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哲学は本当に「考える力」を鍛えるのか?

更新日:9月18日

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シリーズ: 論文渉猟


◆今回の論文:Michael Prizing "Studying Philosophy Does Make People Better Thinkers" (Journal of the American Philosophical Association, 2025年7月11日)

  • 概要:大学生を対象とした実験研究により、哲学教育が批判的思考能力を有意に向上させることを実証。効果は授業終了後も持続し、特に論理的推論と議論分析能力において顕著な改善が見られた。



私たちは時々、誰かの論理的な発言に感心して「さすが哲学科出身だね」なんて言ったりします。でも、哲学を学ぶことが本当に思考力を高めるのかどうか、実はちゃんとした証拠があったわけではありませんでした。


そんな中、アメリカの研究者たちが面白い実験を行いました。大学生を対象に、哲学の授業を受けた学生と受けなかった学生の思考力を比較したのです。結果は、哲学を学んだ学生の方が明らかに批判的思考能力が向上していました。しかも、その効果は授業が終わった後も続いていたのです。


ただし、この結果をどう解釈するかは簡単ではありません。そもそも哲学とは何なのか、思考力とは何を指すのか、そして教育の目的とは何なのか。今回は、富良野とPhronaの二人が、この研究結果の意味について語り合いました。




哲学の効果は本当に測れるのか


富良野:興味深い研究結果ですね。哲学の授業を受けた学生の方が、批判的思考能力のテストで高いスコアを出したと。でも僕が気になるのは、そもそも「思考力」って何なのかということなんです。


Phrona:ああ、それ、私も思いました。この研究では批判的思考能力を測る標準化されたテストを使ったみたいですが、果たしてそれで哲学的な思考の豊かさが本当に捉えられるのかしら。


富良野:そうなんですよ。テストで測れる思考力と、実際に生きていく上で必要な思考力って、必ずしも同じじゃない気がする。哲学って、もっとこう、答えのない問いと向き合う力を育むものじゃないですか。


Phrona:まさに。哲学の面白さって、問いを立て直すことにあると思うんです。「正解」を見つけることじゃなくて、問いそのものを疑ったり、別の角度から眺め直したり。でも、そういう力はテストでは測りにくいですよね。


富良野:実際、この研究でも測定されたのは主に論理的推論と議論分析の能力でした。これらは確かに重要だけれど、哲学的思考の一部でしかない。例えば、矛盾を受け入れながら考え続ける力とか、不確実性の中で判断を保留する勇気とか。


Phrona:そうそう。私が大切だと思うのは、むしろ「分からなさ」と向き合う力かもしれません。すぐに答えを求めず、曖昧さの中を歩き続けること。でも、それって数値で表せるものじゃないですもんね。


教育の目的を問い直す


富良野:でも一方で、この研究結果を素直に受け取ると、教育政策にとってはプラスの材料になりそうです。哲学教育の価値を数字で示せたわけですから。


Phrona:確かに。でも、それって少し皮肉じゃないですか?哲学って本来、効率や成果を追い求める発想に疑問を投げかける学問でもあるのに、その価値を測定可能な成果で証明しようとするなんて。


富良野:面白い視点ですね。僕も似たような違和感を覚えます。哲学の「役に立つ」側面ばかりが強調されると、哲学の本質が見えなくなってしまう気がする。


Phrona:そうなんです。私が心配するのは、この研究結果が一人歩きして、哲学が「思考力向上のツール」として扱われてしまうこと。もちろん、そういう側面もあるでしょうけど、哲学の魅力はもっと別のところにもあると思うんです。


富良野:例えば、自分がどんな前提で世界を見ているかに気づく力とか、他者の立場から物事を考える想像力とか。そういうものは、すぐには測定できないけれど、人生において本当に大切な力だと思います。


Phrona:そう。哲学って、知識を身につけることというより、自分自身との対話を深めることなのかもしれません。自分がなぜそう考えるのか、本当にそれでいいのか、常に自問し続ける姿勢。


思考の多様性をどう育むか


富良野:この研究では、哲学の授業を受けた学生が論理的推論で向上したとありますが、僕が気になるのは、どんな哲学をどう教えたかという部分です。同じ哲学でも、教え方によって全然違う効果が生まれそうじゃないですか。


Phrona:ああ、それは重要な点ですね。もし哲学を単に論理パズルのように教えたら、確かに論理的思考は向上するかもしれない。でも、それで哲学を学んだと言えるのかしら。


富良野:そうですね。哲学って本来、もっと生々しいものだと思うんです。日常の中で感じる違和感や疑問から出発して、それを言葉にしていく作業。そういう体験的な学びがあってこそ、思考が本当に変わっていく。


