意識はプログラムで動いていない?──タコとハチが示す、脳のリズムという謎
- Seo Seungchul

- 2 日前
- 読了時間: 13分

シリーズ: 知新察来
◆今回のピックアップ記事:Peter Godfrey-Smith, "Studies on animal minds suggest consciousness is not computation" (Institute of Art and Ideas, 2026年3月31日)
概要:「意識はソフトウェアである」という機能主義的な発想を批判的に検討しながら、脳内の大規模な電気的振動(ニューロンの発火ネットワークとは異なる活動)が意識と深く関係している可能性を提示する。ミツバチやハエ、タコを用いた最新の神経科学研究を通じて、意識に関連した状態と振動パターンの連動が動物の種を越えて見られることを示し、意識の基盤には生物学的な「素材」の違いが関係するかもしれないと論じる。
AIが言葉を操り、絵を描き、議論まで行う時代になって、「意識とは何か」という問いが急に身近になってきました。もしかしたらAIはすでに意識を持っているのかもしれない、あるいは逆に、人間の意識だって「高度な情報処理」に過ぎないのかもしれない——そんな問いが、冗談ではなく真剣に語られるようになっています。
哲学者のピーター・ゴドフリー=スミスは、タコの知性研究で知られる研究者です。彼が最近提起しているのは、少し意外な方向からの問いです。「意識はソフトウェアである」という考え方に対して、ミツバチやハエ、そしてクラゲに近い動物の神経系を研究することで、「それほど単純ではないかもしれない」と示唆しているのです。
脳の中には、よく知られたニューロンの「発火」ネットワークとは別に、もっとゆっくり、広がりをもって動く電気的なリズムがあります。そのリズムが意識と深く結びついているかもしれない。そして、そのリズムは今のコンピュータには本当の意味で再現できないかもしれない。
富良野とPhronaが、この仮説の面白さと、その限界を、正直に話し合っています。
「コードを書けば意識になる」という発想はどこから来たか
富良野: 最近、ゴドフリー=スミスという哲学者の文章を読んでいて、入口の問い方が面白いなと思ったんです。「意識はソフトウェアだ」という考え方が、いつの間にか当たり前になっていたよね、という話なんですが——そもそも、それっていつ頃からそうなったんだろうって。
Phrona: 機能主義ってやつですよね。「何でできているかじゃなくて、何をするかが重要」という考え方。脳でできていようと、シリコンでできていようと、同じ処理をしていれば同じ心が生まれる、という。
富良野: そう。その発想、二十世紀後半にコンピュータが発達するにつれてずいぶん広まったんです。「心って基本的に情報処理だよね」という直観が、なんとなく自明のものになっていった。
Phrona: わかりやすいんですよね、直観として。見て、考えて、感じるって、全部「処理」に見えるから。それをうまく再現できれば意識も生まれるはずだ、と。
富良野: でもゴドフリー=スミスは、そこに待ったをかける。「何でできているかも、意外と重要かもしれない」と言うわけです。
Phrona: 基質——つまり素材——が関係するかもしれない、ということですね。細胞膜とかグルコースとか血流とか、そういう生物学的な「肉体的なもの」が、意識にとって無関係じゃないかもしれない。
富良野: そのアイデア自体は昔からあって、哲学者のジョン・サールが「生物学的自然主義」と呼んでいた考え方に近いんです。でも今は、実験的なデータが少しずつそちらを指し示してきているのが面白くて。
Phrona: サールといえば、「中国語の部屋」の思考実験で有名な人ですよね。ルールに従って記号を操作しているだけの人が、中国語を「理解している」とは言えないんじゃないか、という。
富良野: そう。あの議論、けっこう昔から論争を呼んでいるんですが、今また違う角度から生き返ってきている感じがする。「処理さえできれば意識になる」という前提が、ちゃんと問い直されている。
Phrona: 問い直されているのが、純粋に哲学的な議論からじゃなくて、タコやハチの研究から来ているっていうのが、なんか面白い回り方ですよね。
富良野: そうなんですよ。生き物の話から、意識の話に戻ってくる。
脳の中の二つの活動——「発火」と「揺れ」
富良野: ゴドフリー=スミスが特に注目しているのは、脳の中に二種類の活動があるという区別なんです。一つ目は、ニューロンが「スパイク」と呼ばれる発火をする、あの有名な活動。ニューロンが興奮して、隣のニューロンに化学物質を送ることで、信号がネットワークを伝わっていく。
Phrona: コンピュータのビット列みたいなイメージですよね。オンかオフか。
富良野: まさに。そして、この「スパイク・ネットワーク」はコンピュータで再現しやすい部分なんです。パターンとして取り出して、シミュレーションできる。でも脳にはもう一種類の活動があって——それが、大規模な電気的振動なんです。
Phrona: 振動というのは、具体的にはどういうものですか?
