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隣国の見えない涙 ──『The Beloved Daughter』が描く北朝鮮の現実

更新日:6月28日

 シリーズ: 書架逍遥


◆今回の書籍:『The Beloved Daughter』
  • 著者:Alana Terry

  • 出版年:2013年

  • 受賞歴:Grace Awards最優秀賞、Readers' Favorite金賞など多数


私たちの隣国である北朝鮮。ニュースでは核開発や独裁体制の話題ばかりが伝えられますが、その国境の向こうで、普通の人々がどんな日常を生きているか、想像したことはありますか。


アラナ・テリーの小説『The Beloved Daughter』は、12歳の少女チュンチャの目を通して、北朝鮮で信仰を持つことの代償を描いた作品です。父親がキリスト教徒であるという理由だけで、ある日突然、家族ごと政治犯収容所に連行される―そんな現実が、21世紀の今も存在しています。


富良野とPhronaの二人が、この小説を通じて見えてくる北朝鮮の人々の姿について語り合いました。極限状況下で人間性を保つとはどういうことか、信仰とは何なのか、そして私たちは隣人の苦しみにどう向き合うことができるのか。二人の対話から、重い問いかけが浮かび上がってきます。



見えない隣人たちの物語


富良野:Phronaさん、この『The Beloved Daughter』という小説、読まれましたか。北朝鮮を舞台にした作品なんですけど、正直、読むのがきつかったです。


Phrona:ええ、私も読みました。12歳の女の子が主人公でしたよね。チュンチャという名前の。彼女の視点で描かれているからこそ、余計に胸に迫るものがありました。


富良野:そうなんですよ。北朝鮮っていうと、どうしても政治体制とか核問題とか、そういう大きな話になりがちじゃないですか。でもこの小説は、一人の少女の日常から始まるんです。


Phrona:そうそう、普通の村の、普通の家族の話から始まるんですよね。お父さんがキリスト教徒だということ以外は、本当にどこにでもいそうな家族で。


富良野:それが一夜にして崩壊するわけです。信仰を持っているというだけで、家族全員が収容所送りになる。これ、フィクションだけど、実際に起きていることなんですよね。


Phrona:連座制っていうんでしたっけ。本人だけじゃなくて、家族も巻き込まれる。小説の中では12歳の少女が連行されますけど、実際には2歳の子どもが収容所に送られた例もあるって書いてありました。


富良野:2歳ですか…。そんな小さな子に何の罪があるっていうんでしょう。


Phrona:罪なんてないですよ。でも、体制にとっては、信仰を持つこと自体が反逆なんでしょうね。唯一許されるのは指導者への崇拝だけ。それ以外の信仰は、存在そのものが脅威とみなされる。


極限状況での人間性


富良野:収容所での描写がまた凄まじくて。飢餓、暴力、裏切り…。読んでいて、本当にこんなことが21世紀に起きているのかって、信じられない気持ちになりました。


Phrona:でも、そういう極限状況だからこそ、人間の本質が見えてくるところもありますよね。主人公のチュンチャは、信仰を捨てる誘惑に何度も直面する。


富良野:母親が信仰を否定する場面とか、本当に辛かったです。家族を守るために信仰を捨てざるを得ない。これって、究極の選択ですよね。


Phrona:そう、選択なんですよね。でも本当に選択と言えるのかしら。生きるか死ぬか、家族を守るか信仰を守るか。そんな二者択一を迫られること自体が、人間性への冒涜じゃないかって思うんです。


富良野:確かに。でも興味深いのは、そんな状況でも完全に人間性を失わない人たちがいるってことです。小説の中で、老女との出会いが転機になるじゃないですか。


Phrona:ああ、あの場面は印象的でした。絶望的な状況の中でも、誰かが誰かを思いやる。小さな親切が、人間性を繋ぎ止める最後の糸になる。


富良野:そういえば、読者の感想を見ていて気づいたんですけど、この小説、評価が真っ二つに分かれるんですよ。


Phrona:どういう風に?


