『Decentralized Society』論文を精読する
- Seo Seungchul
- 5月13日
- 読了時間: 20分
更新日:5月18日

これまで三回にわたり、Vitalik Buterinらが提唱するDeSoc(分散型社会)とSBT(Soulbound Tokens)について考察してきた。前回までは理論的概念や課題、実装の可能性などについて広く論じてきたが、今回は原点に立ち返り、2022年5月に発表された「Decentralized Society: Finding Web3's Soul」(分散型社会:Web3の魂を見つける)という論文そのものを詳細に解説していきたい。
この論文は単なる技術提案ではない。「技術が社会をどう変えるか」という視点を超え、「どのような社会を技術で実現したいか」という、より本質的な問いを投げかける野心的な試みとなっている。その姿勢を象徴的に示しているのが、論文冒頭に掲げられた老子の言葉である。
道者萬物之奧。善人之寳、不善人之所保。
(道なる者は万物の奥なり。善人の宝にして、不善人の保んずる所なり。)
— 老子『道徳経』第六十二章
この引用は、万物の本質であり根源的な原理である「道(Dao)」が、善人にとっては宝である一方、不善人にとってもまた守るべき価値であるということを意味している。論文が提唱する分散型社会の基盤が、多様な価値観や立場を超えて共有される信頼と関係性のネットワークであることを端的に示していると言えるだろう。
分散型社会(DeSoc)のビジョン
DeSocは、技術的な進化を超えて社会構造そのものを再設計する包括的なビジョンである。著者らが提唱するDeSocの主な特徴は以下の三点である。
関係性を基盤とした経済:資産所有よりも、信頼や人間関係を中心に置いた経済構造
多元的な所有と統治:中央集権や市場原理を超え、多様な価値観を取り入れた統治システム
実社会とデジタルの融合:社会的な信頼関係やアイデンティティをデジタル空間に再現する仕組み
論文の中核概念
論文の中核をなすのは、「Soul」と「SBT(Soulbound Tokens)」という二つの概念である。
Soul
定義:特定の個人やエンティティに紐づいた、譲渡不可能かつ公開型のデジタルアカウント
特徴:ウォレットに似ているが、そこに格納されたSBTは譲渡できない
役割:個人の社会的アイデンティティや人間関係を示す「アンカー」となる
著者らは「Soul(魂)」という用語を意図的に選んだと思われる。これは個人の「代替不可能な固有性」を強調し、Web3における人間中心主義の回復を目指す意図があるためだろう。
SBT(Soulbound Tokens)
SBTはSoulに紐づけられる非譲渡型トークンであり、論文では以下のように説明されている。
定義:特定のSoulに「縛られた(bound)」非譲渡型トークン
発行:他のSoulによって発行され、受け取ったSoulに永続的に紐づく
内容:所属、資格、コミットメント、関係性などを表現する
非金融性:金銭的価値ではなく、社会的価値や人間関係を表現する。
プライバシー:基本的に公開情報として運用されるが、「プログラマブルなプライバシー」の設計も検討されている
SBTの重要な特徴は「譲渡不可能性」であり、これが信頼関係や責任ある行動の基盤となる、継続的かつ安定したデジタル空間を構築するために不可欠と考えられている。
論文の構成と主要論点
論文は以下の通り全10章で構成されている。
§1. Introduction(導入)
導入部では、Web3が持つ潜在的可能性とその現状とのギャップについて指摘している。
DeFiエコシステムの発展により、特に金融取引の表現において大きな進展があった一方で、社会的信頼や人間関係を表現する仕組みは依然として不足している。そのため、NFTマーケットプレイスのOpenSeaやWeb3プロジェクトの宣伝・コミュニティ形成に利用されるTwitterなど、Web2の中央集権的なプラットフォームに依存せざるを得ない状況となっている。また、社会的IDが欠如しているため、DeFiは無担保融資や契約行為といった日常的な経済活動を十分に支えられていないという問題も指摘されている。
こうした状況を改善するために、著者らはSBTという概念を提案する。SBTは非譲渡で信頼に基づくアイデンティティ表現の単位として、人間関係の構造をWeb3に組み込む試みである。この仕組みを通じて実現される新たな社会構造を、著者らは「Decentralized Society(DeSoc)」と名付けている。
§2. Outline(概要)
