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自然関係指数が問い直す「豊かさの足場」──外部不経済の可視化

更新日:2 日前

シリーズ: 知新察来


◆今回のピックアップ記事:Yadvinder Malhi "The measure of flourishing" (Aeon, 2026年6月29日)


経済発展を語る言葉は、基本的に「増えるもの」の言葉だった。所得が増える。消費が増える。都市が広がる。インフラが整う。教育や医療へのアクセスが広がる。GDPはその増加を測る指標として、きわめて強力に機能してきた。市場で生み出された付加価値を集計し、国家間の比較を可能にし、政策の成否を判断する共通語になった。


この物語には十分な正当性がある。経済発展は多くの人を貧困から引き上げ、寿命を延ばし、選択肢を広げた。


だがGDPには、設計上の盲点がある。経済活動の「成果」は足し上げるが、その成果を生む過程で何が取り崩されているかを、十分に計上しない。森林を伐採して道路を造ればGDPは増える。災害後の復旧工事でも増える。壊すことと修繕することの区別がつかない。社会が人間に過剰な負荷をかけ、その負荷を処理する産業が伸びても、GDPは上がる。


ここに一つの問いが生まれる。GDPが「成果」として足し上げている数字の裏側で、何が減っているのか。




自然関係指数という問い


オックスフォード大学の生態学者Yadvinder Malhiが2026年6月にAeonに発表したエッセイは、この盲点に新しい切り口を持ち込んでいる。


Malhiたちが提案しているのは、Nature Relationship Index(自然関係指数、以下NRI)と呼ばれる指標だ。国ごとに、その社会が自然とどのような関係を築いているかを測る。2026年後半の国連人間開発報告書から年次報告に組み込まれる予定で、現在、杭州のワークショップで指標の構成を詰めている段階にある。


従来の発展観では、自然はしばしば経済活動の「背景」として扱われてきた。森林、河川、土壌、生物種は、資源であり、管理対象であり、時に成長の制約として見なされた。人間の繁栄が前面にあり、自然はその後方にあるもの、という配置だ。


NRIはこの配置を組み替えようとしている。人間の繁栄は自然の外側に成立するものではない。気候、水、土壌、森林、海洋、生物多様性は単なる環境ではなく、人間の生活と経済活動を支える基盤そのものだ。したがって、自然を取り崩しながら成立する繁栄は、自分自身の足場を削っていることになる。


NRIが測ろうとしているのは、三つの次元だ。


一つ目は、自然が健全に保たれ、かつ人々が日常的に自然に触れられるかどうか。保護区の奥地にだけ自然が残っているのではなく、都市の中に緑地、公園、街路樹、水辺があるか。農村景観が単一作物の工業的空間ではなく、半自然的なモザイクを保っているか。Malhiはここで「種の孤独(species-loneliness)」という表現を使う。人間がほかの生物種から切り離されて暮らしている状態を指す言葉だ。同じ経済水準であれば、街路樹と公園がある都市の方が、コンクリートに覆われた都市より「発展している」と見なすべきだ、と。


二つ目は、発展しながら自然への負荷を抑えているか。ここで重要なのは、国内の排出や森林だけでなく、消費を通じて国外に押し出している環境負荷まで見る点だ。ある国が国内の空気をきれいに保っていても、輸入品の生産過程で他国の森林や海洋や鉱山に負荷を移転しているなら、それは良い自然関係とは言えない。ヨーロッパ諸国の環境成績の相当部分が、この「見えない移転」の上に成り立っている可能性がある。ブラジルについては、国内の肉食文化と牛の放牧がサバンナと熱帯雨林への圧力になっている例が挙げられている。


三つ目は、自然が将来のために制度的に守られているか。保護地域の広さ、河川や大気の清浄度、生態系の回復の進捗などが含まれる。ただしこれも面積だけでは足りない。制度が機能しているか、地域住民の生活と両立しているか、形式的な保護になっていないか、将来の開発圧力に耐えうる制度能力があるか。ここまで見ないと、自然関係の「質」は測れない。



