top of page

民主主義の要塞が罠に変わるとき──アメリカの制度設計が抱える逆説

ree

シリーズ: 知新察来


◆今回のピックアップ記事:Filipe Campante et al. "The Institutions Protecting US Democracy Have Turned Into Traps" (Bloomberg, 2025年7月3日


「アメリカは世界の民主主義のお手本だった」と答える人は72%。でも「今もお手本だ」と思う人は19%まで減ってしまった。これは2024年のピュー研究所の調査結果です。一体何が起きているのでしょうか。


実は、アメリカの政治制度そのものは何も変わっていません。変わったのは、その制度が置かれている「文脈」なのです。長年にわたる政治の分極化が、民主主義を守るはずだった制度的な強みを、むしろ弱点に変えてしまったのです。


ジョンズ・ホプキンス大学とボストン大学の研究者たちが描き出すのは、二大政党制や分権的選挙制度といった「民主主義の要塞」が、いかにして権力集中の「罠」に変わってしまったかという衝撃的な物語。富良野とPhronaの対話を通じて、この現代民主主義の逆説を紐解いていきます。




民主主義の「お手本」から「反面教師」へ


富良野:この数字、衝撃的ですよね。72%の人が「アメリカは昔は民主主義のお手本だった」と思ってるのに、「今もそうだ」って思ってる人は19%しかいない。


Phrona:ほんとに。でも考えてみると、制度そのものは変わってないって言うじゃないですか。憲法も議会も裁判所も、形としては同じものが残ってる。


富良野:そこが面白いところなんです。変わったのは制度が機能する「環境」なんですよね。政治の分極化が進んで、民主主義を守るはずだった仕組みが逆に権力集中の道具になってしまった。


Phrona:要塞が敵に乗っ取られたら、その守りの仕組みが逆に罠になるって比喩、なるほどって思いました。でも具体的にはどういうことなんでしょう?


富良野:一番分かりやすいのは二大政党制ですね。昔は極端な勢力を排除する防波堤だったのが、今はむしろ極端な勢力を権力の中枢に押し上げるエレベーターになってる。


Phrona:ああ、そういうことか。第三党が育ちにくいシステムだから、どちらかの既存政党を乗っ取っちゃえば、一気に権力の中核に行けるってことですね。


中位投票者定理の前提が崩れるとき


富良野:そうそう。政治学でいう「中位投票者定理」って考え方があるんです。有権者の多くが中道にいるから、政党は中央寄りの政策を取らないと選挙に勝てないという理論。


Phrona:理屈としては分かりますけど、実際はそうなってませんよね最近。


富良野:1957年にこの理論を作ったダウンズって経済学者の時代は、政党の違いが分からなすぎて困るってレベルだったらしいんです。アメリカ政治学会が「もっと政党の違いを明確にしろ」って報告書を出すくらい。


Phrona:今とは真逆の悩みですね(笑)。でも、なんでそんなに変わっちゃったんでしょう?


富良野:色んな要因があるでしょうけど、有権者の党派的ソーティングが進んだんです。共和党支持者は徹底的に共和党的な価値観を持ち、民主党支持者は徹底的に民主党的になった。


Phrona:昔はもっと、保守的な民主党員とかリベラルな共和党員とかいたってことですか?


富良野:まさにそうです。でも今は党の帽子さえかぶってれば、どんなにひどい候補者でも支持してしまう。「うちのひどい候補者」を選ぶようになった。


「空洞化した政党」の弱点


Phrona:でも、政党組織がしっかりしてれば、変な候補者は排除できるんじゃないですか?

富良野:それがね、今の政党は「空洞化した政党」って呼ばれてるんです。昔みたいに党の幹部が密室で候補者を決める力がない。


Phrona:ああ、民主的になったのが逆に..。


富良野:そうなんです。1968年には現職副大統領のハンフリーが予備選に一回も出ないで民主党の候補になったりしてた。今思えば、それはそれで問題だったけど、党組織の統制力は強かった。


Phrona:今は有権者による予備選で決まるから、極端な候補者でも勝ち上がれちゃうと。


富良野:トランプも共和党支持者の過半数を取らずに2016年の指名を勝ち取ったし、2025年の時点でもMAGA共和党員って全体の16%しかいないんです。でも共和党は完全に乗っ取られてしまった。


Phrona:少数派が多数派を支配してるって、なんか民主主義の根本的な矛盾を感じますね。


ブラジルとの対比で見える制度の違い


富良野:比較政治の視点で面白いのは、同じようなポピュリスト政治家でも、制度が違うと影響力が全然違うってことです。


Phrona:ボルソナーロの話ですか?


富良野:そうです。ブラジルでも1月6日みたいな暴動はあったけど、ボルソナーロ自身は公職追放されて、刑務所行きの可能性まである。


Phrona:アメリカとは大違いですね。なんでそんなに違うんでしょう?


