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「絶対に許せない」vs「状況による」──政治対立の本当の根っこは、道徳観の違いにあった

シリーズ: 知新察来


◆今回のピックアップ記事:Namrata Goyal, "Studies reveal the real political divide is over the nature of morality" (Institute of Art and Ideas, 2026年1月8日)

  • 概要:59カ国にわたる大規模調査とSNS分析から、政治的対立の根底には保守・リベラルという政策的立場の違いではなく、道徳的絶対主義(moral absolutism)と道徳的相対主義(moral relativism)という哲学的スタンスの違いがあることを明らかにした研究。絶対主義者は政治的立場を問わず禁止政策を支持しやすく、この道徳哲学の違いを理解することが生産的な対話の鍵となると論じている。



「あの本は学校で教えるべきじゃない」「いや、文脈次第でしょ」——こうした議論が、なぜこれほど激しく平行線をたどるのでしょうか。保守とリベラルの対立として語られがちなこの現象には、実はもっと深い断層が隠れています。


59カ国、数十万人規模の調査から浮かび上がったのは、「道徳的絶対主義」と「道徳的相対主義」という、道徳そのものに対する哲学的スタンスの違いでした。ある行為が「常に悪い」と考えるか、「状況による」と考えるか。この違いが、キャンセルカルチャーから歴史的銅像の撤去問題まで、あらゆる文化戦争の構造を規定しているというのです。


社会心理学者ナムラータ・ゴヤル氏の研究は、私たちの政治的意見の不一致が、単なる価値観の違いではなく、「道徳とは何か」という問いへの答え方の違いから生じていることを示しています。興味深いのは、この道徳哲学が固定的なものではなく、対話の仕方次第で変化しうるという点です。


富良野とPhronaが、この研究が照らし出す「対立の深層構造」と、その先にある対話の可能性について語り合います。




「保守vsリベラル」では説明できないもの


富良野:この研究、面白いところを突いてますよね。僕たちはつい「保守対リベラル」という枠組みで政治的対立を見てしまうけれど、それだと説明できない現象がたくさんある。


Phrona:ええ。たとえば、保守の人が大麻の全面禁止を求めるのと、リベラルの人が銃の全面禁止を求めるの、対象は違うけれど構造としてはすごく似てますよね。


富良野:そう、そこなんです。この研究が言っているのは、その構造の類似性こそが本質だということ。禁止を求めるかどうかを決めているのは、保守かリベラルかではなく、道徳的絶対主義者かどうかだと。


Phrona:内容よりも、道徳に対する態度が行動を予測するって、ちょっと意外な感じもします。


富良野:うん、でも言われてみれば腑に落ちる。「状況によるよね」と考える保守派は、自分が道徳的に反対している行為についても、全面禁止までは求めにくい。逆に「絶対ダメなものはダメ」という態度のリベラルは、自分の道徳的関心に沿って厳格な規制を求める。


Phrona:つまり、保守的な相対主義者とリベラルな絶対主義者、この組み合わせのほうが、同じ政治的立場の人同士より行動パターンが違うってことですか。


富良野:まさにそう。この研究の一番の発見はそこだと思います。



言葉に現れる道徳哲学


Phrona:SNSの言語分析も興味深かったです。保守的なユーザーは「絶対にダメ」「決して許されない」といった断定的な表現を多く使っていたと。


富良野:それが単なるレトリックの違いではなくて、背景にある思考様式の反映だという点が重要ですよね。言葉の選び方に、その人の道徳観が滲み出ている。


Phrona:私、少し気になったのは、これって本当に思考様式の違いなのか、それともコミュニティの中で使われやすい言葉が違うだけなのか、という点で。


富良野:ああ、それは鋭い疑問ですね。ただ、この研究では明示的な質問票への回答と言語使用の両方で一貫したパターンが見られたので、単なる言葉遣いの流行ではなさそう。


Phrona:認知的欲求の話もありましたよね。曖昧さを嫌う傾向、明確な答えを求める傾向が強い人ほど絶対主義的になりやすいと。


富良野:「認知的完結欲求」というやつですね。不確実な状態を早く解消したいという心理的傾向。これが高い人は、道徳的判断でも「グレーゾーン」を許容しにくい。


Phrona:でも、それって必ずしも悪いことではないですよね。曖昧なままにしておけない問題も世の中にはあるわけで。



絶対主義の両義性


富良野:そこは研究者も慎重に書いてました。絶対主義には強みがある。奴隷制の廃止も世界人権宣言も、「これだけは譲れない」という信念から生まれた。


Phrona:原則に対する深いコミットメントがないと、不正義に立ち向かう力も生まれにくい。


富良野:ただ問題は、その原則が絶対的なものとして機能し始めると、妥協が「裏切り」に見えてしまうこと。対話の相手が「間違っている人」から「道徳的に信頼できない人」に格上げされてしまう。


