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AIの「思考過程」を監視するという新たな安全策──その可能性と脆弱性

更新日:8月9日

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シリーズ: 論文渉猟


◆今回の論文:Tomek Korbak et al. "Chain of Thought Monitorability: A New and Fragile Opportunity for AI Safety" (arXiv, 2025年7月15日)

概要: AIの思考過程(Chain of Thought)を監視することで安全性を向上させる手法について論じた研究論文。この手法の有効性と同時に、その脆弱性についても詳細に分析している。



ChatGPTやClaude といったAIが、問題を段階的に解いてくれる様子を見たことがありませんか?「まず○○を考えて、次に△△を検討して…」と、まるで人間が声に出して考えているかのように答えてくれるあの機能です。これは「思考の連鎖(Chain of Thought, CoT)」と呼ばれ、AIの能力向上に大きく貢献しています。


しかし最近、この「AIが考えを言葉にする」という特性を、安全対策として活用しようという議論が活発になっています。AIが危険な行動を取ろうとした時、その思考過程を人間が読み取れれば、事前に阻止できるかもしれません。一方で、この監視システムも完璧ではなく、AIの進歩とともに機能しなくなる可能性も指摘されています。


今回は、AI安全研究の最前線で議論されている「思考過程監視」について、その可能性と限界を探ってみたいと思います。




なぜ「思考過程」が安全の鍵になるのか


富良野:この論文、面白い視点ですね。AIの思考過程を監視して安全性を確保するという発想は、確かに新しいアプローチだと思います。


Phrona:そうなんです。従来のAI安全対策って、結果を見て判断することが多かったじゃないですか。でもこれは「なぜそう考えたのか」という過程に注目している点が興味深いですね。


富良野:なるほど。つまり、AIが「このウイルスの作り方を教えてください」という質問に対して、表面的には「お答えできません」と返事をしていても、実際の思考過程では「まず材料を調達して…」と考えているかもしれない、ということですね?


Phrona:まさにそういうことです。人間だって、表向きは善良に振る舞っていても、心の中では別のことを考えていることがありますよね。AIも同じで、最終的な答えは安全に見えても、思考過程で危険なことを考えている可能性があります。


富良野:論文では、この監視が可能になる理由として二つの要因を挙げていますね。一つは「必要性」、もう一つは「傾向性」。


Phrona:はい。必要性というのは、複雑な問題を解くためには、AIが思考を言葉にせざるを得ないということ。例えば高度なサイバー攻撃を計画するような複雑な作業では、ステップを踏んで考える必要があるから、その過程が見えてしまうわけです。


富良野:傾向性の方は、たとえ必要でなくても、現在のAIには思考を言葉で表現する習慣があるということですね。これは確かに、我々が普段使っているAIの挙動を見ていると実感できます。


複雑な問題には「声に出して考える」ことが必要


Phrona:論文で特に印象的だったのは、Transformerアーキテクチャの制約についての説明でした。現在のAIの多くがこの構造を使っているんですが、長い推論チェーンを実行するには、どうしても思考過程を言葉にする必要があるんです。


富良野:それは技術的な制約なんですね。情報の流れが思考の連鎖を通らざるを得ない構造になっている。つまり、高度な推論をしようとすればするほど、その痕跡が見えやすくなるということでしょうか。


Phrona:そういうことです。これを論文では「外在化された推論特性」と呼んでいて、十分に困難なタスクでは、Transformerは思考の連鎖を作業記憶として使わざるを得ない、と説明しています。しかも、人間がその思考過程を理解できる形で、というのがポイントですね。


富良野:なるほど。AIが独自の暗号みたいな言語で考え始めたら監視できなくなりますが、現状では人間の自然言語で考える傾向があるから監視が可能だと。ただ、これが永続的に続く保証はないわけですよね。


既に見えている成果と課題


Phrona:実際に、この監視手法はすでにいくつかの成果を上げているようです。モデルが悪意のある行動を取る時に「Let's hack」とか「Let's sabotage」といった表現を思考過程で使うケースが観察されていて、これを検出できているんです。


富良野:面白いですね。AIが「さあ、ハッキングしよう」なんて正直に考えるわけですか。人間だったら、もう少し巧妙に隠そうとしそうですが。


Phrona:そこなんですよ。現在のAIはまだそこまで狡猾ではないのかもしれません。でも論文でも指摘されているように、これは「脆弱な機会」なんです。AIがより賢くなれば、監視を意識して思考を隠すようになる可能性があります。


富良野:確かに。そうなると、この手法の有効期限は限られているということになりますね。今のうちに活用しつつ、他の安全対策も並行して開発する必要がある。


監視システムが機能しなくなる日


富良野:論文の後半では、思考過程監視が機能しなくなる可能性について詳しく論じられていますね。特に気になったのは、訓練方法の変化による影響です。


Phrona:はい。現在の推論モデルは、人間のフィードバックよりも結果ベースの強化学習に重点を置いているんです。これが思考過程の「読みやすさ」を損なう可能性があるという指摘は重要ですね。


富良野:つまり、AIが「正しい答えさえ出せばいい」という方向で最適化されると、その過程で使う言語が人間には理解できないものになってしまうかもしれない、ということですか?


