富の違いと税制の重み──ある富裕層の告白が照らす現代社会
- Seo Seungchul

- 9月1日
- 読了時間: 8分

シリーズ: 知新察来
◆今回のピックアップ記事:Abigail Disney "The Rich Should Be Paying More—and Yes, That Means Me" (The New Republic, 2025年6月23日)
ウォルト・ディズニーの姪であり、自らも富裕層であることを公然と語るアビゲイル・ディズニーという人物が書いた記事が話題になっています。彼女は「富裕層はもっと税金を払うべきだーそう、私のことです」というタイトルで、自分自身の経験を通じて現代アメリカの格差問題と税制について率直に語りました。
この記事は単なる富裕層批判でも税制論でもありません。お金が人間をどう変えるのか、権力と富がどう絡み合うのか、そして民主主義社会における公正とは何かという根本的な問いを投げかけています。富裕層当事者による内部告発とも言える証言から見えてくるのは、私たちが向き合うべき構造的な問題の姿です。ここには技術や制度を論じるだけでは見えてこない、人間性や社会のありかたをめぐる深い洞察があります。
お金が人を変える瞬間
富良野:この記事で一番印象的だったのは、彼女が「富裕層は違う、お金が私たちを変えるから」って言い切ってるところなんですよ。普通は自分の階級を批判するときって、どこか他人事みたいになりがちじゃないですか。
Phrona:そうですね。でも彼女の語り方は違う。「私たちは皆歪んでいる」って、すごくパーソナルな告白として書いてる。この当事者性が記事に重みを与えてますよね。
富良野:特に911に電話するときに「私みたいな人間が電話する特別な番号はないの?」って思った知人の話。これ、もう笑えないレベルの特権意識ですよね。
Phrona:医療緊急事態でもまだ「自分は特別」って思っちゃう。でもこれって、富裕層の心理状態を考える上ですごく重要な例だと思うんです。お金って、現実認識そのものを変えてしまうのかもしれない。
富良野:記事では「エンタイトルメント」、つまり権利意識の肥大化について詳しく書かれてますね。プライベートジェット、プライベートラウンジ、プライベートクラブ…これらは格差を見なくて済むための隔離装置だって。
Phrona:面白いのは、彼女が「列に並ぶ能力が衰えている」って自分のことを分析してるところ。これって筋肉と同じで、使わないと退化するんですね、共感力や社会性って。
富良野:でも一方で、彼女は歩道で寝ている人を見るたびに「精神的、道徳的な不協和音」を感じるって言ってる。完全に麻痺してるわけじゃないんですよね。
Phrona:そこが興味深い。意図的な無知、willful ignoranceって表現を使ってる。見ないようにしないと精神が持たないけど、見ないことを選んでいる自分も自覚してる。
富良野:これって現代社会の多くの人が抱えてる問題でもあるような気がします。程度の差はあれ、格差を前にしたときの対処法として。
50年にわたる構造的変化の軌跡
Phrona:記事の中で、1964年のバリー・ゴールドウォーターの敗北から始まって、1971年のパウエル・メモ、そして1980年のレーガン当選まで、長期的な政治戦略があったって分析してるのが印象的でした。
富良野:ああ、あれは重要ですね。単発的な政策変更じゃなくて、教育改革、司法制度の掌握、そして何よりも「公的説得キャンペーン」として進められた。特にミルトン・フリードマンがテレビで「世界は個人が別々の利益を追求することで回っている」って言ったのが転換点だと。
Phrona:1979年のフィル・ドナヒュー・ショーでの発言ですよね。でもこれって、当時のアメリカ人にとっては本当に「異端」的な考え方だったんでしょうか?
