「来たくなる場所」を設計する――街の未来は、数ブロックの差で分かれる
- Seo Seungchul

- 4月7日
- 読了時間: 16分
更新日:4月9日

シリーズ: 論文渉猟
◆今回の論文:Richard Florida, Masaki Hamura, et al., "The Rise of the Urban Knowledge Campus" (Harvard Business Review, 2026年5-6月)
概要:1,200名の知識労働者への調査と世界13都市39地区の分析をもとに、「知識キャンパス」という新しい企業立地モデルを提唱。通勤・生活摩擦の削減、用途の複合化、交通ハブとの統合が、仕事と生活の生産性を同時に高めるという実証的知見を示す。東京の六本木・渋谷を世界最高水準の事例として詳細に分析し、企業の立地判断を「コスト」ではなく「場所の収益性(Return on Place)」で評価する新たな枠組みを提案する。
コロナ禍が明けたとき、「オフィスはもう要らない」という声は確かにありました。でも実際には、オフィスは消えなかった。それどころか、ニューヨークでもロンドンでも東京でも、かつてないスケールで「作り直され」ています。
ハーバード・ビジネス・レビューに掲載されたこの論文は、その変化を丁寧に解き明かそうとしています。なぜ同じ都心なのに、数ブロック離れただけで街の活況が真逆になるのか。なぜ「戻ってこい」という号令は空回りするのか。なぜ東京の渋谷や六本木が、世界の他の都市より20年も先を行っていたのか。
富良野とPhronaは、まずその問いにじっくり向き合います。そして対話の後半、論文を読んでいるうちに湧いてきた別の問いへと、自然に歩みを進めていきます。「来たくなる場所」の設計という問題意識は、どこへ続くのでしょうか。
同じ都心で、なぜ「数ブロックの差」が生まれるのか
富良野:サンフランシスコのフィナンシャル・ディストリクトとミッション・ベイが、数ブロックしか離れていないのに、片方はオフィス活動が25%落ちて、もう片方は5〜6%増えているっていう話、興味深いですよね。そのコントラストが鮮やかすぎて。
Phrona: 本当に隣みたいなものですよね、数ブロックって。地下鉄一駅とか、徒歩10分とか。
富良野: しかも同じパターンがデンバーにも、シアトルにも、ロサンゼルスにも繰り返し出てくる。単一のオフィス地区が落ちて、用途が混在しているエリアが持ちこたえる。
Phrona: 何が違うんでしょう、その数ブロックの間に。
富良野: 論文の整理では、決定的な違いは用途の混合具合です。オフィスが空間の70%以上を占めているエリアは軒並み落ちていて、住居・商業・文化・飲食が半分以上を占めているエリアは持ちこたえている。
Phrona: 単機能と複合機能の差、ということですね。なんで単機能が弱いんでしょう。
富良野: 論文が着目しているのは、人の一日って仕事だけで完結しないから、というシンプルな点です。ランチの場所、急な用事、帰りの寄り道。そういう断片が街の中に収まっていないと、人は結局その場所を選ばなくなる。
Phrona: 仕事があるから来ているんじゃなくて、その場所にいる理由がいくつかある方が、来る理由が太くなる。
富良野: そこで論文が持ち込む概念が「生活生産性」なんです。仕事の成果だけじゃなくて、仕事の外側の負荷——通勤・育児の調整・日常の雑用——が職場でのパフォーマンスに直接響いてくる、という発想。
Phrona: 仕事の外側が、仕事を支えている。二つは切り離せない、と。
富良野: 1,200人調査で、知識キャンパスで働く人は従来の中心業務地区で働く人より、仕事の生産性で約12%、生活の生産性で約15%高かったという数字が出ている。数字の細部はともかく、方向性として面白い発見だと思う。
「来い」ではなく「来たくなる」を設計するということ
富良野: この論文が面白いのは、コロナ後の出社論争を「来い」vs「来るな」じゃなくて、別の軸で切り直しているところです。
Phrona: あの論争、なんだかずっと噛み合っていない感じがしていたんですよね。
富良野: 経営者は「来い」と言って、働く側は「なんで」と思う。
Phrona: 「来い」と言っている人たちが見ているのは、オフィスに来た後の話だけで、来るまでのコストを計算に入れていない、ということですよね。
