大統領の一般教書演説の後、スペイン語で語られた「もうひとつのアメリカ」――言語が政治になる瞬間
- Seo Seungchul

- 2月25日
- 読了時間: 11分

シリーズ: 行雲流水
アメリカの大統領は毎年、議会に向けて「一般教書演説」というスピーチを行います。国の現状と政策の方針を語る、いわば国家の年次報告です。
ところで、その演説が終わった直後に、野党側が「応答演説」を行う慣行があることを知っていましたか?ニュースではあまり取り上げられませんが、1960年代から続く制度的な慣行です。そして2026年2月24日、その応答演説が英語だけでなくスペイン語でも行われました。スペイン語で語ったのはカリフォルニア州選出の上院議員アレックス・パディリャ。メキシコ系移民の息子として育ち、カリフォルニア州初のラテン系連邦上院議員となった人物です。
なぜ英語ではなくスペイン語なのか。その問いを入口に、富良野とPhronaが「スペイン語がアメリカ政治において持つ意味」と、「ヒスパニック」という括りの複雑な内側へと踏み込んでいきます。言語はときに、制度よりも正直に、社会の地殻変動を映し出します。
大統領演説のすぐ後に、もうひとつの演説がある
富良野:一般教書演説って、日本でいうと施政方針演説みたいなもので、大統領が議会で国の状況と政策方針を語る場なんですよね。で、その演説が終わった直後に、野党側が「うちはこう思う」と応答する慣行がある。日本では馴染みがないんですが、アメリカでは1966年ごろから続いているんです。
Phrona:テレビとセットで始まったんですよね、確か。大統領の演説を国民が一斉に見る、その同じ夜に、反論も届けられる。なんかちょっと、劇場的ですよね。
富良野:そうなんです。制度というより儀式に近いかもしれない。法的な義務でも何でもなくて、慣行として定着してきたもので。で、2004年ごろからスペイン語版の応答演説も並行して行われるようになった。最初はニューメキシコ州知事だったビル・リチャードソンが担ったとされています。
Phrona:最初にやった人がいるんだ。誰かが「じゃあスペイン語でもやろう」って決めた瞬間が、どこかにあったわけですよね。
富良野:そこ、面白いと思うんですよね。これって制度設計の話じゃなくて、政治的必要性が生んだ選択なんですよ。ヒスパニック系の有権者が増えて、特定の州では選挙の行方を左右するほどになってきた。だから党として「届けなければいけない言語」が変わってきた。
Phrona:「届けなければいけない言語」、というか「届けたい相手」が変わってきた、ということですよね。言語が先にあるんじゃなくて、聴衆が先にいる。
富良野:そこがポイントで、これは議会の制度が変わったわけじゃない。議会の公式言語は事実上いまも英語だし、法案も議事録も英語で動いてる。でも、政治が届こうとしている空間が、すでに複数言語になっている。
なぜスペイン語が「政治の言葉」になれるのか
Phrona:パディリャさんのスピーチで印象的だったのが、すごく個人的な話から始まるんですよね。お父さんがコックで、お母さんが家政婦で、ロサンゼルスのパコイマという地区で育ったって。政策の話より先に、自分の来た場所を語る。
富良野:英語の応答演説とはトーンがかなり違いましたよね。英語版はアビゲイル・スパンバーガーというバージニア州知事が担当したんですが、もう少し政策論的な構成だった。スペイン語版は、共感の回路から入る設計になっている。
Phrona:聴いている側が「この人は自分たちのことを知っている」と感じられるかどうか、というところから組み立てている感じがして。それって、政治的なメッセージとしては実はかなり本質的なことだと思うんですよね。
富良野:政治学でいうと「代表性」の話になるんですが、誰が語るかと何を語るかは分離できない。パディリャさんはメキシコ系移民の息子で、カリフォルニア州初のラテン系連邦上院議員です。つまり「スペイン語で語る政治家」が存在すること自体が、一つのメッセージになっている。
Phrona:語る内容だけじゃなくて、語る人が誰かということ、そして語る言語が何かということが、すでに政治的な意味を持っている。
富良野:だから「なぜスペイン語で?」という問いへの答えは、「スペイン語話者が多いから」という単純な話じゃなくて、「公式の国家儀式の場に、英語とは別の声がある」ということを示すことそのものに意味があるんだと思う。
Phrona:儀式の中に亀裂を入れる、みたいな。いや、亀裂というより、もうひとつの窓を開ける、かな。
