ウイルスへの進化の瞬間を目撃?──極小ゲノムの微生物が投げかける生命の境界線
- Seo Seungchul

- 7月16日
- 読了時間: 7分

シリーズ: 知新察来
◆今回のピックアップ記事:Christie Wilcox "Microbe with bizarrely tiny genome may be evolving into a virus" (Science, 2025年6月13日)
海の中で、生命とウイルスの境界線を揺るがす発見がありました。新たに見つかった微生物「スクナアーケアム」は、これまで知られているどの細胞生物よりもウイルスに近い生き方をしています。自分を複製することだけに特化し、宿主から必要なものをすべて奪い取る——まるでウイルスが細胞の皮を被っているかのような存在です。
この微生物が特別なのは、進化の途中段階を生きた化石として見せてくれているかもしれないことです。細胞からウイルスへと変化していく過程を、私たちはリアルタイムで観察しているのでしょうか。それとも、生命の多様性がまた新たな驚きを見せてくれただけなのでしょうか。富良野とPhronaが、この小さくも大きな発見について語り合います。
発見の驚き──極小ゲノムが語ること
富良野:なるほど、これは面白い発見ですね。スクナアーケアムという微生物、ゲノムがたったの238,000塩基対しかない。大腸菌の5%程度の大きさということは、相当に切り詰められた設計になっているということですよね。
Phrona:それに、189個しかタンパク質をコードする遺伝子がないって、驚きませんか?私たちヒトは2万個以上あるのに。でも、これって減っていった結果なのか、それとも増えていく途中なのか、どちらなんでしょう?
富良野:研究者たちは、持っている遺伝子の種類から判断しているようですね。189個の遺伝子が基本的には他のアーキアが持っている遺伝子の縮小版になっているから、元々もっと多くの遺伝子を持っていたアーキアから派生したと考える方が自然だと。
Phrona:なるほど。でも完全に断定はできないんですよね?
富良野:そうですね。しかもその189個の遺伝子のほとんどが、自分自身のDNAを複製することに関わっている。代謝経路はほぼ皆無ということですから、アミノ酸もヌクレオチドも自分では作れない。完全に宿主頼みということになる。
Phrona:なんだか切ないような気もしますね。自分では何も作れないけれど、でも確実に自分のコピーは作り続ける。そこには強烈な生存への意志というか、執着のようなものを感じます。
富良野:面白い視点ですね。でも研究者たちがウイルスとの類似性を指摘している理由もよく分かります。ウイルスも基本的には自己複製に特化した存在ですから。ただ、決定的な違いがひとつある。
Phrona:ああ、自分でDNAを複製できるということですか?
富良野:そうです。ウイルスは宿主の細胞機構をハイジャックして複製してもらうけれど、スクナアーケアムは自分で複製する能力を保持している。これが細胞生物としての特徴を残している証拠なのか、それともウイルスから細胞への進化の証拠なのか...
Phrona:どちらに解釈するかで、生命進化の理解も変わってきそうですね。
進化の中間地点という仮説──でも方向性は?
Phrona:でも、もしかするとこれって進化の過程を見せてくれているのかもしれませんね。細胞生物からウイルスに変わっていく途中の姿を。
富良野:ケイト・アダマラ氏が言っている「進化の中間段階」という表現、確かに魅力的ですよね。ただ、ちょっと待ってください。逆の可能性はないんでしょうか?つまり、ウイルスが細胞生物に進化しつつある途中という。
Phrona:あ、そうか!私たちつい一方向で考えてしまいがちですけど、進化に決まった方向なんてないですものね。でも、どちらが正しいかってどうやって判断するんでしょう?
