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SBTがもたらす自由と信頼のバランスを考える

更新日:5月13日


前回までに、Vitalik Buterinらが提唱するDeSoc(分散型社会)およびSBT(Soulbound Tokens)の概念を考察してきた。今回は、DeSoc論文発表後のさまざまな反応や批判、またSBTが持つ両義性について掘り下げたい。


DeSoc論文の共著者たち—多様な専門性の交差点

2022年5月に発表された論文「Decentralized Society: Finding Web3's Soul」(分散型社会:Web3の魂を見つける)は、Vitalikの他にPuja OhlhaverとE. Glen Weylが共同で執筆している。この三者三様の専門性が融合し、多層的な視点からDeSocという社会ビジョンを生み出している。


Puja Ohlhaverは法律家でありイノベーターとして、制度設計や法律面の視点を提供している。ハーバード大学の「民主主義革新のためのアレン研究所」における「Getting Plurality研究グループ」のメンバーでもあり、また女性向けヘルスケア企業の創業経験を持つなど、実践的かつ多角的な視点で論文に貢献した。


E. Glen Weylは政治経済学者として知られ、マイクロソフト・リサーチの主任研究員やプリンストン大学の講師を務める傍ら、RadicalxChange財団を創設し、「急進的に平等で協力的な社会」の実現を目指している。彼の研究は社会経済システムを包括的に扱い、経済理論とブロックチェーン技術を融合した社会設計を試みている。


三人が共同執筆に至ったのは、Web3が過度に金融化され、真の社会的価値を十分に表現できていないという問題意識が背景にあったからだ。Vitalikの技術的視点、Ohlhaverの法的・制度的視点、Weylの社会経済学的視点が融合し、新しい社会モデルの構想に至った。特にVitalikとWeylは以前からRadicalxChangeでの対話を通じて協力関係を築いており、Ohlhaverが加わったことで具体的な制度設計が可能になった。


ただ、これは筆者の個人的な見解だが、人間社会のリアルなダイナミクスに関する視点は今のところまだ十分ではなく、それが本稿でこの後見るような批判につながっていると思う。今後社会学者や政治学者といった社会科学的な視点が加わり、より現実のニーズと合致した制度設計の構想に進化することが期待される。


DeSoc論文発表後の展開と反応

DeSoc論文の発表後、Web3コミュニティを中心に多様な反応が見られた。その中でも、SBTの具体的な技術的概念と、より広範で抽象的なDeSocビジョンへの反応には温度差がある。


SBTへの関心と実装の進展


SBTは譲渡不可能なトークンという比較的理解しやすい技術的概念であるため、実装に向けて一定の注目を集めている。


例えば、世界最大規模の仮想通貨取引所であるBinanceは、顧客のKYC(本人確認)要件を満たすためのデジタル検証ソリューションとして「Binance Account Bound (BAB)」というSBTを発表した。Goldfinchも実世界投資とDeFiを結びつけるためにSBTを用い、投資家認証の方法として活用している。


これらの実装例は主に既存の認証プロセスをデジタル化する範囲に留まっているが、SBT技術が実際に機能し始めていることを示している。


DeSocビジョンへの反応の課題


一方、DeSocという広範で長期的な社会ビジョンに関しては具体的な動きが少なく、評価も分かれている。「DeSocは抽象的で長期的な研究段階にとどまり、即時的な応用や実用性が乏しい」とする批判もある。短期的な利益志向が強いWeb3コミュニティでは、具体性や即効性のない概念は優先されにくい。


しかし、Web3が過度な金融志向から脱却し、社会的価値へと視点を転換する契機になる可能性があるため、「SBT自体が成功するかどうかに関わらず、DeSocの提起した問題意識自体が有意義である」と評価する意見もある。


DeSoc論文への多様な評価

DeSoc論文への評価は、立場やコミュニティによって大きく異なっている。


好意的な評価


DeSoc論文は、世界最大級の学術論文プラットフォームSSRNで非常に大きな反響を呼んでいる。2025年5月9日時点のSSRNのPaper Statisticsによると、ダウンロード数は8万回を超え、要約の閲覧数も27万件を上回っている。通常の学術論文のダウンロード数が数百回程度であることを考えると、これは学術界を超え、一般社会にまで及ぶ影響力を示す数字と言える。


SSRNは社会科学から技術分野まで幅広い研究者が利用する学際的なリポジトリで、数百万件の論文が掲載されている。その中でDeSoc論文はランキング30位を記録しており、これは全体のトップ0.01%以内に入るということになる。2022年5月の発表から約3年でこれほど注目を集めるのは学術論文として異例であり、Vitalikの知名度を考慮してもなお驚異的と言ってよい。


