物語の語り手をもう一度信じてもいいですか?──メタモダニズムが変える文学の風景
- Seo Seungchul
- 8 時間前
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シリーズ: 知新察来
◆今回のピックアップ記事:Margherita Volpato "The Death of the Unreliable Narrator" (The Institute of Art and Ideas, 2023年12月13日)
映画『ファイト・クラブ』を見た時のあの衝撃を覚えていますか?主人公の語りがどこまで信用できるのか分からなくなって、最後まで騙されていたあの感覚です。現代の私たちは、物語の語り手を疑うことに慣れきってしまいました。小説でも映画でも、TikTokの動画ですら、「これって本当なの?」と身構えてしまいます。
でも最近、そんな私たちの「疑い深さ」に変化が起きているようです。文学や映画の世界で、信頼できる語り手が静かに復活しているのです。これは単なる懐古趣味ではありません。メタモダニズムと呼ばれる新しい文化の流れが、私たちの物語との向き合い方を根本から変えようとしているのです。
今回は、文学研究者のマルゲリータ・ヴォルパートの論考を手がかりに、なぜ私たちは語り手を疑うようになったのか、そして今なぜ再び信頼できる物語が求められているのかを考えてみたいと思います。この変化の背景には、私たちの時代そのものの変化が映し出されているかもしれません。
語り手への疑いはどこから始まったのか
富良野:ヴォルパートが指摘しているのは、現代の私たちがいかに物語の語り手を疑うことに慣れ親しんでしまったかということですね。ナボコフの『ロリータ』から始まって、デイヴィッド・フィンチャーの『ファイト・クラブ』、イシグロの『わたしを離さないで』まで、信頼できない語り手が当たり前になってしまった。
Phrona:そうですね。でも考えてみると、これって不思議な状況じゃないですか?子どもの頃は「昔々あるところに」で始まる物語を素直に受け入れていたのに、大人になるにつれて語り手を疑うようになった。この変化って何なんでしょう?
富良野:それはきっと、モダニズムとポストモダニズムの影響だと思います。モダニズムが全知の語り手を殺し、ポストモダニズムが物語という概念そのものを解体してしまった。ロラン・バルトの「作者の死」という有名な論考がありますが、あれが象徴的ですよね。
Phrona:バルトは書くという行為を「主体が滑り去る中性的で複合的な空間」って表現していましたね。つまり、物語が始まった瞬間に、現実の声との繋がりが断たれてしまう。残るのは信頼できるかどうか分からない語り手だけ。
富良野:そうです。そして僕たちは今、あらゆる語り手を疑うことで、皮肉にも信頼できる語り手と信頼できない語り手を区別する必要がなくなってしまった。ある意味で、語り手という存在そのものを殺してしまったんです。
全知の語り手が持っていた特別な力
Phrona:でも、昔の物語の全知の語り手って、どんな特別な力を持っていたんでしょう?ただ「知っている」だけじゃない何かがあったような気がします。
富良野:ニコル・ティマーという研究者の言葉を借りれば、語り手は「誰かの頭の中で起きていることを、登場人物には不可能な方法で知ることができる立場」にいるんです。登場人物は自分の心の中に閉じ込められているけれど、語り手だけはその外側から見ることができる。
Phrona:なるほど。その「不平等さ」こそが物語の源泉だったということですね。でも文学は、まさにその不平等を解消しようとしてきた。登場人物の視点に限定したり、意識の流れを描いたりして。
富良野:第一次世界大戦後の作家たちは特にそうでした。彼らは一般市民との暗黙の契約を破ったんです。芸術家は主流文化の信頼できる解釈者だという前提を捨てて、代わりに信頼できない語り手を開発した。表面的には合理的に見える世界の根底にある非合理性を暴露するために。
