AIエージェントのコスト削減ジレンマ──性能を保ちながら28%の効率化を実現
- Seo Seungchul

- 10月27日
- 読了時間: 10分

シリーズ: 論文渉猟
◆今回の論文:Wangchunshu Zhou et al. "Efficient Agents: Building Effective Agents While Reducing Cost" (arXiv, 2025年7月24日)
概要:大規模言語モデル駆動のエージェントシステムにおける効率性と有効性のトレードオフを初めて体系的に分析し、性能を維持しながらコストを大幅に削減するEfficient Agentsフレームワークを提案した研究論文
ChatGPTやClaude、そして話題のDeepSeekなど、AIの進化が著しいこの時代。でも実用的なAIエージェントを作ろうと思うと、性能は上がるけれど運用コストが爆発的に増えて、経済的に持続可能じゃないという壁にぶつかります。例えば、複雑な作業を自動化するエージェントシステムでは、1つのタスクに数百回のAPI呼び出しが必要になることも珍しくありません。まるで、高性能なスポーツカーを買ったのに燃費が悪すぎて日常使いできない、そんな状況です。
この記事では、新たな研究論文「Efficient Agents」から、AIエージェントの効率性と有効性のトレードオフを初めて体系的に調査した知見をお届けします。富良野とPhronaの対話を通じて、現実のAI活用で直面するコストと性能のバランスについて考えていきます。性能をほとんど落とすことなく、大幅なコスト削減を実現できる道筋が見えてきました。
現実と理想のギャップ - なぜAIエージェントはこんなに高コストなのか
富良野: この論文を読んでいて、すごく共感する部分がありました。AIエージェントって、確かに複雑なタスクができるようになったんだけど、運用コストが現実的じゃないレベルまで上がってしまってる。
Phrona: 私も同じことを感じています。技術的には素晴らしいことができるようになったのに、いざ実用化しようとすると経済的な制約で諦めなきゃいけない。なんだか皮肉ですよね。
富良野: 論文では、DeepResearchやManusのような最先端のエージェント製品を例に挙げてるんですが、これらは確かに印象的な能力を示しているものの、1つのタスクに数百回のAPI呼び出しが必要で、運用コストが法外になってしまう、と。
Phrona: 数百回のAPI呼び出しですか。想像するだけでも恐ろしいですね(笑)。でも、そうなってしまう構造的な理由があるはずですよね。単に設計が悪いというわけではなくて。
富良野: そうそう。研究の歴史を振り返ってみると、自然言語処理の分野でも同じパターンが繰り返されているんです。まずBERTからChatGPTへと、研究者たちは一貫してモデルをスケールアップすることで革新的な能力を追求してきた。効率性やコスト、環境への影響を最適化するのは後回しになりがちです。
Phrona: なるほど、そういう流れがあるんですね。まずは「できること」を最大化して、「効率的にやること」は二の次になってしまう。
富良野: まさにそういうことです。そして今、エージェント研究も同じような変曲点に来ているんじゃないかと論文では指摘している。技術的な可能性を追求する段階から、実用性と持続可能性を考慮する段階へと移行する時期に差し掛かっているということですね。
アーキテクチャの解剖 - どこにお金がかかるのか
Phrona: で、具体的にはどの部分がコストを押し上げているんでしょうか。なんとなく全体的に重いという印象しかなくて。
富良野: それがこの研究の面白いところで、エージェントシステムを構成要素ごとに分解して、それぞれがコストと性能にどう影響するかを調べているんです。バックボーンのLLM、プランニング、ツール使用、メモリ、そしてテスト時のスケーリング戦略といった要素に分けて。
Phrona: システマティックですね。バックボーンのLLMから見ていくと、どんな傾向が見えるんですか?
