「どっちにもつかない」という選択──インドが示す多極化時代の生存戦略
- Seo Seungchul

- 4 時間前
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シリーズ: 知新察来
◆今回のピックアップ記事:Narain D. Batra, "India's freedom from global blocs is the future" (iai News, 2026年2月2日)
概要:トランプ政権や欧米諸国から批判されるインドの「どっちつかず」外交について、それが実は30年以上の歴史を持つ戦略的自律の実践であり、多極化する世界における先駆的モデルになりうると論じる。
昨年末、インドのモディ首相がロシアのプーチン大統領を温かく迎え入れたとき、欧米諸国は眉をひそめました。ウクライナ侵攻後、西側がロシアの孤立を図っているまさにそのとき、なぜインドは逆のことをするのか、と。しかし、この「反抗」に見える振る舞いは、実は30年以上にわたって一貫してきた外交姿勢の表れでした。
「戦略的自律(Strategic Autonomy)」——この言葉が、今のインド外交を理解する鍵になります。冷戦期の非同盟運動を源流に持ちながら、現代の複雑な国際環境に適応させた独自の路線です。アメリカとも協力する、ロシアとも関係を維持する、中国とは緊張を抱えながらも対話を続ける。一見すると矛盾だらけに見えるこの姿勢を、インドの外相ジャイシャンカルは「算数ではなく微分積分で考えよ」と表現しています。
今回の対話では、富良野とPhronaが、インドのこの「どっちにもつかない」戦略の背景と、それが示す国際秩序の変容について掘り下げていきます。「同盟か敵対か」という二項対立が通用しなくなった世界で、中堅国はどう生き延びるのか。その問いは、日本にとっても他人事ではありません。
欧米が「裏切り」と見たもの
富良野:去年の12月、モディ首相がプーチン大統領をニューデリーで迎えたときの欧米の反応、覚えてます?
Phrona:ええ、かなり批判的でしたよね。ロシアのエネルギー供給を「途切れさせない」と発表したことで、さらに反発が強まって。
富良野:でもね、インド側の視点からすると、あれは「変節」じゃなくて「継続」なんですよ。インドとロシアの関係って、プーチンやモディが登場するずっと前から続いていて、ソ連崩壊も、冷戦終結も、アメリカ一極体制の時代も、ずっと生き残ってきた。
Phrona:つまり、ウクライナ戦争があったから急に方針を変えるような軽いものじゃない、と。
富良野:そうそう。欧米の側に、ちょっと思い込みがあったと思うんです。ヨーロッパで危機が起きたら、世界中がそれに合わせて動くはずだ、という。でもインドからすれば、「なぜヨーロッパの危機が、南アジアの戦略環境を自動的に再編成するんだ?」という話になる。
Phrona:地理的にも遠いですしね。インドにとってウクライナ戦争は、もちろん深刻な問題ではあっても、直接的な安全保障上の脅威ではない。
富良野:むしろインドが直面している最大の課題は、中国との国境紛争なんです。2020年以降、実効支配線って呼ばれる地域で、インフラ整備や軍の展開、実際の衝突まで起きている。この状況で、ロシアからの軍事装備の調達を止めるわけにはいかない。
「戦略的自律」とは何か
Phrona:その「戦略的自律」という言葉、最近よく聞きますけど、具体的にはどういう意味なんでしょう。
富良野:もともとは、初代首相ネルーの「非同盟運動」に遡るんです。冷戦時代、米ソどちらの陣営にも属さないという選択。ただ、今のインドがやっているのは、単なる「中立」じゃない。もっと積極的に、複数の大国と同時に関係を構築して、どこにも依存しすぎないようにする。
Phrona:「どっちにもつかない」というより、「どっちともつく」という感じ?