富良野: 通勤が、往復で平均75分。時間だけじゃなく、乗り換え・混雑・遅延のエネルギーコスト。着いた時点でもう消耗している。
Phrona: 義務で来させることはできても、来た人が消耗していたら、何のための出社かという話になる。
富良野: オフィスを「建物の中で何をするか」ではなく「その建物がどんな環境の中にあるか」として見直すというのが、論文の提案です。場所をコストセンターとしてではなく、生産性や組織文化を生み出すインフラとして捉える。それをROPと呼んでいて——Return on Place、場所の収益性。
Phrona: 場所への投資の見返りを測る発想。賃料を下げる話ではなくて、場所が生み出す価値を問う。
富良野: 六本木に移転した企業が「無駄な時間ゼロ」というコンセプトを掲げた話が出てきます。通勤短縮、日常の効率化、仕事と生活の統合。強制じゃなく来たくなる環境を作ったら、自発的な出社率が75%上がった。
Phrona: 「来い」じゃなくて「来たくなる」を設計する。その転換は大きいですね。
富良野: そしてそれが、東京モデルの中に具体的な形として見えてくる、というのが論文の次の展開です。
東京が、なぜ20年先を行っていたのか
Phrona: 東京の六本木と渋谷が、調査した13都市の中で知識キャンパス指数・商業成績ともに上位に来るというのは、素直に驚きました。
富良野: しかもニューヨークやロンドンに先行して、1990年代からその形を作り始めていた。バブル崩壊後の停滞の中で、静かに都市の形を変えていたということですね。
Phrona: 「失われた30年」と言われていた時期に、都市設計としてかえって先進的なことをやっていたとは。
富良野: 景気が悪かったからこそ、デベロッパーが長期的な発想で動かざるを得なかった側面もあるかもしれない。森ビルが六本木ヒルズを作るために、15年以上かけて何百もの地権者と交渉しながら土地を一区画ずつ押さえていった、という話は普通の経済環境では生まれにくい発想ですね。
Phrona: 六本木は開発業者が設計した「計画の産物」で、商業・住居・ホテル・文化が垂直にも水平にも積み重なる「垂直の街」。Goldman Sachs、McKinsey、Appleが日本の拠点をそこに置いているのも、その環境の密度があるから、ということですよね。
富良野: 渋谷は全然違うルート。1970〜80年代の若者文化・音楽・ファッション・アートから始まって、その文化的エネルギーが先にあって、後からGoogleやByteDanceが引き寄せられた。
Phrona: 作るんじゃなくて、育てる、というルート。B2Cセクターのテナントが約80%で、ITプラットフォーム系・クリエイティブ・スタートアップ・HRが自然に混在している。
富良野: ただ渋谷も、自然発生だけで説明しきれない部分があります。東急という鉄道会社が、9つの路線が交わる渋谷駅の上と周辺に商業・住居・文化・共創の場を直接積み上げていった。文化の磁場が先にあって、それを東急が強いインフラ一体開発で受け止めた、という二重構造がある。
Phrona: 六本木はデベロッパーが計画で密度を作った。渋谷は文化が先で、鉄道・開発主体がそれを増幅した。起点は違うけれど、どちらも強力な設計主体が長期的に関与している。
富良野: そこが面白いところで、東京モデルを可能にしているのは、偶発的な魅力だけじゃなくて、住宅供給と交通インフラという構造条件がセットになっている。東京は年間15万戸近い住宅を供給していて、職住近接を実現できる人の割合が、欧米の主要都市より格段に高い。
Phrona: 通勤の摩擦を減らす、という論文の処方箋は、住宅が近くに供給されていてはじめて機能する、ということですよね。場所の設計だけの話じゃなくて、土地制度・交通投資・住宅政策がそれを支えている。
富良野: 論文はそこまで正直に書いていて、「東京を参考にすべきとは言えても、同じ手順では作れない」と認めている。建築規制の全国統一という制度的な前提が、他の多くの国にはないから。
Phrona: そこで気づいたんですが、この論文って、実は二種類の読者に向かって書かれていますよね。
富良野: どういう意味ですか。