この論文に関心を寄せているのは、経済学、政治学、社会学、法学など、多様な分野の研究者だ。「DeSocが提唱する分散型の社会構造の概念は、既存の社会・政治・経済システムとどのように接続しうるのか」という観点から、Weylが主導するRadicalxChangeのネットワーク等を通じて、学際的な研究が進められている。


またVitalikが指摘する「アイデンティティを売買可能なNFTで表現することの矛盾」は、自己主権型アイデンティティ(SSI)の支持者からも高く評価されている。譲渡不可能なSBTの提案は、デジタル空間でのアイデンティティのあり方を見直す重要な一歩と捉えられている。


さらに分散型科学(DeSci)コミュニティでは、科学的貢献の評価・追跡システムとしてSBTの可能性が議論されており、「DeSocが情報共有と協力の基盤となり、多様な分散型プロトコルにとって重要な基礎的情報空間を構築する」と期待されている。


批判的な視点


DeSoc論文に対しては、批判や懸念の声も多い。


暗号通貨批評家のDavid GerardはDeSoc構想を「カリフォルニア・イデオロギーに由来する奇妙な経済・社会理論」と呼び、「現実の人々が求めるものへの配慮が欠けている」と指摘している。これは技術主導の理想論が、社会の実際のニーズと乖離しているという批判だ。

また、分散型識別子(DID)や検証可能な資格情報(VC)のコミュニティからは、Soulbound Token(SBT)が既存のアイデンティティ技術と整合性を欠いているという懸念が示されている。SBTは新しいアプローチを提案する一方で、DID/VCは数年の研究実績と標準化の蓄積があるため、両者の調和や相互運用性が課題となっている。


この点については、すでに具体的な取り組みが始まっている。例えばDig DAOは、DID/VCとSBTの相互運用性を実現するオープンソースソフトウェアを開発しているほか、Ethereum Researchフォーラムでも、SBTとERC721を超えた資格情報のあり方について議論が進められている。技術コミュニティは両者を補完的に捉え、統合的なアプローチを模索しており、今後もさらなる議論と実証が必要だろう。


さらに重要な批判として、プライバシーと監視社会化への懸念が挙げられる。David Gerardは、「Vitalik Buterinはブロックチェーン上に全ての人々の永久的な記録を残そうとしている。これは最悪のアイデアだ」と強く批判している。また、ジャーナリストのJacob Silvermanも、「私の魂を不変のブロックチェーンに刻んで取引してくれ」と皮肉を込めて批判した。


テック業界の批評家であり「Web3 is Going Just Great」サイトの運営者として知られるMolly Whiteもまた、「DeSoc論文の著者らは実世界での悪用の可能性を十分考慮していない」と指摘する。特にブロックチェーンの「不可逆性」が問題となっており、犯罪歴など個人にとって不名誉な情報が永久に記録されれば、「忘れられる権利」の侵害や更生の妨げ、監視社会化のリスクなど深刻な問題を生む可能性がある。この指摘は、SBTの扱う情報の範囲やプライバシー保護、個人のアイデンティティの柔軟性を尊重する制度設計についての重要な批判である。


SBTから自由な空間の必要性

SBTによって個人の様々な情報がブロックチェーン上に記録されることで、新たな形の「デジタル監視社会」が生まれる可能性があるという批判は、特に重要であり、真摯に向き合う必要がある。


もそもSBTの設計思想としては、ユーザー自身が「どの情報を受け取るか」「どの情報を公開するか」を主体的にコントロールできる仕組みが理論的に想定されている。DeSoc論文の中でも、Vitalikらはユーザーが情報の公開範囲を柔軟に制御できることが不可欠だと指摘している。


ただし、現時点ではこうした仕組みは理論上の設計段階にとどまっており、具体的な実装や標準化はまだ十分整っていない。そのため、現状すべてのSBTがこのような柔軟性を持つとは限らず、運用や実装次第ではプライバシーの問題が生じる可能性もある。


すべての行動や関係性がSBTとして常に記録される社会は、当然ながら息苦しく、窮屈なものとなる恐れがある。現実社会でも、自分自身の一貫性が求められる場面だけでなく、匿名性を保ち自由に振る舞える場面が必要である。「匿名性」や「忘れられる権利」は、創造性や新たな社会的試みを促進する重要な要素だからだ。


したがってDeSocの制度設計においても、「SBTによって記録されるべき領域」と「SBTから自由であるべき領域」の適切なバランスが重要になる。新しい人間関係の構築や創造的な実験などでは、「評価されない自由」「失敗する自由」「忘れられる自由」を確保することが、健全な分散型社会の実現に必要となるだろう。