この章では、DeSocの全体像が概説される。DeSocの基本単位は「Soul(魂)」と呼ばれるウォレットと、その中に格納されるSBTである。SBTは所属・資格・契約などを表現し、履歴書や信用履歴のような機能を持つとされる。
著者らは、SBTが可能にする様々な応用例を挙げている。
芸術作品の出自証明(provenance)
社会的信頼に基づく無担保融資
コミュニティに基づく分散型キーマネジメント
Sybil攻撃(一人が複数のアカウントを作成する攻撃)に耐性のあるガバナンス
権利の非一元的分割による新しい市場設計
著者らが最終的に見据えているのは、新たな社会モデルとしてのDeSocである。それは、社会的価値や人間関係を軸とし、信頼と連帯に基づいた多元的かつ共創的なネットワークの構築を目指すものである。
§3. Souls(基本概念)
この章では、DeSocの中核概念である「Soul」と「SBT」についての説明がなされる。
「Soul」とは、非譲渡で公開型のSBTを保持するアカウントである。重要なのは、実名認証や一人一つのSoulという原則が必ずしも前提ではないという点である。つまり、個人が複数のSoulを持つことも可能であり、Soul同士の関係性も多層的かつ多次元的なものとして想定されている。
個人は実名を明かさずに複数のSoulを作成し、それらのSoulが互いに認証したり、SBTを発行し合ったりすることができる。この仕組みによって、中央集権的な認証機関に依存せずとも、アイデンティティの信頼性を構築することが可能になる。
また、この方式により、プライバシーを保護しながらも、社会的な文脈に根ざした信頼性の高いアイデンティティの実現が期待されている。SBTは基本的に公開情報として運用されるが、後の章で議論される「プログラマブルなプライバシー」の設計により、情報の公開範囲を細かく制御する仕組みも提案されている。
§4. Stairway to DeSoc(ユースケース)
この章では、SBTの具体的な応用可能性が8つのセクションに分けて詳細に論じられる。この部分は論文の中でも特に重要であるため、各セクションを詳しく見ていこう。
4.1 Art & Soul(アートと真正性)
NFTとSBTの連携によって、芸術作品の出自や真正性を保証する新たな仕組みが提案されている。
現在のNFTは譲渡可能であるため、作品が市場で投機対象として流通するにつれて、作者が本来込めたメッセージや文脈が失われ、作品と作者の関係性が希薄化する傾向がある。しかしSBTを活用すれば、アーティスト自身の社会的な文脈(所属コミュニティ、教育歴、過去の作品歴など)をブロックチェーン上で明確に証明でき、作品と一体化した情報として保持できる。そのため鑑賞者やコレクターは、作品が生まれた背景や意図をより正確に理解することが可能になる。
さらにSBTは、作品が特定のアーティストに永続的に紐付けられることを保証するため、作者と作品の関係をより強固にし、芸術作品の真正性を担保する手段として期待されている。また、AIによる生成アートは視覚的には人間が制作した作品との区別が難しいが、作品に紐付けられた作者の社会的文脈や関係性のネットワークが証明されていれば、AI生成物と人間が実際に社会的文脈の中で制作した作品とを明確に区別できるため、Deepfake対策としても有効である。
このようにSBTは単なるデジタル署名以上の意味を持ち、芸術作品が生まれた社会的・人的背景を含めた真正性を確立するための、重要なインフラとして機能する可能性を秘めている。
4.2 Soul Lending(無担保融資)
教育履歴や雇用履歴などを表すSBTが信用情報として機能し、無担保融資を可能にする構想が提示される。
従来のDeFiでは匿名性が高いため、借入額以上の過剰担保が求められる。しかし、SBTを通じて個人の信用情報が可視化されれば、より少ない担保、あるいは無担保での融資が可能になる。
重要なのは、SBTが「再譲渡できない履歴」として機能し、差し押さえ不可能な社会的担保として使えるという点である。また、グラミン銀行型のコミュニティ融資モデル(連帯保証によるマイクロファイナンス)の構築基盤にもなり得るとされている。
4.3 Not Losing Your Soul(アカウント回復)
分散型システムにおける重要な課題の一つは、秘密鍵の紛失によるアカウントへのアクセス喪失である。
従来のソーシャルリカバリ(guardian model)は、ユーザーが選んだ「ガーディアン」の多数決によって鍵を回復する方式だが、この方法にはガーディアンの選定難易度や関係性の変化など、いくつかの課題がある。