Phrona: 表の主語は企業の経営者で、「本社をどこに置くか」「ROPをどう測るか」という経営判断の話として書かれている。でも裏側を読むと、知識キャンパスの成立条件——交通結節性、住宅供給、混合用途開発——は、企業単独では作れなくて、デベロッパー・鉄道会社・都市政策が揃わないと動かない。
富良野: 森ビルと東急が事例の主役として出てくるのは、そういうことですよね。この論文の構造的な受益者は企業経営者だけど、内容を本当に動かすのはデベロッパーや都市計画側でもある。
インタラクションは、どんな変数で設計できるか
Phrona: 一つの論文に、経営戦略論と都市政策論が重なっているのが、この論文のユニークなところかもしれませんね。でも、どちらの文脈でも問いの核心は、「インタラクションをどう設計するか」という点にある気がします。
富良野: 同意です。ROPの核心はそこで、場所をコストとして管理するんじゃなく、どんなインタラクションを生むかを設計する対象として見る、という視点の転換。
Phrona: でも、インタラクションって、どんな変数で設計していくべきものなんでしょうね。
富良野: 論文が主に測っているのはインタラクションの密度で——カフェや歩道の活動量、偶発的な出会いの頻度、そういう量の話。もちろん論文は機能の多様性や産業クラスターも指数に入れているけれど、接触の「中身」の話——どんな質の接触が起きているか、誰と誰が出会っているか——はまだ手が届いていない。
Phrona: どんな種類の接触が起きているか、という話と、誰と誰が接触しているか、という話は、密度とは別の変数ですよね。
富良野: 質の多様性と、主体の多様性、と言えるかもしれない。ルー・ホンとスコット・ペイジという研究者が「多様性ボーナス」という概念を実証していて——認知的に多様な集団は、個々の能力が高くても均質な集団を問題解決で上回る。
Phrona: ここでいう多様性は、属性の多様性じゃなくて、問題の捉え方や思考の枠組みの違いのことですよね。見た目がバラバラでも考え方が似ていれば効かないし、見た目が似ていても思考が違えば効く。
富良野: 渋谷をこの目で見ると、少し違う景色が出てくる気がしますね。ITプラットフォーム系・クリエイティブエージェンシー・スタートアップ・HR企業が混在しているのは、業種の多様性でもあるけれど、問題の立て方・組織の文化・思考の枠組みが構造的に違う主体が集まっている、ということでもある。
Phrona: しかも渋谷は、アートスクールの蓄積や若者文化がまだ街に残っていて、知識労働者以外の人も普通に混じっている。都市社会学者のリチャード・セネットが「見知らぬ人との共存こそが都市の生産性の源泉だ」と言っているんですが、その意味での主体の多様性が、渋谷では構造的に保たれている。
富良野: 六本木は計画によって密度を作った。渋谷は文化の蓄積によって主体の多様性が先にあって、そこに産業の集積が引き寄せられた。論文がどちらも高く評価しているのは正しいと思うけれど、二つの強さの源泉は実は別のところにあるのかもしれない。
Phrona: 密度・質の多様性・主体の多様性——この三つが揃ったとき、インタラクションが本当に機能する。ROPがいまのところ密度にばかり着目しているとすれば、次に問うべき変数の候補がここにある気がします。
設計することの、もう一つの意味
富良野: ただ、私としてはそこから話をもう少し広げたくなるんですよね。知識キャンパスを設計するとき、「どんな人を想定してデザインするか」が結果として「どんな主体が集まるか」を決めるという点が、都市計画側の問いとして気になっちゃう。
Phrona:テナントの種類、賃料の水準、アクセスの方法、空間の雰囲気、何が「快適」とされるか——それ全部が、来る人の種類をフィルタリングしているわけですものね。意図した設計と、意図しなかった排除が、同時に起きている。
富良野: インタラクションの設計には、「誰と誰が接触するか」、つまり「誰が来て、誰が来ないか」が含まれている。設計者が意図しているかどうかに関わらず、権力性を伴う。
Phrona: 渋谷の話に戻ると、若者・アーティスト・小規模事業者の混在が主体の多様性の土台だったとすれば、知識キャンパス化によってその人たちが押し出されていくとき、街の多様性そのものが変質していく。
富良野: その変質は、倫理的な問いであると同時に、機能の問いでもある。誰を排除するかが、何を生成できるかに直結しているから。