富良野: 興味深い結果が出てます。例えば、Claude 3.7 SonnetはGAIAベンチマークで最高の精度61.82%を達成したんですが、cost-of-passという指標で見ると、GPT-4.1の0.98に対して3.54と、効率性で大きく劣っている。
Phrona: cost-of-passって何ですか?聞き慣れない指標ですね。
富良野: 簡単に言うと、正解を1つ得るのに期待されるコストのことです。推論1回あたりのコストを成功率で割った値。つまり、「正しい答えを得るためにいくら払わなければならないか」を表している指標ですね。
Phrona: なるほど、実用的な観点ではとても重要な指標ですね。高性能でも、正答を得るのに毎回高いコストがかかるなら、実際の運用では使いにくい。
富良野: そのとおりです。そして面白いことに、スパースなMoEモデル、例えばQwen3-30B-A3Bなんかは、精度は17.58%と低いものの、cost-of-passは0.13と驚異的に効率的なんです。
Phrona: そういう選択肢もあるということですね。用途によっては、そこそこの精度で十分効率的なモデルの方が実用的かもしれない。
プランニングとツール使用の効率性
富良野: プランニングの部分も興味深い結果が出てます。最大ステップ数を4から8に増やすと、精度が58.49%から69.81%に大幅向上するんですが、同時にcost-of-passも0.48から0.70に上昇してしまう。
Phrona: ある閾値を超えると、コストの増加の方が目立つようになる感じでしょうか。
富良野: その通りです。8ステップを超えてさらに増やしても、性能向上は頭打ちになるのに、コストは増え続ける。効率性の観点では、適切な上限を設定することが重要だということがわかります。
Phrona: ツール使用の方はどうなんでしょう。ウェブブラウジングとか、確かにコストが高そうですけど。
富良野: ブラウジングについては、むしろ意外な結果が出ました。検索ソースの数を増やすと、効率性と有効性の両方が改善されるんです。cost-of-passが1.32から0.81に下がって、同時に精度も53.33%から59.39%に向上している。
Phrona: それは意外ですね。普通に考えると、検索範囲が広がればコストも上がりそうなのに。
富良野: 論文の解釈では、より幅広いクエリセットによって、関連性が高く有益な結果を取得できるようになるからだとしています。つまり、量より質の改善効果の方が大きいということでしょうね。
Phrona: なるほど。でも、ウェブページの処理方法はどうなんでしょうか。高度な操作をすればするほど良くなるような気もしますが。
富良野: これもまた意外で、静的要素の取得や基本的な処理の方が、ページアップ・ページダウンのような高度な操作よりも効率性と有効性の両面で優れているという結果が出ています。
Phrona: 複雑にすればいいというものではないんですね。シンプルな処理戦略でも十分なパフォーマンスが得られて、しかもコストを抑えられる。
メモリ設計の意外な発見
Phrona: メモリ部分の結果も気になります。直感的には、より多くの情報を保持したり、高度な要約機能があったりする方が良さそうですけど。
富良野: ここでも予想外の結果が出てるんです。6つのメモリ設計を比較したところ、最もシンプルなメモリ設計、つまりエージェントの観察と行動のみを保持する方式が最良の結果を出した。
Phrona: シンプルイズベストということですか。
富良野: そうですね。精度が53.33%から56.36%に向上し、同時にcost-of-passも0.98から0.74に改善している。一方で、要約機能付きのメモリは最もトークン消費量が多く、計算コストも最高になってしまった。
Phrona: なぜそうなるんでしょうね。要約って効率化のためにあるはずなのに。
富良野: 論文では、要約機能が過去の軌跡を正確にまとめられず、モデルがタスクを解決するために追加の試行を必要とすることが原因だと考察しています。うまく要約できないなら、むしろノイズになってしまうということでしょうね。
Phrona: 興味深いですね。人間も、情報を整理しようとして逆に混乱することがありますから、AIも似たような問題を抱えているのかもしれません。
実践的解決策 - Efficient Agentsの提案
富良野: これらの分析結果を踏まえて、論文ではEfficient Agentsという新しいフレームワークを提案しています。各コンポーネントで、大幅な性能低下を招かない範囲で最もcost-of-passが低い設定を採用するという考え方です。
Phrona: 具体的にはどんな設定になるんですか?