論文ではこれに代わり、SBTに基づくコミュニティリカバリが提案されている。これは個人が持つSBTネットワーク(所属コミュニティ、資格、関係性など)を活用した回復システムであり、社会的なつながりの広がりが秘密鍵の回復可能性と安全性を高める仕組みである。
4.4 Souldrops(新しいトークン配布)
一般的なエアドロップ(無料トークン配布)ではなく、SBT保有履歴に基づいて対象者を選定できる「Souldrop」という概念が提唱されている。
これにより、単純なウォレットアドレスではなく、特定の資格や活動履歴、コミュニティ所属などを基準にトークンを配布することが可能となる。例えば「特定の学位を持つ人」や「特定の活動に貢献した人」などをターゲットに精度の高いコミュニティ形成ができるようになり、スパム対策としても機能するとされている。
4.5 The DAO of Souls(DAOガバナンスの刷新)
ここでは、SBTを活用したDAOガバナンスの刷新方法が提案される。
現在のDAOガバナンスでは、トークンの保有量に基づいて投票権を配分する仕組みが一般的だ。しかし、この方式には富の集中による支配や、Sybil攻撃(一人が複数のアカウントを作成して投票を操作する攻撃)といったリスクが存在する。
これに対し著者らは、SBTを用いて次のような改善策を提案している。
投票のシビル攻撃耐性:SBTによって個人の一貫した履歴が証明されるため、複数アカウントの作成が困難になる
信頼ベースの投票重み付け:特定分野の専門性やコミュニティへの貢献度など、トークン保有量以外の要素に応じて投票権の比重を調整する
相関スコアによる過度な同質性の補正:似通った背景や活動履歴を持つグループの投票力を適切に調整し、多様性のある意見が維持されるようにする
これらを通じて、複数のコミュニティに属して多様な視点を持つ「横断的(intersectional)」な参加者を軸とした、動的でバランスの良いガバナンスモデルの実現が期待されている。
4.6 Measuring Decentralization(分散性の測定)
分散型システムにおいて、その「分散の度合い」を測定することは、中央集権化の防止やシステムのセキュリティ向上、意思決定の正統性の確保、耐障害性の強化にとって重要な課題である。しかし、単純なウォレットアドレス数やトークン保有分布だけでは、実際の分散度を十分に捉えることはできない。
著者らは、SBTの相関関係を用いて社会的・組織的な集中度を測定する、新たな分散指標を提案している。この指標は、トークンの保有状況にとどまらず、参加者同士の関係性や背景の多様性を考慮することで、より実質的で正確な「分散度」を評価できるものとなっている。
4.7 Plural Property(多元的財産権)
従来の所有権は「所有する/所有しない」という単純な二元論で表現されることが多いが、歴史的にも現代の多くの社会においても、所有の実態は利用権や管理権、収益権などが複雑に絡み合う多元的なものである。
このような複雑で多元的な権利関係をNFTで表現することは難しいため、論文ではSBTによって柔軟に実装する可能性を提案している。これにより、「共有された所有」や「部分的所有」といった、より柔軟な所有形態を実現できる可能性があり、具体的な応用例としては、コミュニティ通貨、公共施設へのアクセス権、SBTを活用したガバナンスの分権化などが挙げられている。
4.8 Plural Network Goods(多元的公共財)
公共財(public goods)の供給や維持は、国家や市場の仕組みだけでは適切に機能させることが難しい領域である。
著者らは、SBTを活用して個々人の貢献や評判をブロックチェーン上で明確に可視化することで、同質性が過度に高まる「過剰協調」や、特定グループによる「利権化」といった問題を緩和できると主張している。
共有資源管理の研究でノーベル経済学賞を受賞したElinor Ostromは、共有資源(コモンズ)が必ずしも「共有地の悲劇」に陥るとは限らず、参加者が共通の納得できるルールを作り、相互に信頼関係を築けば、地域コミュニティによる持続可能な管理が可能であることを実証した。しかし現代社会では、地域の小規模なコミュニティを超えた、より大規模で複雑な共有資源(例えばデジタルコモンズや地球環境など)の管理が課題となっている。
