DeSocからPluralityへ
- Seo Seungchul
- 5月16日
- 読了時間: 11分

前回までの考察では、ヴィタリク・ブテリンらが提唱したDeSoc(分散型社会)やSBT(Soulbound Tokens)のメカニズム、その可能性や課題について掘り下げてきた。今回はその議論を踏まえて、近年あらためて注目を集めつつある「プルーラリティ(plurality)」という概念を取り上げ、未来の社会設計におけるその重要性を探りたい。
ハンナ・アーレントのPlurality
プルーラリティを自身の政治哲学の中核に据えたのは、20世紀を代表する思想家ハンナ・アーレントだった。彼女は、一般化された抽象的な人間像、つまり人類や社会全体を一つの均質なカテゴリーとして抽象化した概念である単数形の「Man」を批判し、複数形の「men」として、一人ひとりが独自の差異を持ち、他者との関係性のなかでのみ現れることのできる存在だということを強調するために、「プルーラリティ(複数性、多元性)」という概念を導入した。ばらばらの個人でも、集団の画一的な一員でもなく、同じ人間であるという「同一性」とそれぞれが唯一無二の存在であるという「差異性」の両側面を持って、それぞれが区別され、かつ共に世界に生きている。このような人間存在の根源的条件を指示したのが、アーレントの言うプルーラリティである。
さらにアーレントにとって、プルーラリティは、人間が最も人間らしくある活動としての「言論」と「行為」、そしてそれらが織りなす「公的空間」が成立するための前提条件であった。彼女が全体主義を批判したのも、それがプルーラリティを破壊し、人々を画一化することで、公的空間を消滅させてしまうからに他ならない。
ここで注意したいのは、このプルーラリティという概念が、規範的に異なる価値観や集団の共存を求める「多元主義(pluralism)」とも、単にさまざまな要素が共存している状態を指す「多様性(diversity)」とも明確に異なるということである。
アーレントのプルーラリティは、人間存在を他者との関係性の中に位置づける存在論的な概念である。この視点は、後の人文社会科学における「関係論的転回」の核心的な思想——すなわち、実体を自明の所与とせず関係性を重視すること、固定的な構造ではなく動的なプロセスに着目すること、そしてあらゆる現象の文脈依存性を強調すること——と深く響き合っている。
オードリー・タンのPlurality
「プルーラリティ」という用語がテクノロジーと民主主義をめぐる議論の中で近年注目されるようになった一つのきっかけは、オードリー・タンが2016年に台湾の政務委員に就任する際に発表した詩の一節であろう。
“When we hear 'the singularity is near,' let us remember: the plurality is here.”
「シンギュラリティは近い」と聞いたら、プルーラリティはすでにここにあることを思い出そう。
この詩のなかでタンは、レイ・カーツワイルらが提唱した「シンギュラリティ(人工知能が人間の知能を超える技術的特異点)」という概念に対比させるかたちで、私たちが今まさに生きている現実こそが「プルーラリティ」なのだと述べている。
当時のタン自身のブログ記事やエッセイを参照すると、彼女にとってのプルーラリティとは、「多様な存在や価値観が対話やテクノロジーを通じて相互理解や共感を深め合い、社会の複雑な課題を市民が主体的に解決していく民主主義の新たなあり方」を指すことが分かる。具体的には以下のような要素が含まれる。
相互作用する多様性
多様な価値観や背景を持つ人々が単に存在するだけでなく、それらが積極的に交流し、関わり合う状態を意味する。タンは、多様な主体間での対話的交流こそが民主主義を機能させる鍵だと考えており、相互作用そのものを重要視している。
共感と理解に基づく共存 異なる主体が互いの差異を認識するだけでなく、感情的な交流や深い相互理解を通じて、共感に基づく共存を目指す。これは単なる意見や立場の並存を超えて、感情的なつながりを重視する点で特徴的である。
建設的な合意形成能力
多様な視点や感情を融合させ、それぞれが抱える課題や重要な争点について共通に受け入れられる解決策を見出す能力である。タンはブログで「合意形成の鍵は、問題に直面したときに最善の解決策をただ知ることではなく、多様な見解や感情を融合させることである」と述べており、「融合」をプルーラリティの核心的な要素として位置付けている。
社会的・公共的な課題解決への志向
