大人のADHD診断は本当に増えすぎているのか?
- Seo Seungchul

- 8月31日
- 読了時間: 9分
更新日:9月1日

シリーズ: 知新察来
◆今回のピックアップ記事:Margaret Sibley "Rethinking adult ADHD" (Aeon, 2025年7月1日)
概要: 2020年以降の成人ADHD診断数の急増を分析し、診断基準の包括性向上、女性への診断の増加、ニューロダイバーシティ運動の影響について考察したエッセイ
近年、大人のADHD診断が急増している現象をご存知でしょうか。2020年以降、記憶や集中、意思決定に困難を抱えるアメリカ人の数は急激に増加し、ADHDの診断を受ける成人は記録的な7.8%に達しました。TikTokの#ADHDタグは200億回以上再生され、まさに社会現象となっています。
この現象をどう理解すべきでしょうか。単なる流行なのか、それとも本当にADHDが増えているのか。または、これまで見過ごされてきた人たちが適切に診断されるようになったということなのか。富良野とPhronaは、この複雑な問題について、診断基準の変化、女性の体験、そして「包括性」という観点から考察を深めていきます。彼らの対話を通じて、現代社会における精神的多様性とその診断のあり方について、新たな視点が見えてくるかもしれません。
流行なのか、それとも見過ごしの是正なのか
富良野: ADHDの診断が急増してるっていう話、Phronaさんはどう思います?TikTokで200億回も再生されてるって、ちょっと異常な数字ですよね。
Phrona: 確かに数字だけ見ると驚きますね。でも私が気になるのは、これまでどれだけの人が見過ごされてきたのかということです。特に女性の場合、従来の診断基準って男性や男の子の症状をベースにしていたから。
富良野: そうですね。診断基準自体が2013年に緩和されたのも影響してるでしょうし。発症年齢の上限が7歳から12歳になったり、成人の必要症状数が6個から5個に減ったり。構造的に診断を受けやすくなった面はあると思います。
Phrona: でも2013年の変更なら、なぜ2020年以降に急激に増えたのかしら。パンデミックの影響って大きかったんでしょうね。みんなオンラインで過ごす時間が増えて、自分の体験を共有する機会も増えた。
富良野: そのとおりです。SNSで体験談が拡散されて、「私もそうかも」って思う人が増えた。ただ、ちょっと心配なのは、科学的に検証された情報と体験談が混在してることですね。
Phrona: でもそれって必ずしも悪いことではないのでは?これまで医学的な枠組みに収まらなかった体験が、やっと言葉を得たとも言えませんか。特に女性の場合、マスキングって言われる、症状を隠してしまう傾向があるから。
グレーゾーンの人たちをどう考えるか
富良野: この論文で興味深いのは、レベッカという女性の事例ですね。41歳で初めてADHDの可能性を考えた。症状的には診断基準に満たないけれど、でも生活に何らかの困りごとがある。
Phrona: レベッカの話、すごく考えさせられました。恋愛関係での失敗、仕事での不安定さ、経済的な不安。でも一方で創作活動では成功している。これまでの診断基準だと「障害」とは言えないレベルなんですよね。
富良野: そうなんです。従来の基準だと、日常生活に明確な支障があることが重要だった。でもニューロダイバーシティ運動は、もっと包括的に考えようって提案してるんですよね。
Phrona: ニューロダイバーシティの考え方って面白いですね。障害というより、脳の多様性の一つとして捉える。マスキングで症状が見えにくくなっていたり、才能で補償されていたりする場合も考慮に入れる。
富良野: ただ、僕が懸念するのは、診断の境界線があまりに主観的になってしまうことです。ADHDの特性って連続体なので、どこで線を引くかが難しい。あまりに緩くなると、診断の信頼性が損なわれる可能性もある。
Phrona: それは確かに難しい問題ですね。でも逆に考えると、これまでの厳格な基準によって、本当に支援が必要な人が排除されてきた面もあるのではないでしょうか。
女性の体験と診断の変化
富良野: この増加の背景には、女性の診断が増えてることも大きいようですね。20代、30代、40代の女性が初診で診断を求めるケースが大半だとか。
Phrona: それは本当に重要な点ですね。女性のADHDって、男性とは違った現れ方をすることが多いんです。内向的で、自分を責めがちで、でも表面的には問題なく見える。研究も歴史的に男性中心だったから、女性の特徴は見落とされがちだった。
富良野: しかも、女性は生涯を通じてホルモンの変化の影響を受けやすい。思春期、妊娠・出産、更年期...それぞれの時期で症状の現れ方が変わる可能性もありますよね。
Phrona: そうなんです。だから「子どもの頃からの症状」という基準も、女性には当てはまりにくいことがある。マスキングが上手だったり、環境的な支援があったりして、症状が表面化しなかった場合も多いでしょうし。
富良野: ただ、ここで注意が必要なのは、女性特有のADHDの研究はまだ十分ではないということです。草の根的な運動の力は大きいですが、科学的なエビデンスとのバランスも大切だと思います。
Phrona: でも、エビデンスを待っていたら、また何十年も見過ごされる人が出てしまうかもしれません。完璧な研究ができるまで、困っている人を放置するのは倫理的にどうなのでしょう。
変動するADHDという新しい理解
富良野: 最近の研究で興味深いのは、ADHDが生涯を通じて変動するということが分かってきたことです。同じ人でも、ある時期は診断基準を満たすけれど、別の時期は満たさない。
