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司法制度の「いい加減さ」に隠された合理性

更新日:10月28日

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シリーズ: 知新察来


◆今回のピックアップ記事:Alvaro Sandroni et al. "Is It a Coin Flip or Is It Justice? It Could Be Both." (Kellogg Insight, 2025年8月1日)

  • 概要:ゲーム理論を用いて司法制度を分析し、裁判官の「恣意的な」判決が実は制度の健全性を示す可能性があることを示した研究について報告する記事。ント文化」の構築方法を解説した記事



朝の裁判では優しく、昼食後は寛大に、夕方は厳しく判決を下す裁判官たち。政治的な偏見で判断したり、些細なことで判決が左右されたりする司法の現実に、私たちは眉をひそめがちです。しかし、最新のゲーム理論研究が示すのは、意外な事実でした。この「いい加減さ」こそが、司法制度が健全に機能している証拠かもしれないというのです。


ノースウエスタン大学ケロッグ経営大学院のアルバロ・サンドロニ教授は、ペンシルベニア大学のレオ・カッツ教授とともに、司法判断の曖昧性を数学的にモデル化しました。その結果、裁判官が「まるでコインを投げているような」判決を下すのは、制度の欠陥ではなく、むしろ最適解である可能性が浮かび上がったのです。


富良野とPhronaの対話を通じて、この一見逆説的な発見が持つ深い意味を探ってみましょう。読み終わる頃には、あなたの「正義」への理解が少し変わっているかもしれません。

 



なぜ裁判官は「いい加減」に見えるのか


富良野:この研究、面白いところを突いてきましたね。司法の恣意性を批判するんじゃなくて、それが合理的だって言ってるわけですから。


Phrona:私も最初読んだ時は「え?」って思いました。裁判官がコインを投げるような判断をするのが良いことだなんて。でも、よく考えてみると、そこには深い仕組みがありそうですよね。


富良野:そうなんです。サンドロニ教授らが着目したのは「選択効果」って呼ばれる現象です。簡単に言えば、勝敗が明らかな事件は裁判まで行かずに和解するってことですね。


Phrona:ああ、それはなんとなく分かります。弁護士同士が「これ、どう見ても勝てないよね」って思ったら、わざわざ法廷で争わないですもんね。


富良野:正にそれです。で、結果的に法廷に残るのは、どちらが勝つか分からない微妙な事件ばかりになる。つまり、裁判官が真面目に検討したところで、最終的には「えーっと、どっちにしようかな」状態になっちゃうわけです。


Phrona:なるほど。でも、それって裁判官が手を抜いていいってことになりませんか?だって、どうせ微妙な事件しか来ないんだったら、適当に判決出してもいいじゃないかって。


努力と怠惰のバランス


富良野:そこがこの研究の肝なんですよ。もし裁判官が全く検討せずに判決を出すようになったら、今度は当事者が「じゃあ簡単な事件でも裁判に持ち込んでみよう」って思うようになる。


Phrona:コインの裏表で勝負するなら、明らかに自分が不利な事件でも試してみる価値がありますもんね。


富良野:そうです。すると今度は、明らかに正解がある事件が法廷に持ち込まれるようになって、裁判官は間違った判決を出すリスクが出てくる。それは困るから、また真剣に検討するようになる。


Phrona:あ、そうするとまた微妙な事件だけが法廷に残るようになって…って、これ、堂々巡りですね。


富良野:正にそこがポイントです。この「押したり引いたり」が最終的に均衡点に落ち着く。その均衡点では、簡単な事件と難しい事件が適度に混ざって法廷に来るようになるんです。


Phrona:面白いですね。システム全体が自然にバランスを取るようになってるんだ。でも、その結果として裁判官の判決が恣意的に見えるのは仕方がないってことですか?


偏見と合理性の境界線


富良野:そこが複雑なところなんです。研究では、裁判官が完全に公正だったとしても、微妙な事件では些細なバイアスが結果を左右するって指摘してるんですね。


Phrona:朝だから優しい気分だったとか、昼食前でお腹が空いてイライラしてたとか、そういう人間的な要素ってことですか?


富良野:まさにそれです。事件が本当に拮抗してる場合、天秤の針を動かすのはほんの少しの重りでいい。その「少しの重り」が、その日の気分だったり政治的な傾向だったりするわけです。


Phrona:うーん、でもそれって結局、正義じゃないような気もしますけど。だって運や気分で人生が決まってしまうなんて。


富良野:気持ちは分かります。ただ、サンドロニ教授の言い方を借りれば、これは「制度が機能している証拠」なんです。会社で言えば、些細な問題まで全部CEOの判断を仰ぐような組織より、大半の問題を現場で解決できる組織の方が健全ですよね。


Phrona:なるほど、そういう見方もあるんですね。でも私、まだちょっと引っかかるものがあって。


人間らしさと制度の狭間で


Phrona:確かに制度として合理的なのかもしれません。でも、当事者の立場に立ったら、自分の人生がほぼコインの裏表で決まるなんて、やっぱり納得できないと思うんです。


富良野:うん、それは本当にそうですね。理論上の最適解と、個々の人間が感じる納得感は別物ですから。


Phrona:そうなんです。特に、司法って「正義」とか「公平」とか、すごく価値の重い言葉と結びついてるじゃないですか。それなのに実際は運や偏見で決まってるって言われると、なんだかむなしくなっちゃいます。


富良野:でも考えてみると、そもそも「正義」って何でしょうね?完璧に客観的な正解があるものなのか、それとも社会的な合意の産物なのか。


Phrona:ああ、そこは深いですね。私たちが「これが正しい」って思ってることも、実は時代や文化によって変わってきてるわけで。


富良野:そうですね。だとすると、微妙な事件で裁判官の判断が揺れるのも、ある意味では社会の価値観が揺れ動いてることの反映かもしれません。完璧な正解がないからこそ、人間的な要素が入り込む余地がある。


