CBDCの可能性──デジタル通貨が変える租税回避との闘い
- Seo Seungchul
- 6月20日
- 読了時間: 10分
更新日:6月30日

シリーズ: 論文渉猟
◆今回のレポート:"How a Central Bank Digital Currency Could Help Curb Tax Evasion and Other Financial Crimes"
著者:Morenike Saula(セントトーマス大学ベンジャミン・L・クランプ法科大学院助教授)
掲載:UC Law Business Journal, Volume 21, Number 2, 2025年4月
毎年、アメリカでは税金逃れによって約1兆ドルもの税収が失われています。この金額は、日本の国家予算の何倍にも相当する途方もない数字です。いま世界中の中央銀行が注目している「中央銀行デジタル通貨(CBDC)」は、こうした金融犯罪を防ぐ切り札になるかもしれません。でも、それは同時に私たちのプライバシーや自由な経済活動にも大きな影響を与える可能性があります。
富良野とPhronaが、セントトーマス大学のMorenike Saula助教授の論文を読みながら、デジタル通貨がもたらす光と影について語り合います。技術革新は本当に不正を防げるのか。それとも新たな管理社会への入り口なのか。二人の対話から、私たちの未来の「お金」のあり方が見えてきます。
金融犯罪の実態と監視社会への懸念
富良野:この論文、なかなか野心的ですね。中央銀行デジタル通貨、つまりCBDCを使えば税金逃れを防げるという主張です。年間1兆ドルもの税収が失われているって、ちょっと想像を絶する金額ですが。
Phrona:でも富良野さん、この話って単純に「悪い人を捕まえる」だけの話じゃないですよね。私たちの日常のお金の使い方すべてが記録されて、追跡可能になるということでしょう?それって、ちょっと怖くないですか。
富良野:確かにそうですね。論文では、スイスのUBS銀行が顧客の身元を隠すために使った手口が紹介されています。コードネームを使ったり、オフショア企業を経由させたり。まるでスパイ映画みたいな話ですが、これが現実に起きていたわけです。
Phrona:その部分、私も印象的でした。でも、だからといって全員の取引を監視するシステムを作るのが答えなんでしょうか。善良な市民まで巻き込まれることになりますよね。
富良野:論文の著者は、現在の現金やビットコインのような暗号通貨では匿名性が高すぎて、犯罪に使われやすいと指摘しています。特にBinanceの事例は衝撃的でした。40億ドルもの罰金を科されたんですよ。
Phrona:Binanceの話、本当にひどいですね。でも、それは民間企業が利益を優先したからでしょう?政府が直接デジタル通貨を管理すれば、本当に公正になるんでしょうか。権力の濫用という別の問題が生まれそうな気がします。
政府管理の功罪:ナイジェリアの教訓
富良野:なるほど、鋭い指摘です。実は論文でも、ナイジェリア政府が2020年のEndSARS抗議運動の際に、参加者の銀行口座を凍結した事例が触れられています。政府による恣意的な権力行使の危険性は確かにありますね。
Phrona:そうそう、まさにそこなんです。技術は中立的かもしれないけど、それを使う人間は必ずしもそうじゃない。私たちの生活の一番プライベートな部分、つまりお金の使い方が全部見られちゃうなんて。
富良野:でも、ちょっと待ってください。論文では興味深い提案もしているんです。ハイブリッド型のCBDCというやつで、中央銀行と民間金融機関が協力する仕組みです。完全な政府管理でもなく、完全な民間任せでもない。
Phrona:へえ、それは面白いかも。でも結局、誰かが全部の取引データを持つことになるんですよね?そのデータがハッキングされたり、悪用されたりするリスクはどうなんでしょう。
既存システムとの違いは何か
富良野:実は僕、この論文を読んでいて一つ気づいたことがあるんです。現在のシステムでも、すでに多くの取引は電子的に記録されているじゃないですか。クレジットカードとか、銀行振込とか。
Phrona:あ、確かに。現金以外はもうほとんどデジタルですもんね。じゃあ、CBDCって本質的には今と何が違うんでしょう?