「ヒスパニック」という括りの、意外なほどの複雑さ
富良野:ところで、スペイン語応答演説が「ヒスパニック票に向けたメッセージ」として機能するとして、ヒスパニック系の有権者ってどういう構成なんでしょう。「ヒスパニック」って一つの集団のように聞こえるけど、実際はかなり多様で。
Phrona:そうですよね。メキシコ系とキューバ系と、プエルトリコ系と、全部ひとまとめで語られがちだけど、歴史も政治的傾向も全然違う。
富良野:数字でいうと、アメリカのヒスパニック系人口は全体の約20パーセント、6,000万人超です。そのうち最大勢力がメキシコ系で、全体の60パーセント前後。カリフォルニア、テキサス、アリゾナに多い。次にプエルトリコ系が約10パーセントで、ニューヨークとフロリダに集中。キューバ系は約5パーセントで、フロリダに強く集まっている。
Phrona:キューバ系って、歴史的に反共意識が強いですよね。社会主義体制から逃れてきた経緯があるから。で、それが政治的傾向にも出ていて、共和党支持に傾きやすい。
富良野:そうなんです。フロリダでヒスパニック系というとキューバ系の存在感が大きくて、だからフロリダは必ずしも民主党有利とはいえない。一方でネバダやアリゾナだとメキシコ系が多数派で、傾向は変わってくる。つまり、「ヒスパニック票」という言い方は一種のフィクションに近い。
Phrona:フィクション、か。強い言葉ですね。でも、なんとなく分かる気がする。外から見ると「スペイン語圏出身」という共通点で一括りにされるけど、当事者にとっては全然違う文脈を生きている人たちが、同じ括りに入れられているわけで。
富良野:宗教の違いも大きくて。カトリックが多数派ですが、近年は福音派プロテスタントの比率が上がっていて、特に若年層で。福音派は概して保守的な価値観と結びつきやすいので、そちらが共和党支持に傾く要因にもなっている。
Phrona:世代の話もありましたよね。移民第一世代と、アメリカ生まれの第二・第三世代では、スペイン語との関係も、政治意識も違う。
富良野:第三世代以降になると英語優位になって、「ヒスパニック・アイデンティティ」が文化的な帰属感として残りつつも、生活実感は英語話者に近くなっていく。だから「スペイン語で語りかける」ことの意味も、世代によって受け取られ方が変わってくる。
言語は、制度よりも先に動く
Phrona:パディリャさんのスピーチで使われた「Solo El Pueblo Salva Al Pueblo」というスローガン、「民衆だけが民衆を救える」という意味ですよね。ラテンアメリカとプエルトリコで歴史的に使われてきた言葉らしくて。
富良野:あそこは面白かったですよね。アメリカの連邦議会の上院議員が、ラテンアメリカ起源のスローガンを、英語圏の国家儀式への応答として使う。どこかの国民国家のお話というより、別の回路でつながっている共同体への呼びかけみたいな。
Phrona:国境を越えた連帯感、みたいなものを喚起しようとしている。それが英語では伝わらないものを、スペイン語なら伝えられる、ということでもあると思うんですよね。
富良野:「Solo El Pueblo Salva Al Pueblo」は英訳すると意味は伝わるけど、その言葉が持ってきた歴史の重さは英訳では届かない。言語ってそういうもので、単なる情報の媒体じゃなくて、その言語を使ってきたコミュニティの記憶を運んでいる。
Phrona:制度が英語を公用語として保持している間も、政治が動かしている感情の空間は、別の言語で広がり続けている。制度と実践のズレというか。
富良野:それが一番はっきり見える瞬間が、国家の公式儀式の直後に、スペイン語でもう一つの演説が届けられるという光景なんだと思う。
Phrona:でも逆に言うと、そのズレが可視化されている社会って、かなり複雑ですよね。制度は一つの言語で動いているけど、政治的現実は別の言語でも動いている。その間にいる人はどこに立っているんだろう、って。
富良野:スペイン語応答演説に込められたのは、政策への反論というだけじゃなくて、「あなたたちの声はここにある」という確認でもある。でも、その声をどう束ねるか、誰が代表するか、という問いは、ヒスパニック系コミュニティの内部でも実はまだ決着していないわけで。
Phrona:多様な人たちが「ヒスパニック」という一つの名前で呼ばれている限り、その名前はある種の政治的な発明でもある。団結のために必要な括りであると同時に、その内側の違いを覆い隠してもいる。