富良野: 細胞膜を、帯電した粒子——イオンが行ったり来たりするリズムのことで、脳の広い範囲で同期して起きるんです。EEG、つまり頭の外から脳波を測る装置で観測できる、あのリズムです。アルファ波とかベータ波とか呼ばれているやつ。
Phrona: ああ、なんとなく聞いたことある。十九世紀くらいから知られていたんでしたっけ?
富良野: ハンス・ベルガーという研究者が二十世紀初頭に発見して以来、「なんとなくある」ということはわかっていたんだけど、長いあいだ「おまけ」扱いだったんです。コンピュータのファンの音みたいな副産物かもしれない、と。
Phrona: 発火ネットワークがメインで、振動はそれに付随する雑音みたいな扱い。
富良野: そう。でも最近の研究で、振動とニューロンの発火は相互に影響し合っていて、完全に別物だということがわかってきた。しかも、この振動が「意識に関係しているらしい状態」と強く結びついている。
Phrona: 「意識に関係しているらしい状態」というのは、たとえば?
富良野: 眠っているときと起きているときで振動パターンが違う。麻酔をかけると変わる。集中しているときと、ぼーっとしているときでも変わる。意識の有無や質に関わりそうな状態と、振動の形が連動している。
Phrona: それは確かに、無関係じゃなさそうですよね。ただ……連動しているからといって、原因かどうかはまだわからないですよね?
富良野: そこが核心で、後で話したいんですが、まずゴドフリー=スミスのポイントは、この振動が「コンピュータに移植できない種類の活動かもしれない」という点にあるんです。スパイク・ネットワークは計算で再現できる。でも振動は?
Phrona: 振動の「リズム」自体は、数値としてシミュレーションできますよね?
富良野: モデル化はできる。でも、脳の中でイオンが実際に細胞膜を行き来するという「物理的な現象」として持つことは、今のコンピュータにはできない。表現はできても、同じものとして持つことはできない——そこが、彼の言う「素材の違い」なんです。
ハチが注意を向け、タコが夢を見る
Phrona: 話を聞きながら思っていたのが、振動が意識に関係しているとして、それって人間の脳の話ですよね。ほかの動物では、どうなっているんですか?
