「新自由主義しか選択肢がない」という経済の迷宮
- Seo Seungchul

- 9月21日
- 読了時間: 9分

シリーズ: 知新察来
◆今回のレポート:Jason Furman et al. "Obama's chief economist: Neoliberalism is the only game in town" (Institute of Art and Ideas, 2025年7月18日)
概要: オバマ政権の首席経済顧問ジェイソン・ファーマンが、バイデン政権の産業政策批判と新自由主義の必要性について語ったインタビュー記事
オバマ政権の首席経済顧問が放った衝撃的な言葉があります。「新自由主義の代替案を私たちは持っていない」——。
この発言の主は、ハーバード大学教授でオバマ政権下で大統領経済諮問委員会委員長を務めたジェイソン・ファーマン氏。新自由主義への批判が世界中で高まる中、なぜ彼はこんなことを言うのでしょうか。しかも、バイデン政権の産業政策や巨額の支出がインフレを招き、結果的にトランプ再選につながったと主張しているのです。
一方で、トランプの関税政策も経済的に非合理だと断じる彼の視点は、現代の経済政策がいかに複雑な袋小路に入っているかを浮き彫りにします。新自由主義は不人気だが代替案はない。産業政策は国民に歓迎されない。関税は経済を傷つける——そんな状況で、私たちはどこに向かえばいいのでしょうか。
富良野とPhronaの二人が、この現代経済の根深いジレンマについて語り合います。
産業政策への疑問と新自由主義の防衛
富良野:このファーマンさんの発言、議論を呼ぶのも分かりますね。バイデンの産業政策がインフレを招いて選挙敗北の一因になったって言ってるんですから。
Phrona:そうですね。でも彼の言い方を聞いていると、産業政策そのものを否定しているわけではないように感じるんです。マイクロチップについては国家安全保障の観点から必要だって認めてますし。
富良野:ああ、そこは興味深いポイントですね。彼は産業政策を「経済にとってはマイナス」だと言いながらも、半導体については「コストベネフィット分析をすれば価値がある」と判断している。つまり、経済効率性だけでは測れない価値を認めているわけです。
Phrona:それって、純粋な新自由主義的思考とは違いますよね。市場の効率性を最優先に考えるなら、政府が特定の産業を支援することは基本的にNGのはずですから。
富良野:その通りです。でも彼が面白いのは、そういう例外を認めつつも、全体としては新自由主義的な枠組みに固執している点なんです。クリーンエネルギーについては「どこで太陽光パネルを作ろうが関係ない、安く効率的に調達すればいい」って言ってますからね。
Phrona:なるほど。半導体は特別だけど、太陽光パネルは違う、と。その線引きの根拠が気になります。地政学的リスクの有無なんでしょうか。
富良野:おそらくそうでしょうね。台湾への依存度が90%という現実を考えれば、半導体は確かに特殊かもしれません。でも、この線引きって結局は政治的判断になりがちで、経済学者としては居心地が悪いところなんじゃないでしょうか。
代替案なき新自由主義という現実
Phrona:でも一番印象的だったのは、「新自由主義の代替案を持っていない」という発言です。これって、ある意味で敗北宣言のように聞こえませんか?
富良野:うーん、僕はむしろ正直さだと思いますね。学者として、理想と現実のギャップを認めているんじゃないでしょうか。バイデンの政策は不人気だった、トランプの政策も不人気になりそう、じゃあ何が残るのかって話です。
Phrona:でも「新自由主義の百の訃報が書かれたが、誰も代替案を好まない」という表現は、なんだか悲しいですね。まるで、みんな現状に不満だけど、どこにも逃げ場がないみたいで。
富良野:それが現代の政治経済の本質的な問題なのかもしれません。グローバル化と技術革新の中で、従来の枠組みはもう機能しないけれど、新しい枠組みはまだ見えてこない。だから結局、「ましな選択肢」としての新自由主義に戻らざるを得ない。
Phrona:でも、それって有権者の感覚とはずれてませんか。人々が求めているのは、経済効率性よりも、もっと身近な安心感や公平感かもしれないじゃないですか。
富良野:そこなんですよね。ファーマンさんは経済学者として合理的な判断をしているつもりでも、政治的には非現実的なのかもしれない。「代替案がないから新自由主義」って言われても、普通の人は納得しないでしょうから。
財政規律への警鐘と米国の特権
Phrona:財政赤字の話も気になりました。彼は両党の財政無責任を批判してるけど、同時に「アメリカは大きな間違いを犯しても小さな代償しか払わない」とも言ってます。
富良野:これは基軸通貨国としてのアメリカの特権ですね。ドルの圧倒的な地位があるから、他の国なら即座に市場の制裁を受けるような政策でも、しばらくは持ちこたえられる。
Phrona:でも、それって健全じゃないですよね。フィードバック機能が働かないということは、間違った方向に進んでも軌道修正が難しいってことですから。
富良野:その通りです。彼がリズ・トラス首相の例を出しているのも、まさにそこなんでしょう。イギリスでは市場の反応で即座に政権が倒れたけど、アメリカにはそういう仕組みがない。大統領制では首相をすぐに交代させることもできませんしね。
Phrona:つまり、アメリカの制度的な強さが、同時に弱さにもなっているわけですか。興味深い逆説ですね。
富良野:そうです。そして、その特権に甘えて財政規律を失えば、いずれは大きな代償を払うことになる。でも、その「いずれ」がいつなのかは誰にも分からない。だから政治家は目先の人気取りに走りがちになる。
