ガイア仮説から複数の主体の共存へ──統合を前提にしない制度論
更新日:9月10日

シリーズ: 論文渉猟
◆今回の論文:Sergio Rubin, Conor Heins, Takahito Mitsui, Lancelot Da Costa & Karl Friston, "An elementary form of agency at planetary-scale" (Scientific Reports, 2026年8月3日)
概要:生命圏と気候の単純化モデルを能動的推論として分析し、惑星規模の最小限の行為主体性を検討する概念実証。公開中の受理原稿を参照した。
地球には、生命が存在できる条件が長く保たれてきた。太陽の明るさも大気の組成も変わるなかで、その持続を生命自身がどれだけ支えてきたのか。生命と環境の相互作用を考えるガイア仮説は、この問いを出発点に持つ。
セルヒオ・ルービン、カール・フリストンらの新しい論文は、生命圏と気候のモデルを能動的推論として分析し、そこに最小限の行為主体性を認められるかを検討している。生命量と温度、炭素循環、放射の結びつきを、環境へ作用しながら存続条件を保つ過程として読む試みである。
この研究を読み進めると、全体のまとまりと、その内部に生きる多くの主体の関係が気になってくる。地球規模の働きを記述できるとして、異なる生物の相互作用はどこまで説明されたのか。さらに社会について考えるなら、全体が一つの主体になることを、そもそも目標にする必要があるのだろうか。
まず原論文の試みと、その比較対象を確かめたい。そこから先に考えるのは、目的の異なる主体が、互いの存続条件を壊さずに行動できる制度である。自然の調節から人間社会の正解を取り出すことはできない。それでも、個々の能力と共存の条件を分けて考えるための、よい出発点にはなる。
ガイア仮説と調節のモデル
若い太陽は現在より暗かった。それにもかかわらず、初期の地球には液体の水が存在したと考えられている。現在の条件をそのまま過去へ置けば、この両立は容易に説明できない。大気や地表の条件がどのように変化し、生命の存在とどう結びついていたかを問う必要がある。原論文は、この弱い若い太陽の問題から議論を始める。
ラブロックやマーギュリスのガイア仮説では、生命は環境の受け手であると同時に、環境を変える側にも位置づけられる。生物の活動は大気や物質循環を変え、その変化が次の生物の生存条件を左右する。ただし、生命が環境に影響することから、生命に都合のよい調節が起きることまでは、論理的な距離がある。環境への作用には、不安定化を招くものもあるからだ。
この距離を考えるための有名なモデルが、デイジーワールド (Daisyworld) である。黒い花と白い花では光の吸収・反射が異なる。温度によって両者の増殖が変わり、花の分布がまた温度を変える。適切な条件の下では、個々の花に全体の温度を守る目的を与えなくても、調節が生じる。全体への意図を仮定せず、局所的な作用の組み合わせから説明するところに、このモデルの意味がある。
ルービンらは原論文のモデル説明で、花の色を使うモデルと比べ、温室効果や長期の炭素循環を含む生命圏・気候モデルを用いると説明する。生命量の変化に伴う炭素の埋没や風化などが、大気中の二酸化炭素に関わる。そこへ確率的な変動を加え、内部と外部の状態の関係を分析した。
この研究の新しさを、ガイア仮説が初めて数理化されたことに求めるのは適切でない。先行するモデルも、生命と気候の調節を数理的に扱ってきた。今回の焦点は、その結合した働きを、外部状態についての推定と環境への作用を含む能動的推論として記述できるかにある。調節するモデルから、推論として読めるモデルへ進む。その追加の記述が何を説明するのかが、評価の要点になる。
生命圏に割り当てられた内部と外部
基本モデルでは、生命量を内部状態、地表温度を感覚に相当する状態、大気中の二酸化炭素濃度を作用に相当する状態とする。外部状態は、反射を差し引いて地表に入る正味の太陽放射である。生命が太陽そのものへ働きかけるモデルではない。地球側の反射率も関わる放射量を、外部として扱っている。
放射が変化すれば温度が変わり、生物の増殖にも影響する。生物の量は炭素循環へ作用し、二酸化炭素濃度を通じて温度に影響を返す。この関係を数理的に区分する際に用いられるのが、マルコフブランケット (Markov blanket) である。境界に当たる状態を条件にすると内部と外部が統計的に独立になる、という関係を表す。地球の周囲に物理的な膜を発見したという意味ではない。
