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水鉄砲が向かう先──ヨーロッパが観光客に「ノー」を突きつけた夏

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シリーズ: 知新察来


◆今回のピックアップ記事:Feargus O'Sullivan "Are Tourists Ruining Europe? How Locals Are Pushing Back" (Bloomberg, 2025年7月7日)

バルセロナの街角で水鉄砲を構える地元住民の姿が、世界中のメディアを駆け巡りました。マヨルカ島では数千人が「マス・ツーリズムを終わらせろ」と叫び、ジェノバの狭い路地には段ボール製の巨大クルーズ船が現れました。パリのルーヴル美術館では職員のストライキで観光客が締め出され、ヴェネツィアではジェフ・ベゾスの結婚式への抗議デモまで起きています。


2025年の夏は、ヨーロッパが観光業に反旗を翻した記念すべき季節として歴史に刻まれるかもしれません。パンデミック後の観光客数回復とともに、愛されすぎた観光地で「オーバーツーリズム」という深刻な問題が表面化しています。


この現象は単なる混雑の問題ではありません。地域住民の生活基盤を脅かし、環境を破壊し、文化的アイデンティティを揺るがす構造的な課題なのです。富良野とPhronaの対話を通じて、この複雑な現代の観光問題を読み解いていきましょう。




数字が語る現実の重さ


富良野: ギリシャのザキントス島の状況は驚きですね。常住人口の150倍もの観光客が押し寄せるって、もう島の形が変わってしまうレベルじゃないですか。


Phrona: 150倍って、想像つかないですよね。普段100人の村に1万5000人が毎日やってくるようなもの。道路も、水道も、ゴミ処理も、何もかもが想定を超えてしまう。そりゃあ住民の方々も悲鳴を上げますよ。


富良野: ヨーロッパ全体でも2024年に7億5600万人の観光客を受け入れてるそうです。前年より4600万人増。この勢いだと、人気の観光地はもう限界を超えてしまってる。


Phrona: でも不思議なのは、パリの数字。1平方キロメートルあたり40万人の観光客って、住民の20倍。これだけ聞くと確かにすごいんですけど、東京の新宿や渋谷だって相当な人口密度ですよね。何が違うんでしょう。


富良野: いいところに気づきましたね。おそらく、東京の場合は通勤や買い物で慣れ親しんだ混雑だけど、観光地の混雑は「異質な人たちによる異質な行動」が伴うからじゃないでしょうか。言語も違えば、文化的な振る舞いも違う。


Phrona: ああ、なるほど。そして多くの観光客は「非日常」を楽しみに来てるから、地元の人にとっての「日常」を壊してしまうことに無自覚なのかもしれませんね。


誰が悪いのか、何が悪いのか


富良野: 記事で面白かったのは、関係者がお互いに責任をなすりつけ合ってるところ。Airbnbはホテル業界が悪いと言い、ホテル大手のTuiはAirbnbが悪いと言う。もはや責任の押し付け合いになってしまってる。


Phrona: でも、その構図って現代社会の問題の縮図みたいですよね。プラットフォーム企業vs既存産業、グローバル化vs地域性、経済効率vs生活の質。単純に「悪者」を決められない複雑さがある。


富良野: デジタルノマドの話も興味深いですね。観光客だけじゃなくて、中期滞在者も住宅市場を圧迫してるという指摘。リモートワークの普及で、働く場所と住む場所の境界が曖昧になった結果かもしれません。


Phrona: そうなると、誰が「よそ者」で誰が「地元民」なのかも分からなくなってきますね。1ヶ月滞在のデジタルノマドと、3日滞在の観光客と、30年住んでる住民。それぞれの「その土地への関わり方」は全然違うはず。


富良野: 記事で指摘されてたバケットリスト文化とSNS映えの追求も見逃せない要因ですね。パリのクレミューズ通りとか、スイスのポンテ・デイ・サルティとか、特定のスポットに集中してしまう現象。


Phrona: みんなが同じ角度から同じ場所の写真を撮りたがる。でも、それって本当に「その場所を体験する」ことなんでしょうか。なんだか「体験の工業化」みたいに感じてしまいます。


観光の功罪を天秤にかける


富良野: ただ、記事も指摘してるように、観光業の経済効果は無視できません。ギリシャなんて直接収入だけで217億ユーロ、間接効果を含めると427億ユーロですから。GDPの相当部分を占めてるはず。


Phrona: でも私が気になるのは、その恩恵が本当に地域住民に還元されてるのかということ。大手チェーンやプラットフォーム企業が利益を持っていって、地元にはコストだけが残るという構造もありそう。


富良野: クルーズ船の例が典型的ですね。船内で食事もエンターテイメントも済ませて、港では大挙して観光地に押し寄せるだけ。地元にお金を落とす比率は意外と少ないかもしれない。


Phrona: それに、パンデミック中に多くの住民が「観光客のいない故郷」を再発見したという話も印象的でした。静寂な街角、空いた公共交通機関、手頃な物価…。一度体験してしまうと、元の状態に戻るのがつらく感じるのも当然ですよね。


富良野: 記事中の「I Amsterdam」の看板撤去の話も象徴的です。観光客が特別悪いことをしてたわけじゃない。ただ、あまりにも多くの人が集まりすぎて、広場が常に人で埋め尽くされてしまった。


