社会はコミュニケーションでできている?──ルーマンの社会システム理論から考える、現代社会の「つながり」と「分断」
- Seo Seungchul
- 6月28日
- 読了時間: 7分
更新日:3 日前

シリーズ: 行雲流水
現代社会を見渡すと、政治は政治の理屈で、経済は経済の理屈で、それぞれが独自のルールで動いているように見えます。SNSでは異なる価値観を持つ人々が噛み合わない議論を繰り広げ、専門家の意見と一般市民の感覚がすれ違う。社会はバラバラになってしまったのでしょうか?
今回は、ドイツの社会学者ニクラス・ルーマン(1927-1998)の「社会システム理論」を手がかりに、この一見バラバラに見える現代社会が、実はどのような仕組みで成り立っているのかを探ってみたいと思います。そして、この理論が私たちの日常的な「言論空間」の理解にも新たな視点を提供してくれることを見ていきます。
コミュニケーションの連鎖として捉える社会
富良野:ルーマンの社会システム理論って、社会を「人間の集まり」じゃなくて「コミュニケーションの連鎖」として捉えるじゃないですか。これ、なかなか突飛とも言える考え方ですよね。
Phrona:ええ、私も最初聞いたとき違和感を覚えました。普通、社会って言ったら人間の集まりだと考えるのに、でもルーマンさんは、社会の本質は人間じゃなくてコミュニケーションだって言うんですよね。
富良野:そうなんです。で、面白いのは、社会が政治とか経済とか法とか、いろんな「サブシステム」に分かれていて、それぞれが独自のルールで動いているっていう考え方。
Phrona:オートポイエーシス、でしたっけ。自己産出っていうんですか?それぞれのシステムが自分で自分を作り続けるっていう...なんだか生き物みたいですね。
富良野:まさにそこなんですよ。もともと生物学の概念を社会学に持ち込んだらしいです。で、各システムは独自の「二値コード」を持っていて、政治なら権力がある・ない、経済なら支払う・支払わない、みたいな。
Phrona:なるほど...でも富良野さん、そうなると気になることがあるんです。それぞれのシステムがバラバラに動いているなら、どうやって社会全体としてまとまっているんでしょう?
バラバラなのに、なぜ社会は機能するのか
富良野:いい質問ですね。実はルーマンは「構造的カップリング」っていう概念で説明しているんです。システム同士は直接的には干渉できないけど、お互いに「刺激」を与え合うことはできる。
Phrona:構造的カップリングに刺激...ですか。ちょっとイメージしにくいですね。
富良野:例えばね、経済システムが政治システムに献金をしたとする。でも、そのお金は政治システムの中では「権力」として翻訳されるんです。経済の論理がそのまま政治に持ち込まれるわけじゃない。
Phrona:ああ、なるほど!つまり、それぞれのシステムは自分の言葉でしか理解できないってことですか。経済は経済語、政治は政治語しか話せない、みたいな。
富良野:まさにそういうことです。だから、「経済の論理が政治を支配している」みたいな単純な図式は成り立たないってルーマンは言うんですよ。
Phrona:うーん、でもそれって、なんだか楽観的すぎません?実際、お金の力で政治が動くことってあるじゃないですか。
富良野:確かに...僕もそこは気になってたんです。ルーマンの理論だと、システム間の支配関係を認めないから、現実の権力関係をうまく説明できないんじゃないかって批判もあるんですよ。
階層なき社会は可能なのか
Phrona:そもそも、社会って本当に階層なしで機能できるんでしょうか?私、脳の情報処理とか深層学習のことを考えると、やっぱり階層構造って複雑な情報を処理するのに必要な気がするんです。
富良野:面白い視点ですね。確かに脳もAIも、低次の情報を段階的に抽象化していく階層構造を持っている。
Phrona:でしょう?だから社会も、ある程度の階層性があった方が、複雑な問題に対処しやすいんじゃないかなって。
富良野:ただ、ルーマンが否定しているのは「固定的な階層」なんですよね。つまり、宗教が常に政治の上にあるとか、経済が常に文化を支配するとか、そういう硬直的な構造。
Phrona:あ、そうか。じゃあ、流動的な階層ならどうでしょう?状況に応じて、あるシステムが一時的に調整役になるような...