研究者は、境界状態を条件とした内部と外部の典型的な状態を求め、内部側から外部側へ対応づける関数を推定する。さらに推定の幅を扱い、外部状態についての確率分布を内部状態によって表現できるかを調べる。この意味で、生命圏の働きを推論として読むのである。個々の生物が放射量を計算したり、地球が未来の気候を思い描いたりすることを観察したわけではない。
研究には、生命量を固定する条件や、生命量を炭素循環との動的な結合から切り離す条件との比較もある。基本モデルで得られた追跡の関係は、これらの対照条件では失われる。生命量という変数があるだけでは足りず、気候と炭素循環への結びつきが働きの成立に関わる。この結果を踏まえると、行為主体性を個体の内側に閉じた能力としてのみ捉える必要はなくなる。
もっとも、解析のための区分は研究者が構成している。方法節では、正味の放射に緩和時間と雑音を導入し、独立した動的変数として扱う工夫も明記されている。著者ら自身が、これは概念実証のための数理的な便宜であり、瞬時の放射過程を厳密に再現するものではないと認める。境界がデータから自動的に立ち上がり、地球の主体性がそのまま発見された、と読むべきではない。
能動的推論という記述が有効なら、調節を外部状態の推定と結びつけて分析できる。一方、単に安定した関係が存在することを述べるだけなら、より少ない仮定の説明で足りる可能性もある。私には、この追加の説明力を問うことが、惑星を主体と呼ぶことへの賛否より生産的に思える。
軌道への復帰とモデルの射程
原論文が重視するのは、温度を一つの固定値へ戻すという意味での恒常性よりも、ホメオレシス (homeorhesis) である。これは攪乱を受けても特徴的な軌道へ戻る性質を指す。地球の状態が長い時間を通じて変わってきたことを考えると、一定の温度の維持だけでは調節の働きを捉えきれない。
ここで非平衡定常状態という言葉にも注意が要る。エネルギーなどの流れがあるなかで、個々の状態が変化しても、確率分布としては定常であることをいう。何かが変わりながら存続するなら、すべて非平衡定常状態になるわけではない。ホメオレシスが攪乱後の軌道に注目するのに対し、定常性には分布についての条件がある。論文は両者を結びつけているが、説明の際に同義語として扱うと条件が曖昧になる。
温度を乱したあとの復帰や、パラメータを変えたときの追跡の頑健さが調べられている。ただし、どのような条件でも調節が続くわけではない。また、解析された時間の範囲から地質学的な時間へ一般化できるかについて、著者らは未解決としている。現実の地球が将来の環境変化を必ず吸収してくれるという保証は、ここから出てこない。
生命圏の扱いについても、基本モデルだけを見て批判を終えることはできない。著者らは、好適な温度が異なる二種類の生命量を入れた五変数モデルと、緯度差を扱う七変数モデルを検討している。前者では関係が強く残り、後者では追跡が弱まる。それでも、雲や海洋循環、栄養段階間の相互作用などは詳しく扱われていない。
従って残る問いは、生命の多様さが完全に無視されたかどうかではない。集約された生命量の背後で、異なる生物が競争し、捕食し、環境を変える過程から、どのような全体の働きが成立するかである。これは研究が失敗したという判定ではなく、モデルの射程を越えて次に問うべき問題の所在だ。以下ではこの問いを引き取り、原論文とは区別した社会についての考察へ進む。
複数の主体が残る全体
多数の要素から一つの主体が成立する、という問いには吸引力がある。意識を扱う統合情報理論4.0も、経験の統一性などを物理的な因果構造に対応づけようとする。ここでは理論の正否に立ち入らず、何を説明対象にしているかの違いだけに注目したい。
意識の成立、自己維持へ向かう行為主体性、複数の主体の共存は、同じ問いではない。企業同士が一つの意思を持たなくても、取引は成立する。資源を利用する人々が同じ人生観を持たなくても、利用を制限する規則を共有できる。全体を一つの主体にすることは、共存にとっての必要条件ではない。
そのため社会への問いは、部分をどれほど強く統合できるかから、異なる目的を持つ主体の行動が、互いの存続条件をどれほど損なうかへ移る。ここでいう調整には、目的の一致だけでなく、競争を続ける条件や、越えてはいけない限界の設定も含まれる。