Phrona:私が思うに、哲学の授業で一番大切なのは、安心して「分からない」と言える環境を作ることかもしれません。分からないまま考え続けることを恥ずかしがらない雰囲気。


富良野:それはとても大事ですね。この研究結果を見て、哲学教育を推進しようという動きが出てくるのはいいことだと思います。ただ、その際に「効率的な思考力向上」だけを目指すのではなく、もっと根本的な問いと向き合う場を作ってほしい。


Phrona:そうですね。思考力って、本当は多様なものだと思うんです。論理的に筋道立てて考える力もあれば、直感的に本質を掴む力もある。感情と理性を統合して判断する力もある。


富良野:その通りです。しかも、現実の問題って、教科書に載っているような綺麗な論理問題とは違いますからね。不完全な情報の中で、時間的制約もある中で、価値観の対立もある中で判断していかなければならない。


Phrona:だからこそ、哲学教育では多様な思考のあり方を体験させてあげたいですよね。西洋哲学だけでなく、東洋の思想や先住民の知恵なども含めて。


結果をどう受け止めるか


富良野:結局のところ、この研究結果をどう受け止めるべきなんでしょうね。哲学教育の価値を示す貴重なデータではあるけれど、同時に哲学の豊かさを測りきれていない部分もある。


Phrona:私は、この研究を出発点として考えたいです。哲学が何らかの形で人の思考に影響を与えることは分かった。では次に、どんな哲学教育が本当に意味があるのか、そこを考えていく必要がありますよね。


富良野:確かに。測定可能な効果だけでなく、測定しにくいけれど大切な変化についても、もっと丁寧に調べていく必要がありそうです。


Phrona:そうですね。例えば、学生たちが日常生活の中でどんな問いを立てるようになったか、他者との対話がどう変わったか、そういうことも追跡調査できたら面白そう。


富良野:それに、哲学を学ぶことの意味って、個人の思考力向上だけじゃないと思うんです。民主的な社会を支える市民を育てるという側面もある。多様な価値観を持つ人々が共に生きていくために必要な対話の力。


Phrona:ああ、それは本当に大切ですね。哲学って、結局は他者と共に考える営みですから。一人で正解を見つけることより、みんなで問いを深めていくこと。


富良野:この研究が、そういう議論のきっかけになってくれるといいですね。哲学教育の価値について、もっと多面的で建設的な対話が生まれることを期待しています。




ポイント整理


  • 哲学教育が批判的思考能力を向上させる

    • 特に論理的推論と議論分析の能力において、統計的に有意な改善が見られた。しかも、この効果は授業終了後も持続していた。これは哲学教育の価値を示す貴重な科学的証拠となる。

  • この研究で測定されたのは思考力の一部分に過ぎない

    • 標準化されたテストでは捉えきれない哲学的思考の豊かさがある。例えば、問いを立て直す力、不確実性と向き合う力、自分の前提を疑う力など、数値化しにくいけれど重要な能力がある。

  • 思考力の多様性

    • 論理的思考だけでなく、直感的思考、感情と理性を統合した思考など、様々な思考のあり方がある。現実の複雑な問題に対処するには、こうした多様な思考力が必要。

  • 教育政策への影響

    • この研究結果が哲学教育推進の根拠として使われる可能性がある一方で、効率性や成果主義の観点からのみ哲学が評価されることへの懸念もある。哲学本来の価値を見失わないよう注意が必要。

  • 哲学教育の方法論

    • 同じ哲学でも、教え方によって全く異なる効果が生まれる。単なる知識伝達ではなく、学生が自ら問いと向き合い、他者と対話する体験的な学びが重要。



キーワード解説


【批判的思考能力】

情報を客観的に分析し、論理的に判断する能力


【論理的推論】

前提から結論を導く筋道立った思考プロセス


【議論分析】

議論の構造や妥当性を評価・検討する能力


【標準化テスト】

統一された基準で作成・実施される測定可能なテスト


【哲学的思考】

根本的な問いと向き合い、前提を疑い、多角的に考察する思考


【体験的学習】

実際の体験を通じて深い理解を得る学習方法


【不確実性】

明確な答えがない状況や曖昧さを含む状態


【価値観の多様性】

異なる文化や背景を持つ人々の多様な価値判断


【民主的対話】

異なる立場の人々が相互に尊重しながら行う建設的な議論


【教育政策】

国や地域の教育制度や方針に関する政策決定



本稿は近日中にnoteにも掲載予定です。
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