タンが考えるプルーラリティは、社会的な相互作用や合意形成を通じて、個別の利益を超えた、より広い社会的課題の解決を目指している。彼女は自身の民主主義観を、「多様な価値観が対話を通じて社会的課題に共に取り組むこと」と位置付けている。
技術による人間関係の拡張
新たなテクノロジーを活用することによって、従来は困難であった幅広く深いレベルでの人々のつながりや相互理解が可能になるという期待が込められている。タンはVR(仮想現実)を使った民主的熟議など、テクノロジーを通じたコミュニケーションの革新を積極的に追求し、多元的な対話に新たな可能性を提示している。
このように、タンが用いる「プルーラリティ」は、対話とテクノロジーの活用を通じた民主主義の制度設計を志向しており、ハンナ・アーレントが提示する存在論的なプルーラリティ概念に比べると、より実践的かつ規範的な性格を強く帯びた概念であると言えるだろう。
グレン・ワイルのPlurality
DeSoc論文の共著者であり、その後2024年にタンと共に『Plurality: The Future of Collaborative Technology and Democracy』を著すグレン・ワイルの考えるプルーラリティも、実践的かつ規範的という点においてタンと共通しているが、彼のアプローチは特に制度設計やメカニズムデザインの観点から、より理論的かつ体系的に構築されている。
ワイルの理解するプルーラリティは、「多様な社会的集団や文化的システムが相互に協力し、それぞれの固有性や異質性を尊重しながら共存・繁栄していくことを目的とした社会哲学」として整理できる。タンとの共著や彼がCo-Chairを務めるPlurality Instituteのミッションステートメントなどを参照すると、ワイルが描くプルーラリティには次のような特徴があると考えられる。
テクノロジーによる民主主義の再設計
タンと同様にワイルもまた、テクノロジーが民主主義の可能性を拡張しうるという立場を明確にしている。彼は、テクノロジーが多様な意見の間の対話を深め、従来の民主主義が抱える分断や集団思考(groupthink)の問題を克服することが可能だと考えている。ワイルにとってプルーラリティとは、制度設計やメカニズムデザインの工夫を通じて、民主主義を単なる多数決や人気投票を超えた、より包括的で深い対話の場へと発展させる試みである。
多元的なアイデンティティの重視
ワイルは個人を単一のカテゴリーやコミュニティに固定せず、むしろ個人が多元的かつ交差的なアイデンティティを持つことを前提とする。彼が強調するのは、人間が複数の異なるコミュニティや社会的グループに同時に属し、それらの関係性や相互作用の中でアイデンティティが形成されるという考え方である。この点はジョージ・ジンメルの社会理論から影響を受けており、個人の独自性(individuality)が、むしろ多元的な関係性の交差点(intersectionality)において実現されることを指摘する。
「対立」や「集中」の超克
ワイルは、現代社会が「対立(conflict)」と「中央集権化(centralization)」という二つの極端な傾向に陥っていると認識している。彼が唱えるプルーラリティは、こうした二元論を乗り越え、対立する多様な集団が単純に並存するのではなく、相互作用と協調を通じて全体としての意思決定や社会運営を行う「第三の道」を提示している。
多元的な意思決定と権限配分のメカニズム
ワイルが特に重視するのは、単一の中央集権的権威や価値体系に収斂させることなく、多様な視点や価値観を民主的かつ公平に意思決定に反映させるための制度設計である。彼が提唱し、DeSoc論文にも組み込まれた二乗投票(Quadratic Voting)や相関割引(Correlation Discounting)といった仕組みは、社会の異なるグループや立場間の不均衡を調整し、少数派の意見を尊重しつつも、より広い合意形成を促進することを意図して設計されている。
このように、ワイルの提唱するプルーラリティは、社会的・政治的制度設計や経済的メカニズムの観点から具体的に制度化されうることを示した実践的な理論としての性格が強い。タンの概念が対話や感情的交流をより前面に押し出し、人間同士の直接的な共感に基盤を置いているのに対して、ワイルの概念はより制度的かつ体系的に、多様な関係性を制度や技術を通じて支える仕組みづくりを強調している点にその特徴がある。
ヴィタリク・ブテリンのPlurality