杭州の朝、二つの時代


Malhiのエッセイは、中国・杭州の西湖を歩く場面から始まる。


湖のほとりの遊歩道に立つと、楠の並木の向こうに、山と塔と霧が重なる風景が見える。太極拳をする人々、湖面を渡る古典音楽、弱い朝日の中で翼を広げる鵜。人間の建造物が山と水の調和を壊すのではなく、深めている。


振り返ると、近代都市・杭州のガラスとコンクリートの高層ビル群がある。杭州はかつて南宋の首都・臨安として世界最大規模の都市だった。マルコ・ポーロが「天上の都」と呼んだ場所だ。いまは中国のAI産業の中心地として再び経済的な活力を持つ。同時に、急速な都市化、大気汚染、炭素排出、グローバル供給網を通じた他国への環境負荷が重なっている。


西湖は、一見すると自然の景勝地だが、実は千年以上にわたって人間が手を加えてきた景観だ。9世紀、唐代の白居易が知事として湖を浚渫し堤を築いた。それ以降、世代を重ねて橋、庭園、亭、並木道が加えられた。清の康熙帝が名付けた「西湖十景」の題だけでも、その思想は伝わる。「曲院風荷」「柳浪聞鶯」「平湖秋月」。自然の現象と、人間がそれをどう受け止めるかという関係性そのものが風景になっている。


つまり西湖は、「人間がいない自然」ではない。人間の技術や美意識が自然を支配するためではなく、自然を深める方向に働いた景観だ。中国思想における天人合一、天と人間の一体性が、空間として実現されている場所だ。


Malhiは、古い文明の知恵だけで80億人の地球規模の文明を統治できるとは考えていない。データも制度も指標も要る。しかし、データと官僚的管理だけでも不十分だ。詩と指標の両方が要る、という立場をとっている。


記事の中でMalhiは、経済学者ケイト・ラワースの言葉を引いている。「人間と自然の共繁栄という目標に関しては、すべての国が発展途上国だ」。先進国は過剰消費と化石燃料依存と供給網を通じた環境負荷を抱え、途上国は貧困と制度の弱さと開発圧力を抱えている。どちらも理想的な自然関係には達していない。


NRIのモデルになっているのは、1990年に国連が導入したHDI(Human Development Index、人間開発指数)だ。HDIは所得だけでなく健康と教育を加え、「発展とは何のためか」という問いを指標の中に埋め込んだ。GDPの独占に風穴を開けた指標であり、導入以降、米国は首位から17位に後退し、アイスランドやノルウェーが上位を占めるようになった。GDPの順位とHDIの順位がずれることで、「経済大国=先進国」という等式に亀裂が入った。


NRIが狙っているのは、同じ種類の亀裂をもう一本走らせることだ。



両立しない現実


ここまでがMalhiの記事の骨格だ。ここから先は、この構想が実際に国別比較に落ちたとき何が起きるか、という問いに踏み込む。


NRIで上位に来そうな国を考えてみる。たとえばブータン。森林被覆率は約72%、国土の半分以上が保護地域で、憲法で森林被覆60%以上の維持を義務づけている。カーボン・ネガティブともされる。スリナムは国土の約93%が熱帯雨林で、森林の90%を恒久的に保護する方針を掲げている。ネパールは森林被覆46%、保護地域が国土の23%を占め、コミュニティ・フォレストリーという地域共同体による森林管理の実績がある。ベリーズは中米最大のバリアリーフを持ち、保護地域が国土の約35%、海洋保護区も拡大中だ。


いずれも、GDP的に見れば経済発展のトップランナーとは呼びにくい。


ここに構造的な緊張がある。自然が残っている理由の一つは、大規模な工業化や都市化や大量消費がまだ進んでいないから、という面がどうしてもある。自然を守っているのか、それともまだ壊す段階に来ていないのか。この区別は簡単にはつかない。


