ブロックチェーンで社会関係資本を紡ぎなおせるか?
- Seo Seungchul
- 5月6日
- 読了時間: 7分
更新日:5月18日

ヴィタリク・ブテリンが描く新しい社会ビジョン
私たちの日常はすでにデジタル情報と深く融合している。朝起きてスマホを手に取り、SNSをチェックし、電子決済で買い物を済ませ、オンラインで仕事を進める。テクノロジーと社会の境界線はますます曖昧になってきた。しかし、こうした生活は私たちを幸せにしているだろうか。その先に本当に私たちの望む社会があるのだろうか。
そんな問いについて深く静かに思索を重ねている人物がいる。イーサリアムの共同創設者として知られるヴィタリク・ブテリン(Vitalik Buterin)である。2022年5月、彼はプージャ・オールヘイヴァー(Puja Ohlhaver)、グレン・ワイル(Glen Weyl)という二人の共著者とともに、『Decentralized Society: Finding Web3's Soul』(分散型社会:Web3の魂を見つける)という論文を発表した。この論文で提唱された「DeSoc(分散型社会)」という概念は、私たちがこれから目指すべき社会の姿について、新たな視座を提供してくれる可能性を秘めている。
立ち止まって見つめ直すWeb3の現在地
現在のWeb3は、「譲渡可能な金融化された資産」を表現することに偏りがちだ。NFTやトークンの取引、DeFiでの投資活動など、経済的価値の交換を中心として構築されている。ブロックチェーン技術やWeb3と聞いても、「ビットコインやNFTの価格変動に関するニュースくらいしか思い浮かばない」という人も多いのではないだろうか。
しかし、ヴィタリクらはここで問いかける。
「Web3はこうした金融的な取引だけでなく、もっと人間社会の根幹にあるものを支える基盤になれるはずではないか?」
実際の社会では、無担保融資やブランドの構築、コミュニティ形成など、多くの活動が「信頼」という譲渡不可能な関係性を基盤として成り立っている。日常のなかで私たちが友人や同僚から得ている「信頼」や「評判」は、お金で買うことはできないが、社会生活を支える重要な「資本」だ。
このような信頼のネットワークをデジタル空間でも自然に表現できないだろうか?そこがDeSocという構想の出発点である。
DeSocとは何か—金融を超えた社会的関係の表現
DeSocとは「Decentralized Society」の略であり、人々がそれぞれ譲渡不可能のデジタルなアイデンティティを持ち、多様なコミュニティに自由に参加しながら、お互いの強みや信頼をもとに協力して価値を創りだす社会のことを指している。
ここで重要なのは、DeSocが目指すのは単なる情報処理の分散化ではなく、社会関係そのものの分散化だという点だ。ヴィタリクらが描くのは、中央集権的な権力や巨大企業に管理される社会ではなく、個人やコミュニティが主体となって柔軟に社会を形成していくというビジョンだ。
「Soul」と「SBT」— DeSocを支える新しい概念
このDeSocの中核に置かれるのが、「Soul(魂)」という概念だ。Soulとは単なるウォレットやアカウントではなく、個人の本質的なアイデンティティを表すデジタル上の存在である。そして、そのSoulに紐づけられているものが、「Soulbound Tokens(SBT、"魂に縛られたトークン"の意)」だ。
ヴィタリクはこの発想をゲーム『World of Warcraft』から得たという。このゲームには、「ソウルバウンドアイテム」と呼ばれる一度取得すると他のプレイヤーに譲渡できないアイテムが存在する。それと同様に、SBTは売買や譲渡ができない、その人だけのトークンとなる。
現在のWeb3では、あなたが持つスキルや実績を証明する手段は限られている。そのため、実際に能力があったとしても、それを信頼できる形でデジタル空間に表現することは難しい。
しかしDeSocにおいては、個人の現実社会における振る舞いや貢献を、譲渡不能なSBTとしてブロックチェーン上に記録することができる。大学の学位、職歴、コミュニティへの貢献といった社会的アイデンティティの要素が、あなたのSoulに蓄積されていく。例えばあなたがプログラミングのスキルを持っているとしよう。あなたがオンラインコミュニティで貢献を重ねるたびに、それらがSBTとしてSoulに記録され、デジタル空間で社会的に証明されることになる。この「社会的に証明されたスキルや実績」は売買できないがゆえに、かえって真の価値を持つようになる。