SBTを導入することで、それぞれの参加者が公共財にどのような貢献を行ったかが客観的に可視化されるため、適切なルールづくりや相互の信頼関係を構築するための明確な根拠を提供できる。たとえば環境保護活動に貢献した人にSBTを発行し、それを社会的に認知可能にすることで、異なるコミュニティ間でも「誰がどのように貢献したのか」という情報が共有され、信頼が生まれやすくなる。また、SBTは単一の価値基準ではなく、複数のコミュニティや多様な視点から評価可能であるため、多様な価値観を包摂し、より公平で包括的な公共財管理が実現できると考えられている。
§5. Plural Sensemaking(多元的センスメイキング)
この章では、集合知の形成と活用に関する議論が展開される。「Sensemaking(センスメイキング)」とはKarl E. Weickが提唱した概念で、不確実で複雑な状況において人々が意味を見出し、理解を構築するプロセスを指す。これは単なる情報収集や整理にとどまらず、社会的相互作用を通じて動的に意味や文脈が形成されるプロセスである。
著者らはまず、現在のAIと予測市場に存在する以下の限界を指摘する。
AIの限界:現在のAIシステムは大量のデータから学習するが、そのデータは中央集権的に収集されるためバイアスが生じやすく、また価値判断や文脈理解の面でも限定的である
予測市場の限界:トークンを賭けて予測を行う従来型の予測市場は、多様な視点を集約する一方で、ゼロサムゲーム(勝ち負けを競う仕組み)となりがちであり、協働よりも競争や対立を助長する傾向がある
「唯一の真実」への志向:AIや予測市場は多様な視点から単一の正解を求めようとする傾向が強いため、価値観や文脈に依存する複雑な社会問題において不適切な場合が多い
これらの課題に対し、論文は「多元的センスメイキング(Plural Sensemaking)」という新たな概念を提案する。これはSBTを通じて参加者それぞれの社会的背景や文脈を伴う視点を集約し、多様な知識を活かしてバイアスに強い予測や意思決定を可能にするアプローチである。これによって、分極化した社会においても新たな対話や協働が促進されることが期待される。
具体的な仕組みとして、以下の要素が挙げられている。
多様なSoulによる視点の提供:それぞれ異なる経験や専門知識を持つSoulが、特定の問題に対して多様な見解や予測を提供する
SBTに基づく文脈化:提供された見解は、Soulが保有するSBT(学歴、職歴、専門分野、過去の実績など)によって文脈付けられ、単なる匿名の意見ではなく「特定の文脈を伴う意見」として扱われる
相関性に基づく重み付け調整:類似した背景を持つグループの意見に対しては、過剰な影響力が生じないよう適切な調整(相関割引)が行われる
多元的な解釈の共存:「唯一の正解」を目指すのではなく、異なる価値観や視点に基づく複数の解釈の共存を許容する
著者らは、この多元的センスメイキングが単なる情報集約を超えて、異なる世界観や価値観を持つ人々の間で「翻訳」や「橋渡し」を可能にすると論じている。これは予測市場やAIが追求する「唯一の真理」から、多様な知識や価値観の共存を促す方向への転換を意味する。例えば気候変動や社会政策など、単一の正解が存在せず、複雑な価値判断や文脈に依存する問題に対しても、多元的な視点に基づく包括的な意思決定が可能となる。
こうした多元的センスメイキングを効果的に機能させるには、参加者が安全かつ柔軟に参加できる「安心な枠組み」が不可欠である。それを提供するのが「プログラマブルな多元的プライバシー(Programmable Plural Privacy)」という概念である。これはSBTに含まれる情報の公開範囲を、状況や目的に応じて動的かつ多元的に制御できる仕組みである。
「プログラマブル」とは
特定の条件や文脈に応じて、自動的に情報の開示範囲が調整されることを指す
例えば医療資格を示すSBTであれば、医療現場では詳細な情報が閲覧可能だが、一般の状況では「有効な医療資格がある」という事実のみを提示するなど、柔軟な運用が可能となる
「多元的」とは
単に「公開/非公開」という二分法ではなく、情報の種類や閲覧者に応じて異なる公開レベルを設定できることを指す
例えば同一のSBTでも、特定のコミュニティメンバーには詳細情報を、その他のメンバーには概要のみを表示する、といった運用が可能になる
参加者が自らの情報を共有する際にはプライバシーの懸念が生じるが、この仕組みによって、参加者は状況や相手に応じて情報の開示レベルを自ら柔軟に制御でき、より安心して多元的センスメイキングに貢献できるようになる。特に社会的に敏感な話題や専門的な問題について意見を述べる際に、過度な個人情報開示によるリスクを回避できることが重要である。
技術的には以下の手法が提案されている。
ゼロ知識証明(Zero-Knowledge Proofs):情報そのものを開示せずに、その情報が特定条件を満たすことだけを証明する技術