逆に、HDIで上位に立つ国がNRIで低く出る可能性もある。ノルウェーやカナダは自然環境に恵まれ、生活水準も高いが、化石燃料の採掘と輸出に大きく依存している。東京のように機能的で豊かな都市でも、都市生活が自然から切り離されていれば評価は下がりうる。


CO2と経済成長の分離は、再エネや電化によって一定程度進みつつある。しかしNRIが見ているのはCO2だけではない。森林、土壌、水、生物多様性、鉱物資源、海洋、都市緑地、グローバル供給網を通じた他国への負荷まで含めると、経済成長と自然負荷の分離ははるかに難しい。


NRIは「経済成長と自然保全はきれいに両立できる」と証明する指標にはならない。むしろ、両立していない現実を浮き上がらせる指標になる可能性が高い。NRIの価値は、両立の成功を示すことではなく、不都合な現実を数字で扱えるようにすることにある。



自然を守ることの政治経済学


低所得国にとって高いNRIを維持するということは、開発機会の制約を引き受けることでもある。鉱山開発、水力発電、道路建設、大規模農業、工業団地、都市拡張。いずれも制限されやすくなる。若者の雇用、外貨獲得、産業の高度化が制約される。


国際社会はその国を称賛するだろう。だが、称賛だけで医療の財源は確保されないし、教育投資は賄えない。


自然保全は国際公共財だ。熱帯林は地球全体の炭素循環に寄与し、生物多様性は人類共有の遺産であり、水源林は下流域の農業と都市を支える。しかし、この公共財の便益は世界中に広がるのに、維持のコストは保全国が一方的に負っている。


さらに、先進国は過去に自然を大規模に壊して豊かになっている。その後で、まだ十分に豊かになっていない国に同じ道を禁じるなら、それは後出しのルール変更だ。途上国から見れば、NRIは「きれいな言葉で包まれた成長抑制の道具」に映りかねない。


だからNRIは道徳ランキングであってはならない。設計にあたっては、少なくとも以下の分解が必要になる。国内負荷と国外移転負荷を分けて見ること。自然の残存量と、それを守る制度能力を分けて見ること。現在の水準と改善速度を分けて見ること。歴史的な環境負債を考慮すること。そして、保全国への国際的な費用分担を制度化すること。保全支払い、債務削減、気候資金、消費国側のフットプリントへの責任づけ。これらがセットにならない限り、NRIは指標のまま終わる。


つまりNRIの本当の意味は、順位をつけることにはない。発展の質をめぐる問いを、感覚論ではなく国際比較可能な形で議論の場に出すことにある。この国の繁栄は、どの自然関係を壊して成り立っているのか。その負荷は国内に出ているのか、海外に押し出されているのか。保全のコストは誰が担い、便益は誰が受けているのか。NRIは、これらの問いをめぐる交渉の基盤を提供する指標として機能するかどうかが問われている。



自然の外にある帳簿


ここまでの議論は、GDPが自然との関係を見落としている、という問題に焦点を当ててきた。しかし、見落としているのは自然だけなのか。


NRIが自然関係の取り崩しを可視化する指標だとすれば、同じ構造は別の領域にも存在する。


現代のデジタル経済は、人間の注意を原料にしている。SNS、広告、動画プラットフォーム、ゲーム、EC、金融アプリ、仕事管理ツール、教育テック、生成AI。これらは便利さや効率をもたらす一方で、人間の注意を細かく分断し、比較を日常化させ、反応を促し、不安や承認欲求を経済価値に変換する。森林から木材を取り出すように、人間の注意から収益を取り出している。


雇用不安、住宅不安、教育費、医療費、老後の不安は、生活の予測可能性を下げる。複雑な行政手続き、税制、金融商品、保険、契約、アプリの規約は、個人に膨大な自己管理の負担を課す。常時接続の仕事環境は、休息と労働の境界を曖昧にする。成果主義やランキングの文化は、自己評価を不安定にさせる。


これらの負荷も、GDPには十分に現れない。


むしろ、負荷への対処が新たな市場を生む。ストレスが増えればメンタルヘルス産業が拡大する。孤立が増えればマッチングサービスやコミュニティ事業が伸びる。注意が散れば生産性向上ツールが売れる。制度が複雑になれば専門家サービスが必要になる。不安が高まれば保険、金融、教育、セキュリティ関連の市場が広がる。


