地下鉄が「市境で止まる」都市──アジアの巨大都市の「住みにくさ」の根っこを探る
- Seo Seungchul

- 3 日前
- 読了時間: 10分

シリーズ: 知新察来
◆今回のピックアップ記事:"Why many Asian megacities are miserable places" (The Economist, 2025年12月11日)
概要: 国連の最新都市データをもとに、アジアの巨大都市(ジャカルタ・ダッカ・デリーなど)が抱える深刻な「住みにくさ」の構造的原因を分析。交通渋滞・大気汚染・貧困といった問題の根底に、断片化されたガバナンス(都市統治の仕組み)の失敗があると論じ、東京や上海との比較を通じて、解決への糸口を探る。
アジアのある都市に、こんな地下鉄があります。路線ができた。でも、隣の市との調整ができていないので、市の境界線でぴたりと止まってしまう。乗客が降りた先は、住宅街のはずれ。そこからはバイクか車で移動するしかない。結果として渋滞がひどくなり、大気汚染が悪化し、経済損失が年間数千億円規模に膨らんでいく——。
これは極端な話でしょうか。いいえ。これは現実に起きていることです。ジャカルタで。そしてアジアの巨大都市の多くで。
2025年末に国連が発表した最新の都市統計データは、世界の都市の「今」をあらためて可視化しました。富良野とPhronaが注目したのは、都市の人口規模よりも、そこに埋め込まれた「統治の設計」の問題です。お金をかければ解決するのか。それとも、もっと根本的な問いがあるのか。二人の対話は、地下鉄の終点から始まります。
地下鉄が止まる場所
富良野:ジャカルタの話、知ってますか。2019年に初めて地下鉄の路線ができたんですけど、市の行政境界のところで終わってしまっていて、その先の通勤圏には届いていないんですよ。
Phrona:届いていないって……それ、どういうことなんでしょう。計画段階でわかりそうなものじゃないですか。
富良野:そこなんですよね。ジャカルタって今や、周囲のボゴール、デポック、タンゲラン、ブカシって都市をぜんぶ飲み込むように広がってる。でも統治の仕組みはそれぞれ別々のまま。市長は市長、別の市の市長は別の市長、って感じで、横の会話がほとんどない。
Phrona:縦割りっていうより……隣同士が壁で仕切られてる感じですね。
富良野:元ジャカルタ市職員の方が「在任中、周辺都市の市長とほとんど会話しなかった」って言ってるんです。これ、言い訳じゃなくて、そういう構造になってるってことで。
Phrona:じゃあ地下鉄を作った人が悪いんじゃなくて、「誰が決める人か」が決まっていなかったということ?
富良野:そう。悪意じゃなくて、設計の問題。それが記事の核心だと思うんですよ。
Phrona:「設計の問題」か。なんかそれ、言葉にすると急にすごく大きな話になる気がします。
ガバナンスってなんだろう
Phrona:ガバナンスって、よく聞くけど、改めて聞くと、何を指してるんでしょう。コーポレートガバナンスとか企業統治って言葉でも出てきますよね。
富良野:基本的には「誰が何を決める権限を持っているか」「その決定に対して誰が責任を負うか」っていう仕組みのことですね。企業でも都市でも国家でも、この問いは同じように立てられる。
Phrona:でもそれって、法律や条例があれば自動的に決まるものじゃないんですか?