富良野: それがね、ここが一番面白いところで。ゴドフリー=スミスが紹介しているのは、全然違う生き物にも同じようなパターンがある、という研究なんです。ミツバチ、ハエ、タコ——それどころか、クラゲに近い動物にまで。
Phrona: クラゲ! 脳もないのに。
富良野: クラゲにも神経系はあるんです。脳という集中した形ではないけれど。そして振動しているらしい。ただ、クラゲが意識を持っているかどうかは、まず誰も思わないわけで——これは、振動があるからって意識があるとはいえない、という反例にもなってしまう。
Phrona: 振動は必要条件じゃないかもしれない、と。
富良野: ゴドフリー=スミスも、そこは認めていて。でも、もう一段面白いのが、振動のパターンと「意識っぽい状態」の連動が、ハチやハエでも見られるという話なんです。
Phrona: ハチが意識を持っているというのは、感覚的にはかなりラジカルに聞こえますよね。
富良野: そう聞こえるんだけど、研究の文脈では「意識そのもの」じゃなくて「意識に関係していそうな機能」として捉えているんです。ブルーノ・ファン・スウィンデレンというクイーンズランド大学の研究者の仕事なんですが、ハチやハエが、同時に複数のものが見えているときに、「どれかひとつに注意を向ける」という選択ができることを示した。
Phrona: 注意を向ける、か。それって、すごく人間的な機能に聞こえますね。
富良野: しかもその「注意の方向」が、ハエの脳波から読み取れたらしいんです。ベータ波というリズムが、ハエがどこを見ているかと対応していた。さらに面白いのが、報酬回路を刺激することで、ハエの注意を本来は興味を示さないものに向けさせることができた、と。そしてそれも振動に反映された。
Phrona: ハエの注意のスイッチを、脳の振動を通じて間接的に変えられた、ということですか。
富良野: 因果の方向としては「報酬→注意→振動」なのか「振動が媒介している」のかは、まだ明確じゃないんですが、関係性としてはかなり印象的な実験ですよ。
Phrona: タコの話はどうですか? タコって、意識の議論でわりとよく出てきますよね。
富良野: ゴドフリー=スミスの本業でもあって。タコは眠るときに、皮膚の色がランダムに変わるらしいんです。夢を見ているように。REM睡眠——眼球が素早く動く、夢を見やすいとされる睡眠段階——に似た状態があるらしくて、複数の睡眠状態があって、それぞれ違う振動パターンを持っている。
Phrona: 夢を見るタコ……。それを想像すると、なんか意識の話が急に、技術の問題じゃなくて、もっと生き物としての問いになってきますね。
富良野: そうなんですよ。意識って「AIに備わるかどうか」だけじゃなくて、「どんな生き物がどのくらい持っているか」という問いでもあって、そっちから入ると話の重心がそもそも変わる。
Phrona: 人間中心で考えていると見えない地形が、タコの眠りを入口にすると急に現れてくる感じがします。
「相関している」と「原因だ」のあいだ
Phrona: ちょっと正直に聞いていいですか。振動が意識と連動しているのはわかった。でも、「たまたま一緒に起きているだけ」じゃないの、という疑問がずっとあって。
富良野: それは全然正当な疑問ですよ。ゴドフリー=スミス自身も、ここがいちばん難しいところだって認めていて。振動が意識の「原因」なのか、「症状」なのか、それとも「おまけ」なのかは、まだわからない。
Phrona: おまけ説というのは?
富良野: ニューロンが活動すると、物理的な性質上、自然に振動が生まれる。振り子時計が揺れるみたいに。でも振り子が揺れているからといって、時計が時刻を刻む原因じゃないですよね。コンピュータの冷却ファンの音みたいなもので、重要な活動の副産物かもしれない、という見方です。
Phrona: もう一段上の立場は、振動が「サポート役」——脳の活動を整える補助的な役割は果たしているけれど、直接的に意識を作り出しているわけじゃない、という感じですか?
富良野: そう。そして三つ目の立場として、振動が意識の中心的な要素だ、という立場がある。ガンマ波という速い振動が視覚体験の「統合」——色や形がひとつのものとして感じられる、あのまとまり感——に関係しているという仮説が、二十世紀末に出てきたんだけど、これは今もかなり論争的なんです。
Phrona: 振動を頭皮から電気で刺激したら記憶力が上がった、という研究もゴドフリー=スミスが触れていましたよね。あれは、「振動が原因かもしれない」という方向への証拠になりますか?