これらのサービス自体が悪いわけではない。多くは実際に必要であり、人を助けている。問題は、GDPが原因と対処を区別しないことだ。社会が人間に過剰な負荷をかけ、その負荷に対応する産業が成長するとき、GDPは増える。だが、その増加分は豊かさなのか。それとも、基盤が痩せたことへの修繕費を、豊かさとして数えているだけなのか。



負荷の質


ただし、ここで注意すべきことがある。負荷そのものを悪と見なしてはならない。


人間には負荷が要る。学習にも、創作にも、子育てにも、経営にも、研究にも、政治参加にも困難が伴う。意味のある困難は人を成熟させ、社会への関与を深くする。負荷のない社会が良い社会なのではない。


問題になるのは、負荷の「質」だ。


自分で引き受けた負荷、意味を見出せる負荷、回復できる負荷は、必ずしも有害ではない。問題は、回復できない負荷、意味を見出せない負荷、自分では制御できない負荷、それなのに全責任を個人に帰される負荷だ。アルゴリズムが際限なく煽る注意の拡散。終わらない事務手続き。生活基盤の不安定さから来る慢性的な緊張。ケアや感情的な労働として不可視化される負荷。これらは認知的・精神的に有害であるだけでなく、社会の共同的な問題処理能力を蝕む。


良い社会とは、負荷をなくす社会ではない。意味のある負荷を引き受けられるようにし、意味のない消耗を減らす社会だ。回復し、休息し、語り直し、再び挑戦できる余地を保つ社会だ。



三つの基盤と成長の再定義


ここまでの議論を統合すると、GDPの外にある帳簿には少なくとも三つの層がある。

生態的基盤。気候、森林、水、土壌、生物多様性、海洋、都市緑地、農村景観。NRIが測ろうとしているのはこの層だ。


人間的基盤。注意力、集中力、精神的安定、休息、時間的余白、生活の予測可能性、意味を生み出す力。まだ十分に指標化されていないが、現代社会の発展を考えるうえで欠かせない。


社会的基盤。信頼、ケア、家族や地域の関係、公共空間、制度を使いこなす力、共同で問題に取り組む能力。GDPにはほぼ反映されないが、社会が機能するための条件になっている。

GDPは市場で取引された価値を足し上げる。だが、市場で価値が生まれるためにはこれらの基盤が必要だ。自然が壊れ、人間の注意が断片化し、精神的な安定が失われ、ケアが枯渇し、社会的信頼が崩れれば、GDPを生み出す土台そのものが弱くなる。基盤が痩せてもGDPにはすぐに反映されない。むしろ基盤の劣化に対応する支出がGDPを押し上げることすらある。


したがって、これからの発展論に必要なのはGDPを捨てることではない。GDPだけで発展を語ることをやめることだ。所得、雇用、財政、生産性は依然として重要であり、低所得国に対して成長するなとは言えない。貧困を美化してはならない。


しかし、GDPが増えているからといって、社会が豊かになっているとは限らない。成長の中身を見なければならない。自然を壊す成長なのか、回復する成長なのか。注意を奪う成長なのか、余白を増やす成長なのか。不安を煽る成長なのか、生活の予測可能性を高める成長なのか。ケアを不可視化する成長なのか、ケアを支える成長なのか。


もちろん、指標化には危険もある。NRIが道徳ランキングに転化しうるように、認知的・精神的負荷の指標化には、人間の内面を管理する道具に変わる危険がつきまとう。「幸福であれ」「レジリエントであれ」という新たな圧力になりうる。本来は制度や市場の構造の問題が、個人のストレス管理の問題に矮小化される可能性もある。


だから、測るべきなのは個人の心そのものではない。社会の制度や市場のしくみが、人間にどのような負荷を構造的に押しつけているか、だ。NRIについても同様で、目的は自然を上から管理することではなく、社会の発展経路が自然との関係をどう変えているかを問うことにある。指標は管理の道具ではなく、議論と制度設計のための道具でなければならない。


