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宇宙の果てと脳の奥が、同じ数学でつながっていた?

シリーズ: 知新察来


◆今回のピックアップ記事:Noah Lloyd, "How string theory helped solve a mystery of the brain’s architecture" (Northeastern Global News, 2026年1月7日)

  • 概要:ノースイースタン大学のネットワーク科学研究チームが、脳のニューロン接続や血管ネットワークなどの「物理的ネットワーク」の構造を分析。従来の「配線長最小化」仮説では説明できなかった分岐パターンが、弦理論で使われる「表面積最小化」の数学で正確に予測できることを発見した。



私たちの脳には、約860億個のニューロン(神経細胞)があります。それらは互いに複雑に接続し合い、思考や記憶、感情を生み出しています。では、この途方もなく複雑なネットワークは、どんな「設計思想」で組み立てられているのでしょうか。


科学者たちは長い間、脳のニューロンは「最短経路」で接続されているはずだと考えてきました。生物にとって、神経線維を作るのはコストがかかる。だから無駄な配線は避けて、できるだけ短く効率的につなぐはずだ、と。この仮説は直感的で、説得力があるように思えました。


ところが、最新の脳画像技術で詳しく観察してみると、ニューロンの実際の形は、この「最短経路仮説」の予測とはずいぶん違っていたのです。枝分かれの角度も、接続点の数も、理論が予測するものとは合わない。何かが足りないのではないか。


ノースイースタン大学のネットワーク科学研究所のチームは、この謎に挑みました。そして驚くべきことに、宇宙の根源を探る「弦理論」で使われている数学が、脳の設計原理を説明できることを発見したのです。2026年1月、この研究はNature誌の表紙を飾りました。


富良野とPhronaが、この不思議な発見について語り合います。脳と宇宙をつなぐ数学とは何なのか、そして「最適化」とは本当は何を意味するのか。二人の対話から見えてくるのは、私たちの身体に刻まれた、思いがけない設計思想です。




「効率」は線で測れるのか


富良野:今回の論文、最初にタイトルを見たときは正直、眉唾ものかなと思っちゃいましたね。弦理論と脳の接続の話が、つながるなんて。


Phrona:私もです。でも読んでみると、むしろすごくシンプルな問いから始まっているんですよね。ニューロンは最短距離でつながっているのか、という。


富良野:そう。1940年代から科学者たちは、脳の配線は「最短経路」を選んでいるはずだと考えてきた。シュタイナー問題という古典的な数学問題があって、複数の点を最も短い総延長でつなぐにはどうすればいいか、という話なんですが。


Phrona:ケーブルを敷くなら、短いほうがコストは安いですもんね。


富良野:まさにその発想です。生物にとって神経線維を作るのはエネルギー的に高くつく。だから無駄な配線は避けて、最短でつなぐ。これ、すごく合理的に聞こえる。


Phrona:でも実際に観察してみたら、違っていた。


富良野:ええ。シュタイナー問題の解では、すべての分岐点は3本の枝が120度ずつの角度で交わる形になる。ところがヒトのニューロンを見ると、4本に分岐する点もかなり多いし、角度もバラバラなんです。


Phrona:その「ずれ」が、今回の研究の出発点なんですね。



線ではなく、面で考える


富良野:研究チームが気づいたのは、ニューロンを「一次元の線」として扱うこと自体に限界があるということでした。


Phrona:どういうことですか?


富良野:実際のニューロンは細いとはいえ、太さがある。つまり三次元の物体なんです。で、三次元の物体には「表面」がある。


Phrona:ああ、なるほど。線の長さを最小化するのではなくて、表面積を最小化する、という発想ですね。


富良野:そうです。チューブ状の構造物を考えたとき、長さだけでなく、その表面全体を覆う「膜」のコストも考慮すべきだと。


Phrona:でも、それって計算がものすごく複雑になりそう。


富良野:まさにそこが問題で。複数のチューブが滑らかにつながる条件を満たしながら、全体の表面積を最小にする形を求めるのは、普通にやると計算不可能なんです。


Phrona:それが、弦理論とつながってくるわけですか。



宇宙論の道具が、脳を解く


富良野:弦理論というのは、素粒子を「点」ではなく振動する「ひも」として捉える理論です。ひもが時空を移動すると、その軌跡は二次元の「面」を描く。これをワールドシート、世界面と呼びます。


Phrona:素粒子の話なのに、面が出てくるんですね。


富良野:そう。で、弦理論ではこの世界面の面積を最小化する数学的手法がすでに開発されていた。ファインマン図というものを高次元に拡張した技術で、複雑な面の形を扱えるんです。


Phrona:つまり、宇宙の根源を探るための道具が、脳のネットワークにも使えた。


富良野:研究チームの中にいたポスドクのXiangyi Mengさんが、この類似性に気づいたらしいです。弦理論のひもも、ニューロンも、三次元で分岐する面として表現できる。そして両者とも、表面積を最小化したい。


Phrona:発見って、こういう異分野の接続から生まれるんですね。


富良野:バラバーシ教授も言っていましたが、弦理論と脳が「似ている」わけではない。使える数学が同じだ、ということなんです。



予測が現実と合致する


Phrona:じゃあ、この表面積最小化の枠組みで、実際のニューロンの形は説明できたんですか?


