デジタル通貨は銀行をどう変える?──最新マクロ経済モデルが示すCBDCの驚くべき効果
- Seo Seungchul

- 7月8日
- 読了時間: 8分

シリーズ: 論文渉猟
◆今回の論文: Pascal Paul et al. "A Macroeconomic Model of Central Bank Digital Currency" (National Bureau of Economic Research, 2025年6月)
ここ数年、世界各国の中央銀行がこぞって研究しているCBDC(中央銀行デジタル通貨)。でも実際にCBDCが導入されたら、経済全体にどんな影響が出るのでしょうか。特に、銀行業界の構造や私たちの生活にどう影響するかは、まだまだ謎に包まれています。
2025年6月に発表された最新の研究論文が、これまでにない精緻なマクロ経済モデルを使って、この疑問に答えようとしています。研究者たちが明らかにしたのは、CBDCの導入が銀行の独占的な力を削ぎ、消費者の利益を大幅に向上させる可能性があるということ。そして、その最適な金利設定には、驚くほどシンプルな法則があるというのです。
この研究を通じて見えてくるのは、デジタル化が進む金融の世界で、中央銀行と民間銀行、そして私たち消費者の関係がどう変わっていくのかという、まさに現代的な課題です。富良野とPhronaの視点を交えながら、この複雑だけれど興味深いテーマを一緒に考えてみましょう。
銀行の独占力に挑戦するデジタル通貨
Phrona:私たちは普段意識しないけれど、銀行って預金者からは低い金利で資金を集めて、借り手には高い金利で貸し出している。その差額で利益を得ているわけですが、競争が十分でないと、預金金利が不当に低く抑えられてしまう。
富良野:そうなんです。この研究が想定しているのは、銀行が独占的競争の状況にあるということ。つまり、完全競争でもないし、完全独占でもない。でも市場支配力は確実に持っている。そこにCBDCという新しい選択肢が登場するとどうなるか。
Phrona:CBDCがあると、私たち消費者にとって銀行預金以外の選択肢ができるということですよね。それって、銀行にとっては競争圧力になるはず。
富良野:研究では、CBDCの導入によって家計が流動性サービスの拡大と預金金利の上昇という恩恵を受けるとされています。要するに、銀行が預金者をつなぎ止めるために、より良い条件を提示せざるを得なくなる。
Phrona:でも銀行側から見ると、預金が流出して貸出も減ってしまうリスクがありますよね。それって経済全体にとってはどうなのでしょう。
福利の向上と最適な金利設定
富良野:そこが研究のキモになってくるんです。確かに銀行の収益性は下がるし、貸出も減少する。でも研究の結果として、CBDCを導入することで全体的な福利、つまり社会全体の幸せは大幅に向上するという結論になっている。
Phrona:福利の向上って、具体的にはどういうことですか。
富良野:経済学でいう福利というのは、消費者余剰や生産者余剰を合計したもので、要するに社会全体の経済的な豊かさを表しています。この場合は、銀行の独占力が削がれることで、資源配分がより効率的になるということでしょうね。
Phrona:なるほど。でも、その福利向上を実現するには、CBDCの金利をどう設定するかが重要になってきそうですね。
富良野:そこが面白いところで、研究では最適なCBDC金利について、驚くほどシンプルな法則を提示しているんです。「0%と政策金利マイナス1%のうち、高い方」というルールです。
Phrona:政策金利マイナス1%?それってどういう意味なんでしょう。
富良野:例えば、中央銀行の政策金利が3%だったら、CBDCの金利は2%にする。もし政策金利が0.5%だったら、CBDC金利は0%にする、ということですね。要するに、政策金利より1%低く設定するか、最低でも0%は保つということです。
Phrona:なぜそんなルールになるんでしょうね。
富良野:これは僕の推測ですが、CBDCの金利を政策金利と同じにしてしまうと、銀行から資金が流出しすぎて金融仲介機能が損なわれる。かといって、あまりに低くすると銀行の独占力を削ぐ効果が薄れる。その絶妙なバランスポイントが「マイナス1%」ということなんでしょう。
金融システムの新しい地平
Phrona:この研究を見ていると、CBDCって単なる技術革新を超えて、金融システム全体のパワーバランスを変える可能性があるんですね。
富良野:その通りです。従来の金融政策は、中央銀行が政策金利を調整して、それが銀行を通じて実体経済に波及していくという構図でした。でもCBDCがあると、中央銀行が直接消費者にアプローチできるようになる。
Phrona:それって、金融政策の伝達メカニズム自体が変わるということですか。
富良野:そうですね。従来は銀行が金融政策の重要な経路だったのが、CBDCによって中央銀行と消費者の直接的なつながりができる。これは金融システムの民主化とも言えるかもしれません。
Phrona:民主化という言葉、興味深いですね。でも一方で、中央銀行の力が強くなりすぎるリスクもありそうです。