なぜヴィタリクはDeSocとSBTに着目したのか
ヴィタリクがこの構想に至った背景には、現在のWeb3が抱える状況に対する強い問題意識がある。投機的な取引に熱狂し、高騰する暗号資産やNFTの価格ばかりに注目が集まる一方で、Web3が本来描いていた「インターネットの分散化」という理想が薄れつつあるのではないか、と彼は深く懸念したのだ。
現状のWeb3における多くのサービスは、実際にはWeb2時代から続く中央集権的なインフラや構造に少なからず依存している。例えば、多くのNFTマーケットプレイスが、依然として従来のプラットフォーム企業が運営するサーバーや認証システムを利用している現実は、そこに真の「分散化」が未だ実現されていないことを示しており、Web3本来の魅力と持続可能性を損なう要因となっている。
ヴィタリクは、このようなWeb3の現状の根底には、分散型アイデンティティの確立が遅れているという本質的な課題が存在すると考えた。この課題に対する重要な打開策の一つとして提案されたのが、SBTである。
さらに、このSBTを単なる技術的な解決策に留めず、社会関係資本や信頼のあり方といった社会的基盤そのものを再構築するための触媒として位置づけたのが、DeSocの構想と言えるだろう。
ヴィタリク・ブテリン—未来の歴史書に名を残す社会思想家となるか
ヴィタリク・ブテリンという人物の特異性は、卓越した技術開発者であると同時に、技術と社会思想の交差点に立ち、両者を深く結びつけて考察する視点を有している点にある。20代という若さで世界に大きな影響を与えたイーサリアムを創出しながらも、それを単なるデータの分散管理や金融効率化のツールに留まらせず、社会構造そのものを再構築しうる触媒として捉える彼の視座と構想力は、極めて稀有と言える。
彼の数多くのエッセイからは、その思想の根底に、社会に対する透徹した洞察と、個々の「代替不可能な人間存在」への深い眼差しが一貫して流れていることがうかがえる。DeSocの構想もまた、社会関係資本の再構築に始まり、ひいては権力構造や意思決定プロセスの分散化までを射程に入れた、壮大な社会変革のビジョンなのである。
歴史を振り返れば、新たな技術パラダイムが勃興する時代には、その技術が社会にもたらす変革を深く洞察し、望ましい未来像を提示した思想家たちがいた。産業革命期に人間と労働の関係を根底から問い直したカール・マルクスや、情報革命期に新たなメディアが人間の感覚や社会のあり方を根本的に変容させる可能性を鋭く指摘したマーシャル・マクルーハンは、その好例であろう。
ヴィタリクもまた、ブロックチェーン技術がもたらす分散化革命という現代の大きな転換点において、技術の社会的な可能性と倫理的課題を同時に見据え、思想と実践の往還を続けている。100年後の歴史教科書に、「ヴィタリク・ブテリンは、ブロックチェーン技術を基盤とする新たな社会哲学を提唱し、21世紀デジタル社会の設計に大きな影響を与えた思想家であり、その実践者であった」と記されたとしても、何ら不思議ではないだろう。
私たちは何を選び取るべきか
もちろん、DeSocとSBTの構想は、現時点では実験的な取り組みが始まったばかりで、まだ理論的な色彩が濃い。
この構想に対する批判や未解決の課題も存在する。例えば、一度記録された個人情報が永久的にブロックチェーン上に残ることで、過去の些細なミスや出来事が消えない痕跡となり、監視社会を招くのではないかという懸念もある。プライバシーの問題も避けては通れない。
しかし、私たちが真に考えるべきことは、テクノロジーそのものの詳細よりも、「どのような社会を望むのか」という根本的な問いではないだろうか。
私たちは、経済的利益のみが人間の価値を測る基準となる社会を望むのか。それとも、信頼や互いの貢献といった経済だけでは測れないものが正当に評価される社会を望むのか。これはテクノロジーを超え、私たち一人ひとりが選び取るべき未来の問いである。
ヴィタリクらの問いかけは、この社会の未来を考えるうえで、私たち自身に向けられたものなのかもしれない。彼の思想の真価は、理論だけでなく、これからの社会実装のプロセスを経て、より明確になっていくだろう。