女性たちが紡いだ「食べる技術」の物語──人類進化の功労者たち
- Seo Seungchul

- 9月22日
- 読了時間: 8分
更新日:10月9日

シリーズ: 知新察来
◆今回のレポート:Karen L. Kramer "How Women Shaped Human Evolution Through Food Processing" (SAPIENS, 2025年7月23日)
概要: ベネズエラの狩猟採集民プメ族での30年間の調査をもとに、女性と子どもが担う食物加工が人類進化に与えた決定的な影響について考察した記事
狩猟採集民の生活を想像するとき、多くの人は槍を持った男性たちが獲物を追う姿を思い浮かべるのではないでしょうか。確かに狩猟は人類史において重要な営みでした。しかし、実は私たちの進化を決定的に左右したのは、もっと日常的で地味な作業だったのです。それは、食べ物を「加工する」技術でした。
南米ベネズエラの湿地で、女性たちと子どもたちが毎日行っている根茎の皮むき、水さらし、焙煎。この一見些細な作業こそが、人類を他の霊長類から分かつ重要な転換点だったのです。人類学者が30年間にわたる現地調査で明らかにしたのは、女性たちの「食べる技術」が私たちの体から社会まで、すべてを変えてしまったという驚くべき事実でした。
今回は、富良野とPhronaの対話を通じて、この見過ごされがちな「食物加工革命」の真の姿を探ってみましょう。そこには、人類がどのようにして地球上のあらゆる環境に適応し、繁栄できるようになったのかという謎を解く鍵が隠されています。
見過ごされてきた「食べる技術」の威力
富良野: この記事を読むと、人類史の見方がガラッと変わってしまいますね。狩猟が人類進化の主役だと思い込んでいたけれど、実際は食物加工の方がはるかに重要だったっていう。
Phrona: そうなんです。私も最初は「え、キャッサバの皮むきが人類進化の鍵?」って思ったんですけど、よく考えると確かにそうですよね。毒のあるキャッサバを食べられるようにする技術がなかったら、南米やアフリカの多くの地域で人は生きていけなかった。
富良野: しかも、この食物加工って、ほぼ毎日必要な作業でしょう。狩猟は成功すれば大きな収穫があるけれど、頻度は週に1回程度。でも植物性食品の加工は、雨季には全カロリーの85パーセントを支えている。
Phrona: そこが面白いところで、私たちって「劇的な瞬間」の方に注目しがちじゃないですか。大きな獲物を仕留める瞬間とか。でも実際に生存を支えていたのは、地味で継続的な作業だった。なんだか現代社会でも同じようなことがありそう。
富良野: 確かにね。イノベーションとか破壊的技術とかに注目が集まるけれど、実際に社会を支えているのは日々の地味な改善だったりする。食物加工も、一つ一つは小さな技術だけれど、それが積み重なって人類の体まで変えてしまった。
Phrona: 歯が小さくなって、顎が華奢になって、脳が大きくなったっていう話ですよね。食べ物を外部で処理するようになったから、噛む筋肉が発達した頭蓋骨が必要なくなった。その分、脳の容量が増えたと。
富良野: 技術が体の進化を促したっていうのは、本当にすごい話だと思う。普通は体の構造があって、それに適した技術が生まれるって考えがちだけれど、この場合は逆なんだよね。
協力が生み出した生存戦略
Phrona: でも、この食物加工って一人ではできない作業ですよね。記事を読むと、女性たちと子どもたちがチームになって、役割分担しながら進めている。5歳以下の女の子でも小さなかごを持って参加してる。
富良野: そう、そこが重要なポイントだと思うんです。単純に技術があればいいっていう話じゃなくて、協力システムが必要だった。一人では採集も加工も道具作りも水汲みも薪集めも子育ても、全部はできない。
Phrona: 時間の配分を見ると、女性たちは1日3時間を食物加工に充てて、2時間を道具作りに使っている。かなりの時間ですよね。しかも、これが毎日続く。
富良野: しかも季節によって作業内容が変わる。乾季と雨季で食べ物も変わるし、必要な技術も違う。グレートプレーンズのペミカン作りの話も興味深くて、ベリーの収穫期に合わせて大人数の女性が集まって、一気に保存食を作る。
Phrona: ペミカンって、脂肪と肉とベリーを組み合わせた栄養バーみたいなものなんですよね。ベリーが天然の保存料になるっていうのも面白い。昔の人の方が、食べ物の特性をよく理解していたのかも。
富良野: そして、そのベリー摘みのタイミングに合わせて、部族全体が集まる。狩猟のためじゃなくて、女性たちの協同作業のために。これまでの人類史の見方だと、男性の活動が集団の行動を決めるって思われがちだったけど、実際は違ったかもしれない。
