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チェス盤の上では、誰もが平等だったのか──中世の「知的ゲーム」が問いかけるもの

シリーズ: 知新察来


◆今回のピックアップ記事: Tom Almeroth-Williams, "Medieval chess promoted racial harmony" (University of Cambridge, 2026年3月19日)

  • 概要:ケンブリッジ大学のイルコ博士による研究。13世紀スペインの写本『アルフォンソのチェス書』や14世紀ペルシャの叙事詩写本などを分析し、中世チェスが肌の色や宗教に関わらず「知性で対等に競う場」として機能していたことを明らかにした。既存の中世図像研究が見落としてきた人種表象の複雑さを再考する意欲的な論考。



チェスが生まれたのは古代インドです。そこから中東、ペルシャ、そしてヨーロッパへと伝わっていくあいだに、この「戦争をシミュレートするゲーム」は、じつに奇妙な役割を担うようになりました。肌の色も宗教も違う人々が、盤を挟んで対等に向き合う空間——その絵が、いまから700年以上前の写本にくりかえし描かれています。


ケンブリッジ大学の中世史家、クリスティナ・イルコ博士は、この「チェスと人種」という意外な組み合わせを正面から論じた研究を発表し、中世学の最高権威のひとつである中世学会アメリカから「批判的人種研究論文賞」を受賞しました。


富良野とPhronaが今回取り上げるのは、この研究です。「知性で勝負が決まる場所」は、本当に公平な場所なのでしょうか。そしてその問いは、現代の私たちにとっても、他人ごとではありません。「頭が良ければ報われる」という信念を、私たちはどこまで信じていいのか——中世のチェス盤が、意外な角度からその問いを照らし出してくれます。




盤の上の「別の世界」


富良野:イルコ博士の研究を読んで、まず驚いたのが、1283年にスペインで作られたチェスの写本なんですよ。アルフォンソ10世という王様が命じて作らせたもので、百枚以上のチェスの局面が細密画として描かれているんですが、そこに登場するプレイヤーがすごく多様なんです。アフリカ系、イスラム教徒、ユダヤ教徒、モンゴル人——みんなが盤を挟んで向き合っている。


Phrona:その時代のヨーロッパって、そういう絵が普通に描かれていたんですか?


富良野:それが全然普通じゃない、というのがポイントで。当時の宗教画や政治的な図像では、肌の色が暗い人物は「捕虜」とか「悪の象徴」として描かれることが多かったらしくて。でもチェスの写本だと、そういう図式が外れている。


Phrona:チェス盤の上だけ、別のルールが適用されていたみたいな。


富良野:イルコ博士自身が「チェスは別の平面で機能していた」という言い方をしていて、僕はその表現がすごく気になっていて。社会の外側に、社会とは違う論理で動く空間があった、ということですよね。


Phrona:でも「別の平面」って、逃避なのか、それとも対抗なのか、どっちなんでしょう。



「勝負」が生み出す平等


Phrona:そもそも、なぜチェスだけがそういう場になれたんでしょうね。他のゲームじゃダメだったのか、って。


富良野:チェスの特殊性として、当時から「戦争の縮図」として理解されていたというのがあって。血を流さない戦争、秩序ある戦争、というイメージが強かったらしいんです。で、そういう「ルールに従った知的な戦い」では、外側の身分が一度リセットされる感覚があったんじゃないかと。


Phrona:ルールがあるから平等、ということですよね。


富良野:そうなんですが、もう少し面白い見方をすると——チェスって、勝負が終わったあとに「この手がどう意味を持つか」がはっきりわかるじゃないですか。つまり、知的な優劣が可視化される。それがむしろ、外側の序列を無効にするんじゃないかと思っていて。


Phrona:あ、それちょっと逆説的ですよね。「誰が賢いか」を白黒つけることが、「誰が偉いか」をいったん棚上げにする、ということ?


富良野:そうそう。身分とか肌の色って、「ゲームの外で決まっていること」で、チェス盤の上ではその情報が機能しない。勝つか負けるか、それだけが問われる。


Phrona:でもそれって、「知性があれば勝てる」という前提があるから成立するわけですよね。知性での勝負ならフェア、という信念が先にある。


富良野:そこが後で問い直したい部分なんですよね(笑)。



「どこから学んだか」という問い


富良野:もうひとつ、研究の中で気になったのが、当時のヨーロッパはイスラム圏の科学技術にかなり学んでいた、という背景なんですよ。アルフォンソ10世の宮廷は、イスラムの知識を積極的に取り込んでいて、チェスの技術についてもイスラムのプレイヤーたちは非常に高く評価されていた。


Phrona:だから写本の中でも、イスラム系のプレイヤーが対等、あるいは時には格上として描かれていたと。


富良野:103の局面のうち88がイスラムのチェス様式に基づいているっていうんですよ。それってかなり圧倒的な数字で、「誰から学んだか」という事実が、描き方にそのまま出てきている。


Phrona:知識の流れが、絵の中の力関係を逆転させているんですね。ヨーロッパが学ぶ側で、イスラム圏が教える側、という構図が。


富良野:ペルシャの写本の話もあって、インドからチェスが伝わってきたときの絵があるんですが、インドの使者が暗い肌で描かれているのを、長いあいだ「敗者として描かれている」と解釈されてきたらしいんです。でもイルコ博士は違うと言っていて。


Phrona:違うというと?


