脳のアーキテクチャに学ぶAI革命──MontyとThousand-Brains理論が描く知性の新しい風景
- Seo Seungchul

- 7月16日
- 読了時間: 13分
更新日:8月2日

シリーズ: 論文渉猟
◆今回の論文: Niels Leadholm et al. "Thousand-Brains Systems: Sensorimotor Intelligence for Rapid, Robust Learning and Inference" (arXiv, 2025年7月6日)
概要:Thousand-Brains理論に基づくAIシステム「Monty」の実装と評価。3D物体認識と姿勢推定において、従来の深層学習とは異なる感覚運動学習アプローチを採用し、皮質列の構造を模倣した学習モジュールによる迅速で堅牢な学習を実現。
現在のAIが人間のような柔軟性や学習能力に欠けているのはなぜでしょうか?答えは、私たちの脳がどのように働いているかを深く理解することにあるかもしれません。
今回見る最新の研究論文は、脳科学の発見に基づいて全く新しいAIアーキテクチャを提案しています。従来の深層学習が巨大な単一モデルで世界を理解しようとするのに対し、この研究は脳の皮質列という小さな処理単位を数千個組み合わせることで、より人間らしい知性を実現しようとします。
富良野とPhronaの対話を通じて、この革新的なアプローチがどのようにAIの未来を変える可能性があるのか、そして私たちの「知性」という概念そのものをどう再定義するのかを探っていきます。技術の詳細から哲学的な問いまで、知的好奇心を刺激する議論が展開されるでしょう。
脳の構造をまねた新しいAI
富良野:YCBデータセットを使った実験結果を見ていると、やっぱり興味深いですね。Montyというシステムが、従来のAIとは全く違うアプローチで3D物体認識をやっている。
Phrona:そもそもMontyって名前からして面白いですよね。Vernon Mountcastleという神経科学者の名前からきているんでしょう?彼が提唱した皮質列の考え方が基盤になっているわけですから。
富良野:そうです。Mountcastleは哺乳類の脳の力が、皮質列という基本的な計算単位を繰り返し使うことにあると主張しました。それで、現在のAIが一つの巨大な階層モデルで世界を理解しようとするのに対して、Montyは何千もの小さな学習モジュールを並列に動かして、それぞれが独立してオブジェクトを認識しようとする。
Phrona:なるほど。つまり、私たちの脳が一つの大きな認識システムではなく、たくさんの小さな専門家集団として働いているということですね。それぞれが投票して、最終的な答えを決める。
富良野:まさにそうです。論文では、感覚運動学習という概念も重要な役割を果たしています。つまり、Montyは静的な画像を見て判断するのではなく、実際に動きながら、触りながら学んでいく。
Phrona:動きながら学ぶ、か。これって人間の赤ちゃんが世界を理解していく過程と似ていません?手で触って、口に入れて、振ってみて。そうやって物の性質を覚えていく。
富良野:その通りです。実際、論文ではHebbianライクな学習と呼ばれる、脳の神経可塑性に似た学習プロセスも取り入れています。これによって、従来の深層学習よりもはるかに速く、継続的に学習できる。
Phrona:でも、そういう学習って、どこか曖昧さを含んでいませんか?確実性を求めがちな現在のAI開発の流れと、ちょっと方向性が違う気がします。
富良野:いいポイントですね。確かに、Montyのアプローチは確実性よりも適応性を重視している。でも、それが逆に強みになっているんです。YCBデータセットでの実験では、物体の対称性を自然に検出したり、形状による分類を得意としたりしている。
空間認識の革命
Phrona:空間認識の話で思い出したんですけど、この研究では参照フレームという概念が出てきますよね。これって、どういう意味なんでしょう?
