AIの歴史的躍進──Gemini 2.5が描く知能の新境地
- Seo Seungchul

- 9月10日
- 読了時間: 10分

シリーズ: 論文渉猟
◆今回の論文:Gemini Team "Gemini 2.5: Pushing the Frontier with Advanced Reasoning, Multimodality, Long Context, and Next Generation Agentic Capabilities" (arXiv, 2025年7月15日)
概要: GoogleのGemini 2.5 Pro、2.5 Flash、2.0 Flash、Flash-Liteモデルファミリーの技術レポート。最新モデルの性能向上、特にコーディングと推論能力の飛躍的な改善、そして長時間動画の処理能力について詳述。
技術の進歩が加速度的に進むこの時代において、AI研究の現場では新たな挑戦が浮上しています。それは「評価基準が技術の進歩に追いつけない」という、まったく新しい種類の問題です。Googleが発表したGemini 2.5 Proは、わずか1年でAider Polyglotの成績を5倍、SWE-benchの成績を2倍に向上させました。しかし、この驚異的な進歩の背景には、私たちが想像していなかった新しい課題が浮かび上がってきます。高性能なAIを適切に評価するベンチマークの作成が、技術開発よりも困難で高コストになるという逆転現象が起きているのです。今回は、Gemini 2.5の技術レポートを通じて、AI開発における評価の限界と、それが私たちの社会にもたらす意味について考えてみましょう。
評価の追いつかない進歩
富良野:評価基準が技術の進歩に追いつけなくなっているというこのレポートの指摘が最も印象的でした。「ベンチマークが急速に飽和し、すべての新しいベンチマークがその前身よりも作成に多くの費用と時間がかかる」という状況が起きているようですね。
Phrona:ああ、それは本当に興味深い現象ですね。Humanity's Last Examというベンチマークでは、専門家が質問1つにつき最大5000ドルという報酬を得ているそうです。でも、そのベンチマークでさえ、早期2025年に発表されたときは最高のモデルが数パーセントの精度しか示さなかったのに、数ヶ月後には大幅に性能が向上したとか。
富良野:評価コストの急激な上昇は、技術開発の構造そのものを変えてしまう可能性がありますね。つまり、技術が進歩すればするほど、その技術を適切に評価するための専門知識のプールが狭くなり、評価自体がボトルネックになってしまう。
Phrona:それって、ある意味で知的労働の希少性の問題でもありますよね。高度な技術を評価できる専門家の数は限られているから、彼らの時間や知識がより貴重になっていく。AIが進歩すればするほど、人間の専門性への依存度が高まるという皮肉な構造になっている。
技術進歩のパラドックス
富良野:この現象を見ていると、技術進歩におけるパラドックスが見えてきます。AI自体がより賢くなればなるほど、その知能を測る物差しを作ることが難しくなってしまう。従来のベンチマークでは、もはや性能の差を測れなくなってしまった。
Phrona:そうですね。しかも興味深いのは、エージェント的なシステム、つまり長時間問題に取り組んでツールや自己批判機能を使えるものになると、評価の複雑さが劇的に増加するということです。単純に「正解か不正解か」では測れない種類の知能が生まれている。
富良野:それは評価の質的な変化を示していますね。これまでの評価は比較的静的なものでしたが、エージェント型のAIは動的で長期的なプロセスを必要とする。まるで人間の知能評価と同じような複雑さになってきている。
Phrona:面白いのは、この状況が「評価疲れ」のような現象を生み出しそうなことです。研究者たちが評価基準を作ることに多大な時間とコストを割かなければならず、その間に技術はさらに進歩してしまう。まるでイタチごっこのような状況になっている。
経済価値との結びつき
富良野:レポートでは、「経済的価値を持つタスクを表現する評価」の重要性も指摘されています。つまり、単に技術的に高度な問題を解けるかどうかではなく、実際の社会や経済に役立つかどうかという視点ですね。
Phrona:それは重要な観点ですね。技術の進歩を追いかけるだけでなく、その技術が人間社会にとってどのような意味を持つのかという問いに立ち返る必要がある。評価基準自体が、私たちの価値観や社会の方向性を反映するものになってきている。
富良野:経済価値という観点から見ると、Aider Polyglotで5倍、SWE-bench verifiedで2倍という数字は、単なる技術指標以上の意味を持ちますね。これらはコーディング能力に関するベンチマークですから、実際のソフトウェア開発現場での生産性向上に直結する可能性がある。
Phrona:でも同時に、経済価値を重視しすぎることで、測りにくい価値や長期的な影響が見落とされるリスクもありますね。人間らしさや創造性、倫理的な判断力といった、数値化しにくい能力はどう評価すればいいのでしょう。
マルチモーダル能力の拡張
富良野:Gemini 2.5 Proの技術的特徴として注目すべきは、3時間の動画コンテンツを処理できる能力です。これは単なる技術的進歩以上の意味を持っていると思います。
Phrona:3時間という長さは、人間の集中力の限界に近い時間ですね。大学の講義や映画の長さに匹敵します。AIが人間と同じような時間スケールで情報を処理できるようになったということは、人間の学習や思考のプロセスをより深く理解し、模倣できるようになったということかもしれません。
富良野:特に興味深いのは、「講義の動画を取って、その内容について学生の知識をテストするインタラクティブなWebアプリケーションを作成する」という応用例です。これは教育の分野において、個人化された学習体験を大規模に提供できる可能性を示している。
Phrona:でもそれって、教育者の役割をどう変えていくのでしょうね。AIが講義内容を理解して学習体験を個別化できるなら、人間の教師は何をすべきなのか。より深い人間的な関わりや、創造的な思考の促進に特化していくのかもしれません。
思考と理解の模倣