Phrona:うーん、でもそれって、司法への信頼を損ないませんか?「どうせ運だから」って思われちゃうような。


透明性という新しい課題


富良野:そこは重要な指摘ですね。この研究の含意をどう社会に伝えるかは、すごく難しい問題だと思います。


Phrona:そうですよね。「裁判官がいい加減でも制度として健全です」なんて説明されても、一般の人は「はあ?」ってなりますよ。


富良野:むしろ逆効果になる可能性すらある。でも、研究の価値は確実にあると思うんです。これまで司法の恣意性を純粋に批判的に見ていたのが、別の角度から理解できるようになったわけですから。


Phrona:理論と現実のギャップって、いつも悩ましいですよね。学問的には正しいことが、社会的には必ずしも受け入れられない。


富良野:そうですね。ただ、だからといって研究をしなくていいってことにはならない。むしろ、どう伝えるかを含めて考えていかないといけないんでしょうね。


Phrona:そういえば、この研究って裁判官の訓練や選び方にも影響しそうですね。完璧な公平性を求めるんじゃなくて、適度な「ゆらぎ」を許容する方向性っていうか。


富良野:面白い視点ですね。確かに、人間である以上、完全に機械的な判断は不可能だし、する必要もないってことかもしれません。


制度設計への新しい視点


富良野:この研究から見えてくるのは、制度設計における「完璧さ」の再定義かもしれませんね。


Phrona:どういうことですか?


富良野:つまり、制度の完璧さって、個々の判断が完璧であることじゃなくて、全体として望ましい結果を生み出すことなんじゃないかと。


Phrona:ああ、なるほど。森を見るか木を見るかの違いですね。一つ一つの判決は曖昧でも、制度全体としては機能してるってことですか。


富良野:そうです。そして、その曖昧さがあるからこそ、当事者は安易に裁判に頼らずに話し合いで解決しようとする。結果的に、司法資源の無駄遣いも防げるし、社会全体の紛争解決能力も高まる。


Phrona:確かに、みんながちょっとしたことですぐ裁判を起こすような社会より、まず当事者同士で頑張って解決しようとする社会の方が健全かもしれませんね。


富良野:そういうことです。そう考えると、司法の「いい加減さ」も、社会システム全体の中では重要な機能を果たしてるってことになる。


Phrona:でも私、まだ一つ気になることがあるんです。この理論って、結局のところ司法制度の現状を正当化してるだけなんじゃないかって。


現状肯定か、新しい理解か


富良野:それも大事な視点ですね。確かに「恣意的な判決も合理的です」って言われると、改革の必要性が薄れちゃう可能性はありますよね。


Phrona:そうなんです。現実に不当な判決で苦しんでる人たちに向かって、「いえいえ、それは制度として正常なんですよ」って言うのは、ちょっと冷たくないですか?


富良野:うーん、難しいところです。ただ、この研究が言ってるのは「だから何も変える必要がない」ってことじゃなくて、「問題の本質を正しく理解しましょう」ってことだと思うんです。


Phrona:つまり、司法制度の問題を考えるときの視点を変えようってことですか?


富良野:そうですね。個々の裁判官の資質の問題として見るんじゃなくて、制度設計の問題として捉え直すってこともできるでしょうし。


Phrona:なるほど。裁判官個人を責めるんじゃなくて、どういう仕組みにすれば全体としてより良い結果が得られるかを考えるってことですね。


富良野:そうです。そして、完璧を求めすぎることの弊害についても考える必要があるかもしれません。システムにある程度の「ゆるさ」があることの意味を。



 

ポイント整理


  • 選択効果による事件のふるい分け

    • 明確な勝敗が見えている事件は和解により法廷外で解決される傾向があるため、実際に裁判になるのは判断が困難な微妙な事件が中心となる。この現象により、裁判官の判断が恣意的に見える土台が形成される。

  • 裁判官の最適な注意配分

    • 裁判官が全ての事件に100%の注意を払うことは非効率である。微妙な事件が多いなら完全な検討をしても結果は変わらず、簡単な事件には過度な検討は不要である。適度な注意配分が全体として最も効率的な結果をもたらす。

  • 恣意性と制度の健全性の逆説的関係

    • 司法判断に見られる恣意性や偏見は、制度の欠陥ではなく、むしろ制度が適切に機能している証拠である可能性がある。これは、難しい事件と簡単な事件の適切な配分が実現されていることを示している。

  • 微妙な事件における小さなバイアスの決定力

    • 事件の内容が拮抗している場合、裁判官の気分、時間帯、政治的傾向などの微細な要因が判決を左右する。これは裁判官の能力不足ではなく、事件そのものの性質による必然的な結果である。

  • 紛争解決システム全体の効率性

    • 司法の不確実性が当事者に和解のインセンティブを与え、結果的に司法資源の効率的な使用と社会全体の紛争解決能力向上につながる。完璧すぎる司法制度は、かえってシステム全体の効率を損なう可能性がある。



キーワード解説


ゲーム理論】

参加者の戦略的相互作用を数学的にモデル化して分析する手法


【選択効果】

明確な事件は和解し、曖昧な事件のみが裁判に進む現象


【司法の恣意性】

法的根拠以外の要因による判決の揺れや偏り


【均衡点】

システム内の各要素が安定する釣り合いの状態


【バイアス】

判断に影響を与える個人的・感情的な偏向


【司法資源の効率性】

限られた司法制度の容量を最適に配分すること


【制度設計】

全体最適を目指したシステムやルールの構築方法


【紛争解決メカニズム】

対立を解決するための社会的仕組みや手順



本稿は近日中にnoteにも掲載予定です。
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