AIが人間らしく考えるために「脳の組織図」を真似したらどうなるか
- Seo Seungchul
- 6月22日
- 読了時間: 7分
更新日:6月30日

シリーズ: 論文渉猟
著者:Badr AlKhamissi et al.
掲載:arXiv、2025年6月
私たちの脳は、言語を処理する部分、論理的に考える部分、感情を理解する部分、記憶を引き出す部分など、それぞれ専門性を持った「部門」に分かれて働いています。このような脳の「機能分化」の仕組みをAIに取り入れたら、どのような可能性が開けるのでしょうか。
最近発表された研究論文「Mixture of Cognitive Reasoners: Modular Reasoning with Brain-Like Specialization」では、脳の認知ネットワークを模倣したAIモデルが、従来のシステムを上回る性能と解釈しやすさを実現しています。富良野とPhronaの対話を通じて、この技術が持つ意味と可能性について考察してみます。人間とAIの境界線が曖昧になりつつある今、「人間らしい知性」とは何なのか、そして技術の進歩は私たちの認知や社会にどのような変化をもたらすのかという根本的な問いについて、一緒に探っていきましょう。
富良野: 人間の脳って、言語処理とか論理的推論とか社会的理解とか、それぞれ専門の部署があるじゃないですか。それをAIでも再現してみましょうっていう研究なんですけど、面白いと思いませんか?
Phrona: へえ、脳の組織図をAIに移植するような感じでしょうか。でも富良野さん、そもそも人間の脳の「専門部署」って、本当にそんなに明確に分かれているものなんですかね?
富良野: いや、それ、実はいい指摘で。脳科学でいうところの機能分化って、完全に独立してるわけじゃなくて、むしろ複雑に絡み合って動いてるんですよね。でも研究者たちは、言語ネットワーク、論理推論ネットワーク、社会理解ネットワーク、記憶ネットワークの4つに分けて、それぞれを専門の「エキスパート」として学習させたと。
Phrona: 4つのエキスパート……なんだか会社の部署分けみたい(笑)。でも、そうやって分業制にしたら、AIの性能って実際に上がったんですか?
富良野: それが意外にもうまくいったみたいなんです。従来の「何でもやります」型のAIより、7つの推論ベンチマークで性能が向上したって書いてある。しかも、特定のモジュールを取り除くと、そのモジュールが担当していた分野の性能が大幅に落ちる。つまり、ちゃんと専門性が身についてるってことですね。
Phrona: でも、それって逆に考えると、人間みたいに「苦手分野」も生まれちゃうってことですよね?たとえば、論理モジュールを弱くしたら、数学が苦手なAIになるとか。
富良野: そう、まさにそこが興味深いところで。研究では、推論時に特定のエキスパートを強調することで、AIの「性格」をコントロールできるって言ってるんです。社会的推論を重視するか、論理的推論を重視するかを、その場で調整できる。
Phrona: あー、それは面白い。人間だって、場面に応じて論理的に考えたり、感情的に判断したりしますもんね。でも、それって良いことばかりじゃないような気もします。AIに「偏見」が生まれる可能性はないんでしょうか?
富良野: うん、それは重要な問題ですね。例えば社会理解モジュールが、訓練データの社会的バイアスを学習してしまう可能性は十分ある。でも逆に言えば、どのモジュールがどんな判断をしているかが見えやすくなるから、バイアスの発見や修正もしやすくなるかもしれない。
Phrona: なるほど。「ブラックボックス」が「ガラス張りの部屋」になるような感じでしょうか。でも、人間の認知って本当にそんなふうに整理整頓されてるものなんですかね?私なんて、論理と感情がぐちゃぐちゃに混ざって考えてる気がしますけど。
富良野: ああ、それ、すごくいいポイントですね。実際の人間の思考って、もっと流動的で複雑ですよね。この研究は「脳にインスパイアされた」と言ってるけど、実際の脳の働きを完全に再現してるわけじゃない。むしろ、脳科学の知見を参考にした工学的な設計って感じかな。
Phrona: そうすると、これって「人間らしいAI」というより、「人間の脳の設計思想を借りた効率的なAI」って言ったほうが正確かもしれませんね。
富良野: そうですね。でも、それはそれで価値がある。人間の脳が進化の過程で獲得した「分業制」という戦略が、AIの性能向上にも役立つってことが示されたわけだから。
Phrona: 確かに。でも富良野さん、こういう技術が進歩していくと、今度は逆に人間の側が影響を受けそうな気がしませんか?AIの思考パターンを見て、「あ、こうやって考えるといいのか」って学習しちゃったり。
富良野: あー、それは興味深い視点ですね。既に一部の人たちは、ChatGPTの回答パターンを真似して自分の思考スタイルを変えてるって話もありますからね。AIと人間が互いに影響し合う、みたいな。
Phrona: そうそう。最初は人間の脳を真似したAIだったのに、気がついたらAIの思考パターンを真似する人間が出てくる。なんだか面白い循環ですよね。でも、それって良いことなんでしょうか?
