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なぜ私たちは「うるさい音」を「美しい音楽」に変えるのか──脳に隠された驚異の編集能力

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シリーズ: 知新察来


◆今回のピックアップ記事:Jonathan Berger "Your Brain Is Like Beethoven" (Nautilus, 2021年10月27日)


街角で工事の音が響いているとき、あなたは眉をひそめます。でも同じ機械音が電子音楽として流れてくると、なぜかリズムに乗ってしまう。この不思議な現象は、実は私たちの脳が持つ「最強の編集能力」を物語っています。


ベートーベンは交響曲に雷鳴を織り込み、現代のDJは工場の機械音をビートに変える。作曲家たちがやってきたことは、私たちの脳が日常的に行っている作業そのもの——カオスから秩序を生み出す、驚異的な情報処理なのです。


しかし、なぜ人間の脳はこんなにも「音を作り変える」ことが得意なのでしょうか。スタンフォード大学の作曲家ジョナサン・バーガーの研究が、その謎に迫ります。実は私たちの頭の中には、生存のために進化した「内なる作曲家」が住んでいるのかもしれません。




脳は24時間働く音響エンジニア


富良野:僕らの脳は、常に意識しないうちに「音の編集作業」をやってるんですね。例えば、電話で話してるときに車の音で相手の声が聞こえなくなっても、脳が勝手に「あ、多分こう言ったんだろう」って補完してくれる。記事では「ピケットフェンス効果」って呼んでましたけど。


Phrona:なるほど。柵の隙間から風景を見るとき、脳が隠れた部分を想像で埋めるのと同じですね。


富良野:そう。フェレットの実験が面白くて、雑音まみれの音でも、きれいな音と同じように脳が処理するんですって。つまり、脳がリアルタイムでノイズを「消去」してる。


Phrona:すごい能力ですよね。でも、なんでそんなことができるようになったんでしょう?


富良野:生存のためでしょうね。サバンナで風の音に紛れて肉食動物の足音を聞き分けなきゃいけない。だから脳が「重要な音だけを残して、邪魔な音は消す」能力を発達させた。


Phrona:なるほど、それで普段は無意識にノイズをカットしてるのに、同じ音が音楽として流れてくると急に「意味がある音」として聞こえるわけですね。


音楽は「脳のバグ」を利用した芸術


富良野:面白いのは、作曲家たちがこの脳の仕組みを直感的に理解して、うまく利用してきたことです。


Phrona:どういう利用の仕方ですか?


富良野:ラモーが1726年に作った「雌鶏」って曲があるんですけど、当時の人にとって鶏の鳴き声は「最もうるさい日常音」だった。でもそれを音楽に組み込むと、急に「リズミカルで面白い音」に変身する。


Phrona:同じ音なのに、コンテクストが変わると脳の処理が変わるってことですね。


富良野:そうそう。現代でも同じで、スティーブ・ライヒという作曲家が車のアラーム音を使った「City Life」って作品を作ってる。街で聞くとイライラする音が、コンサートホールでは芸術になる。


Phrona:でも、なんでそんなことが起きるんでしょう?脳が混乱してるってことですか?


富良野:いや、むしろ脳が「正常に」働いてるんです。記事によると、人間は本能的にカオスの中にパターンを見つけようとする。ゲシュタルト心理学で言う「プレグナンツ」って現象ですね。


Phrona:雲の形に動物を見つけたり、星座を作ったりするのと同じ?


富良野:まさに。音楽って、その能力を最大限に活用した芸術なんですよ。ランダムな音の組み合わせから、脳が勝手に「意味」や「美しさ」を見つけ出す。


身体が先に反応する理由


Phrona:それにしても、音楽を聴くとつい体が動いちゃいますよね。あれって何なんでしょう?


富良野:それも進化の産物らしいです。実は耳って、聞くだけの器官じゃないんですよ。


Phrona:え、どういうことですか?