富良野:確かにそれは重要な論点です。中央銀行が個人の金融取引を直接把握できるようになると、プライバシーの問題も出てくるし、政府による経済統制のリスクも高まるかもしれません。
Phrona:この研究では、そういった政治的・社会的なリスクについてはどう扱っているんでしょうか。
富良野:この研究は純粋にマクロ経済的な効果に焦点を当てているので、プライバシーや統制のリスクについては詳しく触れていません。でも現実的には、これらの要素も考慮しなければならないでしょうね。
理論と現実のギャップ
Phrona:ところで、この研究のモデルと現実の世界には、どれくらいギャップがあるんでしょうか。
富良野:それは良い質問ですね。この研究はDSGE(動学的確率的一般均衡)モデルという、非常に精緻な理論モデルを使っています。でも現実には、技術的な制約や規制、それに人々の行動の予測しにくさなどがある。
Phrona:確かに、実際にCBDCを使う人がどれくらいいるかも分からないし、銀行側の対応も予想通りにいくとは限りませんよね。
富良野:そうです。特に日本のような現金主義の強い社会では、CBDCの普及に時間がかかるかもしれません。また、銀行も競争圧力に対して、金利以外の差別化戦略を取ってくる可能性もある。
Phrona:サービスの質を向上させたり、新しい金融商品を開発したりということですね。
富良野:まさにその通りです。この研究は重要な示唆を与えてくれますが、現実の政策決定では、より幅広い要素を考慮する必要があるでしょう。
Phrona:でも、少なくとも理論的な枠組みとして、CBDCが経済に与える影響を定量的に分析できるようになったのは大きな進歩ですよね。
富良野:おっしゃる通りです。政策決定者にとって、こうした定量的な分析は非常に貴重な材料になるはずです。感覚的な議論ではなく、数字に基づいた議論ができるようになったのは重要な意味があります。
未来への視点
Phrona:この研究を踏まえると、CBDCの未来についてどう考えますか。
富良野:個人的には、CBDCの導入は避けられない流れだと思います。ただし、その設計や運用には細心の注意が必要でしょう。この研究が示すように、適切に設計されれば社会全体の福利向上につながる可能性がある。
Phrona:でも同時に、銀行の役割も変わっていくということですよね。
富良野:そうですね。銀行は従来の預金・貸出業務から、より付加価値の高いサービスにシフトしていく必要があるでしょう。コンサルティング、リスク管理、データ分析など、人間的な判断が重要な分野に特化していくのかもしれません。
Phrona:それって、銀行業界全体のイノベーションを促進することにもなりそうですね。
富良野:まさにその通りです。競争圧力が高まることで、銀行はより効率的で革新的になるはずです。消費者にとっては選択肢が増え、サービスの質も向上する。
Phrona:ただ、移行期間中の混乱や、取り残される人たちへの配慮も重要ですよね。
富良野:確かにそうです。デジタル・ディバイドの問題や、金融包摂の観点も重要です。CBDCの導入は、技術的な問題だけでなく、社会的な公平性も考慮して進める必要があります。
Phrona:結局のところ、技術の進歩を社会全体の幸せにつなげていくには、慎重で包摂的なアプローチが必要ということでしょうか。
富良野:その通りだと思います。この研究は重要な一歩ですが、CBDCをめぐる議論はまだ始まったばかり。これからも多角的な研究と社会的な対話が必要でしょうね。
ポイント整理
CBDCの主要効果
銀行の独占的市場支配力を削ぎ、預金金利の上昇と流動性サービスの拡大をもたらす
福利向上の仕組み
銀行収益と貸出は減少するが、資源配分の効率化により社会全体の福利は大幅に向上
最適金利の法則
CBDC金利は0%と政策金利マイナス1%のうち高い方に設定するのが最適
研究手法
ニューケインジアンDSGEモデルという精緻な理論枠組みを使用し、幅広い経済環境で検証
金融政策への影響
中央銀行と消費者の直接的なつながりが生まれ、金融政策の伝達メカニズムが変化
銀行業界の変化
従来の預金・貸出中心のビジネスモデルから、より付加価値の高いサービスへのシフトが必要
実装上の課題
技術的制約、規制環境、消費者の受容度、プライバシー保護などを総合的に考慮する必要
キーワード解説
【CBDC (Central Bank Digital Currency)】
中央銀行が発行するデジタル通貨
【DSGE (Dynamic Stochastic General Equilibrium)】
動学的確率的一般均衡モデル、マクロ経済分析の主要手法
【独占的競争】
完全競争と完全独占の中間的な市場構造
【流動性サービス】
資金の流動性を提供するサービス
【福利 (Welfare)】
経済学における社会全体の幸福度の指標
【金融仲介】
資金の貸し手と借り手を結びつける銀行の基本機能
【金融政策の伝達メカニズム】
中央銀行の政策が実体経済に影響を与える経路
【金融包摂】
すべての人が適切な金融サービスにアクセスできること