ただし、違うままでよいという言葉で、共同の判断まで不要にはできない。水の利用量を制限するには、誰がどれだけ使えるかを決め、その決定を正当なものとして受け止められる条件が要る。最終的な価値観の一致と、具体的な規則についての合意は分けて考えられるが、後者を省略することはできない。
また、生態系の持続を人間の模範とするのにも限界がある。ある仕組みが残ったという事実には、そこへ至るまでの消失や犠牲が含まれ得る。取り返しのつかない被害を出してから、その仕組みは存続に適さなかったと判定するだけでは、社会の制度として用をなさない。結果を受けて修正する経路を、失敗が取り返せるうちに作る必要がある。
結果を意思決定へ戻す制度
同じ川を使う上流と下流の集落を考える。これは制度の働きを分けて考えるための仮想例である。上流が取水を増やして収穫を伸ばしたとして、下流で起きる水不足が上流の判断に入らなければ、上流には行動を変える理由が乏しい。両者は川を通じて結びついている。それでも、利益と被害は別の場所に生じる。
この場合、相互依存を強調するだけでは足りない。下流の不足を測ること、その結果に応じて取水を制限すること、制限が守られたか確かめることが必要になる。制度は、他者へ出ていった結果を、次の意思決定に関わる条件として戻す役割を持つ。計測だけあっても制限がなければ行動は変わらず、制限だけあっても確かめる手段がなければ、守る側が不利になる。
この議論には、すでに制度研究の蓄積がある。オストロムの2009年の気候変動論は、複数の規模で取り組みを進め、経験から学ぶ多中心的な対応を提案している。一つの包括的決定だけを待たずに行動できる点は、複数の主体を残したまま共通課題へ対応するという問いと重なる。ガイア論から社会の調整原理を新しく発見した、と主張する必要はない。
川の例なら、地域ごとの利用方法を決める場と、流域全体の水量を確かめる場を組み合わせられる。局所でうまくいった方法が、下流へ費用を押し出していないかも調べられる。こうして見ると、中央集権か分散かという二択より、影響の範囲と決定の範囲がどう重なるかの方が具体的な問いになる。
さらに、戻る情報には遅れがあり、行動を変える力にも強弱がある。水が不足し尽くしてから通知しても間に合わない。逆に、小さな不足への反応を全員が過剰に強めれば、別の不具合を生み得る。制度を評価するには、結果が返るかだけでなく、いつ、誰に、どの程度の制約として返るかを確かめたい。
存続をめぐる政治
川の水が枯れず、集落が存続した。それだけなら成功と呼べるだろうか。下流の住民が負担を受け続け、抗議する人が排除されていたなら、存続の内実を問い直す必要がある。全体が続くことを最上位の基準にすると、部分の犠牲を数えなくてよくなってしまう。
私は、ここでいう共存の条件に、生活を維持できることと、その生活を損なう決定に異議を申し立てられることを含めたい。これはガイア論文から導出された結論ではなく、社会について引き受ける規範的な選択である。自然の調節には必要のない正当性が、人の作る規則には必要になる。
この違いは、制度を誰が作るかにも及ぶ。上流の有力者が取水基準も測定地点も決めるなら、形式上は結果を返す制度でも、自分の被害だけを計算から外せる。制度を作る人も、制度に従う人と同様に利害を持つ。そのため、決定と検証を別の担い手に分けることや、被害を受ける人が異議を持ち込める場を置くことが必要になる。
政治の仕事は、既に決まった存続目標を効率よく達成することに収まらない。何を守り、誰が負担し、どの規則を修正するかを決める仕事でもある。規則の外に追いやられた被害を、争点として戻す経路を保つ。その働きを欠いた制度は、静かに作動しているほど見落としやすい。
AIの行動周期と制度の時間
AIをこの議論へ加える理由は、個々の判断が賢くなることだけにあるのではない。観測から判断、実行までの周期が短くなり得るからである。川の利用者がそれぞれ、天候や価格に応じて取水と作付けを自動調整する仕組みを持ったと仮定しよう。下流からの申し立てを審議しているあいだに、上流では何度も計画が変更されるかもしれない。
このとき、個々の行動へ返る情報は速くても、全体への影響を受けて規則を変える経路は遅いままになる。各AIが利用者の目的に忠実でも、複数の行動が合わさった結果として水不足が起こり得る。利用者の意図に沿うことを確かめる作業と、複数のAIの相互作用を確かめる作業は、別々に必要になる。