富良野: そう読める実験ではある。でも、記憶と意識はイコールじゃないし、外部刺激で振動を変えたときに何が起きているかは、まだ解釈の余地が大きくて。決定的とはいえない。
Phrona: 結局のところ、「振動が意識に関係していそうだという間接的な証拠がたくさんある」という段階なんですね。
富良野: そう。でも僕が面白いと思ったのは、ゴドフリー=スミスが「これが絶対正しい」と言わないことで。「少なくとも部分的には正しいだろう」という書き方をしている。その慎重さが、誠実に見える。
Phrona: 哲学者が「わからない」と言うのは、当たり前のようで、わりと勇気がいることかもしれませんよね。特にAIが「意識を持つかどうか」という話が社会的に注目されているときは。
富良野: AIは意識を持つか、という問いに対して、「そもそも意識って何かを、ちゃんと問い直さないといけない」という方向にゴドフリー=スミスは誘導しているような気がする。答えじゃなくて、問いの立て方を変えようとしているのかもしれない。
Phrona: 意識が「コードで書けるか」という問いと、「イオンが膜を行き来するリズムから生まれているのか」という問いは、同じ問いを違う角度から見ているようで、実は全然違う場所に連れていきますよね。
富良野: どちらを入口にするかで、議論の地形ががらっと変わる。
ポイント整理
脳の活動は「発火」と「振動」の二層構造
ニューロンが化学物質を介して信号を伝える「スパイク・ネットワーク」とは別に、細胞膜をイオンが行き来する大規模な電気的振動が存在する。前者はコンピュータで再現しやすいが、後者は現在の計算機ハードウェアには本質的に移植しにくい性質を持つ。
振動パターンは「意識に関係する状態」と連動する
睡眠・覚醒・麻酔・集中といった、意識の有無や質に関わる状態の変化に対応して、脳内の振動パターンが変化することが観察されている。これは「無関係」とは言い切れない関係性を示している。
この連動は人間だけの現象ではない
ミツバチ・ハエ・タコにも、意識に関係しているとされる状態(注意・睡眠の複数段階・麻酔反応)と振動の連動が見られる。種を越えた普遍性は、この関係性が神経系の基本的な特性である可能性を示唆する。
相関は因果ではない——でも「おまけ」とも言い切れない
振動は意識の副産物(コンピュータのファン音のようなもの)かもしれないし、補助的な役割を担うだけかもしれない。しかし、振動への外部干渉が認知機能に影響するという実験結果は、少なくとも単純な「おまけ論」を支持しない。
「素材」の違いは、処理の違いに直結するかもしれない
機能主義は「何でできているかは関係ない」と主張するが、ゴドフリー=スミスは「素材が処理の質を制約する」という立場をとる。振動はその制約の具体的な事例として提示されており、この問いは「AIは意識を持てるか」という問いの前提そのものを問い直す。
キーワード解説
【機能主義(Functionalism)】
心(意識)は「何でできているか」ではなく「何をするか」によって定義される、という考え方。脳でできていようとシリコンでできていようと、同じ機能を果たせば同じ心が宿るとされる。二十世紀後半の哲学・認知科学で主流となり、人工知能研究の理論的背景にもなってきた。
【生物学的自然主義(Biological Naturalism)】
哲学者ジョン・サールが提唱した概念で、意識は生物学的な神経系の特定の仕組みによって生み出されるものであり、機能だけを模倣しても意識は生じないという立場。「中国語の部屋」という思考実験で有名。ゴドフリー=スミスの議論は、この立場を実験科学の側から補強しようとするものと言える。
【神経振動(Neural Oscillation)/ 脳波(EEG)】
脳の神経細胞の膜を、帯電した粒子(イオン)がリズミカルに行き来することで生まれる、大規模な電気的リズム。EEG(脳電図)という装置で頭皮の外から計測できる。アルファ波・ベータ波・ガンマ波などの種類があり、それぞれ異なる脳の状態と関連することが知られている。
【スパイク(Spike)/ ニューロンの発火】
ニューロン(神経細胞)が興奮したときに生じる、短時間の強い電気信号のこと。この信号は隣接するニューロンに化学物質(神経伝達物質)を放出することで伝わり、脳全体の情報処理ネットワークを形成する。デジタル的な「オン/オフ」の性質を持つため、コンピュータでのシミュレーションと親和性が高い。
【基質独立性(Substrate Independence)】
意識や知性は、それを実現している物理的な材料(基質)に依存しない、という考え方。「意識はソフトウェアのようなものであり、適切なプログラムさえあればどんなハードウェアでも意識が宿る」という発想の根拠となっている。ゴドフリー=スミスはこの前提に疑問を呈している。
【注意(Attention)の神経基盤】
複数の刺激が同時に存在するとき、そのうちの一つに選択的に処理を集中させる機能のこと。ミツバチやハエでも、視覚的な注意の向きがベータ波などの振動パターンと対応していることが実験で示されており、注意という機能が人間に限らない神経的基盤を持つ可能性を示している。