富良野:かなり正確に説明できています。まず、4本に分岐する点の存在。シュタイナー問題では3本分岐しか許されないんですが、表面積最小化では、線維が太くなると4本分岐が安定解として現れることが予測される。


Phrona:実際のニューロンでも、15%くらいが4本分岐だったんですよね。


富良野:そうです。それから、直角に枝が生えるパターン。これもシュタイナー問題では説明できないんですが、表面積最小化では、太い幹から細い枝が出るとき、90度で生える方が効率的だと予測される。


Phrona:垂直に出る芽のような感じですか。


富良野:研究チームはこれをスプラウト、芽と呼んでいます。で、ヒトのニューロンを調べると、こういった垂直の分岐の98%がシナプス、つまり他のニューロンとの接続点で終わっている。


Phrona:つまり、この「芽」はシナプスを作るために進化した形態なのかもしれない。


富良野:最小のコストで隣のニューロンに接続するための、合理的な設計というわけです。



普遍性という驚き


Phrona:今回の研究、ニューロンだけじゃなくて、いろいろなネットワークを調べてますよね。


富良野:ええ。血管、サンゴ、熱帯雨林の樹木、シロイヌナズナという植物、ショウジョウバエのニューロン。全部で6種類の物理的ネットワークを分析しています。


Phrona:それで、全部に同じ法則が当てはまった。

富良野:驚くべきことに。分岐の角度分布とか、4本分岐の出現率とか、垂直な芽の存在とか、どれも表面積最小化の予測と合致していました。


Phrona:植物も動物も、海の生き物も、みんな同じ数学に従っている。


富良野:これ、たぶん局所的な最適化が積み重なって、大きな構造を作っているということだと思うんです。個々の分岐点では表面積を最小にするという単純なルールが、繰り返し適用されて、複雑なネットワーク全体が生まれる。


Phrona:発生とか成長のプロセスで、局所的なルールが全体を形作る。なんだか、フラクタルみたいな話ですね。



最適化の意味を問い直す


Phrona:ちょっと考えてしまうのは、この話、生物の「設計」をどう理解するか、という問題にもつながりますよね。


富良野:どういうことですか?


Phrona:よく、進化は「最適化」を目指すって言われるじゃないですか。でも何を最適化するかで、答えが全然変わってくる。


富良野:ああ、それはまさに今回の研究が示していることですね。線の長さを最小にするのか、表面積を最小にするのかで、予測される形が違う。


Phrona:しかも実際には、生物はグローバルな最適を目指しているわけじゃない。論文にも書いてありましたけど、実際のニューロンの総延長は、シュタイナー問題の解より平均で25%も長いんですよね。

富良野:つまり、全体としては「無駄」がある。でも局所的には効率的。


Phrona:その局所的な効率性が、機能を生んでいる。垂直な芽がシナプス形成に使われているように。


富良野:最適化って、一つの尺度で全体を評価できるものじゃないのかもしれませんね。複数の制約と目的が絡み合っていて、その中で「まあまあいい」解を見つけているというか。



脳と宇宙の奇妙なつながり


Phrona:それにしても、素粒子物理学の道具が生物学に使えるって、不思議な感じがします。


富良野:確かに。ただ、数学というのはもともと抽象的な構造を扱うものだから、異なる現象に同じ構造が見つかるのは、ある意味自然なことかもしれない。


Phrona:でも、それを「発見」できるかどうかは別問題ですよね。今回みたいに、誰かがその接続に気づかないと。


富良野:Mengさんの貢献は大きかったでしょうね。弦理論を知っていて、かつネットワーク科学の問題にも取り組んでいた。その両方がないと、このブレークスルーは生まれなかった。


Phrona:学際的研究って言葉、ちょっと手垢がついてますけど、こういう発見を見ると、その価値を実感しますね。


富良野:バラバーシさんは、これはまだ基礎研究の段階で、応用は何年も先だと言っています。でも、脳の発達過程を理解したり、人工的な血管ネットワークを設計したりするときに、この知見は使えるかもしれない。