富良野:その使者はインドの王の代理人で、「私たちのゲームを解いてみせろ」という知的な挑戦をしに来ている。つまり、暗い肌の描写は劣位の印じゃなくて、異国の知識の担い手として描かれているんだ、という読み直しなんです。


Phrona:見る側の前提が変わると、同じ絵が全然違う意味になる……それ自体が、解釈の問題でもあるんですよね。



「知性による平等」の亀裂


Phrona:少し立ち止まりたいんですが——チェスが「知性で公平に競う場」だったとして、その「知性での平等」というのは、本当に平等なのかな、という気がしてきて。


富良野:どういう意味ですか?


Phrona:チェスを学ぶには時間とお金がかかりますよね。師匠がいて、写本があって、練習できる環境があって。そういう条件を満たせる人だけが「知性で勝負できる場」に立てるとしたら、そのゲームに参加できること自体がすでに特権なんじゃないかな、って。


富良野:いや、鋭い。写本の中で描かれている非白人プレイヤーたちも、全員が何らかの意味で「宮廷に近い人々」ですよね。民衆ではなく、エリートの話として描かれている。


Phrona:チェス盤の上では平等、でもチェス盤に座れるのは一部の人だけ、という構造。


富良野:これ、現代のメリトクラシー、能力主義とまったく同じ問題構造ですよね。学歴とか職業とか、「能力で評価します」という建前のシステムが、実は「能力を伸ばせる条件」からすでに不平等になっている、という批判。


Phrona:中世のチェスが、現代の就活面接に見えてきた(笑)。


富良野:笑えるけど笑えない話で……「実力勝負」という言葉が持つ透明性の幻想、というか。競技のルールはフラットでも、スタートラインはフラットじゃない。



「遊び」が本気になるとき


Phrona:ちょっと別の角度から考えてみると、チェスって「遊び」ですよね。ゲームで。でもこの研究が示していることって、その「遊び」の空間が、社会規範に対して本気の問いを投げかけていた、ということじゃないですか。


富良野:遊びの中にこそ、本音が出る、みたいな。


Phrona:そう。普段の生活では「この人は異教徒」「あの人は異邦人」という区分けが当然のように機能しているのに、チェス盤の前に座った瞬間だけ、その区分けが一時停止する。


富良野:「戦争の縮図」だからこそ、外の戦争の論理が持ち込めない、というのは面白い逆説で。チェスが戦争を模しているから、チェス盤の中だけは現実の戦争のルールが無効になる。


Phrona:遊びって、もともとそういうものかもしれないですね。日常のルールが一時的に停止される場、というか。ホイジンガというオランダの文化史家が「ホモ・ルーデンス」、つまり「遊ぶ人間」という概念で言っていたことと重なるような。


富良野:ホイジンガは遊びを「真剣さと自由が共存する聖域」と呼んでいましたよね。その意味では、チェス盤というのは文字通り「聖なる空間」として機能していたのかもしれない。


Phrona:でもその聖域が、本当に解放的だったのか、それとも実は現実の秩序をうまく管理するための「ガス抜き」だったのか——そこはまだ問い続けていいと思っていて。



歴史が見えていなかったもの


富良野:イルコ博士の研究がもうひとつ指摘しているのが、これまでの中世研究が中世を「キリスト教中心で単一文化的」に見てきた、という問題で。


Phrona:研究者自身の視点が、史料の読み方を決めてしまっていた、ということ?


富良野:ペルシャの写本でインドの使者が敗者に見えた、という話がまさにそれで。「暗い肌=劣位」という前提を持ったまま絵を見ると、そう見える。でもその前提を外すと、全然違う解釈が出てくる。


Phrona:見えていなかったというより、見たくなかった、という部分もあるかもしれないですよね。中世が多様で豊かだったと認めると、「西洋が進歩してきた」という物語の立てかたが変わってくるから。


富良野:歴史の書き方って、現在の自分たちの正当化とつながっているから、そこは慎重に考えたい部分ですね。「こんな良い面もあった」という話として消費されると、逆に問題が見えにくくなる気もする。


Phrona:チェスが人種的調和を「促進した」という記事のタイトルは、ちょっとポジティブすぎる印象があって。それは手放しで喜べる話じゃなくて、「こういう空間がなければ交われなかった」という逆説でもあるわけだから。


