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複雑な問題に対するシンプルな解決策?──ガバナンス理論から考える社会の難題

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シリーズ: 論文渉猟


◆今回の論文:B. Guy Peters et al. "Simple solutions for complexity?" (『Global Challenges, Governance, and Complexity: Applications and Frontiers』, 2019年12月)

  • 概要:複雑性科学の洞察をガバナンス研究に応用し、複雑な社会問題に対して必ずしも複雑な解決策が必要ではない可能性を検討した理論的考察



現代社会が直面する課題は、以前にも増して複雑になっています。気候変動、パンデミック、経済格差、技術と社会の摩擦など、どれも単純な答えでは解決できない問題ばかりです。


こうした状況に対して、政策立案者や研究者の間で議論されているのが「複雑な問題には複雑な解決策が必要なのか、それともシンプルなアプローチの方が効果的なのか」という根本的な問いです。政治学者のB. Guy Petersらは、ガバナンス理論の視点から、この議論に新たな光を当てています。


今回は、複雑性科学とガバナンス研究の接点で生まれた興味深い洞察を、二人の研究者の対話を通じて探ってみましょう。問題の複雑さと解決策のシンプルさの間にある、意外な関係性が見えてくるかもしれません。


 


複雑性という現代の呪縛


富良野:最近、政治の世界でも経済でも、「問題が複雑だから解決策も複雑でなければならない」という思い込みが強くなってる気がするんですよね。Peters先生たちの論文を読んでて、そこにちょっと疑問を投げかけてるのが面白いなと思って。


Phrona:あー、確かに。なんていうか、複雑性って一種の免罪符になってしまってる部分もありますよね。「問題が複雑すぎて手がつけられない」とか、「もっと精密な分析が必要」とか言って、結局何もしないまま時間が過ぎていく。


富良野:そうそう。でも一方で、実際に現代の課題って本当に複雑になってるのも事実だと思うんです。気候変動なんて、科学、経済、政治、社会、全部が絡み合ってるじゃないですか。


Phrona:うん、でもそこで興味深いのが、Petersさんたちが言ってる「複雑適応システム」としての視点ですよね。社会も政府も、小さな変化が全体に波及して、予期しない大きな変化を生み出すことがある。


富良野:複雑適応システムか。つまり、システム全体の振る舞いは、個々の部分の単純な足し算じゃ説明できないってことですね。


Phrona:まさに。だからこそ、複雑な問題に対して、必ずしも複雑な解決策が必要じゃないっていう発想が生まれてくるんでしょうね。時には、シンプルな介入が思わぬ大きな効果を生むことがある。


ガバナンスの新しい地図


富良野:でも、ここで気をつけなきゃいけないのは、「シンプル」って言葉の意味ですよね。安易な単純化と、本質を捉えたシンプルさは全然違う。


Phrona:そうですね。論文では、ガバナンスの複雑性について具体的にどんな話をしてるんですか?


富良野:面白いのは、現代のガバナンスが従来の階層的な政府モデルを超えて、ネットワーク型になってることを前提にしてる点です。政府だけじゃなく、企業、NPO、市民社会、国際機関まで含めた複雑な相互作用の中で、問題解決が行われている。


Phrona:ああ、それって私たちの日常にも当てはまりますよね。例えば環境問題なら、政府の規制だけじゃなくて、企業の自主的取り組み、消費者の選択、技術革新、国際協力、全部が絡み合って結果が決まる。


富良野:その通りです。そして、そういう複雑なネットワークの中では、従来の「命令と統制」みたいなガバナンスは機能しにくい。むしろ、適切な「レバレッジポイント」を見つけて、そこに的確に働きかけることが重要になってくる。


Phrona:レバレッジポイントって、小さな力で大きな変化を生み出せる場所のことですよね。でも、それを見つけるのって、実は高度な洞察が必要な気がします。


富良野:そこが矛盾みたいに見えるんですが、実は違うんです。シンプルな解決策を実行するために、システムの複雑性を深く理解する必要がある。パラドックスみたいですが、これこそが現代のガバナンスの核心だと思います。


実践の現場から見えてくるもの


Phrona:具体例で考えてみましょうか。コロナ禍の対応って、まさにこの問題の縮図だった気がします。


富良野:ああ、確かに。各国の対応を見てると、複雑な疫学モデルや経済予測に基づいて精緻な政策を作ろうとした国と、比較的シンプルな原則に基づいて迅速に行動した国がありましたね。