Phrona:つまり、時代の混乱が語り手への不信を生んだということですね。戦争の悲惨さや社会の矛盾を前にして、従来の確実な語り方では対応できなくなった。
なぜ今、信頼できる語り手が求められるのか
富良野:でも興味深いのは、ヴォルパートがメタモダニズムによる信頼できる語り手の復活について語っていることです。これは単なる懐古主義ではないと思うんです。
Phrona:メタモダニズムって、モダニズムの熱意とポストモダニズムの皮肉の間を振動する運動でしたよね。希望と憂鬱、素朴さと知性、共感と無関心の間を揺れ動く。
富良野:そうです。ティモテウス・フェルメーレンとロビン・ファン・デン・アッカーの定義を借りれば、「informed naivety(情報に基づいた素朴さ)」や「pragmatic idealism(実用的理想主義)」といった概念が鍵になる。
Phrona:面白いのは、メタモダンな世代にとって「壮大な物語は問題があると同時に必要でもある」という点ですよね。希望は単に疑うべきものではなく、愛は必ずしも嘲笑の対象ではない。
富良野:つまり、僕たちはポストモダニズムの教訓を捨てるのではなく、それを踏まえた上で新しい信頼の形を模索している。完全に騙されやすくなるのでもなく、永遠に疑い続けるのでもない第三の道を探している。
デジタル時代の語り手と信頼の問題
Phrona:でも今の時代って、メタモダニズムだけでなく、デジタル文化の影響も大きいですよね。TikTokやYouTubeのクリエイターって、ある種の語り手でもある。
富良野:そうですね。彼らは一見「本物」を装いながら、実際には高度に演出された物語を作り上げている。でもオーディエンスもそれを分かった上で楽しんでいる部分がある。これってメタモダン的な感覚かもしれません。
Phrona:ファンフィクションやリミックス文化もそうですね。既存の素材を使って新しいものを作るけれど、それは歴史に名を残そうとするモダニズム的な野心でもなく、すべてを否定するポストモダニズム的な姿勢でもない。
富良野:オンライン・クリエイターたちは、人間的なつながりや共感、コミュニティを大切にしながら、同時に物語の人工性も認識している。この両立が、新しい信頼の形なのかもしれません。
Phrona:つまり、完全に信頼できる語り手でも、完全に疑わしい語り手でもない、第三の選択肢が生まれているということですね。透明で誠実だけれど、同時に構築されたものでもあるという。
富良野:そうです。僕たちは語り手を殺してしまったことを認めた上で、新しい語り手を蘇らせようとしている。それは昔の全知の語り手とは違う、より複雑で微妙な存在として。
物語論から社会統治論へ:メタモダンなガバナンスの可能性
Phrona:ところで富良野さん、この語り手の話って、社会の統治の仕方にも通じるところがありませんか?全知の語り手って、ある意味では「上から目線で全てを知っている権威」みたいなものでしょう?
富良野:なるほど、面白い視点ですね。確かにモダニズム的な統治って、国家や政府が全てを把握して、トップダウンで社会を導いていくスタイルでした。そしてポストモダニズムは、そういった中央集権的な権威を疑って、多元的で分散的なネットワークを重視した。
Phrona:そうそう。でも今って、どちらか一方だけでは立ち行かなくなっている気がします。コロナ禍の対応を見ていても、政府の強いリーダーシップも必要だし、でも市民社会や企業、専門家との協働も欠かせない。
富良野:それがまさにメタモダニズム的なガバナンスの特徴なんでしょうね。トップダウンの統制と分散的ネットワークの間を柔軟に行き来しながら、多様なアクターを包摂していく。「メタガバナンス」って概念がありますが、国家が直接統治するのではなく、異なるガバナンス様式を調整する「しっくい」のような役割を果たす。
Phrona:しっくいって、建物でレンガとレンガを繋ぐあれですよね。それぞれの主体の個性は残しながら、全体として機能するように調整する。語り手の復活と似ていますね。完全に信頼するわけでもなく、完全に疑うわけでもなく、状況に応じて適切な距離感を保つ。