富良野: どうでしょうね。良い面もあれば心配な面もある。例えば、論理的思考が苦手な人が、AIの論理モジュールの働き方を参考にして、自分の思考を整理できるようになるかもしれない。でも一方で、人間らしい曖昧さや直感みたいなものが軽視される可能性もある。
Phrona: そういえば、この研究では「解釈しやすさ」も大きなポイントでしたよね。AIがどう考えているかが分かりやすくなるって。
富良野: そうなんです。従来のAIだと、なぜその答えを出したのかが分からない「ブラックボックス」問題があった。でも、このモジュラー設計だと、どの専門部署がどう判断したかが見えるようになる。これは特に、医療とか法律とか、判断根拠が重要な分野では大きな意味を持ちそうです。
Phrona: でも、見えすぎるのも問題かもしれませんね。人間だって、自分がなぜその判断をしたのか、いつも明確に説明できるわけじゃないし。感覚的に「なんとなく」決めることって、案外大切だったりしません?
富良野: うん、それも一理ありますね。完全に論理的で透明な判断が、必ずしも最良の結果をもたらすとは限らない。人間の「なんとなく」の中には、言語化できない豊富な経験や直感が含まれてるかもしれないから。
Phrona: そう考えると、この技術って、私たちに「知性とは何か」って問いを突きつけてくる気がします。論理的で説明可能な思考だけが知性なのか、それとも曖昧で感覚的な部分も含めて知性なのか。
富良野: そこですよね。この研究は確かに画期的だけど、同時に「人間らしさ」について改めて考えさせられる。AIが人間の脳を模倣することで、逆に人間の特異性が浮き彫りになるのかもしれません。
ポイント整理
MiCRo(Mixture of Cognitive Reasoners)アーキテクチャ:
人間の脳の認知ネットワーク(言語処理、論理推論、社会理解、記憶検索)を模倣し、既存のトランスフォーマーモデルの層を4つの専門エキスパートに分割する設計
機能的特化の実証:
各モジュールを除去すると関連分野の性能が大幅に低下し、明確な専門性が確認された。7つの推論ベンチマークで従来手法を上回る性能を達成
推論時制御:
特定のエキスパート(例:社会的推論vs論理的推論)を強調することで、AIの応答スタイルを動的に調整可能
解釈可能性の向上:
モジュラー設計により、AIの判断プロセスが透明化され、各専門部門の寄与度が可視化される
生物学的妥当性:
人間の脳の機能分化という進化的に獲得された戦略が、AI性能向上にも有効であることを示唆
双方向的影響:
AIが人間の認知を模倣する一方で、人間もAIの思考パターンから学習する可能性が示唆される
キーワード解説
【機能分化(Functional Specialization)】
脳の異なる領域が特定の認知機能に特化すること
【モジュラーアーキテクチャ】
システムを独立性の高い専門モジュールに分割する設計思想
【エキスパート混合(Mixture of Experts)】
複数の専門化されたモデルを組み合わせる機械学習手法
【認知ネットワーク】
特定の認知機能を担う脳領域の連携システム
【解釈可能AI(Explainable AI)】
判断根拠や処理過程が人間に理解できるAIシステム
【推論時制御】
学習済みモデルの出力を、実行時のパラメータ調整で制御する技術
【脳インスパイアードAI】
人間の脳の構造や機能を参考にしたAI設計アプローチ