富良野:ブラジルは「オープンリスト制」で、しかも23の政党が議席を取ってる。政治家はいつでも党を変えられるし、票も一緒に持っていける。だからボルソナーロには党の仲間を脅す力がなかった。


Phrona:アメリカだと共和党の「R」マークを取り上げられたら、もう選挙に勝てないもんね。


富良野:そうなんです。二大政党制だと、党のレーベルを押さえた人間が絶大な権力を持つことになる。これって制度設計の皮肉ですよね。


分権的選挙制度の両刃性


Phrona:選挙の仕組みについても同じようなことが言えるんですか?


富良野:アメリカは選挙を州や地方に任せてる分権的なシステムでしょう。これも昔は不正を防ぐ仕組みだと思われてた。


Phrona:中央集権的だと、一箇所を押さえれば全体を操れちゃうから、分散してる方が安全だと。


富良野:ところが今は逆なんです。大統領選は結局、数州の激戦州で決まる。バーモントは確実に民主党、アラバマは確実に共和党。


Phrona:だから、ジョージアとかペンシルベニアとか、少数の州の選挙担当者を取り込めば、全体を左右できちゃう?


富良野:2020年にトランプがジョージア州の選挙担当者に圧力をかけた事件、覚えてます?あのとき州務長官は踏ん張ったけど、もっと忠実な人だったら...。


Phrona:写真付きID要求とか、期日前投票の削減とか、もっと巧妙な操作もありますもんね。


富良野:そうです。分権化が守りから攻めの道具に変わってしまった。これも分極化がもたらした逆説の一つです。


最高裁判所という「最後の砦」の変質


Phrona:でも最高裁判所があるじゃないですか。憲法の守護者として。


富良野:それがまた複雑な話でして。アメリカの憲法は改正が難しいから、独裁者が勝手に変えられないって言われてきた。


Phrona:でも実際は最高裁の解釈で実質的に変わっちゃうと。


富良野:2024年の判決で、大統領は「公務」については刑事免責があるって決めましたけど、これって憲法に書いてないんですよ。


Phrona:憲法の条文は変わってないのに、解釈で実質的に新しいルールができちゃった。


富良野:裁判官も結局は人間だから、政治的な分極化から完全に自由じゃない。「法衣をまとった賢者」だって、時代の空気に影響されるんです。


Phrona:なんか、どこを見ても「昔は守りだったのに今は攻めの道具」っていうパターンですね。


民主主義を安定させるには


富良野:じゃあどうすればいいのかって話なんですけど、著者たちは制度を全部やめろとは言ってない。


Phrona:そりゃそうですよね。二大政党制も分権制も最高裁も、それ自体は民主主義の重要な要素だし。


富良野:問題は制度じゃなくて、その制度が置かれてる「激しく分極化した環境」なんです。だからそこを何とかしないと。


Phrona:でも分極化を元に戻すって、すごく難しそう...。メディアも、ソーシャルメディアも、もう分断を前提に動いてるし。


富良野:難しいですね。でも少なくとも、今起きてることの構造を理解することから始めないと。「制度さえしっかりしてれば大丈夫」っていう楽観論はもう通用しない。


Phrona:民主主義って、制度だけじゃなくて、それを支える人々の心構えとか文化とか、そういうものも大事だってことですかね。


富良野:まさにそういうことだと思います。制度は道具でしかない。それをどう使うかは、結局のところ僕たち次第なんでしょうね。



ポイント整理


  • 制度の逆説的変質

    • アメリカの民主主義制度は形としては変わっていないが、政治的分極化により保護機能から権力集中機能へと性質を変えた

  • 二大政党制の罠

    • 中位投票者定理に基づく穏健化効果が失われ、極端な勢力が主要政党を乗っ取ることで権力中枢に到達する手段となった

  • 党組織の空洞化

    • 民主化された予備選制度により党指導部の候補者統制力が弱まり、極端な候補者の台頭を許す結果となった

  • 分権的選挙制度のジレンマ

    • 不正防止のための分散システムが、激戦州の少数の選挙担当者による全体操作を可能にする脆弱性を生んだ

  • 司法の政治化

    • 憲法解釈を通じた実質的制度変更が可能な最高裁判所も、政治的分極化の影響から免れていない

  • 構造的解決の必要性

    • 個別制度の廃止ではなく、分極化した政治環境そのものの改善が求められている



キーワード解説


【中位投票者定理】

有権者の多数が中道に位置するため、政党は中央寄りの政策を採用しないと選挙に勝てないとする政治学理論


【党派的ソーティング】

有権者が党派ラインに沿って政治的態度を整理し、党内の多様性が失われる現象


【空洞化した政党】

候補者選定や政策決定における党組織の統制力が弱まった現代政党のあり方


【オープンリスト制】

有権者が政党だけでなく個別候補者も選択できる選挙制度(ブラジルなどで採用)


【激戦州】

大統領選挙で両党の支持が拮抗し、選挙結果を左右する可能性の高い州


【刑事免責】

大統領の公務行為に対する刑事責任の免除(2024年最高裁判決で確立)



本稿は近日中にnoteにも掲載予定です。
ご関心を持っていただけましたら、note上でご感想などお聞かせいただけると幸いです。
bottom of page