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海底の観測網が捉えた「忍び寄る地震」の正体──日本の最新技術が明かすスロースリップ地震の秘密

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シリーズ: 知新察来


◆今回のレポート:Paul Voosen "Japan’s new seafloor monitors could reveal how ‘slow slip’ earthquakes turn into big ones" (Science, 2025年6月26日)

  • 概要: 日本が世界最先端の海底観測網を完成させ、スロースリップ地震の詳細な観測に成功した研究成果を報告。2024年の日向灘地震での実証や、巨大地震予測への応用可能性について詳述している。



2024年8月、日本の南東沖で発生したマグニチュード7.1の日向灘地震。16人が負傷し、建物にも被害が出たこの地震は、多くの人に「もっと大きな災害が来るのではないか」という不安を抱かせました。しかし、その時すでに稼働していた最新の海底観測システムは、海底プレートが3メートルもずれたにも関わらず、津波の高さはわずか数センチメートルであることを瞬時に検知し、正確な情報を伝えていたのです。


実は地震には、私たちが感じることのできない「静かな地震」があります。数週間から数か月かけて、まるでスローモーションのように断層がずれ動く「スロースリップ地震」と呼ばれる現象です。この見えない地震が、実は巨大地震の発生を左右している可能性が明らかになってきました。


東日本大震災から学んだ教訓を糧に、日本は120億円を投じて世界最先端の海底観測網を完成させました。そのシステムが捉えた地球の「ささやき」は、私たちの地震との向き合い方を根本から変えようとしています。地震予測の新たな扉が開かれつつある今、その可能性と課題について考えてみましょう。


 


日向灘地震が教えてくれた新時代の到来


富良野:2024年8月の日向灘地震、覚えていますか?マグニチュード7.1で16人が負傷したあの地震です。でも注目すべきは被害の規模じゃなくて、その時の観測システムの働きぶりなんですよね。


Phrona:ああ、海底のプレートが3メートルもずれたのに、津波がたった数センチメートルだったことを瞬時に検知したという話ですね。普通なら、そんな大きなずれがあったら大津波を覚悟しそうなものですけど。


富良野:まさにそこがポイントです。従来の陸上観測だけだったら、海底で何が起きているかの詳細は分からなかった。でも新しいN-netシステムが、リアルタイムで正確な情報を提供してくれた。


Phrona:N-netって、確か今年の6月に完成したばかりの海底観測網ですよね。120億円もかけて作った甲斐があったということでしょうか。


富良野:僕はそう思いますね。地震発生から22秒早い警報、津波なら20分も早い警報。この時間差が、新幹線の緊急停止や原発の安全確保にどれだけ重要か。


Phrona:時間って、本当に文脈によって価値が変わりますよね。普段の20分なんてあっという間なのに、津波警報の20分は何万人もの命を左右する。


75年間の沈黙が意味するもの


富良野:南海トラフが75年以上も静かだったというのも気になるところです。エネルギーがずっと蓄積され続けているということですから。


Phrona:バネがどんどん圧縮されていくような状況ですか。いつかは限界が来て、一気に解放される。考えただけで怖くなります。


富良野:でも、今回の研究で分かったのは、必ずしもそう単純な話ではないということなんです。スロースリップという現象が、そのエネルギーを少しずつ逃がしている可能性がある。


Phrona:スロースリップが安全弁のような役割を果たしているということですか?それとも逆に、大地震の引き金になってしまうこともある?


富良野:両方の可能性があるんです。2011年の東日本大震災の前には、スロースリップが大地震の引き金になったと考えられている。一方で、今回南海トラフで観測されたスロースリップは、危険なエネルギーを逃がしている可能性がある。


Phrona:同じ現象なのに、場所や条件によって正反対の意味を持つなんて。地球って、思っているよりもずっと複雑な存在なんですね。


海底1500メートルからの報告


富良野:2015年と2020年に南海トラフで観測されたスロースリップ、本当に興味深い現象でした。海底下1500メートルの観測装置が、岩の隙間にある水の圧力変化を感知したんです。


Phrona:まるで地球の血圧を測っているみたいですね。そんな微細な変化を捉えられるなんて、技術の進歩ってすごい。


富良野:しかも、そのスロースリップが40キロメートルも上向きに移動して、海溝近くまで達していた。研究者は「芋虫のように断層が開いていく」と表現していましたね。


Phrona:芋虫のように、というのは面白い比喩ですね。ゆっくりと、でも確実に進んでいく様子が目に浮かびます。でも、そうやってエネルギーが放出されるのは良いことなんでしょうか?