関税政策と国際関係の変容
Phrona:トランプの関税政策についての彼の分析も面白かったです。「一貫しているが、筋の通らない論理」って表現が印象的でした。
富良野:ゼロサムゲーム的な世界観ですよね。他国が得をすれば自国が損をする、だから関税で対抗するという発想。経済学的には間違っているけど、直感的には分かりやすい論理です。
Phrona:でも、ヨーロッパが報復関税を検討していることについて、「報復は自分たちをより傷つける」と警告してるのも気になります。これって、結局みんなが損をする悪循環になるってことでしょうか。
富良野:そうですね。関税合戦は典型的な囚人のジレンマです。お互いに協力すれば全体の利益は最大化されるけど、相手を信頼できないから、結局は両方とも損をする選択をしてしまう。
Phrona:それでも、アメリカ抜きで他の国々が連携を強めていく可能性はあるんでしょうか。記事の最後でそんな話も出てましたけど。
富良野:限定的でしょうね。やはりアメリカ経済の規模とドルの地位は圧倒的ですから。ただ、長期的には変化の兆しはあるかもしれません。中国とヨーロッパの接近とか、新しい決済システムの模索とか。
Phrona:でも、それって結局、世界がブロック化していくってことですよね。自由貿易の理想からはどんどん遠ざかっていく。
富良野:残念ながら、そうかもしれません。経済合理性よりも地政学的な論理が優先される時代になってきているのかもしれませんね。
現代経済政策の袋小路
Phrona:全体を通して感じるのは、今の世界って本当に出口のない迷路みたいだなということです。どの道を選んでも、何かしら問題がある。
富良野:そうですね。新自由主義は不人気、産業政策も不人気、関税政策も経済的には有害。でも、政治的には何かしらの答えを出さなければならない。これが現代の政策担当者が直面するジレンマなんでしょう。
Phrona:ファーマンさんの発言って、ある意味で専門家の限界を示してるのかもしれませんね。経済学的に正しい答えがあっても、それが政治的に実現可能とは限らない。
富良野:それは重要な指摘ですね。学問的な正解と政治的な現実の間には、常に大きなギャップがある。そして、そのギャップを埋める作業こそが、本当の意味での政治なのかもしれません。
Phrona:でも、だからといって諦めてしまうのも違う気がするんです。今は見えなくても、いずれは新しい枠組みが生まれてくるはずですよね。
富良野:そう願いたいですね。ただ、それがどんな形になるのか、いつ実現するのかは、まったく予想がつきません。でも、こうして問題を明確にすることから始めるしかないんでしょう。
Phrona:そうですね。答えがすぐに見つからなくても、問い続けることに意味があるのかもしれません。
ポイント整理
産業政策に対する複雑な評価
ファーマンは産業政策を基本的には「経済にとってマイナス」と位置づけているが、半導体など国家安全保障に関わる分野では例外的に容認している
コストベネフィット分析に基づく判断が重要で、すべての産業政策を一律に否定するわけではない
クリーンエネルギー分野については懐疑的で、製造拠点よりも安価で効率的な調達を重視すべきとしている
新自由主義への現実的な固執
新自由主義への批判は数多く存在するが、実効性のある代替案が提示されていないのが現実
バイデンの産業政策もトランプの関税政策も国民には不人気で、結果的に新自由主義的な枠組みに戻らざるを得ない状況
理想的な政策と政治的に実現可能な政策の間には大きなギャップが存在している
財政規律への懸念と米国の特権
両党とも財政無責任な政策を取っているが、基軸通貨国としての特権により immediate な制裁を受けていない
他の新興国や英国のような即座の市場の反応がないため、政策の軌道修正が困難になっている
大統領制では議院内閣制のような迅速な指導者交代ができないため、危機への対応力に不安がある
関税政策の論理と国際関係への影響
トランプの関税政策は「一貫しているが筋の通らない」ゼロサムゲーム的世界観に基づいている
報復関税は経済学的には自国により大きな損害をもたらすが、政治的には実施される可能性が高い
米国抜きでの国際連携は限定的だが、長期的には世界のブロック化が進む可能性がある
現代経済政策の構造的ジレンマ
どの政策選択肢も何らかの問題を抱えており、完璧な解決策が存在しない状況
経済学的な正解と政治的実現可能性の間の乖離が深刻化している
専門家の知見と大衆の感情・期待との間にも大きなズレが生じている
キーワード解説
【新自由主義(Neoliberalism)】
市場メカニズムを重視し、政府の経済介入を最小限に抑える経済思想・政策体系
【産業政策(Industrial Policy)】
政府が特定の産業や技術分野を戦略的に支援・育成する政策
【基軸通貨国特権】
自国通貨が国際基軸通貨であることにより享受する経済・金融上の優位性
【コストベネフィット分析】
政策や投資の費用と便益を定量的に比較検討する分析手法
【ゼロサムゲーム】
一方の利得が他方の損失と等しくなる競争状況
【囚人のジレンマ】
個々の合理的行動が全体にとって非効率な結果をもたらすゲーム理論の概念
【関税合戦(Trade War)】
国家間で報復的に関税を引き上げ合う状況
【財政規律(Fiscal Discipline)】
持続可能な財政運営のための支出抑制と収入確保の取り組み
【リズ・トラス・モーメント】
2022年の英国首相による減税政策が市場の猛反発を受けて即座に撤回された事件