オフチェーンデータとの連携:センシティブな情報はブロックチェーン外に保管し、アクセスを適切に制御する仕組み
秘密計算(Secure Multi-Party Computation):複数の関係者がそれぞれの情報を開示せずに協調して計算を実行する技術
差分プライバシー(Differential Privacy):統計的なノイズをデータに加えることで個人を特定不能にしつつ、集合的な分析を可能にする手法
これらを活用することで、参加者が自ら安心して多元的センスメイキングに関与できる環境が整い、より包括的で多様な意思決定が可能となる。
§6. Decentralized Society(思想総括)
この章では、これまでの議論を総括し、DeSocの全体像と思想的意義について論じる。
DeSoc(分散型社会)とは、信頼や所属意識、共同体のネットワークを基盤とした社会的協働の仕組みを構築する試みである。特に、DeFiに代表される「全面的な譲渡可能性」と「匿名性」を重視する設計に対して、「社会関係資本(social capital)」という概念を導入することで、搾取的な資本主義モデルからの脱却を目指している。
論文が特に強調するのは、「部分的で多元的な所有(partial and plural ownership)」という新たな所有と統治のパラダイムである。この考え方は、近代的な所有権と結びついた「公的/私的」という単純な二分法を超え、より柔軟で包摂的な社会構造の基礎となる。具体的には、SBTを活用することによって複雑で多層的な権利関係をデジタル空間上で明確に表現・管理し、より柔軟で包摂的な社会構造を実現することが期待されている。
筆者の理解として補足すると、単一の絶対的な所有者ではなく、多様な個人や集団が異なる種類の権利を重層的に共有する仕組みは、歴史的に見ても決して新しいものではない。例えば中世ヨーロッパの共有地(コモンズ)では、村人たちが土地に対して放牧権、薪拾い権、通行権など、多様な部分的権利を共有していた。日本においても、伝統的な入会権や水利権の管理システムが、このような多元的所有の典型例として挙げられる。
また、この多元的な所有形態は現代においても、特に発展途上国の農村コミュニティを中心に広く見られる。例えば山林や水路などの資源に対して、世帯や地域ごとに複雑に権利が共有され、季節や用途に応じて柔軟に管理されるケースは多い。
しかし、こうした多元的所有の仕組みは、近代的な所有権制度が普及するにつれて「非効率的」「前近代的」とみなされ、解体されてきた。それは近代的な所有権が「所有者による完全かつ排他的な支配」を理想とし、所有関係を単純化する方向へと進んできたからである。
DeSocが提案する「部分的で多元的な所有」とは、このような歴史的に存在した多元的所有の知恵を、現代のデジタル技術を通じて再構築しようとする試みと言える。
§7. Implementation Challenges(実装課題)
この章では、DeSocの実装にあたっての技術的および社会的課題について検討する。
まず技術面では、プライバシーの確保とガバナンスにおける「相関割引(correlation discounting)」を両立することが難しい課題として挙げられる。この課題への対応として、著者らは前述の「プログラマブルな多元的プライバシー(Programmable Plural Privacy)」の項目で示した技術(ゼロ知識証明、オフチェーンデータの活用、秘密計算など)を提案している。
また社会的課題としては、SBTにおける「偽装(gaming)」への対策が必要となる。これに対し著者らは、複数の独立した情報源からの検証による厚い社会的チャネル(robust social channels)の構築や、不自然な関係性パターンを検出するための逆相関スコア(negative correlation scores)の活用を推奨している。
§8. Comparison to Other Approaches(他アプローチとの比較)
この章では、SBTを既存のID体系(例えば、検証可能な資格情報、人格証明、擬名経済など)と比較し、社会的ID基盤としての優位性を論じている。
特に強調されるのは、既存のアプローチが主に「個人の属性(attributes)」に焦点を当てているのに対し、SBTは「関係性のネットワーク(networks of relationships)」を重視している点である。この関係性重視の設計により、単なる個人認証を超え、社会的文脈に根ざした、より豊かな認証が可能になるとされる。
