top of page

生き残るための脳が、現代を破壊する?──狩猟採集民の心理学が現代社会に投げかける警告

ree

シリーズ: 知新察来


◆今回のピックアップ記事:Harvey Whitehouse "Humanity’s ancient tribalism is causing its modern problems" (The Institute of Art and Ideas, 2025年7月10日)


私たちの頭の中には、太古の昔から変わらない「生き残るための仕組み」が息づいています。仲間を見分け、集団をまとめ、外敵から身を守る──そんな狩猟採集民時代の知恵が、今でも私たちの判断や行動を左右している。でも、その同じ心理メカニズムが、現代では環境破壊や分断、対立の火種になっているとしたら?


オックスフォード大学の人類学者ハーヴィー・ホワイトハウスと、生物学の巨人エドワード・O・ウィルソンが、それぞれ異なる角度から投げかけるこの問いは、私たちが「人間らしさ」をどう理解し、どう活かしていくかの根本に関わります。部族主義、宗教性、同調圧力──これらの古い仕組みを消し去ろうとするのではなく、むしろうまく活用する道はあるのでしょうか。


人類が直面する環境危機の背景に、進化心理学と文明論がどんな光を当てるのか。2人の思想家の視点を通じて、「石器時代の感情、中世の制度、神のような技術」を持つ現代人のジレンマを探っていきます。



石器時代の脳で宇宙を見る──現代人のパラドックス


富良野: ホワイトハウスがVRで宇宙ステーションから地球を見た話、なかなか象徴的ですよね。現代のテクノロジーで太古の感情──畏敬の念を体験するという。


Phrona: ああ、その矛盾がまさに今の私たちの状況を表してますよね。最新の技術で宇宙から地球を眺めながら、感じているのは何万年も前から変わらない人間の感情。


富良野: そうそう。ウィルソンが言う「石器時代の感情、中世の制度、神のような技術」という表現も、同じパラドックスを指してる。僕らの心理的な基盤は狩猟採集民の時代からほとんど変わってないのに、扱ってる技術は核兵器や人工知能だから。


Phrona: でも不思議なのは、そのギャップがあるからこそ、私たちは宇宙から地球を見て「ちっぽけで美しい」って感動できるんですよね。もし完全に現代的な脳だったら、データとして処理して終わりかもしれない。


富良野: なるほど。つまり古い感情回路があるからこそ、新しい視点に意味を見出せる、と。


Phrona: そう。ただ、同じメカニズムが部族対立や環境破壊にもつながってるわけで...。ホワイトハウスが言うように、この古い心理を消すんじゃなくて、どう活用するかが鍵になりそうです。


富良野: まさに。問題は古い脳そのものじゃなくて、それを現代の文脈でどう使うかの知恵が追いついてないことなんでしょうね。


部族心理の二面性──結束と排斥の狭間で


Phrona: でも部族主義って、そもそもどういう仕組みなんでしょう。単純に「仲間は良い、敵は悪い」ってことじゃないですよね?


富良野: ホワイトハウスの研究だと、部族心理には同調圧力、宗教性、そして集団アイデンティティが絡み合ってる。要するに「この集団に属していることで安全で意味のある存在でいられる」という感覚。


Phrona: ああ、それで思い出すのは...。コロナ禍の時、マスクをするかしないかで、まるで敵味方を分けるような雰囲気になったじゃないですか。科学的根拠よりも、どちらの「部族」に属するかの問題になってしまった。


富良野: 典型的ですね。本来は公衆衛生の問題なのに、部族アイデンティティの象徴になってしまう。しかも両方の陣営が「科学的根拠」を主張するから、余計に対立が深まる。


Phrona: そうそう。「私たちは理性的で、あっちは感情的」って、どちらの側も思ってる。でも実際は、どちらも部族心理に支配されてるという...。


富良野: この仕組み自体は、小さな集団が協力して生き延びるためには有効だったんでしょうね。問題は現代では、部族の境界線が曖昧で、しかもグローバルな課題に対処する必要があること。


Phrona: そういえば、ウィルソンが言ってた「21世紀は環境の世紀」という話とつながりますね。地球規模の問題を、部族サイズの脳で考えようとするから、うまくいかない。