富良野:そう、いい表現ですね。外相のジャイシャンカルが面白いことを言っていて。「モディ首相がヒューストンでトランプ支持の集会に出たと思えば、インドの古都でシー・ジンピンと会談もする。日米印の枠組みにも参加するし、上海協力機構にも入っている。これを矛盾と見るか、現実世界への適応と見るか」と。
Phrona:算数じゃなくて微分積分、という比喩でしたっけ。
富良野:ええ。単純に足し引きするんじゃなくて、変数が複雑に絡み合う状況で、最適解を探っていく。そういうイメージだと思います。
「同盟」と「パートナーシップ」の違い
Phrona:でも、アメリカから見ると、インドのこういう姿勢って、やっぱり信用しにくいんじゃないですか。
富良野:そこが難しいところで。アメリカの外交って、特に最近、「パートナーシップ」と「同盟」を混同する傾向があるんですよ。NATOみたいな正式な同盟関係では、共通の戦略と価値観を持つことが前提になる。でもインドは、アメリカの条約同盟国じゃないし、なろうとしたこともない。
Phrona:インドとアメリカの関係が深まったのは、むしろその違いを認めたからこそ、ということですか。
富良野:そうなんです。インドに同盟国のような行動を期待すると、せっかく築いてきた関係を壊しかねない。この論文の著者は、そこを「失敗は西側の思い込みにある」と言い切っていて、なかなか辛辣ですけど、一理ある。
Phrona:インド側からすれば、「私たちは最初から一貫している。あなたたちが勝手に期待して、勝手に失望しているだけだ」と。
富良野:まあ、そこまでストレートには言わないでしょうけど(笑)。ただ、「自律は敵対ではない」というメッセージは、繰り返し発信している印象です。
キッシンジャーの警告と逆説
Phrona:論文の中で、キッシンジャーの話が出てきましたよね。中国とロシアが一つのブロックになることが、アメリカにとって最悪のシナリオだと警告していた、と。
富良野:ええ。キッシンジャーが生涯をかけて警告し続けたことが、今まさに起きつつある。ロシアは制裁で西側市場から締め出されて、中国への経済的・技術的依存を深めている。中国はロシアの最大の貿易相手国で、エネルギーの主要顧客で、制裁を回避するための窓口にもなっている。
Phrona:西側の政策が、結果的にキッシンジャーが避けようとしたことを加速させている、という皮肉。
富良野:インドは、そこにくさびを打とうとしているとも言えるんです。ロシアに中国以外の経済的選択肢を提供することで、ロシアが完全に中国の軌道に吸い込まれるのを遅らせる。それはインド自身の安全保障にも直結する話で、中国がユーラシアで影響力を増せば、インドの国境問題にも響いてくる。
Phrona:インドの「ロシア離れをしない」という選択が、実はアメリカの利益にもなりうる、という逆説的な構図。
富良野:そうそう。だから著者は、「インドの選択は、対中バランスを強めるか弱めるかで判断すべきであって、西側の道徳的な物語に合致しているかどうかで判断すべきではない」と主張している。
多極化時代の「ヘッジング」
Phrona:トルコやサウジアラビア、ベトナム、インドネシア……似たような戦略を取っている国は他にもありますよね。
富良野:ええ。競合する大国の間で関係を調整して、一方に依存しすぎないようにする。インドが特別なのは、その戦略自体じゃなくて、規模と重要性なんです。世界最大の人口、急成長する経済、インド洋の要衝……インドの選択は国際システム全体に影響を与える。
Phrona:ただ、こういう「ヘッジング」って、誰からも完全には信頼されないリスクもありますよね。
富良野:もちろん。ただ、完全に信頼されることと、戦略的な自由度を持つことと、どちらを優先するかという話でもある。特に、国際秩序が流動的な時期には、選択肢を複数持っていることの価値が上がる。
Phrona:「信頼」の定義自体が変わってきているのかもしれませんね。冷戦時代の「あなたは味方か敵か」という問いが、もう有効じゃなくなっている。
富良野:「この問題ではあなたと組める、別の問題では組めない」という、課題ごとの連携が主流になっていく。インドはそれを先取りしているとも言える。
日本への示唆
Phrona:この話を聞いていて、日本のことを考えてしまうんですけど。
富良野:どういう意味で?
