虚構を共有する動物の未来──『サピエンス全史』を2025年に読み直す
- Seo Seungchul
- 6月26日
- 読了時間: 10分
更新日:3 日前

シリーズ: 書架逍遥
◆今回の書籍:Yuval Noah Harari 『Sapiens: A Brief History of Humankind』(2015年)
邦題:『サピエンス全史』
ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』が世界的ベストセラーになってから10年余り。この本が描いた人類史の大きな物語は、今も多くの人に影響を与え続けています。認知革命、農業革命、そして科学革命という三つの転換点を軸に、なぜホモ・サピエンスが地球の支配者となったのかを解き明かすハラリの筆致は、まさに知的冒険そのものでした。
でも2025年の今、この本を読み返すと、新たな問いが浮かび上がってきます。生成AIが日々新しい物語を紡ぎ出し、ブロックチェーンが貨幣の概念を書き換え、気候危機が人類の存続を脅かす時代。ハラリが示した洞察は、むしろ今こそ切実な意味を持ち始めているのではないでしょうか。
富良野とPhronaが、この現代的な文脈から『サピエンス全史』を読み解きます。彼らの対話を通じて、10年前には見えなかった新しい地平が開けてくるかもしれません。特に注目したいのは、人類が作り出してきた「想像上の秩序」が、テクノロジーによってどう変容していくのか、という視点です。
生成AIが物語を量産する時代に
富良野:最近、ハラリの『サピエンス全史』を読み返してみたんですけど、10年前に読んだ時とはまた違う印象を受けましたね。特に、人類の強みは「虚構を共有する能力」だという第2章の議論が、今の時代にすごく響くというか。
Phrona:ああ、認知革命の話ですね。7万年前に言語能力が飛躍的に発達して、存在しないものについて語れるようになった。神話とか、国家とか、お金とか……そういう想像上の存在を皆で信じることで、大規模な協力が可能になったという。
富良野:そうそう。で、2025年の今って、生成AIがどんどん新しい物語を作り出してるじゃないですか。ChatGPTに小説を書かせたり、画像生成AIでファンタジーの世界観を構築したり。人間だけが持っていたはずの「虚構を作る能力」を、機械も持ち始めてる。
Phrona:面白い視点ですが、ちょっと違うような気もします。AIが作る物語って、結局は人間が作った膨大なテキストデータから学習したパターンの組み合わせでしょう? 本当の意味での「創造」とは違うんじゃないかな。
富良野:確かにそうかもしれない。でも問題は、その区別が曖昧になってきてることなんですよ。たとえば、ある企業のブランドストーリーがAIによって生成されたものだとして、それを信じて商品を買う消費者にとっては、人間が作った物語と何が違うんでしょう?
Phrona:うーん、そこは難しいところですね。ハラリの言う「共同幻想」の力って、みんなが信じてることに価値があるわけで、誰が作ったかは本質的じゃないのかも。
富良野:そうなんです。むしろAIの方が、人間の認知バイアスとか好みを学習して、より「信じやすい」物語を効率的に生産できるかもしれない。これって、認知革命の第二段階みたいなものじゃないですか?