富良野: その通り。気候変動なんて、目に見えないし時間スケールも長いし、部族心理で捉えるには抽象的すぎる。だから「遠い将来の問題」として先送りされがち。


宗教性と科学──対立から統合へ


富良野: ところで、ホワイトハウスが宗教性も部族心理の一部として挙げてるのが興味深いです。現代では科学と宗教は対立するものとして扱われがちだけど。


Phrona: でもウィルソンのスピーチを読むと、科学者でありながら、人間の精神的な側面も大切にしてますよね。「富と安全と精神」って言い方をしてた。


富良野: そうですね。ウィルソンは「我々は何者か、どこから来たのか、どこへ向かうのか」という根本的な問いに科学で答えようとしてる。でもこれって、本質的には宗教が扱ってきた問いでもある。


Phrona: 宇宙から地球を見て畏敬の念を感じるのも、ある意味では宗教的体験ですよね。科学的知識があるからこそ、より深い感動を覚える。


富良野: なるほど。つまり宗教性って、必ずしも既存の宗教の形を取る必要はなくて、「大きなものとのつながりを感じる能力」として理解できるのかも。


Phrona: そう考えると、環境問題への取り組みにも宗教的な側面がありますよね。科学的データだけじゃなくて、「地球という共同体の一員である」という感覚が必要。


富良野: ホワイトハウスが言う「宗教性の活用」って、そういうことなのかもしれません。既存の宗教を否定するんじゃなくて、より大きな共同体への帰属意識を育てるための仕組みとして使う。


Phrona: でも、それが新たな「環境原理主義」みたいな排他性を生まないか心配でもあります。「環境を大切にしない人は敵」みたいな。


富良野: 鋭い指摘ですね。部族心理を活用するのはいいけれど、その境界線をどう引くかが重要になる。


文明の継承──知識と感情の架け橋


Phrona: ウィルソンが「文化的継承」について語ってるのも印象的でした。石器時代の道具からコンピュータチップまで、人類の知識が積み重なってきたって。


富良野: そう、ゼタバイト級の情報量に到達した現代の知識。でもその知識を活用する脳は、まだ石器時代仕様だという皮肉。


Phrona: だからこそ、古い感情と新しい知識をつなぐ「翻訳作業」が必要なんでしょうね。VRで宇宙体験をするみたいに。


富良野: なるほど。抽象的な知識を、感情で理解できる形に変換する技術や仕組み。それも文化的継承の一部かもしれません。


Phrona: 例えば、CO2濃度410ppmって数字だけじゃピンとこないけれど、極地の氷が解ける映像を見ると実感がわく。データを感情で理解できる形に翻訳してる。


富良野: そういった翻訳技術こそ、現代に必要な知恵なのかも。ホワイトハウスが言う「古い心理の活用」も、結局はこの翻訳作業なんでしょうね。


Phrona: ただ、感情に訴えることの危険性もありますよね。プロパガンダとか、感情操作とか。善意で始まったことが、別の方向に行ってしまうリスク。


富良野: 確かに。だからこそウィルソンが言う「高度な教育を受けた市民」が重要になる。感情と理性、両方を使いこなせる人材。


Phrona: 古い脳を否定するんじゃなくて、その特性を理解した上で、より良い未来のために使う。それができる人を育てることが、教育の役割なんでしょうね。


「スター・ウォーズ文明」から抜け出すために


富良野: ウィルソンの「スター・ウォーズ文明」という表現、的確ですよね。石器時代の感情、中世の制度、神のような技術の組み合わせ。


Phrona: でも逆に言えば、この3つの要素をうまく調和させることができれば、もっと豊かな文明になれるってことでもありますよね。


富良野: そうですね。感情を否定するんじゃなくて活用し、制度を現代に合わせてアップデートし、技術を人間性に沿って使う。


Phrona: ホワイトハウスが「古い心理を消去するんじゃなくて活用する」って言ってたのも、同じ発想ですよね。部族主義、同調圧力、宗教性を、より大きな共同体のために使う。


富良野: 具体的には、どんな方法があるんでしょうね。例えば気候変動対策で言うと。


Phrona: うーん...。地域コミュニティから始めて、徐々に範囲を広げていくとか?まずは「近所の人たち」という部族意識から、「同じ地球の住人」という意識まで段階的に拡張する。