§9. Future Directions(将来の方向性)
この章では、「proto-SBT」や「proto-Soul」を使ったDeSocの段階的導入戦略が提案される。
「proto-SBT」とは、完全なSBTを導入する前段階として、既存の技術や制度を活用した移行的なトークンを指す。例えば、一般的なNFTに譲渡制限を設けたり、特定の条件下でのみ譲渡が可能なトークンを作成したりすることが考えられる。この方法により、既存のNFTインフラを活用しつつ、段階的にSBT特有の性質を導入できる。
同様に、「proto-Soul」とは、完全に自律的なSoulを導入する前段階として、既存のウォレットやアカウントをベースにSoulの機能を段階的に追加していく方法である。具体例としては、従来のウォレットに特定のSBTを保持する機能を追加したり、既存のデジタルIDシステムをSBTと連携させたりすることなどが挙げられる。
また、管理型(Custodial)と非管理型(Non-Custodial)のSoulを併用する戦略も重要な提案として示されている。「管理型Soul」とは、特定の組織や機関がユーザーに代わって管理するSoulで、ユーザーは技術的な専門知識がなくても利用できる。例えば、大学が学生に対して管理型Soulを提供し、卒業証明書などのSBTを発行・管理するケースが想定される。一方、「非管理型Soul」は、ユーザー自身が完全に管理権を持つSoulである。
これらを併用する戦略には主に三つの利点がある。 第一に、ユーザーの技術的習熟度の違いに柔軟に対応できることである。ブロックチェーン技術に不慣れなユーザーは管理型Soulから利用を始め、徐々に非管理型Soulへと移行できる。 第二に、導入障壁を低く抑えられることである。既存の組織や機関が管理型Soulを提供すれば、一般ユーザーがDeSocに参加する際のハードルが下がる。 第三に、柔軟なプライバシー管理を実現できることである。センシティブな情報を含むSBTは管理型Soulで安全に保護し、一般公開可能な情報は非管理型Soulで管理するといった使い分けが可能となる。
著者らは、これらの段階的なアプローチにより、技術的な成熟度や社会的な受容度に応じた柔軟な導入が可能になると指摘する。特に、既存の組織やコミュニティとの連携を通じて、DeSocの基盤となる信頼ネットワークを徐々に構築していくビジョンが示されている。
しかし、論文内では明確には言及されていないが、管理型Soulの利用が増えすぎると、ユーザーの管理負荷が増大し、本来目指す自己主権的デジタル・アイデンティティの実現がかえって難しくなる可能性がある。このような課題を回避するには、各組織が提供する管理型Soul間および管理型Soulと非管理型Soulの間で、情報を柔軟に移行・統合できる仕組み(情報のポータビリティ)を備えた「ハイブリッド型Soul」を推進することが望ましい。さらに、異なるSoulをユーザーが一元的に管理できるインターフェースや標準規格を整備することで、ユーザーが主体的に自身のアイデンティティをコントロールできる環境を整える必要があるだろう。
§10. Conclusion(結論)
結論部では、DeSocの社会的意義が改めて強調される。著者らは、技術の暴走を防ぎ、社会的な基盤と深く接続された未来像をDeSocに託している。
しかし、その道のりには多くの課題や未解決の問題が残されている。論文は、今後の研究課題(リサーチアジェンダ)として次のような重要な問いを提示している。
DAOはその状態の公開性を維持したまま、Soul間のパターンやSBTの相関関係を分析し、Sybil攻撃の防止や分散性の確保をどのように実現できるのか?
相関割引などのメカニズムがある中で、SBTを獲得するインセンティブ設計との両立はいかに可能か?
プライバシー保護とDeSocにおける相関割引の仕組みは、どの程度のトレードオフ関係にあるのか?
社会的で適切なプライバシーを維持しつつ、不平等を文脈的に整合的な形で測定する方法は存在するか?
コミュニティリカバリーの枠組みにおいて、「相続」はどのように設計されるべきか?
ディストピア的シナリオを回避するために、プロトコルに組み込むべき「レッドライン」(越えてはならない一線)は存在するか?あるいは、単純に最良のシナリオの構築を目指して競争を促進すればよいのか?
今回の記事では、Vitalikらが提唱するDeSoc論文の詳細な解説を通じて、その思想的・社会的な意義を掘り下げてきた。技術的な側面だけでなく、「どのような社会を技術によって実現したいのか」という、より根本的な問いに向き合うきっかけとなれば幸いである。