Phrona:それ、日常的にもよく見かける光景ですよね。ある問題について意見が違うだけなのに、人格全体を否定されたような反応をされることがある。


富良野:政策の議論が、いつのまにか道徳的アイデンティティの防衛戦になっている。そうなると、もう相手の言葉を聞く余裕がなくなる。


Phrona:絶対主義の人にとっては、例外を認めること自体が道徳的に許容できないんでしょうね。「ここまでなら大丈夫」という線引きが、原理的にできない。



相対主義のジレンマ


富良野:一方で、相対主義にも限界がありますよね。すべてが文脈依存だとすると、「これは絶対に間違っている」と言いにくくなる。


Phrona:文化的な違いや個人の事情を考慮することは大切だけど、それが行き過ぎると、深刻な害悪に対しても毅然とした態度が取れなくなる。


富良野:実際、相対主義が批判されるときってたいていそこですよね。「結局なんでもありなのか」と。


Phrona:でも私は、相対主義の人たちも心の中では「これだけは」という線を持っていると思うんです。ただ、それを普遍的な原則として主張することに慎重なだけで。


富良野:この研究でも、相対主義者を極端な状況に追い込むと、やはり譲れない境界線が出てくると言ってましたね。


Phrona:だとすると、絶対主義と相対主義は、対立する二つの陣営というより、一人の人間の中にも両方存在しうる傾向なのかもしれない。


富良野:スペクトラム上のどこに重心があるか、という話ですよね。そして、その重心は固定されていない。



対話の可能性


Phrona:研究の最後のほう、対話についての示唆があって、そこが一番心に残りました。


富良野:道徳哲学は固定的なものではなく、問題の提示の仕方や議論の進め方によって変化しうると。


Phrona:絶対主義者と話すときは、まずその人の「境界線を守りたい」という欲求を認めた上で、その厳格なルールにもグレーゾーンがあることを一緒に探っていく。


富良野:そうすると、少し柔軟性が生まれる余地ができると。逆に相対主義者には、その柔軟性をどこまでも伸ばしていくと、やはり譲れない線が見えてくる。


Phrona:どちらの方向にも、対話を通じて動く余地があるというのは、希望のある話ですよね。


富良野:ただ、それは相手の道徳哲学を理解した上での対話が必要で、自分と同じ前提で話していると思い込んでいると難しい。


Phrona:「この人はなぜこう考えるのか」という問いを持つことから始まるんでしょうね。


富良野:相手を説得しようとする前に、相手がどんな道徳観の中で世界を見ているのかを理解する。それ自体が、対立を和らげる第一歩になる。



残された問い


Phrona:一つ気になるのは、この研究が主にSNS上の言語と質問票への回答を分析しているという点で。実際の行動との関係はどうなんだろうと。


富良野:たしかに、言うことと実際にやることは違う場合もありますからね。禁止政策への支持表明と、実際の投票行動が一致するかどうかは、また別の話かもしれない。


Phrona:それと、道徳哲学が変化しうるとして、それはどのくらいの時間スケールで起きるんでしょう。一回の対話で変わるものなのか、それとも長い時間をかけて少しずつ動くものなのか。


富良野:あと、この枠組みだと、絶対主義者同士が対立したときの解決策が見えにくい気もする。両方とも「自分の原則は絶対だ」と思っているわけだから。


Phrona:それぞれが違う「絶対」を持っているとき、どうやって共存するか。それは道徳哲学の問題というより、政治制度の問題になってくるのかもしれませんね。


富良野:結局、この研究が示しているのは、対立の「構造」を理解することの大切さであって、それだけで対立が解消するわけではない。でも、理解なしに解消はないというのも事実で。


Phrona:敵意ではなく好奇心を持って、相手の結論ではなく前提を理解しようとすること。それが出発点になるという話ですよね。


富良野:うん。そして、自分自身の前提についても同じように問い直す。自分がなぜそう考えるのかを意識することで、対話の質が変わってくる。



 

