために使うかを真剣に考えている。
Phrona:防衛的って、ちょっと加速主義とは真逆な感じがしますね。
富良野:そうなんです。実は彼は加速主義の語彙を使いながら、その中身を全く違うものに変えているんですよ。技術に本質的な善悪はない、大事なのは人間の意図と方向性だ、と。
Phrona:なるほど。技術を否定するんじゃなくて、でも技術に全てを委ねるわけでもない。バランスを取ろうとしているんですね。
富良野:ええ。これは僕たちが考えるべき重要な視点だと思います。技術の可能性を活かしながら、でも人間の尊厳や責任を手放さない。
哲学は日常と乖離してもいいのか
Phrona:でも、こういう議論って、普通の人の生活からはかけ離れてる気もします。哲学って、もっと実生活に役立つべきなんでしょうか?
富良野:難しい問題ですね。確かに、すぐに役立たない思考を「知的遊戯」だと批判する人もいます。でも僕は、哲学には日常から一度離れて、遠くを見通す役割もあると思うんです。
Phrona:遠くを見通す、ですか。
富良野:ええ。たとえば、今の社会の前提を問い直したり、まだ来ていない未来の可能性を考えたり。それはすぐには役立たないかもしれないけど、長期的には社会を変える力になる。
Phrona:でも、離れすぎちゃダメってことですよね? さっきの加速主義みたいに、完全に現実から切り離されちゃうと…。
富良野:そう、帰ってくる道を持っていることが大事なんです。遠くまで行って新しい視点を得たら、それをまた日常に持ち帰って、現実を少しずつ変えていく。その往復運動が哲学の本質だと思います。
Phrona:なるほど。トランスヒューマニズムの問題は、もう帰ってこないくらい遠くに行っちゃってることなのかも。
これからの私たちに必要なこと
富良野:結局、技術の進歩は止められないし、止めるべきでもないと思うんです。でも、その方向性は私たちが選べるし、選ばなければならない。
Phrona:選ぶって、具体的にはどういうことでしょう?
富良野:たとえば、AIを監視と管理に使うのか、それとも人々の創造性を支援するために使うのか。同じ技術でも、使い方次第で全然違う社会になる。
Phrona:確かに。でも、その選択って誰がするんですか? 一部の技術者とか企業だけじゃなくて、みんなが関われるようにしないと。
富良野:まさにそこが民主主義の課題ですね。技術の方向性について、もっと多くの人が議論に参加できる仕組みが必要です。
Phrona:うん、そして大事なのは、その議論が抽象的じゃなくて、具体的な生活とつながっていることですよね。この技術が私の暮らしをどう変えるのか、私の大切な人にどう影響するのか。
富良野:そうですね。大きな主語で語るんじゃなくて、一人ひとりの顔が見える議論。それが、技術と人間が共存する未来への第一歩かもしれません。
ポイント整理
加速主義には左派(社会変革志向)と右派(人間超越志向)があり、特に右派は人間の尊厳を軽視する危険性がある
ポストヒューマニズムも、批判的なものとトランスヒューマニズム的なものが混在しており、後者は実質的に人間中心主義の極端な形態
技術には本質的な善悪はなく、重要なのは人間の意図と方向性(ヴィタリック・ブテリンのd/acc)
抽象的な議論は具体的な痛みを見えなくし、責任の所在を曖昧にする
哲学は日常から離れてもよいが、帰還の道を持つことが重要
技術の方向性を決める議論には、より多くの人々の参加が必要
キーワード解説
【加速主義(Accelerationism)】
資本主義や技術の加速により社会変革を目指す思想
【ポストヒューマニズム】
人間中心主義を批判・相対化する思想群
【トランスヒューマニズム】
技術による人間の能力拡張・超越を目指す思想
【d/acc(defensive acceleration)】
ヴィタリック・ブテリンが提唱する、防衛的・民主的・分散的な技術発展の考え方
【応答責任】
他者や環境に対して責任を持って応答する倫理的態度