富良野:そうです。例えば気候変動の問題なんて、国家だけでも企業だけでも解決できない。でも従来のポストモダン的な「みんなで話し合えばなんとかなる」という楽観主義でも限界がある。だからこそ、対話と調整を重視しながらも、時には強いリーダーシップも発揮する、メタモダン的なアプローチが求められている。
Phrona:包摂性という点でも興味深いです。従来は「主流派」と「周縁」がはっきり分かれていたけれど、メタモダンなガバナンスでは、社会的に排除された人々や少数派の視点も積極的に取り入れる。でもそれは単なる「多様性の尊重」を超えて、権力構造そのものへの批判的視点も含んでいる。
富良野:まさに「統治」と「自律」、「理想」と「懐疑」を同時に扱いながら、持続的な対話を通じて方向性を模索していく。これって、信頼できる語り手の復活と同じ構造ですよね。完全に信頼するわけでもなく、完全に疑うわけでもない第三の道。
Phrona:そう考えると、文学の語り手の変化って、社会全体の統治のあり方の変化を映しているのかもしれませんね。私たちは新しい語り手を求めているのと同時に、新しい社会の運営方法も模索している。
富良野:そして両方とも、透明性と説明責任が重要になってくる。新しい語り手は読者に対して誠実である必要があるし、メタモダンなガバナンスも市民に対して意思決定プロセスを透明にする必要がある。でもそれは昔の「全てを知っている権威」とは違う、より対話的で相互作用的な透明性なんです。
Phrona:なんだか希望が見えてきますね。文学でも政治でも、私たちは新しい信頼の形を築こうとしている。それは完璧ではないけれど、より人間的で、より包摂的で、より柔軟なもの。
富良野:ええ。メタモダニズムが提示しているのは、理想と現実の間を振動しながらも、諦めることなく前進し続ける姿勢なのかもしれません。語り手の復活も、ガバナンスの革新も、その一部として捉えることができそうです。
ポイント整理
モダニズムは全知の語り手を排除し、ポストモダニズムは物語の概念自体を解体した
第一次世界大戦後の作家たちは、社会への不信から信頼できない語り手を意図的に開発した
現代では信頼できない語り手が普通になりすぎて、語り手への区別自体が無意味になった
メタモダニズムは、モダンな熱意とポストモダンな皮肉の間を振動する新しい文化運動
メタモダンな世代は、壮大な物語を問題視しながらも必要と認識している
デジタル文化では、構築性を認識しながらも真正性を求める複雑な信頼関係が生まれている
新しい語り手は、完全な信頼でも完全な疑いでもない第三の道を提示している
メタモダニズム的なガバナンスは、トップダウンと分散型の間を柔軟に行き来する統治スタイル
「メタガバナンス」として、異なるガバナンス様式を調整する「しっくい」的役割が重要
多様なアクターの包摂と対話的な意思決定プロセスが、新しい統治の特徴
文学の語り手の変化と社会統治のあり方の変化は、同じ構造的変化を反映している
透明性と説明責任は、新しい語り手と新しいガバナンス両方に共通する要件
キーワード解説
【メタモダニズム】
モダニズムとポストモダニズムの要素を統合し、両者の間を振動する21世紀の文化パラダイム
【信頼できない語り手】
読者が完全に信頼できない物語の語り手。意図的に情報を隠したり、歪めたりする
【全知の語り手】
物語世界のすべてを知っている第三者的な語り手。古典的な物語の特徴
【作者の死】
ロラン・バルトが提唱した概念。テキストから作者の意図や権威を切り離す考え方
【informed naivety】
メタモダニズムの特徴。情報に基づいた上での意図的な素朴さ
【pragmatic idealism】
実用性と理想主義を両立させるメタモダン的な姿勢
【メタガバナンス】
異なるガバナンス様式を調整し、全体のバランスを取る統治アプローチ
【包摂的ガバナンス】
多様なアクターが参加し、少数派の視点も重視する統治形態
【オンライン・クリエイター文化】
デジタル時代の創作者たちが作り出す、真正性と構築性を両立する文化