富良野:絶賛する人は、北朝鮮の現実を臆することなく描いた勇気を評価している。一方で、批判的な人は、あまりにもキリスト教的な対話が多すぎるって言うんです。


Phrona:なるほど。確かに、信仰の話が中心になりすぎて、物語としての自然さが失われているという指摘もありましたね。でも私は、それも含めて、この小説の意味があると思うんです。


信仰という名の抵抗


富良野:どういうことですか?


Phrona:つまり、北朝鮮で信仰を持つということは、単に個人的な信念の問題じゃないんですよ。それ自体が、体制への抵抗になってしまう。だから、小説の中で信仰の話が繰り返されるのも、ある意味で必然なんじゃないかって。


富良野:ああ、なるほど。信仰を語ること自体が、彼らにとっては存在の証明みたいなものなんですね。


Phrona:そう思います。私たちにとっては当たり前の、何を信じるかという自由。それが完全に奪われた世界で、なお信じ続けるということの重み。


富良野:著者のアラナ・テリーは、実際に脱北者支援のNGOにも関わっているそうですね。小説の印税の一部も寄付に回しているとか。


Phrona:物語を書くだけじゃなくて、実際の行動にも繋げているんですね。でも、そこがまた難しいところでもあって…。


富良野:というと?


Phrona:小説って、どこまで現実を描けばいいのかしら。あまりにも悲惨すぎると、読者は目を背けてしまうかもしれない。でも、和らげてしまったら、現実の重みが伝わらない。


富良野:確かにそのバランスは難しいですね。この小説も、読むのが辛いという感想がたくさんありました。でも同時に、だからこそ読む価値があるという声も多かった。


私たちに問われているもの


Phrona:結局、この小説が私たちに問いかけているのは、隣人の苦しみにどう向き合うかということなんじゃないでしょうか。


富良野:隣人、ですか。でも北朝鮮って、物理的には近いけど、心理的にはすごく遠い存在のような気がします。


Phrona:だからこそ、チュンチャという一人の少女の物語が重要なのかもしれません。統計や数字じゃなくて、一人の人間の痛みとして描かれることで、初めて実感できることがある。


富良野:5万から7万人のキリスト教徒が収容所にいるって推計もありましたね。でも、その一人一人に、チュンチャのような物語があるわけです。


Phrona:そう考えると、気が遠くなりますね。でも、知ることから始めないと、何も変わらない。


富良野:ただ、知ったところで、僕たちに何ができるんだろうって思うこともあります。


Phrona:それは私も同じです。でも、無関心でいることと、無力を感じながらも関心を持ち続けることは、全然違うと思うんです。


富良野:確かに。少なくとも、北朝鮮の人々も僕たちと同じ人間だってことを、忘れないでいることはできますね。


Phrona:ええ。同じように家族を愛し、同じように苦しみ、同じように希望を求めている。そのことを心に留めておくだけでも、何かが変わるかもしれない。



ポイント整理

  • 北朝鮮では信仰を理由に家族全員が政治犯収容所に送られる「連座制」が実在し、推計5万~7万人のキリスト教徒が収監されている

  • 12歳の少女の視点から描くことで、政治的な問題を人間的な物語として提示している

  • 極限状況下でも完全に失われない人間性と、小さな親切が持つ意味を描写

  • 信仰を持つこと自体が体制への抵抗となる社会で、信仰を守ることの重さを表現

  • 著者は実際の脱北者支援活動にも関わり、フィクションと現実の行動を結びつけている


キーワード解説

【22号収容所】

北朝鮮の政治犯収容所の一つ


【連座制

本人だけでなく家族も処罰の対象となる制度


【地下教会】

公に活動できない秘密の教会組織


【Liberty in North Korea (LiNK)】

脱北者支援を行うNGO


【信教の自由】

信仰を持つ基本的人権


本稿は近日中にnoteにも掲載予定です。
ご関心を持っていただけましたら、note上でご感想などお聞かせいただけると幸いです。
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