富良野:魚が陸に上がるとき、えら弓が内耳の骨に変化した。その過程で、聴覚と平衡感覚が一つのシステムになったんです。だから大音量の音楽を聴くと、前庭系っていう平衡感覚の部分が反応して、体が動きたくなる。


Phrona:へえ。だから「ノイズ」って言葉の語源が「船酔い」と同じなんですね、記事に書いてありましたけど。


富良野:そう。音って、思ってる以上に身体的な体験なんです。ジョン・アダムズって作曲家が「高速マシンでのショートライド」って曲について、「スポーツカーに乗せてもらって、後悔する感じ」って説明してるのが面白い。


Phrona:音楽で乗り物酔いを表現してるんですね。確かに、激しい音楽を聴いてると、ちょっとめまいがするときありますもん。


富良野:だから音楽って「聞く」じゃなくて「体験する」ものなんですよね。脳だけじゃなくて、身体全体が反応してる。


現代人の「ノイズサバイバル術」


Phrona:でも現代って、昔より騒音が多いじゃないですか。私たち、どうやって対処してるんでしょう?


富良野:記事の最後にヒントがありましたね。著者が空港で騒音にうんざりして、最終的にキッスの「Rock and Roll All Nite」を爆音で聴いて解決したって話。


Phrona:ノイズをノイズで制する、みたいな?


富良野:「ノイズに浸ることでノイズを管理する」って表現がありました。皮肉だけど、それが人間の方法なんだって。


Phrona:確かに、電車の中でイヤホンして音楽聴くのも、騒音を別の音で上書きしてますもんね。


富良野:ジョン・ケージという作曲家の言葉が印象的でした。「私たちの周りはほとんどがノイズです。無視すると不快になるけど、注意深く聞くと魅力的になる」って。


Phrona:つまり、現代人はみんな無意識のうちに「作曲家」になってるってことですか?


富良野:そういうことかもしれませんね。毎日、膨大な音情報を編集して、自分なりの「音環境」を作ってる。スマホで音楽を選ぶのも、カフェを選ぶのも、全部「音の編集作業」ですから。


Phrona:考えてみると、すごい能力ですよね。生きてるだけで、毎日ベートーベンみたいなことをやってる。


富良野:しかも無意識に、ですからね。改めて、人間の脳ってすごいなと思います。




ポイント整理


  • 脳は24時間音響エンジニア

    • 私たちの脳は常にノイズを除去し、欠けた音を補完し、重要な音だけを抽出する高度な編集作業を無意識に行っている

  • 生存本能が生んだ音楽能力

    • カオスから秩序を見出す能力は、危険な環境で生き残るために進化した。この同じ機能が音楽の美しさを感じる基盤になっている

  • 音は身体的体験

    • 聴覚と平衡感覚が統合された人間の耳は、音を「聞く」だけでなく「身体で感じる」ように設計されている。音楽に対する身体反応は生物学的に必然

  • コンテクストが全てを変える

    • 同一の音でも、日常生活では「ノイズ」、音楽では「芸術」として認識される。脳の情報処理が状況に応じて切り替わる

  • 作曲家は脳科学者

    • 歴史上の作曲家たちは、人間の音響認知の仕組みを直感的に理解し、それを利用して芸術を創造してきた

  • 現代人のサバイバル戦略

    • 騒音に囲まれた現代社会で、私たちは無意識のうちに「音環境の編集者」として機能し、ノイズをノイズで制するという逆説的な対処法を身につけている



キーワード解説


ピケットフェンス効果】

脳が欠けた音情報を自動補完する現象。会話が雑音で途切れても内容を理解できる仕組み


【前庭系反応】

内耳の平衡感覚器官が音に反応して身体の動きを誘発する現象。音楽で踊りたくなる生物学的根拠


【プレグナンツ】

カオスの中にパターンや秩序を見出そうとする脳の基本的傾向。音楽認知の根本原理


【聴覚的パレイドリア】

雑音の中に意味のある音(電話の着信音など)を聞き取ってしまう現象


【音響的マスキング】

脳が重要でない音を抑制し、重要な音を強調する機能


【コンテクスト効果】

同じ音でも置かれた状況によって脳の処理が変わり、騒音にも音楽にもなる現象



本稿は近日中にnoteにも掲載予定です。
ご関心を持っていただけましたら、note上でご感想などお聞かせいただけると幸いです。
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