富良野:大きな違いは、誰がその記録を管理するかです。今は民間の銀行やカード会社がバラバラに持っています。CBDCだと、理論的には中央銀行が一元管理できる。だから税金逃れを見つけやすくなるという理屈です。
Phrona:でも富良野さん、それって見方を変えれば、今まで分散していた権力が一カ所に集中するってことですよね。それこそが問題なんじゃないかな。
技術的解決策と人間的な懸念
富良野:確かに、権力の集中は危険です。でも論文では、現在の分散システムでも問題があることを指摘しています。FATCAという法律があるんですが、外国の金融機関の38%が適切な報告をしていないそうです。
Phrona:へえ、4割近くも?それはひどいですね。でも、それって結局、ルールを作っても守らない人がいるってことじゃないですか。CBDCにしたって、抜け道を見つける人は出てくるんじゃないかしら。
富良野:その通りです。ただ、デジタル台帳技術、ブロックチェーンのようなものを使えば、取引の改ざんは技術的に難しくなります。すべての取引が連鎖的に記録されるので。
Phrona:技術的には素晴らしいかもしれません。でも私が気になるのは、そういう完璧な監視システムの中で、人間らしい経済活動ができるのかってことなんです。たとえば、友達にちょっとお金を貸すとか、お小遣いをあげるとか、そういうのも全部記録されちゃうんですか?
富良野:論文では、一定金額以下の取引は報告対象外にするような提案もしていますね。1日500ドル以下とか。プライバシーと透明性のバランスを取ろうとしているようです。
Phrona:でも、その線引きって誰が決めるんでしょう。今日は500ドルでも、明日には100ドルになるかもしれない。一度システムができちゃえば、あとは政治家や官僚の判断次第ですよね。
民間と政府、どちらがマシなのか
富良野:うーん、確かに難しい問題です。でも現実問題として、マネーロンダリングやテロ資金供与は深刻な問題です。論文では、TDバンクが薬物カルテルの資金洗浄に使われていた事例も紹介されています。
Phrona:それは本当に深刻ですね。でも、犯罪者を捕まえるために、みんなが監視される社会でいいのかな。もっと別の方法はないんでしょうか。
富良野:実は論文の著者も、完全な監視社会を提案しているわけではないんです。むしろ、現在の民間金融機関に任せきりのシステムの問題点を指摘しているんですよ。利益優先で、顧客の違法行為を見て見ぬふりをする銀行があると。
Phrona:なるほど、そういう視点もあるんですね。確かに民間企業は利益が第一だから、大口顧客の機嫌を損ねたくないってこともあるでしょうし。
富良野:そうなんです。だから政府が直接、小売金融サービスを提供することで、そういう利益相反を避けられるという主張です。公務員なら、少なくとも理論的には公益を優先するはずだと。
Phrona:理想的にはそうかもしれませんね。でも、公務員だって人間です。権力を持てば腐敗する可能性もある。それに、政府のシステムって、民間より効率が悪いイメージもありますけど。
富良野:効率の問題は確かにありますね。ただ、論文では興味深い提案をしています。CBDCに自動的に税金を源泉徴収する機能を持たせるというんです。買い物をしたら、その場で消費税が天引きされるような。
Phrona:えっ、それってすごく便利かもしれないけど、同時にちょっと怖くないですか?間違って多く取られたりしたら、どうするんでしょう。
富良野:確かにシステムのエラーは怖いですね。でも現在でも、給料から所得税が源泉徴収されているじゃないですか。それをもっと広範囲に適用するイメージかもしれません。
Phrona:うーん、でもお給料の源泉徴収と、日常の買い物での徴収って、なんか違う気がします。生活のすべてが税金計算の対象になるみたいで。
歴史的視点から見る「お金」の進化
富良野:実は僕も、そこは引っかかるんです。でも、論文を読んでいて一つ感じたのは、もしかしたら私たちは現在のシステムに慣れすぎているのかもしれないということです。
Phrona:というと?