富良野:それが面白いところで、法律があっても「あいだ」が埋まらないことがある。ダッカの話が典型的で、二つの市公社、国の開発庁、複数の省庁、水道・下水・交通をそれぞれ管轄する数十の機関……って感じで、ぜんぶバラバラに存在してる。
Phrona:それ、ジャングルみたいですね。誰が森全体を見てるかわからない。
富良野:ダッカの北市公社の元市長が「自分の権限で対処できる問題は、交通や洪水を含めて、市の問題全体の20パーセントしかない」って言ってたんですよ。
Phrona:え。市長なのに、市の問題の20パーセントしか……。それって「市長」の名前だけで、実態はもうちょっと別の何かじゃないですか。
富良野:そう言いたくなるよね。肩書きと権限がずれてる状態。コルカタは巨大都市圏のエリア内に423もの異なる統治主体があるって、世界銀行が指摘してますし。
Phrona:四百二十三……。それ、数え間違いじゃないですか(笑)。
富良野:そう思いたい気持ちはわかる(笑)。でもこれ、都市が拡大するたびに「じゃあここは誰が担当するか」を場当たり的に決め続けてきた結果なんですよね。
貧困の罠という言葉
Phrona:記事にニューヨーク大学のアラン・ベルトー(Alain Bertaud)という研究者の言葉が出てきましたよね。「都市の労働市場が機能しなければ、貧困の罠を作るだけだ」って。
富良野:そこ、ちょっと立ち止まりたかったんですよね。貧困の罠って、もともとは経済学の概念で、「貧しいから投資できない、投資できないから豊かになれない」っていう悪循環を指すんですけど。
Phrona:それが都市に適用されるとどうなるんでしょう。
富良野:たとえばジャカルタで、職場の近くに住めない人が郊外から通うとする。公共交通が貧弱だからバイクや車で来る。渋滞する。大気汚染になる。生産性が落ちる。経済が伸びない。でも経済が伸びないから交通インフラへの投資もできない——っていう。
Phrona:どこから手をつければいいかわからない感じ。
富良野:で、記事の結論は「お金の問題より先に、ガバナンスの設計を変えろ」ということなんですよ。大きなプロジェクトにお金を注ぎ込むより、権力構造を整理する方が先だ、と。
Phrona:でも……権力構造を変えるって、お金を使うより難しくないですか。だって、既得権益があるわけで。
富良野:そこが一番ひっかかるところで。誰かの利益になっている構造を変えるのは、橋を一本作るより政治的に難しい。それでも記事は「効果は絶大だ」と言い切ってる。
Phrona:言い切れる根拠はあるんですかね。東京がそうだったから、って話になっていくんでしょうか。
東京は答えなのか
富良野:記事が持ち出す「良いモデル」が東京なんですけど、僕はそれをそのまま受け取る気になれなくて。
Phrona:どのあたりが?
富良野:東京都が水道・下水・公立病院みたいな大きなサービスを担って、その下に23の特別区と周辺の市町村がある。学校や廃棄物管理は各自治体、調整は都が担う、っていう分権と統合のバランスが機能してる、って話なんですけど。
Phrona:それは確かにシンプルで良さそうに聞こえます。
富良野:でもね、東京が人口2000万人を超えた1960年代、日本の一人あたりGDPは(2011年基準価格で)9500ドル前後だった。ダッカが2000万人を超えた2000年代半ば、バングラデシュは1900ドルだった。
Phrona:五倍近い差……。それで「東京モデルを見習え」っていうのは、ちょっと乱暴じゃないですか。
富良野:そう。豊かさのレベルが違う状態で制度を移植しようとしても、根付かないかもしれない。東京の成功には、戦後の高度成長期という特殊な文脈もあったし、中央政府と都市の関係性も固有のものがある。
Phrona:でも記事は、「東京を参考にしろ」とは言ってなくて、「ガバナンスの整理から始めろ」って言ってるんですよね。東京はその例として出されてるだけで。
富良野:……そうかもしれない。東京が答えなんじゃなくて、「答えを考える際の構造的な参照点」として使われてる。
Phrona:でもそうすると、結局「どんな構造が良いのか」っていう本質的な問いには、記事はあまり答えてない気がする。
富良野:それは意図的かもしれないな。構造の形より、「誰が何を決める権限を持つかを明確にすること」が先決だって言いたいんじゃないかと。
設計するのは誰か
Phrona:ガバナンスを設計するって言葉、さっきから使ってますけど、それって誰がやるんですかね。
富良野:それ、実は一番難しい問いかもしれない。都市の統治構造を変えようとしたら、すでに存在している機関や役職の人たちの抵抗に遭う。自分の権限が削られるかもしれないから。
Phrona:それは人間として当然の反応ですよね。「あなたの仕事は実は不要でした」とは言いにくい。
富良野:しかもアジアの多くの国では、都市は国の政策の末端でもある。国が決めたことを都市が実装する、みたいな構造があって、都市自身が主体的に統治を設計しにくい。
Phrona:そうすると、誰かが外から「変えよう」と言っても、変わらない?