富良野: バックボーンにGPT-4.1、最大ステップ数を8、プランニング間隔を1、検索ソースをマルチ、検索回数を5、BoNを1、メモリをシンプルという組み合わせです。
Phrona: その結果はどうだったんでしょう。
富良野: OWLという優秀なオープンソースエージェントフレームワークと比較して、性能の96.7%を維持しながら、コストを28.4%削減することに成功しています。具体的には、コストが0.398ドルから0.228ドルに下がった。
Phrona: 28%の削減って、相当大きいですよね。年間で考えると、かなりの額になりそう。
富良野: そうですね。特に大規模な運用を考えている企業にとっては、この種の最適化は事業の成否を分ける要因になり得ます。
示唆と今後の展望
Phrona: この研究の意味するところって、結構深いような気がします。単なる技術的な最適化を超えて、AI技術の民主化というか、アクセシビリティにも関わってきますよね。
富良野: その通りだと思います。コストが下がれば、より多くの組織や個人がAIエージェント技術を活用できるようになる。そういう意味では、技術の社会的インパクトを左右する研究とも言えるでしょうね。
Phrona: でも一方で、この研究が示唆している問題は、もっと根深いものかもしれません。私たちは「より高性能」を追求することに慣れすぎて、「適切な性能」を見極める目を養うことを怠ってきたのかも。
富良野: なるほど、興味深い視点ですね。確かに、タスクに対して過剰な仕様のシステムを使っているケースは多いかもしれません。
Phrona: 人間の思考だって、日常の判断にいちいち論理学の体系を持ち出したりしませんよね。状況に応じて、適切なレベルの認知的リソースを使い分けている。AIシステムも、そういう適応性を持つべきなのかもしれません。
富良野: タスク適応型のエージェントアーキテクチャということですか。面白いアイデアですね。複雑な問題には高性能なモジュールを、シンプルな問題には軽量なモジュールを自動的に選択するような。
Phrona: そうそう。そして、この研究はそういう方向への第一歩と捉えることもできそうです。効率性を意識した設計が、結果的により賢いシステムの構築につながるかもしれない。
富良野: 同感です。コスト制約があることで、本当に重要な機能とそうでない機能を見極める必要が生まれる。それが結果的に、より洗練されたシステム設計をもたらすのかもしれませんね。
ポイント整理
現在のAIエージェントシステムは高性能だが運用コストが法外に高く、経済的に持続可能でない問題を抱えている
エージェントシステムの各構成要素(バックボーンLLM、プランニング、ツール使用、メモリ)がコストと性能に与える影響を初めて体系的に分析した研究
cost-of-pass指標により、正解を得るために必要な期待コストを定量化し、効率性と有効性のトレードオフを評価
バックボーンLLMの選択がシステム全体の性能に最も大きな影響を与え、高性能モデルほど効率性で劣る傾向がある
プランニングでは最大ステップ数に適切な上限があり、一定閾値を超えるとコスト増加の方が目立つようになる
ツール使用において、検索ソース数の増加は効率性と有効性の両方を改善し、シンプルな処理戦略が高度な操作より優れている
メモリ設計では最もシンプルな方式(観察と行動のみ保持)が最良の結果を示し、高度な要約機能は逆効果になる場合がある
テスト時スケーリング戦略(Best-of-N)は性能向上効果が限定的でコスト増加の方が大きい
Efficient Agentsフレームワークは各構成要素で最適な設定を選択し、OWLの性能の96.7%を維持しながら28.4%のコスト削減を実現
AI技術の民主化とアクセシビリティ向上につながる実用的な最適化手法として、今後のエージェントシステム設計の指針となる
キーワード解説
【cost-of-pass】
正解を1つ得るのに期待される金銭的コストを表す指標
【GAIA benchmark】
汎用AIアシスタントの能力を評価する challenging なベンチマーク
【LLMバックボーン】
エージェントシステムの中核となる大規模言語モデル
【ReAct】
Reasoning(推論)とActing(行動)を組み合わせたエージェントフレームワーク
【MoE(Mixture of Experts)】
入力に応じて一部のパラメータのみを活性化するスパースモデルアーキテクチャ
【Best-of-N (BoN)】
N回の推論実行から最良の結果を選択するテスト時スケーリング戦略
【OWL(Optimized Workforce Learning)】
GAIAベンチマークで高性能を達成したオープンソースエージェントフレームワーク
【プランニング間隔】
エージェントが実行計画を再生成する頻度を制御するパラメータ
【トークン消費量】
LLMの推論に使用される入力・出力トークンの総数
【効率性と有効性のトレードオフ】
システムの性能向上とコスト削減の間の相反関係