富良野: 面白いアプローチですね。いきなり「地球市民になれ」と言われても、古い脳は混乱するけれど、身近なところから始めれば受け入れやすい。


Phrona: あと、ウィルソンが強調してた「生物多様性」の話も、感情に訴える力がありそうです。種の絶滅って、とても具体的で分かりやすい損失だから。


富良野: 確かに。抽象的な「持続可能性」よりも、「身近な生き物がいなくなる」の方が、感情的にインパクトがある。


Phrona: そうやって考えると、古い脳と新しい課題をつなぐ「物語」を作ることが重要なのかもしれません。人間は物語で世界を理解する生き物だから。


富良野: なるほど。「私たちは地球という宇宙船の乗組員で、みんなで協力しないと生き延びられない」みたいな物語。


Phrona: そうそう。しかもその物語が、科学的事実に基づいていて、同時に感情的にも納得できるもの。簡単じゃないですけど、やる価値はありそうです。




ポイント整理


  • 人類の心理は狩猟採集民時代からほとんど変化していない

    • 現代人の脳には、小集団での生存に特化した古い心理メカニズムが残っており、これが現代社会の複雑な問題解決を困難にしている。

  • 「スター・ウォーズ文明」の危険性

    • 石器時代の感情、中世の制度、神のような技術という3つの異なる時代の要素の組み合わせが、現代文明の不安定さと危険性を生み出している。

  • 部族主義は消去ではなく活用すべき対象

    • 同調圧力、宗教性、集団アイデンティティなどの部族心理は、より大きな共同体(地球規模)での協力を促すために積極的に活用できる可能性がある。

  • 環境問題は21世紀の最重要課題

    • 現在の種絶滅速度は人類出現前の約1000倍であり、今世紀末までに地球上の種の半分が絶滅する可能性がある。これは人類の富、安全、精神すべてに深刻な影響を与える。

  • 知識と感情を結ぶ翻訳技術の必要性

    • ゼタバイト級の情報量を持つ現代の知識を、古い脳でも理解できる感情的・物語的形式に翻訳する技術や仕組みが求められている。

  • 文化的継承の二重性

    • 人類は技術的知識だけでなく、それを活用する心理的能力も祖先から受け継いでおり、両方を統合的に理解する必要がある。

  • 教育の役割の再定義

    • 高度な教育を受けた市民は、感情と理性の両方を使いこなし、予期しない変化や危機に柔軟に対応できる能力を持つべきである。

  • 科学と宗教性の統合

    • 「我々は何者か、どこから来たのか、どこへ向かうのか」という根本的問いに対し、科学的知識と宗教的感性の両方を活用してアプローチする必要がある。

  • 段階的な共同体意識の拡張

    • 地域コミュニティから始めて徐々に地球規模まで、部族意識を段階的に拡張することで、グローバルな協力を実現できる可能性がある。

  • 物語の力の活用

    • 人間が世界を理解する際の物語性を活用し、科学的事実と感情的納得の両方を満たす新たなナラティブを構築することが重要である。



キーワード解説


【部族主義(Tribalism)】

小集団への強い帰属意識と外集団への警戒心を基とする心理傾向


【同調圧力(Conformism)】

集団の規範や行動様式に合わせようとする心理的圧力


【宗教性(Religiosity)】

超越的存在や大きな意味体系とのつながりを求める人間の基本的性向


【文化的継承(Cultural Inheritance)】

技術、知識、価値観などが世代を超えて伝達される過程


【生物多様性(Biodiversity)】

生態系、種、遺伝子の3レベルでの生物の多様性


【種絶滅速度】

現在は人類出現前の約1000倍のスピードで種が絶滅している


【ゼタバイト(Zettabyte)】

1の後に21個の0が続く単位で表される情報量


【畏敬の念(Awe)】

圧倒的な美しさや壮大さに触れた時に感じる深い感動


【スター・ウォーズ文明】

石器時代の感情、中世の制度、神のような技術が混在する現代文明の比喩


【VR(Virtual Reality)】

仮想現実技術、古い感情と新しい体験を結ぶ技術の象徴



本稿は近日中にnoteにも掲載予定です。
ご関心を持っていただけましたら、note上でご感想などお聞かせいただけると幸いです。
bottom of page