富良野:変わった事例はある。ただ、それには政治的なタイミングとリーダーシップが必要で……。記事が「難しいが効果は大きい」と言ってる理由がそこにある気がします。
Phrona:難しいことと、価値があることが、必ずしも一致しないこともあるじゃないですか。
富良野:うん。だからこそ、「価値があるとわかっていても動けない構造」そのものを問わないといけないんじゃないかな。ガバナンスの問題を解くには、ガバナンスが必要、みたいな。
Phrona:あ、それちょっと循環してますね。
富良野:そうなんですよ。「誰が設計するかを設計する」っていうメタな問いが残るんです。そこに記事は触れていない。触れられないのかもしれない。
ポイント整理
世界の都市人口をめぐる統計の更新
国連の最新報告(2025年)では、都市の実態的な広がり(スプロール化)を反映した新基準が採用された。これによりジャカルタが約4200万人で世界最大の都市圏となり、ダッカ(約3700万人)も東京(約3300万人)を上回った。デリーとシャンハイがそれぞれ約3000万人で続く。
「住みにくさ」の実態
エコノミスト・インテリジェンス・ユニット(EIU)の生活環境評価(173都市対象)では、ジャカルタは132位、デリーは145位、ダッカは171位(下から3番目)。これらは世界最大級の都市でありながら、生活環境は最低水準にある。
ガバナンスの断片化が根本原因
交通渋滞・大気汚染・インフラ不足などの問題は、巨大都市圏を一体として統治できていないことに起因する。ダッカは複数の市公社・省庁・機関が縦割りで管轄し、コルカタ都市圏には423もの異なる統治主体が存在する(世界銀行の調査)。
ジャカルタの地下鉄問題
2019年に開通した地下鉄は、行政境界のところで路線が打ち切られており、通勤圏の住民に届いていない。広域調整の失敗が、インフラ投資の効果を著しく損なっている典型例。
渋滞の経済損失
ジャカルタ市政府の試算では、交通渋滞による経済損失は年間約60億ドルに上る。ダッカは渋滞の深刻さで世界3位、デリーは7位。
東京モデルの特徴と限界
東京都(TMG)が水道・下水・公立病院など広域サービスを担い、23特別区と周辺市町村が地域サービスを担う二層構造が機能している。ただし、東京が現在の規模になった際の日本の一人あたりGDPは、同規模に成長した際のバングラデシュやインドネシアのそれと比べて数倍の差がある。制度の移植には文脈の違いへの配慮が必要。
「お金より先に構造を」
記事の結論は、大型インフラへの資金投入より、権力構造の整理と権限の明確化を優先すべきというもの。これは政治的に困難だが、効果は大きいと論じる。
キーワード解説
【巨大都市(メガシティ)】
人口1000万人以上の都市圏。現在世界に33か所存在し、うち先進国にあるのは7か所のみ。
【都市スプロール(urban sprawl)】
都市が周辺地域に無計画に拡大していく現象。行政区域を超えた広がりが、統治の断片化を生む。
【ガバナンス(governance)】
誰が何を決める権限を持ち、誰がその責任を負うかという統治の仕組み全体を指す。政府だけでなく、企業・地域・国際機関など幅広い文脈で使われる。
【中所得の罠(middle-income trap)】
一定の経済発展を遂げた国が、さらなる高成長に移行できずに停滞する状態。良好な都市環境の整備は、この罠を抜け出すための鍵と位置づけられる。
【貧困の罠(poverty trap)】
貧しいがゆえに投資できず、投資できないがゆえに豊かになれないという悪循環の構造。都市文脈では、インフラ不足が生産性を下げ、生産性の低さがインフラ整備を妨げる循環として現れる。
【二層統治構造】
広域的なサービスを上位機関が担い、地域的なサービスを下位の自治体が担うという、責任と権限の分担モデル。東京都と23特別区の関係がその例として挙げられる。