富良野:研究チームは、これが津波を引き起こすような危険な破裂を防ぐ役割を果たしている可能性があると考えています。つまり、小出しにエネルギーを逃がすことで、大災害を防いでいるかもしれない。


Phrona:でも確実ではないんですよね?地球の中で起きていることを完全に理解するのは、まだまだ先の話なのかしら。


世界に広がる技術格差


富良野:アメリカのカスケード沈み込み帯の話も印象的でした。シアトルやポートランドという大都市を抱えているのに、観測体制は日本とは比べものにならない。


Phrona:確か、海底ケーブルも1本しかないという状況でしたよね。なんだか不公平に感じてしまいます。地震のリスクに国境はないのに。


富良野:ただ、最近になってカスケードとアラスカに海底GPS設置が完了したり、オレゴン沖のケーブルネットワークに新しい機器を追加する計画が進んでいたり、少しずつ前進はしているようです。


Phrona:SZ4Dという計画も興味深いですね。チリの沈み込み帯を監視するという国際プロジェクト。1960年にマグニチュード9.5という史上最大の地震が起きた場所ですから。


富良野:研究者が言っていた「日本はキャデラック、世界には良いトヨタ・カローラが必要」という比喩が印象的でした。最高級でなくても、実用的で手の届く技術の普及が重要だと。


科学者たちの使命感


Phrona:この研究を読んでいて感じるのは、科学者たちの強い使命感です。純粋な学問的好奇心だけでなく、人々の安全を守りたいという思いが伝わってきます。


富良野:地震研究は、まさに科学と社会が直結する分野ですからね。研究成果が文字通り生死を分ける。責任も重いでしょうが、やりがいも計り知れないと思います。


Phrona:でも同時に、不確実性との向き合い方も難しそうです。スロースリップが観測されたからといって、必ず巨大地震が起きるわけではない。確率的な予測をどう社会に伝えるか。


富良野:「物理的に考えて、地面がゆっくり動いてから速く動くのは不思議なことではない。でも実際にそれを見た人はほとんどいない」という研究者の言葉が印象的でした。


Phrona:見えないものを見えるようにする技術と、それを適切に解釈して社会に伝える知恵。両方が揃って初めて、災害への備えが完成するんですね。


富良野:そうですね。完璧な予測は不可能でも、リスクを着実に減らしていくことはできる。そういう現実的で粘り強いアプローチが大切なんだと思います。



 

ポイント整理


  • 2024年日向灘地震での実証

    • マグニチュード7.1の地震で、海底プレートが3メートルずれたにも関わらず津波は数センチメートルであることをN-netがリアルタイムで正確に検知・報告

  • N-net観測網の完成と効果

    • 2025年6月に完成した120億円の海底観測網により、地震警報22秒延長、津波警報20分延長を実現。200以上の観測点が光ファイバーケーブルで本土と接続

  • 南海トラフの75年間の静寂

    • 1940年代以降大地震が発生していない南海トラフでエネルギーが蓄積され続けており、将来の巨大地震リスクが懸念されている

  • スロースリップの二面性

    • 2011年東日本大震災では巨大地震の引き金となった一方、南海トラフでの観測では危険なエネルギーを安全に放出している可能性

  • 海底下1500メートルからの観測

    • 2015年と2020年に南海トラフで発生したスロースリップを、岩石内の流体圧力変化として詳細に観測することに成功

  • 40キロメートルの断層移動

    • スロースリップが海溝に向かって40キロメートルにわたって上向きに伝播し、「芋虫のように断層が開いていく」現象を確認

  • アメリカの遅れと対策

    • カスケード沈み込み帯の観測体制は大幅に遅れているが、海底GPS設置やオレゴン沖ケーブル強化など段階的改善が進行中

  • SZ4D国際計画

    • チリの沈み込み帯監視を目指す野心的な国際プロジェクトが計画され、1960年のマグニチュード9.5地震震源域の解明を目指す

  • 技術の民主化課題

    • 「日本はキャデラック、世界には良いトヨタ・カローラが必要」として、高度技術の低コスト化と普及が国際的課題



キーワード解説


N-net(南海トラフ海底地震津波観測網)

日本が2025年6月に完成させた世界最先端の海底観測システム


【日向灘地震

2024年8月に発生したマグニチュード7.1の地震で、N-netの実用性が実証された事例


【スロースリップ地震

数週間から数か月かけて断層がゆっくりとずれ動く現象で、巨大地震の前兆や抑制要因となる可能性


【南海トラフ

日本列島南岸の海底にある沈み込み帯で、75年以上大地震が発生せずエネルギーが蓄積


【DONET

南海トラフ北部に設置された海底ケーブル観測網で、スロースリップの詳細観測に成功


【流体圧力

岩石の隙間に存在する水分による圧力で、スロースリップの発生メカニズムに重要な役割


【カスケード沈み込み帯

シアトルやポートランドに脅威を与える北米太平洋岸の沈み込み帯


【SZ4D

チリの沈み込み帯監視を目指す国際的な科学プロジェクト


【光ファイバーケーブル

海底観測点と本土を結ぶ通信手段で、リアルタイムデータ伝送を可能にする


【津波警報延長

海底観測により従来より20分早い津波警報発令を実現する技術



本稿は近日中にnoteにも掲載予定です。
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