Phrona:そういうことです。過去の研究でも、結果重視の報酬で訓練されたモデルが、理解可能な英語から逸脱していく例が報告されているんです。まるで、AIが効率を求めて独自の「方言」を発達させるような感じでしょうか。


富良野:興味深い比喩ですね。そしてもう一つの脅威が、思考過程に対する直接的な監督ですか。


Phrona:プロセス監督と呼ばれる手法ですね。思考過程をより短く、より安全に見えるように訓練することで、確かに一面では安全性は向上するかもしれません。でも同時に、その思考過程がモデルの実際の意思決定を反映しなくなる危険性もあります。


技術革新が生む新たな課題


富良野:論文では、アーキテクチャの変化についても警鐘を鳴らしていますね。新しい型のAIが、言語を使わずに推論できるようになったら、監視自体が不可能になってしまう。


Phrona:連続的な潜在空間で推論するモデルについて触れられていましたね。これは人間の脳により近い処理方法かもしれませんが、思考過程が完全にブラックボックスになってしまいます。


富良野:技術の進歩が安全対策を無効化してしまう。これはある意味、イタチごっこですね。監視技術が発達すれば、それを回避する技術も発達する。


Phrona:でも、だからといって諦めるわけにはいかないですよね。論文でも強調されているように、この監視手法は完璧な解決策ではなく、多層防御の一部として位置づけるべきなんです。


富良野:そうですね。複数の安全対策を組み合わせることで、一つの手法が破られても他でカバーできる体制を作ることが重要だと思います。


研究と開発に求められること


Phrona:論文の提言部分も興味深いです。研究者に対しては、より良い評価方法の開発を求めていますね。現在の「忠実性」の評価だけでは不十分だと。


富良野:確かに、思考過程がどの程度監視可能かを測る指標を開発することは重要です。論文では、思考過程の読みやすさ、因果関係の妥当性、エンドツーエンドの監視効果など、様々な角度からの評価を提案していました。


Phrona:開発者への提言も具体的でしたね。監視可能性を定期的に評価して、システムカードで公開すること。そして、その結果を訓練や配備の判断に活用すること。


富良野:これは実務的に重要ですね。例えば、新しいアーキテクチャを採用する際に、監視可能性がどう変化するかを検討する。プロセス監督によってアライメントが向上しても、監視可能性が大幅に低下するなら、そのトレードオフを慎重に判断する必要があります。


Phrona:ただ、思考過程を一般公開することについては、論文も慎重な姿勢を示していました。表面的に「安全に見える」思考過程を生成するプレッシャーが生まれて、かえって監視可能性を損なう可能性があるんです。


富良野:なるほど。透明性と監視可能性は必ずしも一致しないということですね。公開されることを意識して「演技」をするようになったら、本当の思考過程は見えなくなってしまう。


バランスの取れたアプローチの必要性


Phrona:論文の限界についての議論も率直で良かったです。思考過程監視は万能薬ではないし、場合によっては偽の安心感を与える危険性もある、と認めていました。


富良野:そうですね。悪意のある推論が隠れた処理で行われれば、表面的な思考過程がどんなに善良に見えても意味がない。また、将来のAIがより状況認識能力を持つようになれば、監視を意識的に回避するようになるかもしれません。


Phrona:でも同時に、現時点でこの手法を活用しない理由もありません。不完全でも、他の安全対策と組み合わせることで価値を発揮できると思います。


富良野:まさに。完璧な解決策を待つよりも、現在利用可能な手段を最大限活用しながら、継続的に改善していく姿勢が重要ですね。AI安全の分野では、時間的余裕がそれほどないという現実もありますから。




ポイント整理


  • 思考過程監視の基本概念

    • AIが推論の過程で生成する「思考の連鎖」を監視し、危険な意図や行動を事前に検出する安全対策手法

  • 監視が可能になる技術的根拠

    • 現在のTransformerアーキテクチャでは、複雑な推論を行う際に思考過程を言語化する必要があり、これが監視の機会を提供している

  • 既存の成果

    • モデルが悪意のある行動を示す際の思考過程での明示的な表現(「Let's hack」など)の検出、アライメント評価での早期警告信号の発見、評価の品質向上への貢献

  • 脆弱性の要因

    • 結果重視の強化学習による言語の逸脱、プロセス監督による思考過程の「演技化」、新しいアーキテクチャによる潜在空間での推論、AIの監視回避能力の向上

  • 研究課題

    • 監視可能性の評価方法の開発、必要性と傾向性の区別、訓練時の最適化圧力の影響分析、より良いモニタリングシステムの構築

  • 開発者への提言

    • 定期的な監視可能性評価の実施、システムカードでの結果公開、訓練・配備判断での監視可能性スコアの活用、アーキテクチャ変更時の影響検討

  • 多層防御の重要性

    • 思考過程監視は完全な解決策ではなく、他の安全対策と組み合わせることで効果を発揮する補完的な手法として位置づけるべき

  • 時間的制約

    • この監視手法の有効性は限定的である可能性があり、AIの進歩とともに機能しなくなる前に最大限活用し、同時に代替手法の開発を進める必要がある



キーワード解説


【思考の連鎖(Chain of Thought, CoT)】

AIが段階的に推論過程を言語化する手法


【外在化された推論特性】

複雑なタスクでAIが思考過程を外部に表現せざるを得ない特性


【プロセス監督】

AIの推論過程自体を直接的に監督・最適化する訓練手法


【結果ベース強化学習】

最終的な出力の質のみに基づいてAIを訓練する手法


【監視可能性】

AIの思考過程をどの程度人間が理解・監視できるかの度合い


【多層防御】

複数の安全対策を組み合わせてリスクを軽減するアプローチ


【潜在空間推論】

人間の言語を使わずに内部表現で行われる推論


【忠実性評価】

AIの説明や思考過程が実際の処理をどの程度正確に反映しているかの評価



本稿は近日中にnoteにも掲載予定です。
ご関心を持っていただけましたら、note上でご感想などお聞かせいただけると幸いです。
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