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自閉症研究の「見えない部分」を照らす新データセットの意味

シリーズ: 知新察来


◆今回のピックアップ記事:"New Autism Data Reveals Insights Into Profound Cases" (Neuroscience News, 2025年6月20日)

  • 概要: サイモンズ財団自閉症研究イニシアチブ(SFARI)が、米国の6つの児童精神科病棟に入院した4〜20歳の1,500人以上の自閉症の子どもたちの表現型データと遺伝学的データを公開。重度支援ニーズ自閉症に焦点を当てた最大規模のデータセット。



自閉症の研究で長い間、ある一群の人たちの声が届きにくかった。重度の知的障害を伴い、言語によるコミュニケーションが困難で、日常生活に高度な支援を必要とする「profound autism(重度支援ニーズ自閉症)」と呼ばれる人たちだ。なぜなら、従来の研究の多くは外来通院が可能な比較的軽度の自閉症の人を対象としてきたからである。


しかし今回、アメリカの6つの児童精神科病棟に入院した1,500人以上の自閉症の子どもや青年の遺伝的・行動的データが公開された。この画期的なデータセットは、これまで研究から取り残されがちだった重度支援ニーズ自閉症の実態に光を当て、より的確な支援策の開発への道筋を示している。富良野とPhronaが、この研究が持つ意味について語り合った。




研究の空白地帯に光を当てる


富良野:今回のデータセット公開で興味深いのは、研究対象の選定基準ですね。入院患者に限定することで、これまで研究から漏れがちだった重度支援ニーズ自閉症の人たちのデータを集めている。


Phrona:そうですね。外来通院できる人と入院が必要な人では、支援のニーズがまったく違いますよね。でも考えてみると、なぜこれまでそういう人たちの研究が少なかったんでしょう?


富良野:研究の実用性の問題が大きいと思います。外来で研究に協力してもらうのと、入院中の重篤な状態の子どもたちから同意を得て長期間データを収集するのでは、難易度が桁違いですから。


Phrona:なるほど。つまり、研究しやすい人たちのデータばかり集まって、本当に支援が必要な人たちのことがよく分からないまま支援策が作られてきた、ということですか。


富良野:まさにそういうことです。これはバイアス、つまり偏りの問題ですね。医療や福祉の分野でよく起こる構造的な課題でもある。


「profound autism」という概念の登場


Phrona:記事に出てくる「profound autism」という言葉、最近提案された概念だって書いてありますが、これまではどう表現されていたんでしょう?


富良野:従来は「重度」「軽度」といった大雑把な分類や、知的障害の有無での区分が主でした。でもそれだと、支援のニーズの複雑さが見えてこない。


Phrona:「profound」って深い、根深いという意味ですよね。単に程度の問題ではなく、質的に異なる状態だということを表現しようとしているのかな。でも、ちょっと気になることがあって。


富良野:どんなことですか?


Phrona:現在の診断基準では、自閉症スペクトラムとIQって別軸で考えられているじゃないですか。それなのに「profound autism」では再び知的障害を中心的な基準にしているのが、なんだか理論的に後退している感じがして。


富良野:あー、確かにそれは鋭い指摘ですね。DSM-5では自閉症スペクトラム障害の診断に知的障害は必須条件じゃなくなったのに、この分類では知的障害や言語能力を主要な区分軸にしている。


Phrona:そうなんです。せっかく「自閉症は知的障害とは独立した特性」という理解が広まってきたのに、また混同を招くような分類を作ってしまっているような。


富良野:ただ、実用的な観点から見ると、研究や支援制度を考える際に、自閉症の特性による困難と知的障害による困難が重複している場合、必要な支援の内容や強度が大きく変わってくる。そういう実務的な要請があるのかもしれません。


Phrona:なるほど。理論と実践のジレンマみたいなものですね。でも「高支援ニーズ自閉症」みたいな表現の方が、概念的にはすっきりしそうですけどね。


富良野:そうですね。支援の必要度に焦点を当てた方が、理論的にも実用的にも適切かもしれない。「profound」という言葉選びには、きっとそういう概念整理の難しさが現れているんでしょう。