富良野:参照フレームは、位置や回転を表現するための座標系のことです。Montyの学習モジュールは、それぞれが独自の参照フレームを持っていて、その中で物体の位置や向きを記録する。まるでCADモデルのような構造化された表現を作り上げるんです。
Phrona:CADモデルみたいな、ですか。なんだか機械的な感じがしますが、でも考えてみると、私たちも空間を認識するときって、何かしらの基準点を持っていますよね。この机に対してコップがどこにあるか、とか。
富良野:そうですね。ただ、Montyの場合は、その参照フレームが動的に更新されるんです。センサーが動くたびに、物体との相対位置が変わって、それが新しい学習のきっかけになる。
Phrona:動的に更新される、というのがポイントなんですね。静的な地図ではなく、常に書き換えられる地図というか。それって、私たちが歩きながら景色を理解していく感覚に近いかも。
富良野:まさに。そして、複数の学習モジュールが協力することで、一つのモジュールが見落としたことを他のモジュールが補完できる。論文では、これを投票アルゴリズムと呼んでいます。
Phrona:投票アルゴリズム。民主主義みたいですね。でも、そうすると、間違った答えに多数が投票してしまうリスクもあるんじゃないですか?
富良野:確かにそのリスクはあります。でも、Montyの場合は、モデルフリーとモデルベースの両方の政策を使い分けることで、そのリスクを軽減している。つまり、経験則で動く部分と、明確なルールに基づく部分を組み合わせているんです。
Phrona:なるほど。直感と論理の両方を使うということですね。これって、人間の思考プロセスにも当てはまりそう。
学習の効率性という問題
富良野:効率性の話でいうと、Montyのもう一つの特徴は、計算効率の良さです。現在の深層学習モデルが膨大な計算リソースを必要とするのに対して、Montyはずっと軽量で動作する。
Phrona:それは魅力的ですね。でも、なぜそんなに効率的なんでしょう?何かトレードオフがあるのかしら。
富良野:いくつか理由があります。まず、学習プロセスが連想的で、Hebbianライクだということ。つまり、大量のデータを一度に処理するのではなく、必要な時に必要な分だけ学習する。
Phrona:必要な時に必要な分だけ、ですか。それって、詰め込み式の勉強ではなく、体験を通じて自然に身につく学習みたいですね。
富良野:そうです。それから、モジュラーアーキテクチャも効率性に貢献しています。問題に応じて、必要な学習モジュールだけを動かせばいい。全体を一度に処理する必要がない。
Phrona:モジュラーアーキテクチャ。これって、脳の専門化とも関係していそうですね。視覚野とか聴覚野とか、それぞれが得意分野を持っているように。
富良野:まさにその通りです。そして、Cortical Messaging Protocolという共通の通信プロトコルを使うことで、異なるモジュール間での情報交換が可能になっている。これが、マルチモーダル統合を支えているんです。
Phrona:通信プロトコル。技術的には理解できるんですけど、でも、脳の中にそんな明確なプロトコルがあるのかしら?もっと曖昧で、ゆらぎのあるコミュニケーションをしているような気がするんですが。
富良野:いいかもしれませんね。実際、Montyの実装はまだ初期段階で、脳の複雑さを完全に再現しているわけではありません。でも、基本的な原理を技術的に実現するための第一歩としては、十分意味があると思います。
技術と哲学の境界
Phrona:このThousand-Brains理論を考えていると、知性とは何かという根本的な問いに突き当たりますよね。私たちの意識や理解って、本当に小さな専門家たちの投票の結果なんでしょうか?
富良野:哲学的には非常に興味深い問いですね。確かに、この理論は私たちの統一された意識体験をどう説明するかという問題を抱えています。何千もの皮質列が同時に動いているのに、なぜ私たちは一つの連続した体験を持つのか。
Phrona:そうそう、それです。私は今、一つの意識として富良野さんと話している感覚があるんですけど、実際には私の脳の中で何千もの小さな議論が同時進行しているということ?