Phrona:日本はアメリカの同盟国で、その点ではインドとは立場が違う。でも、「アメリカ一辺倒でいいのか」という問いは、日本にも当てはまる部分があると思って。
富良野:なるほど。確かに、トランプ政権の不確実性とか、アメリカの国内分断とか、同盟の信頼性を当然視できない要素は増えている。かといって、日本がインドのように「戦略的自律」を追求できるかというと、地理的にも歴史的にも、そう簡単じゃない。
Phrona:中国との距離が近すぎるし、安全保障上の依存度も違いますよね。
富良野:ただ、「同盟か自律か」という二項対立じゃなくて、同盟を維持しながら、どこまで選択肢を広げられるか、という問いは立てられる。東南アジアやインドとの連携を深めるとか、ヨーロッパとの安全保障協力を強化するとか。
Phrona:インドの事例が教えてくれるのは、「一つの大国に運命を預けない」という発想の重要性、ということかもしれませんね。
富良野:そう思います。インドのやり方をそのまま真似することはできないけど、「なぜインドはあの選択をしているのか」を理解することで、自分たちの選択肢も見えてくる。
結論を急がない知恵
Phrona:この記事、最後まで「インドが正しい」とは言い切ってないんですよね。
富良野:ええ。「インドの選択が最適かどうかは分からないが、少なくとも異常ではない」という感じ。むしろ、世界が向かっている方向を先取りしているのかもしれない、と。
Phrona:「多元主義をコミットメントの欠如と見なすのは、根本的な誤りだ」という一節が印象的でした。
富良野:複数のものに同時にコミットすることを、矛盾ではなくレジリエンス、つまり回復力や適応力の戦略と見る。その視点の転換は、国際政治だけじゃなくて、組織論とか人生設計とか、いろんなところに応用できそうですね。
Phrona:「どっちかを選べ」と迫られたときに、「なぜ選ばなきゃいけないんですか」と問い返す勇気、というか。
富良野:それを「ずるい」と見るか「賢い」と見るかは、立場によって違うでしょうけど、少なくともインドは、その問い返しを70年以上続けてきた実績がある。そこは認めざるを得ないと思います。
Phrona:答えは出ないけど、問いの立て方は学べる。そういう素材でしたね。
ポイント整理
インドの「戦略的自律」は30年以上の歴史を持つ外交ドクトリンであり、ウクライナ戦争後の新しい動きではない。ネルー時代の非同盟運動を源流としながら、現代の安全保障環境に適応させた形で継続されている。
欧米の批判には「思い込み」が含まれていると著者は指摘する。ヨーロッパの危機が自動的に世界の戦略環境を再編成するという前提自体が、歴史的にも分析的にも根拠が薄い。
インドにとってロシアとの関係維持は安全保障上の必要性に基づく。中国との国境紛争が続く中、ロシア製の軍事装備を一夜にして置き換えることは現実的に不可能であり、抑止力を弱めるリスクを負えない。
「パートナーシップ」と「同盟」は異なるという認識が重要。インドはアメリカの条約同盟国ではなく、同盟国のような行動を期待すること自体が、関係を損なうリスクを持つ。
キッシンジャーが警告した「中露一体化」が現実化しつつある中で、インドはロシアに中国以外の選択肢を提供することで、この流れに抵抗している。これは結果的にアメリカの利益にもなりうる。
インドの外交姿勢は「矛盾」ではなく「微分積分」である。外相ジャイシャンカルの表現を借りれば、単純な足し引きではなく、複数の変数が絡み合う状況での最適化を目指している。
多元主義は「コミットメントの欠如」ではなく「レジリエンスの戦略」と捉えるべきである。複数の関係に同時にコミットすることは、不確実な世界における適応力を高める。
同様の戦略はトルコ、サウジアラビア、ベトナム、インドネシアなど他の中堅国も採用しているが、インドの場合は規模と国際的影響力において際立っている。
アメリカへの示唆として、影響力の維持は「強制」ではなく「調整」に依存するようになる。すべての問題で一致を求めるのではなく、重要な問題での収斂を優先すべきである。
キーワード解説
【戦略的自律(Strategic Autonomy)】
特定の大国に依存せず、複数のパートナーと関係を維持しながら、自国の利益を最大化する外交姿勢
【非同盟運動(Non-Aligned Movement)】
冷戦期に米ソどちらの陣営にも属さないことを掲げた国際運動。インド初代首相ネルーが主導的役割を果たした
【実効支配線(Line of Actual Control)】
インドと中国の間の事実上の国境線。正式な国境画定がなされておらず、紛争の火種となっている
【クアッド(Quad)】
日本・アメリカ・オーストラリア・インドによる安全保障協力の枠組み
【上海協力機構(SCO)】
中国・ロシアを中心とする地域協力機構。インドも加盟している
【ヘッジング(Hedging)】
国際関係において、リスク分散のために複数の大国と同時に関係を維持する戦略
【多極化(Multipolarity)】
国際秩序において、単一の超大国ではなく、複数の大国が並立する状態
【S・ジャイシャンカル】
インドの現外務大臣。著書『The India Way』で戦略的自律の理論的枠組みを提示