富良野:それなら、ルーマンの理論とも矛盾しないかもしれない。実際、金融危機のときは経済システムの問題が政治システムを動かすし、パンデミックのときは科学システムの知見が社会全体に影響を与える。
Phrona:まさにコロナのときがそうでしたよね。普段は注目されない科学者や医療の専門家の発言が、急に社会全体を動かすようになった。
言論空間への応用可能性
富良野:実はね、僕、ルーマンの理論って社会全体よりも、もっと身近な「言論空間」に当てはめた方が説明力があるんじゃないかって思うんです。
Phrona:言論空間...というと?
富良野:例えば、保守とリベラルの議論とか、科学的な議論と感情的な議論とか。それぞれが独自の論理と語彙を持っていて、なかなか噛み合わない。
Phrona:ああ、SNSでよく見る光景ですね。同じ話題について話しているはずなのに、まったく違う言語で話しているみたいな。
富良野:そうそう。で、それぞれの言説システムが「構造的カップリング」で刺激し合っているって考えると、なぜ議論が噛み合わないのか、でも完全に断絶はしないのかが説明できる。
Phrona:なるほど...私たちが日常的に感じている「分断」って、実は社会システム理論的な現象と理解できるのかもしれませんね。
富良野:しかも言論空間なら、さっき話した「流動的な階層」も観察しやすい。ある時期は科学的言説が優位になり、別の時期は感情的な言説が強くなる、みたいな。
Phrona:確かに。社会問題によって、どの言説が説得力を持つかは変わりますもんね。でも、そうすると結局、私たちはどうやってこの分断を乗り越えればいいんでしょう?
分断を超えて
富良野:うーん、難しい問題ですね。ルーマンの理論だと、完全に一つの言語で統一することは不可能だし、むしろ危険かもしれない。
Phrona:危険?
富良野:だって、もし社会全体が一つの論理だけで動くようになったら、それこそ全体主義じゃないですか。多様性が失われて、柔軟性もなくなる。
Phrona:ああ、そうか...。じゃあ、分断は必要悪なんですか?
富良野:必要悪というより...必要な多様性?かな。大事なのは、異なるシステム間の「刺激」をもっと活発にすることかもしれません。
Phrona:刺激を活発に...つまり、違う言語を話す人たちの間でも、何らかのコミュニケーションは可能だってことですよね。完全には理解し合えなくても。
富良野:そうそう。お互いの言語を完全に理解する必要はないけど、刺激を受け取って、自分なりに翻訳して、また返すっていうプロセスを続けることが大事なのかも。
Phrona:なんだか希望が見えてきました。完全な理解や統一を目指すんじゃなくて、違いを認めながらも対話を続けるっていう...
ポイント整理
ルーマンの社会システム理論は、社会を「人間」ではなく「コミュニケーション」の連鎖として捉え、政治・経済・法などの機能分化したサブシステムの集合体として理解する
各サブシステムは独自の二値コード(政治なら権力/非権力、経済なら支払い/非支払い)を持ち、自己産出的(オートポイエティック)に機能する
サブシステム間の相互作用は「構造的カップリング」により、直接的な支配ではなく相互の「刺激」として実現される
固定的な階層構造は否定されるが、状況に応じた流動的・動態的な階層秩序は理論と矛盾しない可能性がある
この理論は社会全体よりも、言論空間や意味空間における多様な言説の共存と相互作用を説明する際により強い説明力を発揮する
キーワード解説
【オートポイエーシス】
自己産出性
【構造的カップリング】
システム間の相互作用メカニズム
【二値コード】
各システムの基本的な判断基準
【機能分化】
社会の専門領域への分化
【複雑性の縮減】
膨大な可能性から必要な要素を選択するプロセス
【自己参照性】
システムが自らを参照し続ける性質