ヴィタリク・ブテリンの考える「プルーラリティ」もまた、グレン・ワイルやオードリー・タンと同様、アーレントが提示した存在論的な概念と比較すると、より具体的な実践性と規範性を帯びている点で共通している。ただし、ヴィタリクが提示するプルーラリティの特徴は、彼の出自である暗号経済学やWeb3コミュニティに根ざした独自のニュアンスを伴っている。
ヴィタリクにとってプルーラリティとは、「多様な社会的・文化的なグループが、単なる併存を超えて相互に認め合い、協力し合うことを促す社会哲学」として理解される。具体的には、次のような特徴を指摘できる。
「つながり(connections)」の重視
ヴィタリクは従来のリバタリアニズムが個人の自律や自由を重視するあまり、人と人の間の関係性やコミュニティ間の接続(コネクション)を軽視してきたと指摘する。彼のプルーラリティ概念では、社会的制度設計において個々人そのものだけではなく、「人々の間にある関係性やつながり」を制度設計上の第一級の要素として取り入れる必要性を主張する。
「パッチワーク的世界観」の採用
ヴィタリクの議論で特徴的なのは、社会や世界を「単一の統一的なモデル」で捉えるのではなく、むしろ複数の異なるモデルを併用し、それぞれのモデルが適切な文脈で有効に機能することを認める「パッチワーク的」な世界観である。これは、どのようなモデルや制度設計も常に限界を抱えており、複数の仕組みや枠組みを並行して運用することで初めて社会全体としての多様性や複雑性を扱えるという認識を示している。
Web3技術を用いた制度的具体化への志向
ヴィタリクは、イーサリアムをはじめとするブロックチェーンや暗号技術を、プルーラリティを具体化するための基盤技術として明確に位置づける。たとえば、彼はQuadratic Funding(クアドラティック資金調達)やSoulbound Tokens(SBT)といった仕組みを通じて、多様な主体が自律的に協力し合い、公平で民主的な方法で共通の資源を管理・活用する仕組みを具体的に提示している。
中央集権化と対立の克服
ヴィタリクもまた、ワイルやタンと同じく、現代社会が陥りがちな「中央集権化」と「対立」という二つの極端な傾向を問題視している。彼はWeb3の思想的源流であるサイファーパンク運動の限界を指摘しつつ、単なる中央集権からの逃避ではなく、内部的なガバナンスの構築を通じて、対立や分断ではない協調的な共存を可能にする社会設計を目指している。
ヴィタリクの概念をワイルおよびタンのそれと比較すると、以下のような差分が浮かび上がる。
ワイルのプルーラリティが制度設計やメカニズムデザインの理論的基盤を重視するのに対し、ヴィタリクはブロックチェーン技術や暗号経済学を用いて、より実験的で現実的な実装を追求している。
タンのプルーラリティが感情的交流や共感、対話的プロセスを中心とするのに対し、ヴィタリクは制度の柔軟性や多様なモデルの並立を重視し、理論や思想よりも実践的な設計と具体的なプロトタイプ構築を志向している。
ヴィタリク・ブテリンの考えるプルーラリティは、制度的・構造的な規範性を持ちながらも、特にWeb3技術や暗号経済学の具体的なツールやモデルを駆使して、実践的な社会的課題への取り組みをより鮮明に示す特徴を持っている。その意味でヴィタリクのプルーラリティは、タンの感情交流重視の対話的プルーラリティ、ワイルの制度設計重視の理論的プルーラリティと並びつつ、具体的な技術を通じた社会実装を志向する点において独自の位置づけを持つと言えるだろう。
おわりに
このように、オードリー・タン、グレン・ワイル、ヴィタリク・ブテリンという三者の提唱する「プルーラリティ」は、それぞれ異なる側面に重点を置きながらも、多様性と対話、制度設計、テクノロジーという要素をうまく組み合わせ、実践的で規範的な社会ビジョンとしての可能性を示している。
しかし一方で、こうした「望ましい状態」を明確に打ち出す規範的な志向が強まりすぎると、多様性を対話や合意形成といった「融合」のプロセスへと集約させる方向に偏る可能性もあるかもしれない。私たち一人ひとりが持つ根源的な差異や、多様な関係性のあり方をそのままに受け止める視点を保ちながら、多元的な世界の現実を尊重することもまた重要だろう。
「プルーラリティ」は単一の正解を目指すものではなく、常に動的で開かれたプロセスであり続けるべきだ。その意味で、アーレントが示したような人間存在の本質的な複数性にも意識的であり続けつつ、現代のテクノロジーや制度設計を通じてより良い社会の実現を目指す姿勢が求められているのだと思う。