Phrona: だとすると、「良い知識キャンパスを作る」という問いの中に、「その設計が誰を想定していて、誰を前提にしていないか」への自覚が、元々含まれていないといけないですよね。後から倫理として付け加えるんじゃなくて。
富良野: 設計する側が「誰が来るか」を想定できる範囲には、どうしても限界があると思うんですよ。設計者が見えていない主体は、設計の中に入ってこない。
Phrona: 閉じた設計プロセスは、閉じた想定の中でしか動けない。設計のプロセス自体を開くことで、設計者が見えていなかった変数が外から入ってくる。
富良野: 渋谷が「設計しすぎなかった」ことで強くなったのは、ある意味でその自然発生的なケースかもしれない。計画されていない人間が紛れ込む余地が残っていたことで、設計者の想定を超えた主体の多様性が生まれた。
Phrona: 意図せずして、開かれたプロセスになっていた。それが結果的にROPを上げた、ということだったのかもしれないですね。
富良野: もう一つ考えられるのは、設計のプロセスに誰かが関わったとき、その人はその場所に対して一種の帰属感を持ちますよね。自分が関わった場所だから、使う、来る、インタラクションが生まれる、という可能性。
Phrona: プロセスへの参加が、その場所への関与を生んで、それがインタラクションの密度に直接跳ね返ってくる。ROPが上がる、ということもあり得そう。
富良野: そう考えると「設計のプロセスを開く」は、倫理的な要請であると同時に、ROPを上げるための機能的な戦略でもある、という仮説も成り立つ。
Phrona: ただ、「設計のプロセスを開く」って、具体的に何を指すのかが、すごく幅広いですよね。
富良野: 確かに。住民参加の都市計画なのか、テナント誘致の方針決定なのか、日常的に誰でも使える空間を作ることなのか。どのレベルで、どういう形で開くのかによって、全然違う話になる。
Phrona: 都市ガバナンスの話になる、ということですよね。場所の設計を、不動産戦略や経営戦略の問いとして立てていたところから、「良い場所を誰がどう作るか」という、統治の問いへ。
富良野: 数ブロックの差が街の命運を分ける、という最初の話に戻ると。その差は、密度の差であり、多様性の差であり、誰が・どんなプロセスで設計したかの差でもあるかもしれない、と思います。
ポイント整理
住宅供給と交通が、知識キャンパスを支える構造条件
「来たくなる場所」の設計は、職住近接を実現できる住宅供給と、通勤摩擦を下げる交通インフラがなければ機能しない。東京が年間15万戸近い住宅を供給できるのは、建築規制の全国統一による制度的な土台があるから。この構造条件は他の多くの国では容易に移植できない。
オフィスが空間の大半を占める単一用途の地区は、コロナ後に軒並み衰退した。人の一日は仕事だけで完結しないため、生活の断片が街の中に収まっていないと、人は自然と離れていく。活況と衰退の境界線は、ほんの数ブロックの差に現れる。
生産性の二重構造
仕事の成果(仕事の生産性)は、仕事の外側の負荷——通勤・育児調整・日常の雑用——(生活の生産性)によって支えられている。通勤75分の消耗は、着いた後のパフォーマンスを確実に削る。この二つは切り離して語れない。
「来い」から「来たくなる」へ
出社義務と、環境を整えて自発的に集まる場を作ることは、結果が違う。場所を不動産コストではなく「生産性を生み出すインフラ」として見る視点——論文が「場所の収益性(ROP)」と呼ぶもの——が、その転換の核心にある。
東京モデルの二つのルート
六本木はデベロッパーが15年以上をかけて設計した計画的な知識キャンパス。渋谷は若者文化の磁場が先にあり、産業集積に転化した。「作る」と「育てる」という対照的なルートが、どちらも世界最高水準の結果を出している。
多様性ボーナスは属性ではなく認知の話
ルー・ホンとスコット・ペイジが示した「多様性ボーナス」とは、問題の捉え方・思考の枠組みが異なる主体が出会うとき、均質な集団では見えないものが見えるようになる、という現象。性別や国籍がバラバラでも認知フレームが似ていれば効かない。渋谷の強さは、この意味での認知的多様性が構造的に高いことに一因がある。
設計行為に含まれる政治性