ポイント整理


  • 政治的対立の深層構造

    • 保守とリベラルの対立は表面的な現象であり、より根本的には「道徳的絶対主義」と「道徳的相対主義」という哲学的スタンスの違いが対立を駆動している。絶対主義者は一部の行為は文脈にかかわらず正しいか間違っていると考え、相対主義者は道徳的判断は状況、意図、文化的意味に依存すると考える。

  • 大規模調査の知見

    • 59カ国、数十万人規模の調査データにおいて、保守派は絶対主義的な思考傾向を示し、リベラル派は相対主義的な思考傾向を示すパターンが一貫して観察された。この傾向は質問票への回答だけでなく、SNS上の言語使用パターンにも現れており、保守的ユーザーは「絶対にダメ」「決して許されない」といった断定的表現をより多く使用していた。

  • 禁止政策支持の予測因子

    • 政治的立場よりも道徳哲学のほうが、禁止政策への支持を強く予測する。保守的な絶対主義者が大麻や安楽死の禁止を支持するのと同様に、リベラルな絶対主義者は銃所持やトロフィーハンティングの禁止を支持する。つまり、禁止を支持するかどうかはイデオロギーではなく、道徳に対する態度によって決まる。

  • 認知的完結欲求との関連

    • 曖昧さを嫌い、明確な答えを求める心理的傾向(認知的完結欲求)が高い人ほど、絶対主義的な道徳観を採用しやすい。この傾向は保守派により多く見られる。絶対主義は不確実な道徳的状況に明確さを提供する機能を持つ。

  • 絶対主義の両義性

    • 絶対主義には強みと弱みの両方がある。強みとしては、原則への深いコミットメントが不正義に立ち向かう力となり、奴隷制廃止や人権宣言など歴史的な道徳的進歩の原動力となってきた。弱みとしては、妥協が「裏切り」に見え、対話相手が「間違っている人」から「道徳的に信頼できない人」へと変質し、政策議論が道徳的アイデンティティの防衛戦に転化しやすい。

  • 相対主義の両義性

    • 相対主義にも強みと弱みがある。強みとしては、文脈への注意、多元的な視点の尊重、共感能力の促進がある。弱みとしては、すべてが文脈依存だとすると深刻な害悪に対して毅然とした態度を取りにくくなり、弱者保護のための明確な道徳的線引きが困難になる。

  • 道徳哲学の可変性

    • 道徳哲学は固定的な人格特性ではなく、連続体上に存在する柔軟な心理的リソースである。問題の提示の仕方や対話の進め方によって、人は絶対主義的にも相対主義的にもシフトしうる。絶対主義者に対しては、その境界線を守りたい欲求を認めた上で厳格なルールにもグレーゾーンがあることを探ることで柔軟性が生まれ、相対主義者に対しては柔軟性を極限まで伸ばすと譲れない境界線が見えてくる。

  • 対話への示唆

    • 生産的な対話のためには、相手がどのような道徳哲学を用いているかを理解することが前提となる。相手を説得しようとする前に、相手がどんな道徳観の中で世界を見ているかを理解すること自体が、対立を和らげる第一歩となる。敵意ではなく好奇心を持ち、相手の結論ではなく前提を理解しようとすることが出発点となる。



キーワード解説


道徳的絶対主義(moral absolutism)】

一部の行為は状況や文脈にかかわらず、普遍的に正しいか間違っているという立場。道徳的真理は文化や時代を超えて存在すると考える。


道徳的相対主義(moral relativism)】

道徳的判断は状況、意図、文化的文脈に依存するという立場。普遍的な道徳基準は存在せず、何が正しいかは関係性の中で決まると考える。


認知的完結欲求(need for closure)】

曖昧な状況を不快に感じ、明確な答えや確定的な結論を求める心理的傾向。この欲求が高い人は不確実性を早く解消したがり、グレーゾーンを許容しにくい。


文化戦争(culture wars)】

価値観や道徳観をめぐる社会的対立の総称。教育内容、歴史的記念物、表現の自由など、政策というより「何が正しいか」をめぐる争いを指す。


キャンセルカルチャー】

問題発言や行動をした人物に対して、社会的制裁として仕事やプラットフォームからの排除を求める文化的現象。絶対主義的思考と結びつきやすい。



本稿は近日中にnoteにも掲載予定です。
ご関心を持っていただけましたら、note上でご感想などお聞かせいただけると幸いです。
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