富良野:Gemini 2.5 Proは「思考モデル」として位置づけられているのも注目点です。これまでのAIが主に反応的だったのに対し、より人間的な思考プロセスを模倣しようとしている。
Phrona:思考モデルという表現が興味深いですね。思考って、単に情報を処理することではなく、時間をかけて複数の可能性を検討し、自分の答えを疑い、修正していくプロセスですから。AIがそうした内省的な能力を持つようになったということでしょうか。
富良野:マルチモーダル理解と長時間コンテキストの組み合わせは、思考の複雑さを支える基盤になりそうです。視覚、聴覚、テキストの情報を長期間にわたって統合しながら処理できるというのは、人間の認知プロセスにかなり近づいている。
Phrona:ただ、思考を模倣することと、本当に思考することの間には、まだ大きな隔たりがあるかもしれませんね。AIが長時間の動画を「理解」するといっても、それが人間の理解と同質なものなのかは、まだ分からない部分が多い。
安全性と社会実装
富良野:レポートでは、Gemini 2.5モデルが強い安全基準を維持しながら、前バージョンよりもずっと有用になったという点も強調されています。「重要なユーザーの質問に答えることを拒否したり、過度に説教的な口調で応答したりする可能性が低くなった」とのことです。
Phrona:それは興味深い調整ですね。安全性と有用性のバランスを取るのは難しい問題です。過度に慎重になりすぎると、AIが実用的でなくなってしまう。でも安全性を軽視すれば、社会に悪影響を与えるリスクがある。
富良野:「Critical Capability Levels」を設定して、サイバーセキュリティや機械学習研究開発において顕著な向上を示したものの、重要な能力レベルは超えていないという評価も興味深いです。何らかの安全性の閾値を設けて、それを越えないように開発をコントロールしている。
Phrona:それって、技術開発に意図的にブレーキをかけているということでもありますね。純粋に技術的に可能なことと、社会的に実装すべきことの間に線を引いている。技術者の社会的責任という観点から見ると、重要な姿勢だと思います。
次世代エージェントワークフロー
富良野:レポートでは「次世代エージェントワークフロー」の可能性についても言及されています。長時間コンテキスト、マルチモーダル、推論能力の組み合わせが、新しい種類の問題解決を可能にするということですね。
Phrona:エージェントワークフローという概念は、AIが単なるツールから、より自律的な協働者へと変化していることを示しているように思えます。人間と一緒に働きながら、長期的な目標に向かって継続的に作業できるような存在になりつつある。
富良野:ただし、そうしたエージェント的な能力が高まれば高まるほど、評価の複雑さも増すという、先ほど話した問題に戻ってきます。より自律的なAIをどう評価し、コントロールするかは、これからの大きな課題になりそうです。
Phrona:そうですね。エージェント的なAIは、予想外の方法で問題を解決することがあるかもしれません。それは創造性という点では素晴らしいことですが、同時に予測不可能性も生み出します。安全性と革新性のバランスを取るのが、ますます難しくなりそうです。
ポイント整理
技術進歩と評価のジレンマ
Gemini 2.5 Proはわずか1年でAider Polyglotで5倍、SWE-benchで2倍の性能向上を達成したが、これほど急速な進歩により既存のベンチマークが急速に飽和している
新しい評価基準の作成コストが急激に上昇しており、専門家への質問作成報酬が最大5000ドルに達するケースもある
エージェント型システムの評価には、より複雑で長期的なプロセスが必要となり、従来の静的な評価手法では限界がある
マルチモーダル能力の質的転換
3時間の動画コンテンツ処理能力は、人間の認知的時間スケールに匹敵する長時間情報統合を可能にしている
講義動画から学習体験を個別化するアプリケーション生成など、教育分野での実用的応用が具体化されている
思考モデルとしての位置づけにより、単純な反応から内省的な思考プロセスへの質的変化が見られる
安全性と実用性のバランス設計
Critical Capability Levelsという安全性の閾値を設定し、技術的可能性と社会実装の適切性を区別している
過度な慎重さを減らし、ユーザーの重要な質問により有用に応答できるよう調整されている
サイバーセキュリティや機械学習研究開発能力の向上が確認されているが、設定された安全性基準内に留まっている
次世代エージェントワークフローの展望
長時間コンテキスト、マルチモーダル理解、高度な推論能力の統合により、従来とは質的に異なる問題解決アプローチが可能になっている
Googleのプロダクトやサービスへの実装が既に開始されており、理論から実用段階への移行が進んでいる
経済価値を持つタスクの評価が重要視され、技術的高度さだけでなく社会的有用性が評価基準として浮上している
キーワード解説
【重要能力レベル(Critical Capability Levels)】
AI開発において安全性の観点から設定される能力の閾値で、特定の危険な能力レベルを超えないよう技術開発をコントロールする指標
【アイダー・ポリグロット(Aider Polyglot)】
多言語プログラミング能力を評価するベンチマークで、AIのコーディング支援性能を測定する代表的な指標
【SWEベンチ検証版(SWE-bench verified)】
ソフトウェアエンジニアリングにおける実際のGitHub課題解決能力を評価するベンチマークで、エージェント型AIの実用性を測る重要な指標
【エージェントワークフロー】
AIが単発の応答ではなく、ツールを使用し自己批判を行いながら長期的に問題に取り組む継続的な作業プロセス
【思考モデル】
単純な入力出力処理ではなく、人間的な内省や熟考のプロセスを模倣して応答を生成するAIモデルのアーキテクチャ
【マルチモーダル理解】
テキスト、画像、音声、動画など複数の情報形式を統合して処理し理解するAIの能力
【人類最後の試験(Humanity's Last Exam)】
極めて高度で専門的な問題から構成される評価ベンチマークで、人間の最高レベルの知的能力に挑戦するよう設計されている