SBT実装への現実的ステップ

SBTがデジタル空間で疑似的な身体性を実現し、社会関係資本や政治資本の構築につながるには、以下の現実的なステップが必要となる。


標準化と相互運用性の確立


現在、SBTの発行・管理・利用の方法は標準化されていない。複数のプラットフォームやブロックチェーン間でSBTが広く使えるようにするためには、共通の規格や相互運用性を高める技術基盤が欠かせない。


たとえば教育機関が発行する学位証明がSBTとして普及するためには、雇用市場や専門分野で共通に認知されるプロトコルが必要になるだろう。


信頼できる発行主体の拡大


SBTの価値は、発行主体の信頼性に大きく左右される。大学や企業、自治体など社会的に信頼される組織が積極的にSBTを発行し、それが広く認知されることが重要だ。

例えば東京大学が学位証明をSBTで発行したり、国家資格がSBTで提供されたりすれば、SBTの社会的認知は飛躍的に向上するだろう。


社会的インセンティブ設計

SBTを保有・活用することで、実際の社会的評価や意思決定、経済的なメリットにつながる仕組みを整える必要がある。例えばDAOの投票権をSBT保有に基づいて割り当てたり、SBT保有者向けの限定的なサービスを提供したりすることで、具体的なインセンティブを生むことができる。


ユーザー体験とプライバシー制御の向上

現在のブロックチェーン技術やウォレットは、一般ユーザーにとって使いやすいとは言い難い。誰でも簡単にSBTを管理でき、情報の公開範囲やプライバシー設定を柔軟に調整できる仕組みやインターフェースの改善が必要である。

また、永久的に記録されるべき情報と一時的に共有される情報の区別が容易になるような、きめ細かいプライバシー設定の仕組みも重要となるだろう。


段階的アプローチの重要性

DeSocやSBTのような革新的な構想を実現するには、性急に理想を追い求めるのではなく、段階的に進めることが重要だ。


まずは小規模なコミュニティや限定的な用途から実験を始め、その経験や教訓を着実に積み重ねていくことが必要である。例えば、オープンソースコミュニティでの貢献証明や、学術コミュニティにおける研究実績の記録など、比較的クローズドな環境で試行することで、リスクを抑えつつ可能性を検証できる。


また、技術開発と並行して、社会的・倫理的な議論を深めていくことも欠かせない。「デジタル空間における自己とは何か」「信頼をどう構築するのか」といった問いに対して、技術者だけでなく、哲学者や社会学者、政策立案者など多様な視点から議論を進めるべきだろう。


DeSocはSBTだけで完成するわけではない。SBTはあくまで分散型社会を支える礎石の一つにすぎず、その上にさまざまな仕組みや制度、支え合うパーツを積み重ねて、バランスの取れたエコシステムを作り上げていく必要がある。


たとえば、SBTを通じて資格証明やスキル認定が透明化されれば、人材市場や専門コミュニティでのマッチングが円滑になるだろう。また、地域コミュニティでSBTを活用すれば、ローカルな貢献が可視化され、社会的評価や報酬へとつながる可能性もある。こうした具体的なユースケースを試行錯誤しながら積み上げていくことで、エコシステム全体の具体像が少しずつ明確になり、原理原則に留まらない、リアルで実践的な分散型社会の姿が見えてくるはずだ。


段階的なアプローチによる試行錯誤こそが、この新しい社会の強靭さを生むだろう。


おわりに:SBTが持つ二面性を見つめて

ここまでDeSoc論文への受容と批判を考察してきたが、SBTという概念には本質的な二面性があることが明らかになった。デジタル空間において信頼や関係性を支える基盤となる可能性がある一方で、監視や統制に利用されるリスクも同時に含んでいる。


インターネットのCookieにも似たような二面性があるが、Cookieがサービス提供者による主体的なユーザー追跡を目的としているのに対し、SBTはあくまでもユーザー自身が受け取り、公開範囲を主体的にコントロールできる仕組みを理想としている。とはいえ、情報が恒久的に記録されるという特性を持つ以上、Cookieとは異なるかたちで間接的な社会的監視や評価につながる懸念も生じる。だからこそ、慎重な制度設計とユーザーによるコントロールが極めて重要なのだ。


私たちはこうした二面性を正面から見据えたうえで、どのようなデジタル社会を作りたいのかを丁寧に考える必要がある。SBTで記録されるべき領域と、記録されない自由な領域との適切なバランスについて、さらなる議論を深めていくべきだろう。


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