指標は答えではない。だが、測られないものは政治的争点になりにくい。GDPが経済成長を可視化したことで各国は成長率を競った。HDIが健康と教育を発展の中心に据えたことで、GDPだけではない人間開発の議論が広がった。NRIが意味を持つとすれば、自然と人間社会の関係を、同じように政治的・制度的な議論の対象にすることだろう。


そしてその射程は、自然にとどまらない。


問うべきなのは、成長するか否かではない。何を消耗させる成長なのか。何を回復する成長なのか。誰に負荷を押しつけ、誰に便益をもたらす成長なのか。その発展経路は、他国にも将来世代にも開かれているのか。


NRIは、その問いを始めるための一つの入口だ。GDPの外にある帳簿を開く最初の一冊だ。だが帳簿は一冊では済まない。


 

 

ポイント整理


  • NRIは環境指標であると同時に発展指標である

    • 自然がどれだけ残っているかだけでなく、社会の繁栄が自然とどのような関係の上に成り立っているかを問う

    • HDIがGDPの独占を相対化したように、NRIは「繁栄の質」に自然との関係を組み込む

  • GDP成長とNRIのあいだには構造的な緊張がある

    • CO2と経済成長の分離は進みつつあるが、森林・土壌・水・生物多様性・供給網まで含めた自然負荷と経済成長の分離ははるかに困難

    • NRIの価値は両立の成功を証明することではなく、両立していない現実を可視化すること

  • NRIが道徳ランキングになる危険

    • 貧困や低開発を「自然との良い関係」と誤認する危険がある

    • 先進国の後出し倫理、国外負荷移転の問題、国際的な費用分担の不在

    • NRIをランキングではなく、発展の質をめぐる交渉材料として設計する必要がある

  • GDPが見落としているのは自然だけではない

    • 生態的基盤、人間的基盤、社会的基盤の三層がGDP的発展を支えているが、いずれの劣化もGDPには十分に反映されない

    • 基盤の劣化に対応するサービスの拡大がGDPを押し上げるという逆説がある

  • 負荷はゼロならよいわけではない

    • 問題は負荷の「質」であり、回復不能・意味づけ不能・制御不能・個人に過剰に帰責される負荷が有害

    • 認知的・精神的負荷の指標化は、個人の内面管理ではなく、社会構造が押しつける負荷を対象にすべき



キーワード解説


【Nature Relationship Index(自然関係指数、NRI)】

Yadvinder Malhiらが提案し、2026年後半から国連人間開発報告書に組み込まれる予定の新しい発展指標。国ごとに自然との関係の質を、三つの次元(自然の繁栄とアクセス、ケアしながらの発展、将来への保全)から測ろうとする。単なる環境保護ランキングではなく、発展概念そのものの再設計を意図している。


【Human Development Index(人間開発指数、HDI)】

1990年に国連が導入。GDPだけで発展を測る慣行に対して、所得・健康・教育を組み合わせた指標を提示した。NRIはHDIのモデルに倣い、自然との関係を発展指標に組み込むことを目指している。


【消費ベースの環境負荷(consumption-based environmental footprint)】

ある国の環境負荷を、国内の生産だけでなく輸入品の生産過程で他国に生じた負荷も含めて算出する考え方。NRIの第二の次元の核となる概念で、高所得国が自国の環境をきれいに保ちながら、供給網を通じて他国に環境コストを転嫁する構造を可視化する。


【種の孤独(species-loneliness)】

Malhiが記事中で用いた表現。人間がほかの生物種から切り離された環境で暮らしている状態を指す。都市化の進展により、人類史の大部分を占めてきた他の種との日常的な接触が失われつつある問題を概念化したもの。



本稿を素材として対話形式で再構成した記事も、近日中にnoteに掲載予定です。
ご関心を持っていただけましたら、note上でご感想などお聞かせいただけると幸いです。
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