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哲学者は「世界の魔法」を解き明かすエンジニアでなければならない──ダニエル・デネットが遺した挑戦状

更新日:7月1日

シリーズ: 知新察来


◆今回のピックアップ記事:Keith Frankish "Daniel Dennett: The man who saw reality's patterns"(Institute of Art and Ideas, 2024年4月22日)

  • 概要:ダニエル・デネットの追悼記事として書かれた哲学エッセイ。デネットの哲学的立場と人物像を紹介している。


科学が明らかにする素粒子の世界と、私たちが日々経験する意識や自由意志の世界。この二つの現実はどのように両立しているのでしょうか。それとも、私たちの意識や自由意志は単なる幻想にすぎないのでしょうか。


2024年に亡くなったアメリカの哲学者ダニエル・デネットは、この難問に独自のアプローチで挑み続けました。彼は哲学者でありながら「エンジニアの精神」を持ち、世界の仕組みを解明することに情熱を注いだ人物でした。


デネットの哲学は一見すると過激です。意識や自由意志といった、私たちが最も大切にしているものの「素朴な理解」を否定するからです。しかし、彼は決してそれらの存在自体を否定したわけではありません。むしろ、より深く、より柔軟に理解するための新しい枠組みを提案したのです。


今回は、デネットの思想について、富良野とPhronaが語り合います。哲学と科学の境界を越えて思考し続けた彼の遺産は、私たちに何を問いかけているのでしょうか。



デネットという哲学者の「型破り」さ


富良野: このデネットの追悼記事を読んで、まず驚くのが彼の肩書きの多様さですね。哲学者であり、農夫であり、船乗りであり、彫刻家であり、サイダー作りでもある。これ、単なる趣味の羅列じゃないような気がするんです。


Phrona:ええ、特に「エンジニアの精神を持つ哲学者」という表現が印象的で。普通、哲学者って言うと、書斎にこもって抽象的な概念と格闘している姿を想像しちゃいますけど、デネットさんは違うんですね。手を動かして、ものを作る。


富良野:そうそう。で、面白いのは、彼がその「作る」という態度を哲学にも持ち込んでいることなんです。「thinking tools」、つまり思考の道具を作るって発想。これ、かなり実践的というか、プラグマティックですよね。


Phrona:道具って言葉、いいですね。哲学を「真理の探究」じゃなくて「道具作り」として捉えるなんて。でも、ちょっと待って。道具って、何かの目的のために使うものじゃないですか。デネットさんにとって、その目的って何だったんでしょう?


富良野:記事によると、科学が描く世界と日常の世界をどう「つなげるか」が彼の問題意識だったみたいです。素粒子の世界と、僕らが感じる意識や自由意志の世界。これ、確かに大きなギャップがありますよね。


Phrona:うん、でもそのギャップを埋めようとすると、どちらかを否定しちゃいがちですよね。科学を優先すれば「意識なんて幻想だ」となるし、日常感覚を優先すれば「科学では説明できない何かがある」となる。


「リアル・パターン」という不思議な概念


富良野:そこでデネットが持ち出すのが「リアル・パターン」という概念なんです。これ、ちょっと不思議な言い方ですよね。パターンって、普通は「本当のもの」じゃなくて、何かの「見方」とか「解釈」だと思うじゃないですか。


Phrona: そうそう!パターンってある意味、私たちが世界に投影しているものですものね。でもデネットさんはそれを「リアル」だと言う。これ、どういうことなんだろう。


富良野:僕の理解では、彼は「存在するもの」の定義を広げているんじゃないかな。素粒子みたいな物質だけじゃなくて、脅威とか機会とか、ダンスとかジョークとか、そういうものも「実在する」って。


Phrona:ああ、なるほど。でも脅威って、見る人によって違いますよね。ある人にとっての脅威が、別の人にとってはチャンスかもしれない。それでも「リアル」なんですか?


富良野:そこが面白いところで、デネットは「見る人によって違う」ことと「リアルである」ことは矛盾しないって考えてるみたいなんです。むしろ、僕らが世界の中から価値あるパターンを見出す能力こそが重要だと。


Phrona: うーん、でもそれって結局、すべてが相対的ってことになりません?何でもありみたいな。


富良野:いや、そうじゃないと思うんです。彼は「blooming buzzing confusion」、つまり世界の混沌とした豊かさの中から、僕らが学習によって見出したパターンって言ってる。つまり、勝手な投影じゃなくて、世界との相互作用の中で形成されたものなんですよ。


エッセンシャリズムからの解放


Phrona:なるほど...でも富良野さん、私が気になるのは、デネットさんが「素朴なエッセンシャリズム」を否定しているところなんです。エッセンシャリズムって、ものには本質があるって考え方ですよね。


富良野:ええ、例えば「意識の本質は何か」とか「自由意志の本質は何か」みたいな問い方ですね。


Phrona: そう。でも本質を否定しちゃったら、何を頼りに考えればいいんでしょう。すべてがふわふわして、掴みどころがなくなっちゃいそう。


富良野:でも逆に考えると、本質にこだわるから行き詰まるのかもしれません。例えば「意識とは何か」って問いに、唯一の正解があると思うから、科学と日常感覚が対立しちゃう。


Phrona:ああ、それで「壊れた概念を修理する」って表現が出てくるんですね。本質主義的な概念は、現代の知識に照らすと「壊れている」から、もっと柔軟な概念に作り直そうって。


富良野:そうそう。で、その作り直しの指針が「meanwhileism」、つまり「とりあえず主義」なんです(笑)。


Phrona:とりあえず主義!なんか急に親しみやすくなりました。でも哲学者が「とりあえず」でいいんですか?