Phrona:そうですね。興味深いのは、必ずしも複雑な政策の方が効果的だったわけじゃないってことです。むしろ、国民にとって理解しやすく、実行しやすい政策の方が、結果的に社会全体の協力を得られたケースも多い。


富良野:それって、Petersさんたちが言う「シンプルな解決策」の一例かもしれませんね。ただし、そのシンプルさの背後には、感染症の拡散メカニズムや社会心理学、経済への影響など、複雑な要因の理解があった。


Phrona:なるほど。表面上はシンプルに見えても、その設計には深い洞察が込められてるということですね。


富良野:そういうことです。僕が思うに、これからのガバナンスの課題は、複雑性を避けることでも、複雑性に溺れることでもなく、複雑性を理解した上でシンプルな解決策を見つけることなんじゃないでしょうか。


未来への示唆


Phrona:でも、ここで一つ気になるのは、誰がその「シンプルな解決策」を決めるのかってことです。専門家?政治家?それとも市民?


富良野:鋭い指摘ですね。これは民主主義とテクノクラシーの古典的な緊張関係にも関わってきます。複雑性を理解するには専門知識が必要だけど、解決策の選択は社会全体に影響を与える。


Phrona:そうですよね。しかも、シンプルな解決策って、一見分かりやすいから政治的に利用されやすいという危険性もある。ポピュリズムとの境界線はどこにあるんでしょう?


富良野:難しい問題ですが、僕は透明性が鍵だと思います。なぜその解決策がシンプルなのか、どんな複雑性の理解に基づいているのかを、きちんと説明する責任がある。


Phrona:それって、実は市民の側にも複雑性に向き合う覚悟が求められるってことかもしれませんね。簡単な答えを求めるだけじゃなくて、問題の本質を理解しようとする姿勢。


富良野:まさに。Petersさんたちの議論の背景には、市民社会の成熟という前提もあるんじゃないかと思います。複雑な問題を複雑なまま受け入れつつ、それでも行動可能な解決策を見つけていく知恵。


Phrona:なんだか、これって人生の問題にも当てはまりそうですね。複雑な状況だからといって何もしないのではなく、かといって無理に単純化するのでもなく、複雑性の中からシンプルな行動原則を見つけていく。


富良野:個人レベルでも社会レベルでも、結局は同じような知恵が必要なのかもしれません。



 

ポイント整理


  • 複雑性への新たなアプローチ

    • 現代社会の複雑化した問題に対して、必ずしも複雑な解決策が最適解ではないという視点の転換が重要である。複雑適応システムとしての社会では、小さな変化が予期しない大きな変化を生み出すことがある。

  • ガバナンスの構造変化

    • 従来の階層的政府モデルから、政府・企業・市民社会・国際機関を含むネットワーク型ガバナンスへの移行が進んでいる。この変化により、「命令と統制」型の統治よりも、適切なレバレッジポイントへの働きかけが重要になっている。

  • シンプルさの二面性

    • 真のシンプルな解決策は、表面的な単純化ではなく、複雑性への深い理解に基づいて設計される。コロナ禍の各国対応に見られるように、理解しやすく実行しやすい政策が社会全体の協力を得やすい場合がある。

  • 民主的正統性の課題

    • 複雑性の理解には専門知識が必要だが、解決策の選択は社会全体に影響を与えるため、専門性と民主性のバランスが重要である。透明性を通じて、なぜその解決策がシンプルなのかを説明する責任がある。

  • 市民社会の成熟度

    • シンプルな解決策の実効性は、市民が複雑な問題を複雑なまま受け入れつつ、行動可能な解決策を理解・支持する能力に依存している。簡単な答えを求めるだけでなく、問題の本質を理解しようとする姿勢が求められる。



キーワード解説


複雑適応システム

多数の要素が相互作用し、全体として予測困難な振る舞いを示すシステム


【ネットワーク型ガバナンス

政府単独ではなく、多様な主体が協力して社会問題に取り組む統治形態


【レバレッジポイント

システム全体に大きな変化をもたらすことができる介入点


【複雑性科学

複雑なシステムの振る舞いを研究する学際的分野


【ガバナンス理論

政府を超えた多様な主体による統治のメカニズムを研究する分野


【テクノクラシー

専門的知識や技術的能力に基づく統治システム


【ポピュリズム

複雑な問題に対して単純で感情に訴える解決策を提示する政治手法



本稿は近日中にnoteにも掲載予定です。
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