Phrona:生物がすでに「知っていた」設計原理を、私たちがやっと数学で記述できるようになった、ということでしょうか。


富良野:そういう言い方もできますね。生物は何億年もかけて、表面積最小化という原理を「発見」していた。私たちは弦理論という回り道を経て、同じ原理にたどり着いた。


Phrona:ただ、全部がこの枠組みで説明できるわけでもないんですよね。


富良野:ええ。たとえばループ構造。今回分析されたネットワークはすべて木構造、つまり枝分かれしていくタイプで、輪っかがない。でも送電網とか交通網には、ループがたくさんある。


Phrona:そういうネットワークには、別の原理が働いているかもしれない。

富良野:あと、リンクの太さや曲がり具合が変化するパターンとか、まだ説明されていないことも多い。論文でも、今後の課題として挙げられています。


Phrona:完璧な理論というより、新しい視点を提供した、という段階なんですね。


富良野:でも、その視点の転換は大きいと思います。線ではなく面で考える。局所的な最適化が全体を形作る。この発想は、他の問題にも適用できるかもしれない。


Phrona:私たちの身体の中に、宇宙論と同じ数学が刻まれていた。なんだか、壮大な話ですね。


富良野:スケールは全然違うのに、同じ構造が見える。それは偶然なのか、何か深い理由があるのか。まだ分からないことの方が多いですけど、だからこそ面白いのかもしれません。



 

ポイント整理


  • 科学者たちは1940年代から、脳のニューロンは配線コストを最小化するために「最短経路」で接続されているはずだと考えてきた。これはシュタイナー問題として数学的に定式化され、すべての分岐点が3本の枝を持ち、120度ずつの角度で交わると予測された

  • しかし最新の高解像度脳画像データを分析すると、実際のニューロンはこの予測から系統的にずれていた。4本に分岐する点が約15%存在し、分岐角度も予測とは大きく異なっていた

  • ノースイースタン大学の研究チームは、ニューロンを一次元の「線」ではなく三次元の「チューブ状構造」として捉え、その「表面積」を最小化するという新しい枠組みを提案した

  • この表面積最小化問題は、弦理論で使われるファインマン図の高次元版と数学的に同等であることが発見された。弦理論のワールドシートの表面積最小化と同じ手法が適用できる

  • 表面積最小化モデルは、線維が太くなると4本分岐が安定解として現れること、細い枝が太い幹から垂直に生えること(スプラウト)を予測し、これらは実際のニューロンで観察されたパターンと一致した

  • ヒトのニューロンにおける垂直分岐の98%がシナプス(他のニューロンとの接続点)で終わっており、この構造がシナプス形成に機能的役割を持つことが示唆された

  • 同じ法則が、血管、サンゴ、熱帯樹木、シロイヌナズナ、ショウジョウバエのニューロンなど、6種類の異なる物理的ネットワークすべてに当てはまることが確認された

  • ただし、実際のニューロンの総延長はシュタイナー問題の解より平均25%長く、グローバルな最適化ではなく局所的な最適化が積み重なって全体構造が形成されていることを示唆している



キーワード解説


シュタイナー問題(Steiner problem)】

複数の点を最短の総延長でつなぐ方法を求める古典的な数学問題。中間点(シュタイナー点)を追加することで、直接接続より短くできる


表面積最小化(Surface minimization)】

三次元構造の表面積を最小にする形を求める最適化問題。今回の研究でニューロンの分岐パターンを説明する原理として提案された


弦理論(String theory)】

素粒子を点ではなく振動する一次元の「ひも」として捉える理論物理学の枠組み。量子力学と重力を統一する試み


ワールドシート(Worldsheet)】

弦理論において、ひもが時空を移動するときに描く二次元の軌跡面


ファインマン図(Feynman diagram)】

素粒子の相互作用を視覚的に表現する図。弦理論ではこれを二次元の滑らかな面に拡張する


分岐点(Bifurcation/Trifurcation)】

ネットワークにおいて枝が分かれる点。Bifurcationは2本に分岐(3本の枝が交わる)、Trifurcationは3本に分岐(4本の枝が交わる)


スプラウト(Sprout)】

太い幹から垂直に生える細い枝。表面積最小化の予測で安定解として現れる


コネクトーム(Connectome)】

脳内のニューロン接続の完全な地図。近年の画像技術の進歩により高解像度での取得が可能になった


物理的ネットワーク(Physical network)】

ノードとリンクが実際の物質でできているネットワーク。脳、血管、植物の枝など。抽象的なネットワーク(ソーシャルネットワークなど)と区別される



本稿は近日中にnoteにも掲載予定です。
ご関心を持っていただけましたら、note上でご感想などお聞かせいただけると幸いです。
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