インタラクションを設計することは、意図の有無にかかわらず、「誰が来て誰が来ないか」を決めることでもある。テナントの種類・賃料・空間の雰囲気、それ全部が来る人の種類をフィルタリングする。設計者の善悪の問題ではなく、設計という行為の構造的な問題として、この政治性への自覚が求められる。
キーワード解説
【リチャード・フロリダ(Richard Florida)】
カナダ・トロント大学およびヴァンダービルト大学の都市研究者。2002年の著書『クリエイティブ・クラスの勃興(The Rise of the Creative Class)』で、知識・文化・技術に従事する「創造的階級」が都市の経済成長を牽引するという理論を提唱し、都市論に大きな影響を与えた。本論文ではBCGチームとともに、その理論的系譜を「知識キャンパス」という実証的な枠組みへと発展させている。
【葉村真樹(Masaki Hamura)】
ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)のパートナー兼ディレクターであり、都市・不動産・イノベーション戦略を専門とするBCGヘンダーソン研究所のフェロー。
【知識キャンパス(Knowledge Campus)】
大学のキャンパスのように、仕事・住まい・商業・文化・交通が一体化した都市空間のこと。従来の「オフィスビルの集まり」とは異なり、人の一日のリズム全体を支える環境として設計されている。
【生活生産性(Life Productivity)】
仕事の外側の活動——通勤・家事・育児の調整・日常の雑用——の効率や負荷のこと。仕事の成果(仕事の生産性)はこの側面に支えられており、二つは切り離せない。
【場所の収益性(Return on Place / ROP)】
立地を賃料コストではなく「その場所が協働・文化醸成・イノベーションにどれだけ貢献するか」で評価する考え方。インタラクションの密度・通勤負荷の低さ・周辺エコシステムの充実度などが変数になる。
【多様性ボーナス(Diversity Bonus)】
ルー・ホンとスコット・ペイジが実証した概念。認知的に多様な集団は、個々の能力が高くても均質な集団を複雑な問題解決で上回る。ここでいう多様性は属性(性別・国籍)ではなく、問題の捉え方・思考フレームの違いを指す。
【認知的多様性(Cognitive Diversity)】
集団内のメンバーが、問題をどう定義し・どんな手順で解くかの違いのこと。表面的な属性の多様性とは区別される。これが高い集団では、互いの「見えていないもの」を補い合い、集合知が生まれやすくなる。渋谷の強みの一側面として、業種・文化的背景の異なる主体が混在することで、この認知的多様性が高く保たれている可能性がある。
【インタラクションの設計変数(密度・質・主体)】
インタラクションを設計する際に考慮すべき三つの次元。「密度」は接触の頻度・量(論文が主に測定)。「質の多様性」はどんな種類の接触が起きているか。「主体の多様性」は誰と誰が接触しているか。三つが揃ったとき、インタラクションが知識生成や集合知に結びつきやすくなる。
【設計の政治性(Politics of Design)】
空間やインタラクションを設計することは、設計者の意図とは独立に、「誰が来て誰が来ないか」を決める行為でもある。賃料・空間の雰囲気・テナントの選定など、あらゆる設計上の選択が、来る人の種類をフィルタリングする。この構造的な権力性への自覚が、場所の設計に求められている。
【設計プロセスの開放性(Openness of Design Process)】
誰が・どのように設計に関わるか、というプロセスの開閉の問い。閉じたプロセスは設計者の想定範囲内でしか主体の多様性を生めない。開かれたプロセスは、想定外の主体と変数を呼び込むと同時に、参加した人の帰属感を生んでインタラクション密度を高める可能性がある。ただし「開放性」の具体的な形は、都市計画・テナント選定・空間の日常的な使われ方など、レベルによって大きく異なる。
【ジェントリフィケーション(Gentrification)】
老朽化・低価格だった地区が再開発・高級化することで、もともとそこに住んでいた住民や店舗が家賃上昇などによって押し出される現象。知識キャンパス化の進展と主体の多様性の喪失が、同時に起きうる構造的な問題。社会的公平性の問いであると同時に、街が生み出せる集合知の質の問いでもある。