富良野:チェス盤の外では、相変わらず差別があった。ゲームの中でだけ平等だったとすれば、それは救いなのか、それとも限界の証なのか。



知性はどこまで「中立」か


富良野:改めて考えると、「知性で競う場は公平だ」という前提って、かなり強い信念なんですよね。


Phrona:現代のAI採用システムとか、偏差値での選抜とか、「アルゴリズムや数字は感情を持たないからフェア」という発想と構造的に同じだと思っていて。


富良野:でもそのアルゴリズムの設計者が誰か、数値化された指標が何を評価しているか、という問いが入ると、途端に「中立性」が揺らいでくる。


Phrona:チェスも一緒で、チェスが「知性を公平に測れる」という前提自体、チェスを設計した人々の知性観が入っている。


富良野:どんな「公平な競技」にも、ゲームのデザイナーの偏りが入り込む。それは不可避というか——。


Phrona:完全に中立な競技場なんて、たぶん存在しないんですよね。問題は「どんな偏りが入っているか」を問い続けることができるかどうかで。


富良野:中世のチェスが面白いのは、その偏りの中でも、当時の社会通念に対して抵抗する何かが宿っていたことで。完璧じゃないけど、亀裂はあった。


Phrona:亀裂があったことを知っている、ということ自体が——今の私たちにとって、何かのヒントになるかもしれないですよね。



 

ポイント整理


  • 1283年にスペインで制作されたチェスの写本『アルフォンソのチェス書』には、アフリカ系・イスラム教徒・ユダヤ教徒・モンゴル人など多様な背景を持つプレイヤーが描かれており、彼らは知的な対等者として図像化されている。これは当時の宗教画や政治的図像の常套的な表現と明らかに異なっていた。

  • ケンブリッジ大学のイルコ博士は、チェスが「別の平面」として機能していたと論じる。チェス盤の上では外部社会の身分・肌の色が一時的に無効化され、知的優劣だけが勝負を決める空間として認識されていた。

  • 当時のヨーロッパはイスラム圏の科学・技術に学ぶ立場にあり、写本の103局面中88がイスラム式のチェス様式に基づいている。イスラムの対局技法は高く評価されており、その背景がプレイヤーの描き方にも反映されていた。

  • ペルシャの叙事詩写本『シャー・ナーメ』に描かれたインドの使者像は、これまで「敗者」として解釈されてきたが、イルコ博士はその読みを否定する。暗い肌の描写は異邦人性の表現であり、インドの知識の担い手として描かれていると主張する。この解釈の転換は、研究者自身の視点が史料読解にいかに影響するかを示している。

  • チェスの名称はサンスクリット語の「チャトランガ(四軍構成)」に由来し、インド→ペルシャ→イスラム圏→ヨーロッパと伝播する過程で、ゲームのコマや対局スタイルが各地の文化的文脈の中で変容した。チェスはもともとグローバルな知識交流の産物であった。

  • チェスによる「知性での平等」には構造的な限界もある。プレイヤーとして描かれる非白人人物たちは、いずれも宮廷や権力と近い位置にいるエリート層である。チェス盤の平等は、そもそもチェス盤に座れる人々の間での話に過ぎなかった。

  • この問題構造は現代のメリトクラシー(能力主義)批判と直結する。「能力で評価する」という建前のシステムは、「能力を伸ばせる条件」の不平等をそのままにして、競技の場面だけフェアに見せるという機能を持ちうる。

  • 中世を「キリスト教中心・単一文化的」に読んできた従来の学術的視座は、この種の多様性を見落とす傾向があった。イルコ博士の研究は、同じ図像がどのような前提で見られるかによって全く異なる意味を持つことを示した。



キーワード解説


【チェス(shatranj / chatrang)】

古代インドの「チャトランガ」を起源とし、ペルシャ語で「シャトランジ」、中世ペルシャ語で「チャトラング」と呼ばれた。歩兵・騎兵・戦車・象の四軍構成を模したとされ、文明間の知識交流を通じて世界各地に広まった。


【アルフォンソ10世のチェス書(Libro de axedrez)】

1283年にスペイン・カスティーリャ王アルフォンソ10世が命じて制作させた写本。103の局面(チェス問題)を細密画付きで収録し、多様な背景を持つプレイヤーを描いた貴重な図像史料。現在はマドリード郊外のエル・エスコリアル修道院に所蔵。


【シャー・ナーメ(Shahnama)】

「王書」と訳されるペルシャ語の叙事詩。創世からイスラム征服(7世紀)までのペルシャ人の歴史を語る大作で、10〜11世紀に詩人フェルドウスィーが編纂。チェスのインドからペルシャへの伝播を記した有名な挿話を含む。


【メリトクラシー(meritocracy)】

「能力主義」と訳される。生まれや身分ではなく、個人の能力や実績によって社会的地位や報酬が決まるべきだという原則。一見公平に見えるが、能力を伸ばす機会自体が不平等に分配されているという批判がある。


【ホモ・ルーデンス(Homo Ludens)】

オランダの文化史家ヨハン・ホイジンガが1938年に提唱した概念。「遊ぶ人間」を意味し、遊びを文化の本質的な要素として位置づけた。遊びを「日常から切り離された、ルールによって守られた自由な空間」と定義し、文化・法・芸術の起源を遊びに見出した。


【批判的人種研究(Critical Race Studies)】

人種と権力の関係を批判的に分析する学術的アプローチ。法学・社会学・歴史学など複数の分野にまたがり、人種的不平等が制度・言説・文化の中にどのように埋め込まれているかを問う。


【Speculum(スペキュラム)】

中世学会アメリカが発行する査読付き学術誌。中世研究の最高権威誌のひとつ。



本稿は近日中にnoteにも掲載予定です。
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