大量絶滅の歴史と気候危機の現在
Phrona:話は変わりますけど、第4章の「大洪水」の章も、改めてゾッとしますよね。人類が新しい大陸に進出するたびに、その土地の大型動物が絶滅していく。オーストラリアの有袋類とか、アメリカ大陸のマンモスとか。人類って、農業革命の前から既に「環境シリアルキラー」だったって話。
富良野:そう。で、2024年が観測史上最も暑い年になったじゃないですか。パリ協定から10年近く経って、各国がネットゼロを掲げてるのに、状況は悪化する一方。僕たちは今まさに、地球規模の「大洪水」を引き起こしてるんじゃないかって。
Phrona:確かに、スケールが違うだけで、やってることは同じかもしれない。ただ、大きな違いは、今の私たちには科学があって、何が起きてるか理解できてるってことよね。
富良野:理解はしてるんですけどね……。問題は、理解と行動のギャップがあまりにも大きいこと。これって、ハラリが言う「想像上の秩序」の限界なのかもしれない。気候変動って、あまりにも大きくて抽象的で、日常生活の中で実感しにくい。
Phrona:そうね。国家とか貨幣みたいに、目に見える形で共有できる物語じゃないから。でも最近は、異常気象とか山火事とか、目に見える形で現れ始めてる。
富良野:皮肉なことに、被害が目に見えるようになって初めて、みんなが同じ物語を共有できるようになるのかもしれませんね。でもその時には、もう手遅れかもしれない。
帝国の形を変えた覇権争い
Phrona:あと、第11章の帝国の話も、今の国際情勢を考えると興味深いです。ハラリは帝国を人類統一の原動力の一つとして描いてたけど。
富良野:そうですね。でも2020年代に入って、世界は再び分断の方向に向かってる気がします。米中対立とか、ロシアのウクライナ侵攻とか。
Phrona:ただ、今の覇権争いって、領土じゃなくて技術とか情報の支配を巡ってる感じがしません? 半導体とか、AIとか、データとか。
富良野:鋭い指摘ですね。昔の帝国は物理的な領土を支配したけど、今の帝国は情報空間とかサプライチェーンを支配しようとしてる。
Phrona:そう考えると、帝国の形は変わっても、本質は変わってないのかも。結局は、より大きな秩序に人々を統合しようとする力なんですよね。
富良野:面白いのは、ハラリが言ってた帝国の二面性、つまり暴力的な征服と文明の伝播っていう両面が、今も続いてることですよ。アメリカのビッグテックは世界中にサービスを広げてるけど、それは同時に文化的な支配でもある。
豊かさと幸福のパラドックス
Phrona:第19章の幸福についての議論も、今の時代にぴったりだと思うんです。物質的には豊かになったのに、人々は必ずしも幸せになってない。
富良野:ああ、それは本当にそうですね。特にコロナ以降、メンタルヘルスの問題が世界中で深刻化してる。SNSで他人と比較して落ち込んだり、リモートワークで孤立感を感じたり。
Phrona:ハラリは、幸福感は期待値とのギャップで決まるって言ってましたよね。現代人は確かに中世の農民より豊かだけど、その分期待も大きくなってるから、結局満足できない。
富良野:それで思い出したんですけど、最近いろんな国でウェルビーイング指標を政策に取り入れ始めてますよね。GDPだけじゃなくて、国民の幸福度も測ろうって。
Phrona:ブータンの国民総幸福量みたいな?
富良野:そうそう。でも難しいのは、幸福って主観的なものだから、どう測るかって問題があるんですよ。ハラリも言ってたけど、結局は脳内の化学物質のバランスなのか、それとも人生の意味とか充実感なのか。
Phrona:私は、幸福って関係性の中にあると思うんです。誰かとつながってる感覚とか、自分が必要とされてる感覚とか。でも現代社会って、そういう関係性がどんどん希薄になってる気がして。
富良野:確かに。産業革命以降、家族とか地域共同体が解体されて、個人が市場と国家に直接つながる社会になった。自由は増えたけど、孤独も増えたんですよね。
ホモ・サピエンスの次に来るもの
富良野:最終章の話が一番衝撃的でしたよ。ホモ・サピエンスの時代が終わるかもしれないって。
Phrona:遺伝子工学とか、サイボーグ技術とか、AIとか。人類は自分自身を作り変える力を手に入れつつあるって話でしたね。
富良野:2025年の今、その予言がどんどん現実味を帯びてきてますよね。遺伝子治療は実用段階に入ってるし、ニューラルインターフェースの実験も進んでる。
Phrona:でも、そこで問題になるのは、誰がその技術にアクセスできるかってことよね。お金持ちだけが遺伝子を改良できて、長生きできて、能力を強化できるとしたら……。
富良野:新しい階級社会の誕生ですよね。それも、これまでみたいに想像上の差別じゃなくて、生物学的な差別になるかもしれない。
Phrona:怖いのは、一度そういう改造が始まったら、もう後戻りできないってこと。みんなが競争に巻き込まれて、改造しないと取り残される社会になるかも。