富良野:そのテンションが解消されないまま、今夜の演説はスペイン語で届けられた。それをどう受け取るかは、聴いた人それぞれが、自分の立場から判断するしかない、ということなのかもしれないですね。
ポイント整理
応答演説(State of the Union Response)という慣行
アメリカでは大統領の一般教書演説の直後に、野党側が応答演説を行う慣行が1966年ごろから続いている。法的義務ではなく、テレビ時代の政治文化として定着したものである。
スペイン語応答演説の始まり
2004年ごろ、ニューメキシコ州知事のビル・リチャードソンが初めてスペイン語で応答演説を行ったとされる。背景にはヒスパニック系有権者の急増と、アリゾナ・ネバダ・フロリダなどの激戦州での影響力拡大がある。
2026年のスペイン語応答演説
カリフォルニア州上院議員アレックス・パディリャが担当。メキシコ系移民の息子としての個人的経歴を語りながら、移民取締りの現状、医療費・物価高騰、選挙制度への介入懸念を訴えた。ラテンアメリカ起源のスローガン「Solo El Pueblo Salva Al Pueblo(民衆だけが民衆を救える)」を引用し、団結を呼びかけた。
議会の制度言語と政治実践のズレ
連邦議会の法案・議事録・本会議は事実上英語で運営される。しかしスペイン語応答演説・党大会でのスペイン語スピーチ・二言語広報など、政治実践の場では英語とスペイン語の並走が定着しつつある。制度と実践のズレが、言語の問題に明確に現れている。
「ヒスパニック」の内部多様性
アメリカのヒスパニック系人口は約20パーセント・6,000万人超。出身国別にはメキシコ系(約60%)、プエルトリコ系(約10%)、キューバ系(約5%)などに分かれる。政治的傾向はそれぞれ異なり、キューバ系・ベネズエラ系は反共意識から共和党支持に傾きやすく、メキシコ系・プエルトリコ系は民主党支持が多い傾向がある。
宗教・世代による分化
ヒスパニック系のカトリック比率は低下傾向にあり、福音派プロテスタントが増加。福音派は保守的価値観と結びつきやすく、共和党支持の一因となっている。また移民第一世代から第三世代以降では、スペイン語使用率・政治意識・アイデンティティの質が大きく変わる。
言語が持つ記憶と連帯の機能
スペイン語という言語は、単なる情報伝達の道具にとどまらず、ラテンアメリカ・カリブ海地域の歴史的記憶や連帯感を運ぶ媒体でもある。英語への翻訳で意味は伝わっても、その歴史的重みは失われる場合がある。
キーワード解説
【一般教書演説(State of the Union Address)】
アメリカ大統領が毎年議会に向けて行う、国の現状報告と政策方針を語るスピーチ。アメリカ合衆国憲法に基づく慣行で、日本の施政方針演説に近いが、制度的背景は異なる。
【応答演説(State of the Union Response)】
一般教書演説に対して野党側が同日中に行う反論・応答スピーチ。1966年から続く慣行で、テレビやネット中継で届けられる。法的義務はなく、政治文化として定着した。
【ヒスパニック(Hispanic)】
スペイン語を母語とする、またはスペイン語圏に出自を持つ人々を指す括り。ラテン系(Latino/Latina)と重なる部分が多いが、厳密には区別される場合もある。アメリカの国勢調査では自己申告による民族区分として使用される。
【コングレッショナル・ヒスパニック・コーカス(Congressional Hispanic Caucus)】
ヒスパニック系の連邦議員による院内グループ。移民・教育・労働などの政策領域で超党派的に活動し、スペイン語メディアへの発信も積極的に行っている。
【激戦州(Swing State)】
選挙のたびに共和・民主どちらの候補者が勝つか分からない州。アリゾナ、ネバダ、フロリダなどがこれにあたり、ヒスパニック系有権者の比率が高いことが選挙結果に直結することが多い。
【福音派プロテスタント(Evangelical Protestant)】
聖書の権威を重視し、個人の回心体験を中心に置くプロテスタントの一派。アメリカでは保守的な政治・社会観と結びつきやすく、近年ヒスパニック系における比率が上昇している。
【Solo El Pueblo Salva Al Pueblo(ソロ・エル・プエブロ・サルバ・アル・プエブロ)】
「民衆だけが民衆を救える」という意味のスペイン語スローガン。ラテンアメリカ・プエルトリコで歴史的に権威主義への抵抗と民衆の団結を呼びかける文脈で使われてきた。