「効果的な利他主義」って、なんか自己矛盾?《その①》
- Seo Seungchul

- 2025年7月11日
- 読了時間: 9分

シリーズ: 行雲流水
「どこかに寄付したい。でも、どこに寄付すればいいのか分からない」――そんな迷いを抱えたこと、ありませんか?
今回の富良野とPhronaの対話は、まさにその素朴な疑問から始まります。
話題の中心は「効果的利他主義(Effective Altruism)」、略してEA。「どうせ寄付するなら、同じ金額でより多くの命を救えるところへ」という、極めて合理的に思える考え方です。
けれど話が進むうちに、ふたりの対話はだんだん別の方向へ――。
「効果的」という言葉の背後にある価値観の押し付け。
数字で測れないものへの想像力。
そして、善意が時に孕む危うさとは?
たとえば、地域の子ども食堂に寄付するのは統計的に見れば「非効率」かもしれない。
でも、だからといってその選択が間違いとは言えないのでは――?
「偽善の自覚」という言葉にたどり着くふたりの対話から、見えてくるものとは何か。
富良野:Phronaさん、最近ちょっと寄付のことを考えていて。どこかにしようと思うんですけど、正直、どこにすればいいのか迷ってるんですよね。
Phrona:ああ、それ、わかります。国内の子ども食堂にするか、海外の医療支援か、あるいは災害支援か…。選択肢が多すぎて、かえって決められなくなるんですよね。
富良野:そうそう。で、最近「効果的利他主義」って考え方を知ったんですよ。英語でEffective Altruism、EAって略されるらしいんですけど。
Phrona:聞いたことあります。「同じお金でも、使い方次第で救える命の数が全然違う」っていう話ですよね?
富良野:まさにそれです。たとえば、日本で盲導犬を1頭育てるのに500万円かかるとして、その同じ金額で、アフリカでは失明を防ぐ手術が1000件できる。だから「もっとも効果的な場所に寄付すべきだ」っていう発想なんですよ。
Phrona:なるほど。確かに、それだけ聞くとロジカルで説得力がありますね。
富良野:最初は「これはいい考え方だな」って思ったんです。限られたお金や時間を、できるだけ有効に使って、少しでも多くの命を救えるなら、それってすごく誠実な姿勢じゃないかって。自分の小さな寄付でも、もしかしたら大きなインパクトを生めるかもしれないって、希望も持てましたし。
Phrona:ええ、とくに今の世界って、解決すべき問題が山のようにあるし、私たちのリソースには限りがある。だからこそ「どこに使うのが一番効果的か」を真剣に考える姿勢は、むしろ倫理的にすら見えます。でもね…その「効果的利他主義」って言葉、私にはどこか「オキシモロン」、つまり自己矛盾っぽくも聞こえるんです。
富良野:オキシモロンっていうと、撞着語法、つまり互いに矛盾している言葉の組み合わせってことですよね?
Phrona:「利他主義」って、本来は自分の利害や価値観じゃなくて、相手にとって何が価値あることかを中心に考えることですよね。でも「効果的」って言った瞬間に、「何が効果的か」を判断する基準が必要になる。その基準って、結局誰が決めるんでしょう?
富良野:ああ…そうか。何をもって「効果的」とするかは、目標設定が前提になりますよね。そしてその目標って、基本的に支援する側が設定してる。
Phrona:そう、なので相手との対話や、相手の価値観を理解するプロセスが構造的に組み込まれていない限り、「Effective Altruism」って、ある意味で自己矛盾になってしまう気がするんです。
瀬尾:たしかに…「効果」って言葉そのものも、かなり曖昧ですよね。短期的な成果を指してるのか、長期的な変化を見てるのか。それとも、コミュニティ全体への波及効果なのか、ある個人の人生への深い影響なのか…。
Phrona:何かしらの評価指標で優先順位をつけるにしても、その指標を「誰が」「どんな価値観で」「どういう前提で」つくってるのかが問われます。たとえば、その指標が欧米の大富豪や、彼らに依頼された研究機関によって設計されたものだったら? そこに文化的バイアスが混じっていたり、「彼らにとって測定しやすい効果」だけが優先されてないかって、気になってしまうんです。
富良野:考えてみると、「1人の命を救うコスト」で比較するって言っても、そもそも「救う」ってどう定義すればいいんでしょうね。マラリアを予防して「統計的に」救われる命と、目の前で飢えている子どもにご飯をあげることを、同じ「救う」って言葉でくくっていいのか…。難しい問題です。
Phrona:さらに言えば、予防医療で平均寿命が延びることと、紛争地域でトラウマを抱えた子どもの心をケアすることの「効果」って、同じ天秤に乗せられるんでしょうか。
富良野:そういう短期的な成果を数字で可視化する方向に偏りすぎると、人権擁護のための地道な活動とか、社会構造を変えていく長期的な取り組みの価値が見過ごされてしまう気がしますね。
Phrona:まさに。EAの発想には、「自分たちが“効果”を定義して、測定して、比較できる立場にある」っていう前提が無自覚にあるんじゃないかって、私は危惧してしまいます。
富良野:つまり、世界を俯瞰して「これが一番効果的だ」って指差せる位置に、自分たちがいると思ってるというか…。
Phrona:そう、自分たちは世界の外側から、全体を見渡して最適解を導き出せる存在だ、みたいな。「超越者志向」とでも言うべき態度を感じるのは、ちょっと意地悪な見方でしょうか?
富良野:いや、分かります。たしかに危なっかしさは感じますよね。ただ正直、それって完全には避けられないんじゃないかとも思ってて。
Phrona:というと?