富良野:ハラリが最後に投げかけた問い、「目的を見失った不満だらけの神々」って表現が印象的でした。僕たちは何でもできるようになりつつあるけど、何をすべきかは分かってない。
Phrona:ああ、それで思い出した! エドワード・O・ウィルソンの有名な言葉があるじゃないですか。「人類の真の問題は、旧石器時代の感情と、中世の制度と、神のような技術を持っていることだ」って。
富良野:まさにそれですよ! ハラリの「不満だらけの神々」とぴったり重なる。技術は神レベルまで進化したのに、感情は狩猟採集民の頃から変わってない。そして社会制度は……まあ、中世よりはマシかもしれないけど(笑)
Phrona:でも本質的には変わってないかも。国家とか、階級とか、戦争とか。形を変えただけで、基本的な構造は中世から引きずってる部分が多い。
富良野:そう考えると、僕たちの苦悩の根源が見えてきますね。神のような力を持ちながら、それを制御する感情も制度も、全然追いついてない。
Phrona:でも、この三つの中で、実際に変えられるのは制度だけかもしれませんね。感情は生物として根本的なところだから、そう簡単には変わらない。
富良野:技術の方はどうですか? 規制とか禁止とか……
Phrona:うーん、でもそれって結局、圧政とか情報統制になりがちじゃない? 中国のネット規制みたいに。それはそれで別の問題を生む。
富良野:確かに。技術の発展を力で抑え込もうとすると、自由とイノベーションを犠牲にすることになる。それは受け入れがたい。
Phrona:だからこそ、制度設計が重要になってくるんですよね。旧石器時代の感情と神のような技術の間を、うまく調整できる制度を作らないと。
富良野:そう! 僕が分散型の制度とかDAOに興味を持ってるのも、まさにそこなんです。中世的な中央集権じゃなくて、21世紀の技術に見合った新しい制度の形があるはずだって。
制度こそが変革の鍵
富良野:そう! 僕が分散型の制度とかDAOに興味を持ってるのも、まさにそこなんです。中世的な中央集権じゃなくて、21世紀の技術に見合った新しい制度の形があるはずだって。
Phrona:なるほど。感情は変えられない、技術を抑圧するのは危険、だから制度で調整するしかない、と。
富良野:ハラリも言ってましたよね。人類は想像上の秩序、つまり制度を作ることで大規模な協力を可能にしてきた。だったら、新しい想像上の秩序を作ればいい。
Phrona:でも難しいのは、制度って一度できあがると、それ自体が既得権益を生んで、変えにくくなることよね。
富良野:そこなんですよ。だから最初から変化を前提とした、アップデート可能な制度設計が必要なんです。ブロックチェーンのガバナンストークンとか、オンチェーン投票とか、そういう仕組みを使えば……
Phrona:ちょっと待って。それって結局、技術で制度を作ろうとしてません? 技術に頼りすぎると、また別の問題が生まれそうな気が。
富良野:確かに、おっしゃる通りです。技術はツールであって、それ自体が答えじゃないですもんね。大事なのは、どんな価値観でどんな社会を作りたいか、ですよね。
Phrona:そう。制度設計の前に、まず私たちがどんな物語を共有したいのか。それこそ、ハラリが言う「想像上の秩序」の本質よね。
ポイント整理
虚構の共有能力とAI時代
人類最大の武器だった「物語を作り信じる力」を、今やAIも模倣し始めている。これは認知革命の第二段階か、それとも人類の独自性の喪失か
貨幣からトークンへの進化
信用の根拠が中央権威からアルゴリズムへ移行しつつある。分散化は信頼をより強固にするのか、それとも新たなリスクを生むのか
環境破壊の連続性
メガファウナ絶滅から気候危機まで、人類は一貫して「環境シリアルキラー」だった。科学的理解は行動変容につながるのか
豊かさと幸福の乖離
物質的繁栄は必ずしも幸福をもたらさない。ウェルビーイング指標は新たな社会目標となりうるか
帝国の新しい形
領土支配から情報・技術支配へ。グローバル化と分断化が同時進行する21世紀の覇権とは
ポストヒューマンへの岐路
遺伝子工学やAIによる人類の自己改造は、新たな進化か、それとも種の終焉か。倫理的制度設計は可能か
キーワード解説
【認知革命】
約7万年前、言語能力の飛躍により「存在しないもの」を語れるようになった変化
【想像上の秩序】
国家、貨幣、宗教など、人々が共有する虚構によって成立する社会制度
【インターサブジェクティブ(間主観的)】
多数の主観に共有されることで客観的実在のように機能する現象
【農業革命のパラドックス】
食料生産は増えたが個人の生活の質は低下した歴史的転換
【科学革命の本質】
「無知の発見」、つまり知らないことを認める態度の確立
【資本主義という信仰】
未来の成長を前提とした信用創造システム
【ホモ・デウス】
ハラリが示唆する、神のような力を持つに至った(至る)人類の姿