Phrona: 協力って言葉で済ませがちだけど、具体的には知識の共有、技術の伝承、タイミングの調整、労働力の配分、資源の分配、、、すごく複雑なシステムですよね。しかもそれが世代を超えて受け継がれていく。
見えない技術、見えない貢献
富良野: この話で考えさせられるのは、考古学的な証拠の解釈についてなんです。炉の周りで見つかる石器や道具の残骸を、これまでは男性の活動の証拠だと思い込んでいた。
Phrona: でも実際に現代の狩猟採集民を観察すると、炉の周りの活動の84パーセントは女性による食物加工だった。つまり、遺跡で発見される道具の多くは、実は女性が使っていたものかもしれない。
富良野: これは歴史学でもよくある問題だよね。残された記録や物的証拠を、当時の常識や現代の先入観で解釈してしまう。でも実際は、記録に残りにくい活動の方が重要だったりする。
Phrona: 食物加工って、毎日必要だけど、劇的じゃないんですよね。根っこを掘って、皮をむいて、水にさらして、焙煎して。一つ一つは小さな作業の積み重ね。でもそれがなければ、人間は生きていけない。
富良野: しかも、その知識は複雑で専門的なんです。どの植物が食べられるか、どう処理すれば毒が抜けるか、いつが収穫時期か、どう保存すれば長持ちするか。生死に関わる知識を、女性たちが次世代に伝えていた。
Phrona: チンパンジーは日中の約半分を咀嚼に使っているけど、人間は5パーセントだけ。35分程度。食物加工のおかげで、残りの時間を他のことに使えるようになった。その時間で何をしていたんでしょうね。
富良野: 道具作り、知識の伝承、社会的な関係の構築、、、考えてみれば、人間らしい活動のほとんどは、この「食べることから解放された時間」で行われているのかもしれない。
Phrona: そう考えると、食物加工は単に栄養を確保する技術じゃなくて、文化や社会そのものを生み出す基盤だったんですね。見えないところで、すべてを支えていた。
ポイント整理
食物加工の普遍性
果物や葉物野菜を除き、世界中の伝統的食事の大部分は何らかの加工を必要とする。これにより人類は多様な環境で生存可能となった
毒性食品の無毒化技術
キャッサバ、ジャガイモ、豆類、ナッツ類など、多くの主食は未加工では毒性や苦味があり、特殊な処理技術なしには食用できない
人体の進化的変化
300万年間の食物加工により、人類は大きく厚い歯から小さく薄いエナメル質の歯へ、頑丈な頭蓋骨から華奢な顔と顎へと変化し、脳の拡大が可能となった
消化システムの効率化
外部での食物処理により大きな消化管が不要となり、代謝コストが削減された。咀嚼時間もチンパンジーの50パーセントから人間の5パーセントへ激減
女性と子どもの中心的役割
狩猟採集社会では女性が1日約3時間を食物加工に費やし、雨季には全カロリーの85パーセントを植物性食品で供給。子どもも幼少期から加工技術を習得
協力システムの必要性
採集、加工、道具製作、水汲み、薪集め、育児などを一人で行うのは不可能で、年齢・性別・能力による分業と協力が不可欠だった
保存技術の発達
非生育期の生存のため、乾燥、塩蔵、燻製などの保存技術が発達。グレートプレーンズのペミカンなど、高度に加工された保存食が開発された
考古学的証拠の再解釈
30-40万年前の炉跡周辺の石器は男性の活動と解釈されてきたが、現代の観察では炉周辺活動の84パーセントは女性による食物加工である
集団行動の決定要因
従来は狩猟を中心とした男性の活動が集団の移動や集合を決めると考えられていたが、実際にはベリー摘みなど女性の集団作業が重要な要因だった
時間資源の再配分
食物加工により咀嚼時間が劇的に短縮され、その時間が道具製作、知識伝承、社会関係構築などの「人間らしい」活動に充てられるようになった
キーワード解説
【食物加工(Food Processing)】
生の食材を食べやすく、安全で栄養価の高い状態にする技術群
【狩猟採集民(Hunter-Gatherers)】
農業を行わず、野生動植物の採集と狩猟で生活する人々
【プメ族(Pumé)】
南米ベネズエラの狩猟採集民。雨季と乾季で全く異なる食生活を営む
【キャッサバ/マニオク(Cassava/Manioc)】
シアン化合物を含む熱帯の根菜。適切な処理なしには毒性がある
【ペミカン(Pemmican)】
北米先住民の保存食。脂肪、干し肉、乾燥ベリーを混合した高カロリー食品
【炉跡(Hearth)】
調理や暖房のための火を焚いた場所。30-40万年前から発見される人類活動の重要な痕跡
【分業(Division of Labor)】
性別、年齢、技能に基づく役割分担システム
【協同作業(Cooperative Work)】
個人では不可能な作業を集団で分担して行うシステム
【代謝コスト(Metabolic Cost)】
生命維持に必要なエネルギー消費量
【咀嚼時間(Chewing Time)】
食物を噛み砕く時間。人類進化で劇的に短縮された