富良野:たとえばEAの考え方を批判するにしても、それって結局「より良い支援のあり方」について、自分たちなりに上から判断しようとしてる面があると思うんです。誰しも、ある程度は「自分の方が俯瞰できてる」って無意識に思ってしまうんじゃないかと。
Phrona:そうですね。だからこそ、大事なのは「その自覚があるかどうか」だと思います。自分の視点に限界や偏りがあるって認識したうえで行動するのと、自分こそ中立で客観的だって信じ込んで行動するのとでは、雲泥の差がありますから。
富良野:EAのいちばんの問題は、その「自覚」が見えにくいところにあるんでしょうね。
Phrona:ええ。だからこそ、「効果の最大化」を目指す過程で、本人たちが気づかないうちに何か大事なものが失われている気がするんです。たとえば、地域の小さな障害者施設に寄付することは、EAの評価基準から見れば「非効率」かもしれない。でも、その施設で働く人や利用者にとっては、それがまさに人生を左右する支援だったりする。
富良野:つまり、数字には表れにくい「関係性」とか「尊厳」とか、あるいは文化や日常の積み重ねみたいなものが、評価の枠組みからこぼれ落ちてしまうということですね。
Phrona:そう。なのにEAの支持者たちは「感情に流されず、理性的に判断している」と自負している節がある。でも、それって本当に理性的なんでしょうか?
富良野:むしろ、ある種の感情に突き動かされてるように見えます。「自分たちなら世界を最大効率で良くできる」っていう…全能感というか、救済者のような高揚感というか。
Phrona:ああ、それです。私が感じていた違和感の核心。それって、無自覚な傲慢さなんですよね。「正しい介入」や「普遍的な幸福の尺度」を自分たちで定義できると思い込んだ瞬間に、相手の主体性や、文脈に根ざした価値観への想像力がすっぽり抜け落ちてしまう。そうなると、もうそれは「利他主義」とは呼べない、別のものになっている気がします。
富良野:たしかに、歴史を見ても、「自分たちこそ人々を幸せにする方法を知っている」と信じた人たちがやったことって、だいたい悲惨な結果を生んでますよね。
Phrona:かつての植民地主義なんてまさにそれ。「未開の人々を文明化する」っていう使命感が、どれだけの暴力と喪失を生んだか…。
富良野:EAの人たちは、本気で「世界を良くしたい」と思ってるんですよね。効率を追求すること自体が悪いとは思わない。でも、「誰が、何を、効率的だと決めるのか」という問いにあまりにも無頓着すぎる。それは、ちょっと危うい。
Phrona:そして、その無頓着さに自分で気づいていない。それって、もしかすると…新しいかたちの「善意の帝国主義」なのかもしれません。
富良野:善意だからこそ、やっかいなんですよね。
Phrona:ところで富良野さん、結局どこに寄付するんですか?
富良野:うーん……まずは、近所の子ども食堂にしようと思ってます。
Phrona:それって、EAの評価基準ではあまり推奨されない選択ですよね。
富良野:はい。効率は良くないかもしれないし、地球規模の課題から見れば、本当に微々たる貢献かもしれない。でも、顔が見える関係のなかで、直接手渡せる温かさとか、地域のコミュニティとのつながりを、今は大事にしたいんです。
Phrona:悪くない選び方だと思いますよ。
富良野:ええ。「もっと効果的な選択があるのに目をそらしているだけだ」とか、「自己満足の寄付だ」とか、言われても仕方ないとは思ってます。ある意味、僕自身の「感情」に基づいた選択ですから、「偽善」と批判されてもしょうがない。でも、それでもやりたいんです。偽善だとわかっていても。
Phrona:偽善の自覚……それ、すごく大切な視点かもしれませんね。
富良野:どんな善意も、完全に純粋であることなんて、きっとありえない。でも、不純さを引き受けたうえで、それでも行動しようとする。そのことに、僕は意味があると思うんです。
ポイント整理
1. 効果的利他主義(Effective Altruism)という言葉に潜む矛盾
Altruism(利他主義)には本来、他者の価値観に沿って考えることが必要
しかしEffective(効果的)を判断するには、目的設定と評価基準が必要
目的設定と評価基準が支援者側の視点でなされ、相手との対話が構造的に組み込まれない限り、この言葉は撞着語法(オキシモロン)になる
2. 効率的であることの魅力と危険
限られた資源で最大の成果を出そうとする姿勢は一見誠実
しかし「効果」を定義する権力の問題が見過ごされがち
測定可能なものだけが価値あるものとして扱われる危険性
3. 超越者志向の普遍性と自覚の重要性
世界全体を俯瞰して最適解を出せるという幻想
実は誰もが多かれ少なかれ持っている傾向
問題は超越者志向そのものではなく、その自覚の有無
4. こぼれ落ちるものたち
関係性、尊厳、文化の継承、心のケア、長期的な社会変革
数値化できない価値が「非効率」として切り捨てられる
顔の見える支援と顔の見えない支援の違い
キーワード解説
【撞着語法(オキシモロン)】
一見矛盾する言葉を組み合わせた表現。「明るい闇」「静かな騒音」など。今回の文脈では、「効率的利他主義」が持つ内在的な矛盾を指摘するために使われた。利他(他者中心)と効率(評価者中心)という相反する要素を含んでいる。
【文明化の使命(Civilizing Mission)】
19〜20世紀の植民地主義を正当化した思想。西洋諸国が「未開」とされた地域の人々を「文明化」することが道徳的義務であるという考え。現代のEAにも、形を変えて同様の構造が見られるという批判がある。