富良野:現金って、実は比較的新しい発明なんですよ。それ以前は、物々交換だったり、帳簿に記録する信用取引だったり。完全に匿名の取引ができるようになったのは、人類の歴史から見れば最近のことです。
Phrona:あ、そう言われてみれば。江戸時代の商人なんかも、掛け売りとか手形とか使ってましたもんね。現金じゃなくても商売はできた。
富良野:そうなんです。だから、CBDCも単に「現金をデジタル化する」というより、新しい形の経済システムを作るチャンスかもしれません。問題は、それをどう設計するかですね。
監視する者を誰が監視するのか
Phrona:でも富良野さん、新しいシステムを作るって言っても、結局は誰かがルールを決めなきゃいけない。その「誰か」を信用できるかどうかが、一番の問題じゃないですか?
富良野:その通りです。論文でも、独立した監視機関の設置を提案しています。「Monetary Privacy Board」という名前で、政府のCBDC運用を監視する組織です。
Phrona:監視機関の監視機関ですか(笑)。でも、誰がその監視機関を監視するんでしょう。無限に続きそうな気がします。
富良野:確かに、完璧なシステムはないですからね。でも、何もしないわけにもいかない。年間1兆ドルの税金逃れは、結局まじめに税金を払っている人たちの負担になるわけですから。
Phrona:そうですね。正直者がバカを見る社会はよくない。でも、みんなが監視される社会もよくない。なんかこう、もっといい落としどころはないんでしょうか。
富良野:実は論文の最後で、段階的な導入を提案しているんです。まず小規模なパイロットプログラムから始めて、問題点を洗い出しながら改善していくという。
Phrona:それはいいアイデアかも。いきなり全部変えるんじゃなくて、少しずつ試していく。失敗しても被害が小さくて済みますし。
富良野:そうですね。技術って、使い方次第で毒にも薬にもなります。CBDCも、設計と運用次第で、より公正な社会を作るツールにもなれば、監視社会への入り口にもなりうる。
Phrona:結局、技術の問題というより、私たちがどんな社会を望むかという問題なんですね。便利さと引き換えに、どこまでプライバシーを手放せるか。安全と引き換えに、どこまで自由を制限できるか。
富良野:まさにその通りです。CBDCの議論は、実は私たちの社会の根本的な価値観を問い直す機会なのかもしれません。
ポイント整理
アメリカでは年間約1兆ドルもの税収が脱税によって失われており、特に富裕層による海外口座を使った税金逃れが深刻な問題となっている
中央銀行デジタル通貨(CBDC)は、すべての取引をデジタル台帳に記録することで、脱税やマネーロンダリングを防ぐ可能性がある
現在の金融システムでは、民間金融機関が利益を優先して顧客の違法行為を見逃すケースがあり、UBS銀行やBinanceなどが巨額の罰金を科されている
CBDCには「直接型」「ハイブリッド型」「仲介型」の3つの構造があり、それぞれ政府と民間の関与度が異なる
プライバシーと金融透明性のバランスをどう取るかが最大の課題であり、政府による恣意的な権力行使を防ぐ仕組みが必要
段階的な導入とパイロットプログラムによる検証が提案されており、技術的な問題だけでなく社会的な合意形成が重要
キーワード解説
【CBDC(中央銀行デジタル通貨)】
中央銀行が発行するデジタル形式の法定通貨
【FATCA(外国口座税務コンプライアンス法)】
アメリカ人の海外資産に関する情報開示を義務付ける法律
【マネーロンダリング】
犯罪で得た資金の出所を隠して正当な資金に見せかける行為
【KYC(顧客確認)】
金融機関が顧客の身元や取引目的を確認する手続き
【ブロックチェーン】
取引記録を連鎖的に記録し改ざんを困難にする技術
【実質的支配者】
企業や信託の背後で実際に支配権を持つ自然人