富良野:理論的にはそうなります。でも、それが必ずしも私たちの主観的体験を否定するものではないと思うんです。むしろ、複雑なシステムから創発する統一された体験として理解できるかもしれません。
Phrona:創発、ですか。確かに、オーケストラも個々の楽器の集合体だけど、全体として一つの音楽を作り出しますもんね。でも、それでも気になるのは、このような機械的なモデルで、本当に意味や理解を扱えるのかということです。
富良野:それは、Montyの現在の限界でもありますね。YCBデータセットでの実験は物体認識に限定されていて、より抽象的な概念や言語的な理解については、まだ十分に検証されていません。
Phrona:言語や抽象概念。これらも感覚運動経験から生まれるものなのかしら。例えば、正義とか美しさとか、そういう概念も体の動きと関係があるんでしょうか。
富良野:興味深い視点ですね。認知言語学の分野では、抽象概念も身体的経験に基づいたメタファーから生まれるという議論があります。でも、Montyがそのレベルまで到達できるかどうかは、まだ未知数です。
Phrona:未知数、か。でも、それが逆に面白いところかもしれませんね。技術的な実験が、私たちの心や意識についての理解を深めてくれる可能性がある。
現実世界への応用可能性
富良野:実用的な観点から見ると、Montyのアプローチにはいくつかの魅力的な特徴があります。特に、継続学習という点で。現在のAIシステムの多くは、新しいタスクを学ぶと古いことを忘れてしまう破滅的忘却という問題を抱えていますが。
Phrona:破滅的忘却。なんだか劇的な名前ですね。でも確かに、人間は新しいことを学んでも、前に覚えたことを完全に忘れるわけではないですもんね。
富良野:そうです。Montyの場合、新しい学習モジュールを追加することで、既存の知識を保持しながら新しいタスクに対応できる。これは、実際のロボティクスや自動運転などの応用では非常に重要です。
Phrona:ロボティクス、ですか。確かに、ロボットが人間のように環境に適応していくためには、こういうアプローチが必要かもしれませんね。でも、一方で、コントロールの問題もありそうです。
富良野:コントロールの問題とは?
Phrona:つまり、システムがあまりにも自律的に学習していくと、開発者が意図しない方向に進んでしまうリスクがあるんじゃないかということです。特に、感覚運動学習が基本だとすると、環境によって大きく影響を受けそうですし。
富良野:確かに重要な点ですね。Montyの研究チームも、このプロジェクトをオープンソースにして、透明性を保とうとしています。MIT ライセンスで公開されているので、誰でもコードを検証できます。
Phrona:オープンソース。それは良いアプローチですね。でも、そうすると今度は、この技術がどのように発展していくかを誰がコントロールするのかという問題も出てきそうです。
富良野:そうですね。特に、NumentaやGates Foundationが関わっているということは、この研究が純粋に学術的なものではなく、実用化を念頭に置いていることの表れでもあります。
Phrona:Gates Foundation。確かに、この技術が教育や医療などの分野で応用される可能性もありますよね。でも、そうした応用を考える時に、技術的な効率性だけでなく、人間の価値観や文化的な多様性も考慮する必要がありそうです。
未来への展望
富良野:論文の結論部分を見ると、Montyはまだ初期段階の実装だと強調されています。でも、すでにいくつかの興味深い特性を示している。特に、物体の対称性の自然な検出や、形状による分類の得意さなど。
Phrona:対称性の検出、面白いですね。これって、美的感覚の基礎になるような能力かもしれません。人間も、対称的なものを美しいと感じる傾向がありますから。
富良野:そうですね。そして、今後の展開として期待されるのは、より複雑なタスクへの応用です。現在は3D物体認識に限定されていますが、将来的にはより抽象的な概念学習や、言語理解なども視野に入っているでしょう。
Phrona:言語理解。でも、言語って、物理的な感覚運動経験とはかなり違いますよね。どうやって橋渡しするんでしょう?
富良野:一つの可能性は、言語も一種の感覚運動活動として捉えることです。音を聞いて、口を動かして、手でジェスチャーをして。そうした身体的な側面から言語を理解していくアプローチもあるかもしれません。
Phrona:なるほど。確かに、赤ちゃんが言葉を覚える時も、最初は音や動きから始まりますもんね。でも、そうすると、このアプローチって、AIの民主化にもつながるかもしれませんね。
富良野:民主化ですか?