富良野:研究者たちは系統解析の結果から、スクナアーケアムがアーキアの系統に属していることを根拠にしているようですね。アーキアは古くからある細胞生物の系統だから、そこから派生したと考える方が自然だと。
Phrona:でも、ウイルスがアーキアの遺伝子を取り込んで進化した可能性もありますよね?実際、大型ウイルスなんかは複雑な遺伝子セットを持っているって聞いたことがあります。
富良野:そうなんですよ。実はウイルスの起源自体、まだ決着がついていない問題なんです。細胞生物からの退化説、細胞成分の逃走説、原始ウイルス説と、いくつかの仮説が競合している状況で。
Phrona:つまり、スクナアーケアムが進化の中間段階だとしても、どちら向きの進化なのかは、まだ確定的には言えないということなんですね。
富良野:そういうことです。ただ、どちらにしても貴重な手がかりを提供してくれることに変わりはない。進化の大きな転換点って、通常は化石記録に残らないから、こういう生きた証拠は本当に貴重なんです。
生命の境界線が曖昧になる
Phrona:でも、これって生命の定義そのものを揺るがしませんか?細胞を持っていても、ほとんどウイルスのような存在。生命って何なのか、改めて考えさせられます。
富良野:確かに。僕たちが持っている生命の境界線って、実はかなり人工的なものなのかもしれない。細胞があるかないか、自立的な代謝ができるかどうか、そういった基準で線を引いてきたけれど、実際の生物はもっと連続的で曖昧な存在なのかも。
Phrona:スクナアーケアムみたいな存在がいると、生命とウイルスの間にグラデーションがあることが見えてきますね。白か黒かではなくて、グレーゾーンがたくさんある。
富良野:しかも、このタイプの微生物が世界中の海水から見つかっているということは、これが特異な例外ではないということですよね。むしろ、私たちが知らなかっただけで、こういう中間的な存在は案外たくさんいるのかもしれない。
Phrona:そう考えると、生命の多様性ってまだまだ底が見えないですね。私たちが想像している以上に、生物たちは創意工夫に富んだ生存戦略を編み出している。
未解決の謎と今後の展望
富良野:ただ、まだ謎も多いんですよね。実際にスクナアーケアムの姿を見た人はいない。ゲノム情報だけからその存在を推測している状態ですから。
Phrona:1マイクロメートル以下って、相当に小さいですものね。でも逆に言えば、ゲノム解析技術の進歩があったからこそ発見できた存在とも言える。技術が新しい生物学的発見を可能にしている。
富良野:研究チームが今、実際の写真を撮ろうとしているというのも面白いですね。姿を見ることができれば、宿主との関係性もより具体的に理解できるかもしれない。
Phrona:それに、他のアーキアとの関係も気になります。自由生活をしている近縁種がいるのか、それとも最初から寄生専門だったのか。そのあたりが分かれば、どういう経路でこんな極端な生活様式に至ったのかも見えてくるかもしれませんね。
富良野:このスクナアーケアムという名前も、なかなか良いネーミングですよね。少名毘古那という日本神話の小柄な神様からとったということですが、小さいけれど重要な役割を果たす存在という意味で、確かにぴったりかもしれません。
Phrona:小さな存在が大きな問いを投げかける。生命の本質について、進化の仕組みについて、そして私たちが持っている常識について。こういう発見があるから、科学って面白いんですよね。
ポイント整理
スクナアーケアムは238,000塩基対という極小ゲノムを持つアーキア(古細菌)で、大腸菌の5%程度の大きさ
189個の遺伝子のほとんどが自己複製に関わり、代謝経路はほぼ皆無で宿主への完全依存状態
ウイルスとの類似性が高いが、自分でDNA複製ができる点で細胞生物としての特徴を保持
世界中の海水から類似の配列が発見されており、新たなアーキアの系統群を代表する可能性
進化の方向性は未解決
細胞生物からウイルスへの退化なのか、ウイルスから細胞生物への進化なのかは確定していない
ウイルス起源論争
ウイルス自体の起源についても退化説、逃走説、原始ウイルス説が競合中
生命とウイルスの境界線を曖昧にし、生命の定義そのものを問い直すきっかけを提供
キーワード解説
【アーキア(古細菌)】
細菌とは異なる系統の単細胞微生物で、ヒトなど真核生物により近い
【ゲノム】
生物が持つ全遺伝情報、DNA配列の総体
【塩基対】
DNAの構成単位、A-T、G-Cの組み合わせで情報が記録される
【渦鞭毛藻】
海洋プランクトンの一種、二本の鞭毛を持つ単細胞藻類
【共生】
異なる種が相互利益を得ながら生活する関係
【寄生】
一方的に宿主から利益を得る関係
【代謝経路】
生物が栄養素からエネルギーや必要物質を作り出す化学反応の連鎖
【転写・翻訳】
DNAからRNAを作り、さらにタンパク質を合成する過程