Phrona:言葉って大事ですよね。新しい概念に名前をつけることで、その人たちの存在や特別なニーズが可視化される一方で、概念の混乱も生んでしまう可能性がある。


データが語る複雑な現実


富良野:今回のデータセットの特徴は、行動、コミュニケーション、感情調節、認知機能、睡眠、親のストレスまで、多面的な情報を収集している点です。


Phrona:親のストレスまで調べるんですね。家族全体の状況を見ないと、その子の支援の全体像が見えてこないということでしょうか。


富良野:そうだと思います。重篤な自閉症の場合、家族のケア負担は相当なものになる。親の疲弊は子どもの状態にも影響するし、持続可能な支援体制を考える上で欠かせない視点です。


Phrona:それに、攻撃性や自傷行為への対応が研究の目標として明記されているのも印象的です。これまでの研究では、そういう「困った行動」にどう向き合っていたんでしょう?


富良野:おそらく対症療法的な対応が中心だったんじゃないでしょうか。根本的なメカニズムが分からないまま、とりあえず症状を抑えるような。


Phrona:でも、攻撃性や自傷って、その人なりのコミュニケーションの表現かもしれないですよね。言葉で伝えられない何かを、別の方法で表現している可能性もある。


遺伝子データが明かす可能性


富良野:今回は全エクソーム解析、つまり遺伝子の中でもタンパク質を作る部分の網羅的な解析も行われています。親子3人分のDNAを調べることで、遺伝的な要因をより精密に分析できる。


Phrona:遺伝子研究って、ともすると「原因探し」に偏りがちだと思うんですが、今回は治療や支援の開発に活かそうという姿勢が感じられますね。


富良野:そうですね。遺伝的な背景が分かれば、その人に最適化された治療アプローチを開発できる可能性がある。個別化医療の考え方ですね。


Phrona:でも一方で、遺伝子情報って扱いが難しい面もありますよね。差別につながったり、その人の可能性を限定的に捉えられたりするリスクも。


富良野:確かに。遺伝子情報は「決定論」に陥りやすい。でも重要なのは、遺伝子は設計図であって、実際の表現は環境との相互作用で決まるということです。


研究の民主化への一歩


Phrona:このデータが承認された研究者に公開されるって書いてありますが、これまでこういうデータにアクセスできる人って限られていたんでしょうね。


富良野:大学や研究機関の格差、資金力の差が研究の質や量に直結していた面はあると思います。共有データベースの存在は、研究の民主化とも言える。


Phrona:世界中の研究者がこのデータを使って、それぞれの専門性や視点から分析できるわけですね。きっと思いもよらない発見があるんじゃないでしょうか。


富良野:そうですね。一つの研究チームでは気づけない角度からの洞察が生まれる可能性がある。特に、重度支援ニーズ自閉症の研究はまだ未開拓な部分が多いですから。


Phrona:10年間かけて収集されたデータだそうですが、研究って本当に時間がかかるものなんですね。でも、そうやって丁寧に積み重ねてきたものだからこそ、価値があるんでしょうね。


支援の未来図


富良野:この研究の最終的な目標は、攻撃性や自傷行為、感情調節の困難さに対する、より的確な介入方法の開発です。これは当事者にとっても家族にとっても切実な課題ですね。


Phrona:ただ、「問題行動」を抑制することだけが目標ではないと思うんです。その人らしい表現や、その人なりの世界の捉え方を理解することも大切じゃないでしょうか。


富良野:確かに。支援って、その人の困りごとを減らすと同時に、その人の可能性を広げることでもある。バランスが難しいところですが。


Phrona:重度支援ニーズ自閉症の人たちの世界がどんなふうに見えているのか、どんなことに喜びを感じているのか、そういうことも含めて理解が深まっていくといいですね。


富良野:今回のデータセットは、そうした包括的な理解への第一歩かもしれません。研究が進めば、支援する側の視点だけでなく、当事者の視点に立った支援策も見えてくるかもしれない。


社会を変える力としてのデータ


Phrona:ところで、この研究って学術的な意味だけじゃなくて、実社会にも大きな影響を与えそうですよね。


富良野:そうですね。実際、アメリカでは今年、自閉症研究への連邦予算として5年間で約20億ドルが承認されました。こうしたデータがあることで、政策立案者も「なんとなく」ではなく、具体的な根拠に基づいて制度設計ができるようになる。


Phrona:エビデンスベースの政策決定ということですね。でも、データが政治的に利用されるリスクもありませんか?