これは原論文によるAI社会の予測ではなく、ここまでの考察から立てる仮説である。速度差だけで不安定化が決まるわけでもない。反応の強さ、他者の行動を追う仕組み、実行できる範囲によって結果は変わる。AIが不足の発見や制限への応答を速めるなら、調整を助ける場合もある。問題は、どの経路が速くなり、どの経路が取り残されるかだ。
制度の審議をすべて機械の速度へ合わせる必要はない。事前に取水上限を決め、急変時には一定の条件で停止させる方法も考えられる。その上限や停止の条件は、公開の手続きで時間をかけて点検できる。速い実行と、遅くても省けない異議申し立てを、異なる役割として組み合わせるのである。
もっとも、止める権限も無害ではない。停止の理由が説明されず、解除を求める手段がなければ、危険の抑制という名目で支配が固定される。反応を速める仕組みには、その判断を後から検証し、誤りを訂正する道筋を伴わせるべきだ。
規則そのものを修正するために
雨量が変われば、適切な取水量も変わる。利用者は規則を理解し、ときには抜け道を探す。最初に妥当だった規則を固定したままでは、当初守ろうとした条件から離れることがある。行動の結果を返すだけでなく、その結果を受けて規則自体を改める経路が要る。
この動きをホメオレシスになぞらえるなら、制度の姿を変えながら、生活と権利が続く道筋を保つ試みと言える。ただし、それは社会への比喩的な拡張である。原論文の確率分布や境界条件を制度へ対応づけたわけではなく、社会が自動的に望ましい軌道へ戻ると主張するものでもない。戻りたい先を誰が決めるかという問いは、最後まで残る。
違う方法を試す主体が複数いることは、学習の材料になり得る。一つの誤りを全員で繰り返す危険も減らせるかもしれない。だが、多様さそのものに成功を保証させることはできない。結果を比較できる情報、失敗を隠さず知らせる条件、試行の被害を限定し補償する方法があって初めて、違いを学習へ結びつけられる。
惑星規模の行為主体性という問いは、全体へ視線を向けさせる。そこから社会へ進むなら、全体の中の異なる主体へ、もう一度視線を戻したい。各自が強くなることと、共存の条件が良くなることのあいだには、他者への影響を受け取り、行動と規則を変える仕事がある。
地球に一つの意思を託すことより、私たちが互いの結果を受け取り直せる制度を持つこと。その制度に反対し、修正を求める余地まで含めて守ること。個々の主体の能力が増すほど、こちらの仕事を後回しにはできなくなる。
ポイント整理
原論文の到達点
生命圏と気候の単純化モデルを能動的推論として分析し、最小限の行為主体性を検討した概念実証である。
拡張モデルも検討されているが、複雑な生物間相互作用や地質学的な時間への一般化には課題が残る。
統合と共存の区別
一つの意識や意思の成立と、異なる主体が存続できる条件は別の問いである。
目的の違いを残すことは、具体的な制限や共同の判断を不要にすることではない。
結果を戻す制度
他者へ出ていった影響を、計測や制限、紛争処理を通じて次の意思決定へ戻す。
結果が返る速さと強さ、被害を受ける人がその経路へ参加できるかを確かめる必要がある。
存続と正当性
全体が続くことだけを基準にすると、一部の人の生活や権利の損失を見落とす。
何を守るかの判断、負担の分配、規則への異議申し立てを政治の仕事として残す。
AIと制度の修正
個々のAIが目的に忠実でも、相互作用の結果として共存の条件を損なう可能性がある。
速い行動への事前制限と、時間をかけた検証・救済を組み合わせ、規則自体も修正できるようにする。
キーワード解説
【能動的推論】
内部状態の変化と環境への作用を、自らが存続できる状態を保つ過程として扱う枠組み。ここでの推論は数理的な記述であり、必ずしも意識的な判断を意味しない。
【マルコフブランケット (Markov blanket)】
内部と外部が、境界に当たる変数を条件にして統計的に独立になる関係を表す。この研究では温度と二酸化炭素が境界状態に割り当てられ、物理的な膜そのものを意味してはいない。
【ホメオレシス (homeorhesis)】
攪乱のあと、特徴的な軌道へ戻る性質。一定の値の維持だけでは捉えにくい持続を扱う語だが、任意の変化や制度改革がこの数理的な性質を持つわけではない。
【非平衡定常状態】
エネルギーなどの流れが続く系で、状態の確率分布が時間に対して定常である状態。個々の変数が静止している必要はなく、単に長く存続していることとも区別される。
【多中心的統治】
複数の意思決定の中心が、異なる規模で関わりながら共通課題に対応する考え方。地域ごとの判断と広域的な調整を組み合わせる余地があり、無調整の分散とは異なる。