富良野:記事を読む限り、著者はそう捉えてますね。それまでアメリカが信じてきた価値観とは「正反対」だったって。実際、戦後から1960年代までのアメリカは、相対的な富の平等を実現してた時期だったし。
Phrona:でも考えてみると、フリードマンの言葉って、今の私たちには当たり前すぎて、なぜそれが問題なのかピンと来ない部分もある。個人の利益追求がいけないことなの?って。
富良野:それがまさに50年間の「成功」なんでしょうね。価値観の転換が完了してしまった。記事では「トリクルダウン」の嘘についても詳しく書かれてる。2017年の税制改革では、下位90%の労働者の収入は変わらず、企業は増えたキャッシュフローの80%を株主還元に使った。
Phrona:CEO報酬の変化も衝撃的。1980年は平均労働者の42倍だったのが、今は538倍。これって、もう数字の問題を超えてる気がします。
富良野:そう、これは単なる経済データじゃない。社会の基本的な価値観の変化を表してる。何が「正当」とされるかの基準が根本から変わってしまった。
税制と道徳性の交差点
Phrona:彼女が税制を「社会的優先順位の共同表現」って表現してるのが印象的でした。単なるルールじゃなくて、道徳的原則の声明だと。
富良野:そうですね。しかも現在の税制を読めば「資本は人より大切で、企業と富裕層は何があっても保護されなければならない」っていう結論にしか到達しないって言ってる。辛辣だけど、的を射てるかもしれない。
Phrona:でも興味深いのは、彼女の祖父の時代の話。1940年代から60年代、最高税率が91%だった時代でも、ディズニー・カンパニーは成長し、富も蓄積された。高い税率がイノベーションを阻害するって論理が必ずしも正しくないことを示してる。
富良野:遺産税も77%だったってありますね。それでも3世代にわたって富を残せた。これは現在の「税金は成長を阻害する」という議論への強力な反証例ですよね。
Phrona:彼女が慈善活動についても厳しく批判してるのも考えさせられます。「慈善では救えない」って断言してる。
富良野:税金は義務だけど、慈善は任意。社会の福祉を、他人とうまくやれない富裕層の気まぐれに委ねるべきじゃないって論理ですね。確かに、民主的統制もないし、説明責任もない。
Phrona:でも同時に、慈善を推進してる人たちが、その慈善を必要とする状況を作り出した張本人でもあるって指摘が鋭い。政府の社会保障を削って、その穴埋めを慈善でやろうとする。
富良野:これって構造的にはすごく巧妙ですよね。公的なセーフティネットを破壊しておいて、私的な善意に依存させる。しかもその善意の分配には、市民の関与も監視もない。
共同体への回帰
Phrona:記事の最後の方で、ゲンドリン・ブルックスの詩を引用してるのが印象的でした。「私たちはお互いの仕事であり、お互いの大きさと絆である」って。
富良野:その前に「あなたは特別じゃない」って富裕層に向けて言ってるのも興味深い。VIPパスに頼って生きてると、人生の最良の部分を見逃すって。
Phrona:彼女自身の経験として、特権的なものを全て手放した過程で、最も大切な人間関係や体験を得たって語ってるのが説得力ありますね。理論じゃなくて、実体験として。
富良野:科学的にも、孤立は人間を破綻させるし、利他主義は呼吸と同じくらい自然なものだって書いてある。フリードマンの個人主義的世界観への根本的な反駁ですよね。
Phrona:でもこれって、現代の私たちにとってもリアルな問題だと思うんです。SNSで繋がってるように見えて、実は深い孤立感を抱えてる人も多い。
富良野:そうですね。技術的には繋がってるけど、共同体的な絆は薄れてる。お金の問題だけじゃなくて、現代社会全体の課題かもしれない。
Phrona:彼女が提案してる「パトリオティック・ミリオネアーズ」の税制改革案も具体的でしたね。4万ドル以下の所得税免除とか、100万ドル以上への超過所得税とか。
富良野:「アンチ・オリガーク法」っていうネーミングも直球ですよね。世襲的寡頭制を防ぐための仕組み。でも彼女も認めてるように、これらは今は政治的に不可能に見える。
Phrona:ただ、50年前にパウエル・メモを書いた人も同じように感じてたかもしれない。時間をかけて価値観は変えられるということでもある。
富良野:課題は「何をするか」じゃなくて「どうやってするか」だって言ってましたね。方向性は見えてる、方法論の問題だと。
ポイント整理
富が人格に与える影響
著者自身の体験として、富はエンタイトルメント(権利意識)、共感力の欠如、現実認識の歪みを生み出す
50年間の構造的変化
1964年から始まった長期的な保守戦略により、アメリカの価値観と税制が根本的に変化
トリクルダウンの失敗
富裕層への減税は労働者の賃金向上に繋がらず、株主還元と経営陣報酬の増大のみをもたらした
税制の道徳的側面
税制は単なる制度ではなく、社会の価値観と道徳的優先順位を表現する仕組み
歴史的事実としての高税率
1940-60年代の最高税率91%の時代でも経済成長とイノベーションは実現された
慈善活動の限界
私的慈善は税制による公的再分配の代替にはならず、民主的統制も説明責任もない
孤立の危険性
科学的にも、人間は共同体なしには生きられず、利他主義は本能的なもの
具体的改革案
生活費水準以下の免税、富裕層への課税強化、世襲財産への規制など
キーワード解説
【エンタイトルメント(権利意識)】
特権的地位にある人が持つ、特別扱いを当然視する心理状態
【パウエル・メモ(1971年)】
保守派の政治戦略を示したルイス・パウエルの覚書。司法・教育・メディアへの影響力拡大を提唱
【トリクルダウン理論】
富裕層への減税が最終的に全体の経済成長と労働者の利益につながるという経済理論
【最高限界税率】
所得の最も高い部分に課される税率。1940-60年代のアメリカでは91%に達した
【オリガーキー(寡頭制)】
少数の富裕層が政治的・経済的権力を独占する統治形態
【シチズンズ・ユナイテッド判決】
2010年の最高裁判決。企業の政治献金を表現の自由として認めた
【パトリオティック・ミリオネアーズ】
富裕層への増税を支持する富裕層グループ
【ウィルフル・イグノランス(意図的無知)】
不都合な現実を意図的に見ないようにする心理的防御機制