富良野:その通りです。アメリカの研究を見ると、自閉症関連の保険適用の「寛大さ」が州の政治的傾向に左右されているという報告もある。リベラルな州ほど手厚い支援をする傾向があるらしい。


Phrona:うーん、本来なら政治的立場に関係なく、必要な人に必要な支援が届くべきなのに。データがあることで、そういう格差がより見えやすくなるのは良いことかもしれないですね。


富良野:そう、可視化の力は大きいと思います。これまで研究予算の9%程度しかサービス研究に使われていなかったのが、重度支援ニーズ自閉症の実態が明らかになることで配分の見直しが進む可能性もある。


Phrona:医療現場でも変化が起こりそうですね。家族の方が「医師が自閉症を理解していない」と困っているという話、よく聞きますし。


富良野:遺伝子データと行動データが組み合わされることで、医療従事者向けの教育プログラムも充実するかもしれません。個別化医療の考え方が浸透すれば、一人ひとりに最適化されたアプローチも可能になる。


Phrona:でも一方で、遺伝子情報って扱いが難しい面もありますよね。「この子は遺伝子的に○○だから」という決めつけにつながったり。


富良野:確かに。遺伝子決定論に陥らないよう注意が必要ですね。遺伝子は設計図であって、実際の表現は環境との相互作用で決まる。データの解釈には慎重さが求められます。


Phrona:長い目で見ると、社会全体の自閉症理解も変わっていくかもしれませんね。これまで「軽度寄り」だった理解が、全スペクトラムをカバーするような包括的なものになって。


富良野:住宅政策や福祉制度の見直しも進むかもしれません。適切な住居確保やケアスタッフ不足といった具体的な課題が数字として示されることで、政策の優先順位も変わってくる可能性がある。


Phrona:結局、この研究の一番の価値は、これまで「見えなかった」人たちを「見える」ようにしたことかもしれませんね。


富良野:そうですね。10年間かけて丁寧に収集されたデータだからこそ、社会を変える力を持っている。研究の民主化という意味でも、世界中の研究者がこのデータにアクセスできることで、思いもよらない発見や支援策が生まれる可能性がある。




ポイント整理


  • 研究の空白を埋める

    • これまで研究から除外されがちだった重篤な自閉症(profound autism)の大規模データセットが初めて公開された

  • 多面的なデータ収集

    • 行動、認知、感情調節、睡眠、親のストレスなど、生活の様々な側面を包括的に調査

  • 遺伝子解析の活用

    • 全エクソーム解析により、個別化された治療アプローチの開発可能性を探る

  • 研究の民主化

    • データの公開により、世界中の研究者が多角的な分析を行える環境が整備

  • 実用的な支援開発

    • 攻撃性や自傷行為などの具体的な課題に対する、より効果的な介入方法の開発を目指す

  • 10年間の蓄積

    • 長期間にわたる丁寧なデータ収集により、信頼性の高い研究基盤を構築



キーワード解説


Profound autism(重度支援ニーズ自閉症)】

知的障害または最小限の言語能力を特徴とし、高度な監督と支援を必要とする自閉症


【全エクソーム解析】

遺伝子の中でタンパク質をコードする部分を網羅的に調べる遺伝子解析手法


【表現型データ】

遺伝子の発現として現れる、観察可能な特徴や症状に関するデータ


【サイモンズ財団】

自閉症研究の推進を目的とした非営利財団


【個別化医療】

個人の遺伝的背景や特性に基づいて、最適化された治療を提供する医療アプローチ



本稿は近日中にnoteにも掲載予定です。
ご関心を持っていただけましたら、note上でご感想などお聞かせいただけると幸いです。
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