Phrona:つまり、現在のような巨大な計算リソースを必要とするのではなく、より小さなシステムでも知的な行動ができるようになれば、より多くの人がAI技術にアクセスできるようになる。そういう意味での民主化です。
富良野:確かに。論文でも、従来の深層学習と比較して、計算効率の良さが強調されています。これが実現すれば、AI技術の格差問題にも一定の解決策を提供できるかもしれません。
Phrona:でも、一方で、この技術が本当に普及した時の社会的な影響も考えておく必要がありますよね。より人間らしい知性を持ったAIが身近になった時、私たちの生活や価値観はどう変わるんでしょう。
富良野:それは本当に大きな問いですね。特に、感覚運動学習が基本だとすると、こうしたAIシステムは環境や文化によって大きく異なる発達をするかもしれません。
Phrona:そうそう、それです。画一的なAIではなく、多様性を持ったAIの時代になるかもしれない。それって、ある意味では希望的ですが、同時に新しい課題も生まれそうです。
ポイント整理
皮質列理論の技術的実装
Thousand-Brains理論は、Vernon Mountcastleの皮質列概念に基づき、脳の基本計算単位を模倣した学習モジュールの集合体としてAIシステムを構築する。従来の単一階層モデルとは根本的に異なるアプローチを採用している。
感覚運動学習の重要性
Montyシステムは静的なデータ処理ではなく、動的な感覚運動相互作用を通じて世界を理解する。これにより、より人間らしい学習プロセスを実現し、従来のAIの限界を克服しようとしている。
参照フレームによる構造化表現
各学習モジュールが独自の座標系(参照フレーム)を持ち、CADモデルのような構造化された物体表現を構築する。これにより、空間的な理解と運動制御が統合される。
投票メカニズムと協調学習
複数の学習モジュールが並行して物体認識を行い、投票アルゴリズムによって最終的な判断を下す。これにより、個々のモジュールの限界を集合知によって補完する。
計算効率性と継続学習
Hebbianライクな連想学習により、従来の深層学習と比較して計算効率が高く、破滅的忘却を避けながら継続的に新しいタスクを学習できる。
YCBデータセットでの実証
3D物体認識と姿勢推定タスクにおいて、物体の対称性の自然な検出や形状による分類において優れた性能を示し、理論の実用性を実証している。
オープンソース開発モデル
NumentaとGates Foundationによる資金提供のもと、MITライセンスでコードが公開され、研究コミュニティ全体での協力的な開発が推進されている。
従来AIとの根本的差異
一般的な深層学習がインターネット規模のデータから学習するのに対し、Montyは感覚運動相互作用を学習の基盤とし、体現された知性の実現を目指している。
将来的な拡張可能性
現在は3D物体認識に限定されているが、言語理解や抽象概念学習など、より複雑な認知タスクへの応用が期待されている。
社会的・哲学的含意
このアプローチは知性や意識の本質について新しい視点を提供し、AI技術の民主化や文化的多様性の尊重といった社会的課題にも影響を与える可能性がある。
キーワード解説
【Thousand-Brains理論】
脳の皮質列が並行して動作し、それぞれが完全な世界モデルを構築するという神経科学理論
【皮質列(cortical column)】
大脳新皮質の基本的な計算単位として機能する縦方向の神経細胞群
【Monty】
Vernon Mountcastleにちなんで名付けられた、Thousand-Brains理論の最初の実装システム
【感覚運動学習】
動作と感覚入力の相互作用を通じて世界を理解する学習パラダイム
【参照フレーム】
物体の位置や向きを表現するための座標系
【学習モジュール(Learning Module)】
皮質列を模倣した、独立して動作する計算単位
【投票アルゴリズム】
複数の学習モジュールの判断を統合して最終決定を行う仕組み
【Hebbianライクな学習】
神経可塑性に基づく連想学習メカニズム
【Cortical Messaging Protocol (CMP)】
システム内の異なるコンポーネント間で情報を交換するための通信規約
【YCBデータセット】
ロボット工学研究用の標準的な日用品物体のデータセット
【破滅的忘却】
新しいタスクを学習する際に既存の知識を失ってしまう現象
【モジュラーアーキテクチャ】
システムを独立した機能単位に分割した設計思想
【6D姿勢推定】
物体の3次元位置と3次元回転を同時に推定する技術
【マルチモーダル統合】
複数の感覚情報を統合して統一された理解を構築すること