Phrona: 善意の人たちが集まりすぎることで生まれる問題。これって現代社会の多くの課題に通じる構造な気がします。個人レベルでは誰も悪くないのに、集合的には問題が起きてしまう。


対策の試行錯誤


富良野: 各都市の対策を見てると、アプローチがバラバラで面白いですね。ロンドンやパリは年間90日の短期貸し制限、ニューヨークは30日未満の貸出禁止、バルセロナは2028年までに短期貸しを段階的廃止。


Phrona: でも記事によると、これらの規制は思ったほど効果が上がってないみたい。違法営業の取り締まりが難しかったり、短期貸しをやめた物件が高額な中期貸しになったりして。


富良野: ヴェネツィアの入場料制度も興味深い試みです。最も混雑する54日間に限定して、4日前までなら5ユーロ、それ以降は10ユーロ。でも、この程度の金額で本当に観光客数を抑制できるんでしょうか。


Phrona: アムステルダムの研究では、現在12.5%の宿泊税を3倍にしないと観光客の抑制効果がないという結果も出てるそうですね。つまり、現在の対策はまだまだ「やってる感」のレベルかもしれません。


富良野: バルセロナのパーク・グエルの例は皮肉ですよね。入場料と予約制で観光客数は半減したけど、地元住民も予約が必要になって気軽に行けなくなった。解決策が新たな問題を生んでしまう。


Phrona: それって、公園が「観光地化」されてしまった結果とも言えますね。本来は地域住民の憩いの場だったものが、管理しなければならない「観光商品」になってしまった。


根本的な問いかけ


富良野: 結局のところ、記事を読んでて感じるのは、現在の対策の多くが対症療法的だということ。根本的な問題は、グローバル化した観光業の構造そのものにあるのかもしれません。


Phrona: そうですね。観光という行為が、かつてのような「特別な体験」から「大量消費される商品」に変わってしまったのかも。その結果、場所も文化も、消費の対象として均質化されていく。


富良野: 代替観光地の推進も、結果的には問題を拡散させてるだけという指摘もありました。新しい「隠れた名所」が発見されても、すぐに次の混雑地になってしまう。


Phrona: でも、完全に悲観的になる必要もないと思うんです。地元住民の声が可視化されたこと自体、大きな変化じゃないでしょうか。問題が顕在化したからこそ、新しい解決策も生まれてくるはず。


富良野: 確かに。水鉄砲を向けられた観光客たちも、きっと何かを感じ取ったでしょうしね。一方的な関係じゃなくて、互いに影響し合う関係性が見えてきた。


Phrona: 最終的には、私たち一人ひとりが「なぜその場所に行きたいのか」「何を体験したいのか」を真剣に考えることから始まるのかもしれません。惰性や見栄ではなく、本当の好奇心に基づいた旅ができれば、きっと状況は変わっていくはず。




ポイント整理


  • オーバーツーリズムの深刻化

    • ギリシャ・ザキントス島では住民の150倍の観光客が訪問。パリでは1平方キロメートルあたり40万人の観光客と住民の20倍の密度

  • 住民による抗議の激化

    • バルセロナの水鉄砲抗議、マヨルカ島のマス・ツーリズム反対デモ、ヴェネツィアでのベゾス結婚式抗議など各地で住民の反発が表面化

  • 責任の所在が不明確

    • Airbnb vs ホテル業界、デジタルノマド vs 観光客など、関係者間で責任のなすりつけ合いが発生

  • SNS文化の影響

    • バケットリスト文化とインスタ映えスポットへの集中により、特定地点への過度な集約が加速

  • 経済効果との矛盾

    • ギリシャの観光収入427億ユーロなど巨大な経済効果がある一方、地域住民の生活は圧迫される構造的ジレンマ

  • 対策の限界

    • 短期貸し規制、入場料制度、観光税などの対策は実施されているが、効果は限定的で新たな問題も発生

  • パンデミックの意外な副作用

    • ロックダウン期間中に住民が「観光客のない故郷」を体験し、元の状態への復帰が困難に

  • 根本的構造の問題

    • 対症療法的対策では限界があり、観光業のグローバル構造そのものの見直しが必要



キーワード解説


【オーバーツーリズム】

観光地の収容能力を超える観光客により地域社会に負の影響が生じる現象


【バケットリスト文化】

死ぬまでに行きたい場所リストに基づき、有名観光地を効率的に巡る旅行スタイル


【短期貸し規制】

Airbnbなど民泊サービスの貸出日数を制限し、長期賃貸住宅の確保を図る政策


【観光税】

観光地への負荷軽減と財源確保を目的とした観光客向けの課税制度


【デジタルノマド】

リモートワークを活用し、様々な都市に中期滞在しながら働く新しいライフスタイル


【代替観光地推進】

人気観光地の混雑緩和のため、より静かな代替地への誘導を図る戦略


【入場料制度】

観光地への入場時に料金徴収し、訪問者数調整と保護資金確保を図る仕組み


【インスタ映えスポット】

SNS投稿に適した写真撮影地として人気が集中する特定地点



本稿は近日中にnoteにも掲載予定です。
ご関心を持っていただけましたら、note上でご感想などお聞かせいただけると幸いです。
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