富良野:いや、これ実は深い洞察だと思うんです。科学は日々進歩してるから、今の時点で完璧な理論を作っても、すぐに時代遅れになる。だから、科学の発見に応じて修正できる柔軟な枠組みを作ろうって。


謎を抱きしめることへの批判


Phrona:でも、デネットさんは「謎を抱きしめる」ことを批判してますよね。でも、謎や神秘って、人間にとって大切なものじゃないですか?


富良野:ああ、確かに。「それはただの怠惰だ」って、かなり手厳しいですよね。


Phrona:すべてを解明しようとする態度って、ある意味で傲慢じゃないかなって。世界には、解明されないままの方が美しいものもあるような気がして。


富良野:でも、ちょっと待ってください。記事の最後を見ると、デネットは世界を「魔法に満ちている」って言ってるんです。


Phrona: 謎を否定しながら、魔法を肯定するんでしょうか?


富良野:そう、でも彼の言う「リアル・マジック」は、本当の魔法じゃなくて、自然の効果があまりに精巧で私たちには驚異的に見えるものなんです。


Phrona:ああ...つまり、解明されても驚きは失われないってこと?むしろ、仕組みが分かることで、より深い驚きが生まれる?


富良野:そういうことだと思います。例えば、意識の仕組みが科学的に解明されたとしても、それが「驚くべき自然のパターン」であることに変わりはない。


哲学の民主化?それとも...


Phrona:このアプローチって、ある意味で哲学を「普通の人」に近づけようとしてますよね。日常と科学をつなぐって。


富良野:そうですね。「哲学は日常生活から遠い専門分野じゃない」って明言してますし。


Phrona:同時に、現代哲学の多くを「誰もプレイしないチェスの変種を研究するようなもの」って切り捨ててる。これ、かなり辛辣じゃないですか?


富良野:確かに(笑)。でも、これも彼の実践的な態度の表れかもしれません。哲学を「使える道具」にしたいから、実用性のない精緻な理論には興味がない。


Phrona:うーん、でもそれって、哲学の豊かさを狭めることにならないかしら。無用の用っていうか、一見役に立たない思索が、後で大きな発見につながることもあるじゃないですか。


富良野:それは...確かにそうですね。デネットの「エンジニア精神」は強力だけど、それがすべてじゃないかもしれない。


Phrona:私が面白いと思うのは、彼が農夫でもあり、船乗りでもあったってところなんです。土に触れて、海に出て、手でものを作る。そういう身体的な経験が、彼の哲学を支えていたんじゃないかって。


富良野:ああ、それは重要な視点ですね。抽象的な思考だけじゃなくて、具体的な実践との往復運動。それが「リアル・パターン」という発想につながったのかも。


Phrona:そう考えると、デネットさんの哲学って、ある種の「生き方」の提案でもあるのかもしれませんね。世界と実践的に関わりながら、その中にパターンを見出していく。謎に安住せず、でも驚きは失わない。


富良野:うん、そしてその態度は、今の時代にこそ必要なのかもしれません。科学技術が急速に発展して、AIが意識を持つかもしれないなんて議論も出てきてる中で、柔軟で実践的な概念の枠組みが求められてる。


Phrona: 同時に、すべてを解明しようとする態度への警戒心も必要かもしれませんね。デネットさんの遺産を受け継ぎながら、でも批判的な距離も保つ。それが私たちの課題なのかも。



ポイント整理


  • デネットは哲学を日常生活や科学から切り離された専門分野ではなく、両者をつなぐ実践的な営みとして捉えた

  • 意識や自由意志を「幻想」として否定するのではなく、「リアル・パターン」として再定義することで、科学的世界観と日常的世界観の両立を目指した

  • 本質主義的な概念理解を批判し、科学の進歩に応じて修正可能な柔軟な枠組み(meanwhileism)を提唱した

  • 「謎を抱きしめる」態度を怠惰として批判する一方、解明された自然の仕組みに「リアル・マジック」を見出す視点を持っていた

  • 哲学者でありながらエンジニア、農夫、船乗りなど多様な実践を行い、具体と抽象の往復運動から思考を紡いだ


キーワード解説


【リアル・パターン(Real Patterns)】

世界の中に実在する構造やパターン。物質だけでなく、脅威、機会、ダンスなども含む


【エッセンシャリズム】

ものごとには固定的な本質があるとする考え方


【meanwhileism(とりあえず主義)】

将来の科学的発見に応じて修正可能な柔軟な理論枠組みを作る態度


【thinking tools(思考の道具)】

難しい問題を解決するために考案される概念的な道具


【エリミナティヴィズム(消去主義)】

日常的な心的概念(信念、意識など)の実在を否定する立場


【マニフェスト・イメージ】

日常的な経験に基づく世界像


本稿は近日中にnoteにも掲載予定です。
ご関心を持っていただけましたら、note上でご感想などお聞かせいただけると幸いです。
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