Phrona: それって画期的な発見ですよね。これまでは「あるかないか」の二択で考えがちだったけれど、実際はもっと流動的なものなのかもしれない。
富良野: パンデミック期間中に症状が悪化した人が多かったのも、この変動性で説明できます。遺伝的なリスクがあっても、環境次第で症状の出方が変わる。ストレスの多い状況では症状が顕在化しやすくなる。
Phrona: だとすると、「普段は問題ないけれど、特定の状況では困難を抱える」という人も、適切な支援の対象になるということですね。グレーゾーンの人たちの体験も、もっと真剣に受け止められるべきかもしれません。
富良野: そうですね。ただ、これも診断の複雑さを増す要因でもある。一時的な症状の悪化と、持続的なADHDをどう区別するか。臨床家にとっては難しい判断になりそうです。
Phrona: でも個人的には、この変動性という考え方は希望も感じます。症状があっても、環境や支援によって改善できる可能性があるということでしょうから。
デジタル時代の診断とその課題
富良野: パンデミック以降、オンライン診断サービスが急拡大したのも見逃せない要因ですね。手軽にアクセスできるようになった一方で、質の問題も出てきている。
Phrona: 確かにアクセシビリティは向上したけれど、中には問題のあるサービスもあったようですね。CerebralやDoneといった会社が捜査を受けたという話も出てきましたし。
富良野: そうです。スピードを重視するあまり、本来必要な鑑別診断が疎かになる危険性がある。ADHDの症状って、うつ病や不安障害、睡眠不足、ホルモンの変化などでも似たようなものが現れますから。
Phrona: でも一方で、これまでアクセスできなかった人たちが診断を受けられるようになったのも事実ですよね。特に地方在住の方や、経済的な制約がある方にとっては。
富良野: その通りです。問題は質の担保ですね。適切な研修を受けていない医療従事者が診断に携わるケースも増えているようですし。ただ、彼らの方が従来の厳格な基準にとらわれず、包括的な視点を持っている場合もある。
Phrona: なんだか皮肉な話ですね。専門性は低いかもしれないけれど、多様な体験に対してオープンである、と。医療の民主化と専門性のバランスって、本当に難しい問題です。
未来の診断はどうあるべきか
富良野: 論文の最後で提案されているのが、ADHDをいくつかの別の診断に分割するという考え方です。うつ病がそうであったように。
Phrona: それは面白いアイデアですね。重症度、経過、性別特異性、変動性、主要な特徴...いろんな軸で分類し直すということでしょうか。
富良野: そうです。例えば、主に心理的要因に影響する軽度のもの、思春期や更年期に関連する女性特有のもの、環境要因で変動するもの、感情調節の問題が中心のもの、などに分けて考える。
Phrona: それができれば、今グレーゾーンにいる人たちも、より適切な支援を受けられるようになりそうですね。でも研究にはかなり時間がかかりそうです。
富良野: その間も、困っている人たちは待っているわけにはいかない。ジェイクのように明確な障害がある人も、レベッカのような軽度の困りごとを抱える人も、どちらも支援が必要なのは確かです。
Phrona: 結局のところ、診断名よりも、その人がどんな支援を必要としているかが大切なのかもしれませんね。完璧な診断体系ができるまで待つのではなく、今ある枠組みの中で最善を尽くす、と。
富良野: そうですね。過剰診断への懸念も理解できますが、見過ごしによる損失も大きい。バランスを取りながら、より包括的で柔軟な理解を深めていくことが大切なのでしょう。
Phrona: この変化の時代に立ち会っているという実感がありますね。ADHDという概念そのものが進化している。その過程で、多くの人が自分自身をより深く理解できるようになれば、それは価値のあることだと思います。
ポイント整理
2020年以降のADHD診断急増の背景
パンデミックによる症状の悪化、SNSでの体験共有、オンライン診断サービスの普及、女性の診断増加が複合的に影響
診断基準の変化
2013年のDSM-5改訂で基準が緩和されたが、2020年代の急増の直接的原因ではない。しかし下地を作った可能性
グレーゾーンの存在
明確な日常生活の支障はないが、何らかの困りごとを抱える「ADHD-Light」の人たちが診断を求めている
ニューロダイバーシティ運動の影響
障害ではなく脳の多様性として捉える視点。マスキングや補償行動を考慮した診断の必要性を提起
女性特有の課題
従来の男性中心の診断基準では見落とされがち。ホルモン変化の影響、マスキング行動、症状の現れ方の違い
ADHDの変動性
同一個人でも生涯を通じて症状が変動することが判明。環境要因が遺伝的リスクの発現に影響
診断の質の問題
オンラインサービスの中には不適切なものも。一方で、アクセシビリティは向上
未来への提案
ADHDを複数の関連する診断に分割することで、より適切な理解と支援を実現する可能性
キーワード解説
【trait ADHD(特性ADHD)】
ADHDの症状が連続体として存在するという考え方。誰もがこの連続体のどこかに位置する
【マスキング】
ADHD症状を隠して社会規範に合わせようとする行動。特に女性に多く見られる
【補償行動】
ADHD症状の影響を軽減するために身につけた対処戦略
【鑑別診断】
ADHDと似た症状を示す他の疾患や状態を除外する診断プロセス
【ADHDミミック】
ADHD様の症状を示すが、実際は他の原因による状態
【ニューロダイバーシティ】
脳の多様性を自然な人間の変異として捉え、病理化しない考え方
【サブクリニカル】
診断基準は満たさないが、症状がある状態
【DSM-5】
アメリカ精神医学会が発行する精神疾患の診断・統計マニュアル第5版